Glaucidium palmatum
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2003年5月 仙台市野草園 |
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2008年8月 角館 武家屋敷の庭 |
トガクシショウマ,キレンゲショウマと並んで,わが国の三大名花野草.日本の固有種でシラネアオイ科シラネアオイ属シラネアオイの一科一属一種とされた.日本産の植物の科はおよそ 200 あるが,その中で特産はシラネアオイ科とコウヤマキ科のみ.キンポウゲ科に属するとする説もあるが,それでも一属一種には間違いない.
花弁を欠き,萼片4枚が弁化.雄しべは内側から外へ成熟し,2個の雌しべは下部でくっついており,これが実ると,方形をした袋状の果実が内側で合着した形になる.初めて見たときには,ブリキのおもちゃのねじ回しのような形で,いったい何の実かと不思議に思った(右図).
人目を引く優麗な花ではあるが,深山に生育するためか,江戸時代までは文献にでてきていない.シラネアオイの名も日光地方の方言で一般的ではなく,ハルフヨウ,ヤマフヨウ,ヤマボタンとも呼ばれていた.磯野の初見は狩野常信『草花魚貝虫類写生』(1661-1712)であるが,残念ながら国立博物館のHPで公開されている画像の中には見つけることが出来なかった.
★伊藤伊兵衛『増補地錦抄 巻之六』(1695)には,「志ら祢(しらね)葵(あふひ)夏初 花むらさき 葉ハ大キく丸ク切込有 やふれすげがさといふ草に似たり」とあり,葉の特長がよく記述されており,すでに庭園に栽培されていたことをうかがわせる.しかし,図は付されていない(左図,NDL).
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立命館大学 図書館 |
★葛飾北斎『北齋漫圖 第八巻』(1814)には,山牡丹の名でシラネアオイが記載されているが,他の人のスケッチの転用であろうか,葉の特長はよく描かれているものの,花は一見すると同定するのは難しい.北海道特産のエトピリカと同じ見開きに描かれていて,「山牡丹」はこの植物の「北海道ニテノ稱呼*」だそうなので,北海道産のものかも知れない(右図).同じ巻の次の見開きに「黒百合(クロユリ)」「三角草(オオバナノエンレイソウ)」が描かれていることも傍証になろう.こちらの植物に対しては色の指定が細かいので,実物を見た可能性が高い.
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NDL |
★毛利元寿『梅園草木花譜 春之部』(1825 序)には,「春芙蓉 シュンフヨウ 日光産」として,まだ蕾の状態の個体が描かれていて,花の色は美しく再現されている(左図,NDL).彼の庭で栽培されていた場合には,その旨のメモがあるので,そうではないであろう.
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WUL |
★植田孟縉 編輯,渡辺崋山(他)画『日光山志 巻之四』(1837)に,椿山人が写生したと称する「白根葵 志らねあふい」の多色木版画が載る.しかし,一つの花茎に複数の花が着き,ないはずの萼が描かれているなど,到底実物を写生した図とは思えない(右図).しかし,壮大な葉はその特長を良くあらわしているので,花の終わった葉に,名前に由ってタチアオイの花を合体させたものであろうか.
★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(成稿 1852年(嘉永5)ごろ,出版 1856年(安政3)から62年(文久2))の巻十二には,
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NDL |
「シラ子アフヒ 茎高二尺許.葉モミヂガラマツ又ハ金剛纂(ヤツデ)ノ如ク.七八ノ大缺刻葉ニ辺縁鋸歯アリ.一柄一葉.ソノ二葉ヲ岐出スルモノハ多クハ梢葉ノ下ニ又一葉ヲナシ.小葉アツテ末ニ一花ヲ開ク.二三月ノ項萌芽ト共ニ花ヲモチテ出.盛開ニ至テモ微ク点頭.無萼ニシテ四弁尖鋭藤花色.子室短角杵状.頭帽様ニシテ黄色縦道アリ.多雄蘂柱ニツキ葯●状蛤様淡黄色ニシテ白粉ヲ吐ク.ソノ状略葵類ノ如シ.白根アフヒノ名ハ蓋シコレニ由ル.野州日光山ニ多ク.近●加州産ハ移栽シテ育テ易ト云 附 一柱 二雄蕊トモ郭大図」
とある(●は判読不能文字).さすがに図(左図),記述とも科学的であるが,「其属未考」とある.
*武田久吉『植物學雜誌第三百七十六號 ◎ 植物和名雜記(一)』(1918)
この日本固有の植物を海外に紹介したのはシーボルトで,学名も彼とツッカリーニがつけた.海外での各種文献への記載は「シラネアオイ (2/2) 」で紹介する予定.
シラネアオイ (2/2) シーボルト.ペリー,A.グレイ,ミクェル,サバティエ,クラーク博士
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