2013年8月6日火曜日

ヤブガラシ(3/3) 泉鏡花,雀,ごんごんごま,唐独楽・鳴り独楽

Cayratiae japonica
蝋燭のような,鳴り独楽のような,花盤が目立つ花後の茎
泉鏡花の随筆に『二三羽---十二三羽』という,一寸変わった味の作品があり(大正13年4月初出),その中に「ごんごんごま」という野草が出てくる.

庭を訪れる雀たちと鏡花夫婦との交流の話の後に,スズメつながりで,鏡花は「スヾメの蝋燭」と称してひそかに贔屓にしている蔓草ごんごんごまを近所に探した.これは彼が子供の頃盂蘭盆で墓参りの道で摘んだ「珊瑚を木乃伊(みいら)にしたやうな」「むかう裏から這って、茂って、またたとへば、瑪瑙(めなう)で刻んだ、さゝ蟹のやうな」植物である.

炎天下,近所を探し回って,この草をようやく見つけたのは,とある坂の空溝の向こうの葎.がさがさと探っていると,その家の主人,薄暗い谷戸に居を構えた笙を教授する肥大漢に「丁ど午睡時(ひるねどき)、徒然(とぜん)で居ります。」と招かれ,座敷に上げられた.そこには,この主人の。娘か、若い妻か、或は 妾(おもいもの)か。」の「島田髷(しまだまげ)の艶々しい、きゃしゃな、色白な女」もいて,茶をたててくれる.

作家の随想3 泉 鏡花
日本図書センター 1996
ここまではまあ尋常なのだが,主人公の「浴衣だが、うしろの縫めが、しかも、したゝか綻びて居たの」を見つけた主人が,女に繕わせようとしてが,着たままでは縫いにくいのをみて,

「こう三人と言うもの附着いたのでは、第一私わしがこの肥体(ずうたい)じゃ。お暑さが堪たまらんわい。衣服(きもの)をお脱ぎなさって。……ささ、それが早い。――御遠慮があってはならぬ――が、お身に合いそうな着替はなしじゃ。……これは、一つ、亭主が素裸(すはだか)に相成あいなりましょう。それならばお心安い。」
(中略)
「おお、これ、あんた、あんたも衣を脱ぎなさい。みな裸体(はだか)じゃ。然うすればお客人の遠慮がのうなる。……ははははは、それが何より。さ、脱ぎなさい脱ぎなさい。」

 串戯(じょうだん)にしてもと、私は吃驚して、言(ことば)も出ぬのに、女はすぐに幅狭(はばぜま)な帯を解いた。膝へ手繰たぐると、袖を両方へ引落して、雪を分けるように、するりと脱ぐ。……膚(はだ)は蔽うたよりふっくりと肉を置いて、脊筋をすんなりと、撫肩して、白い脇を乳が覗のぞいた。それでも、脱ぎかけた浴衣をなお膝に半ば挟さんだのを、おつ、と這ふと、あれ、と言ふ間に、亭主がずるずると引いて取った。
「はははは。」
 と笑いながら。
 既にして、朱鷺色(ときいろ)の布一重である。

 私も脱いだ。汗は垂々(たらたら)と落ちた。が、憚(はばかり)ながら褌(ふんどし)は白い。一輪の桔梗の紫の影に映はえて、女はうるおえる玉のやうであった。
 その手が糸を曳ひいて、針をあやつったのである。」
(中略)
と,鏡花の世界に誘い込まれる.

縫い終わりあわてて別れを告げた主人公が道に飛び出すと,「時に――目の下の森につつまれた谷の中から、一(いつ)セイして、高らかに簫(せう)の笛が雲の峯に響いた。」のであった.
(中略)
「奇人だ。」
「いや、……崖下のあの谷には、魔窟があると言う。……その種々いろいろの意味で。……何しろ十年ばかり前には、暴風雨(あらし)に崖くずれがあって、大分、人が死んだ処だから。」――
 と或ある友だちは私に言った。
 炎暑、極熱(ごくねつ)のための疲労には、みめよき女房の面が赤馬の顔に見えたと言う、むかし武士(さむらひ)の話がある。……霜が枝に咲くように、汗――が幻を描いたのかも知れない。が、何故なぜか、私は、……実を言えば、雀の宿にともなわれたような思いがするのである。
 かさねてと思う、日をかさねて一月にたらず、九月一日のあの大地震*であった。
「雀たちは……雀たちは……」

 火を避けて野宿しつつ、炎の中に飛ぶ炎の、小鳥の形を、真夜半(まよなか)かけて案じたが、家に帰ると、転げ落ちたまま底に水を残して、南天の根に、ひびも入いらずに残った手水鉢のふちに、一羽、ちょんと伝っていて、顔を見て、チイと鳴いた。
雀の宿 山東京伝著「桃太郎発端話説」 北斎画より  WUL
後に、密と、谷の家を覗に行った。近づくと胸は轟いた。が、ただ焼原であった。

 私は夢かとも思う。いや、雀の宿の気がする。……あの大漢(おほをとこ)のまる顔に、口許のちょぼんとしたのを思え。卯の毛で胡粉(ごふん)を刷いたような女の膚の、どこか、頤(あぎと)の下あたりに、黒いあざはなかったか、うつむいた島田髷の影のやうに――

 をかしな事は、その時摘んで来たごんごんごまは、いつどうしたか定かには覚えないのに、秋雨の草に生えて、塀を伝っていたのである。

「どうだい、雀。」
 知らぬ顔して、何(なん)にも言わないで、南天燭(なんてん)の葉に日の当る、小庭に、雀はちょん、ちょんと遊んでいる。」

と,可愛がっていたスズメたちが,主人公が炎天下探していた「スズメの蝋燭」を探す手伝いをして,スズメの宿に招いて一昼の夢を見させたようにも思わせる.

*  大正12年9月1日の関東大震災,鏡花の『露宿(ろしゅく)』に,鏡花の被災や避難の様子が描かれている.
** 青空文庫で,『二三羽---十二三羽』も『露宿』も読むことが出来る.

この「ごんごんごま」が何であるかは,植物遺伝学者の塚谷裕一氏が考察した.まず,『漱石の白くない白百』(文藝春秋社,1973)では,鏡花の記述からこの植物の形状を推定したが,該当するものが思い浮かばず,辞書で「ごんごんごま」は「江戸の言葉、回して遊ぶ独楽の一種を指す言葉としてである。その場合、それは唐独楽とも言うとある。」そこで,唐独楽を唐胡麻とよんで,ヒマを考えたが,鏡花の記述に合わない.方言なども探したのだが該当せず,その正体は不明のままであった.

しかし,塚谷氏は『異界の花 ものがたり植物図鑑』(マガジンハウス,1996)で「ごんごんごま」がヤブガラシであることを明らかにした.
根拠は,塚谷氏の著書について取材に来た大野浩子氏の当時九十になられる叔父,四方雄男氏が東京の現在の新宿区で昔からこの植物が実際にごんごんごま,また,独楽花とも呼ばれていたことを知っていたとの証言であった.
ヤブガラシであるとして鏡花の「ごんごんごま」の記述を検証すると,まさにぴったり.ということで,鏡花の『二三羽---十二三羽』に出てくる「ごんごんごま」はヤブガラシであることが確認された.

そう思って『二三羽---十二三羽』を改めて読むと,旺盛な繁殖力とつややかな葉とまさに「珊瑚を木乃伊(みいら)にしたやうな」「瑪瑙で刻んだ、さゝ蟹のやうな」花茎,そして花弁や雄蕊が脱落したあとの蝋燭や独楽にそっくりの花盤を持つヤブガラシが,真夏の酷暑にあえぐ白い道と,町中とは思えぬ幽玄な異界とも思える崖下の家とをつなぐ,「蔓」として存在感を際立たせる.

なお,辞書によると「ごんごんごま(独楽)」は「唐独楽」とおなじで,胴に穴があり、廻すと空気が入って鳴るコマ.中国から渡来したので「唐独楽」と呼ばれていた.初期は中国から渡来した鳴り独楽同様に6~9センチの竹筒の上下を板でふさぎ、竹の心棒を通したものであったが,木工技術の発達とともに,轆轤を使った木製の鳴り独楽が作られるようになったようである.とある.

左:和漢三才図会 NDL,右:鳴り独楽 音響文化博物館蔵
和漢三才図会の「独楽」の項には,胴に穴がある独楽の絵がある.この胴が厚い独楽が,ヤブガラシの花盤に似ているために「ごんごんごま」の名がついたのであろうか.

寺島良安『和漢三才図会』(1713頃),現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫
「独楽 こま 独楽〔和名は古末都玖利(こまつくり)〕
独楽は『弁色立成』によれば、孔のあるものである
△思うに、独楽は海螺弄(ばいまわし)と物は異なっていても趣は同じものである。思うに海螺(ばい)は多く賭に用いられ勝負をみる。独楽は賭に用いない。それで独楽と名づけられているのである。そのつくりは一様ではない。近世の筑前博多独楽は木を削って蓮房のような形にする。大きさは拳ぐらい。鉄釘を心にし糸縄を纏巻(まとい)いて、独楽を引き舞わす。元禄年中に盛行した。習練を積んだものは、繊(ほそい)枝や線縄の上で独楽をまわす。」

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