Tricyrtis
hirta
日本固有種であり,花被に細かい紫色の斑点が目立つことから,ホトヽギスの胸の羽根の模様になぞらえて名がある.江戸中期から庭園で栽培されたが,茶花としても用いられた.
漢名としては「油點草」が良く使われるが,シラミを退治する機能を持つ「虱建草」もある.何れも誤考定である.なお,虱建草の本体はいまだ不明.
江戸時代中期の儒学者★山本北山(信有,1752 – 1812)編『文藻行潦(ぶんそうこうろう)』(1779序,1782刊)の
「巻之一 保部 植物」には「虱建草 ホトヽギス」とある(左図, NDL).
「虱建草(しつけんさう)」は虱(しらみ)を駆除する植物として★段成式(803年 - 863年)撰,20巻・続集10巻.860年(咸通元年)頃の成立『酉陽雜俎』「廣動植之二,卷十七」に現われる植物で,この書には「蝨,舊說蝨蟲飲赤龍所浴水則愈。蝨惡水銀。人有病蝨者,雖香衣沐浴不得已。道士崔白言,荊州秀才張告,嘗捫得兩頭蝨。有草生山足溼處,葉如百合,對葉獨莖,莖微赤,高一二尺,名蝨建草,能去蟣蝨。有水竹,葉如竹,生水中,短小,亦治蝨。」(右図,中国哲学書計画)
とあり,今村与志雄訳注『酉陽雜俎3』東洋文庫379 (1981) においては「七一四 虱(しらみ)。
古来の説に、虱(しつ)蟲は、赤龍の浴びた水を飲んだなら、治愈する。蝨は、水銀をにくむ。虱を病む人は、衣に香をたきこめ、沐浴をしても、どうしようもない。道士の崔白の話によると、荊州の秀才、張告が、かつて両頭の虱をつかまえたことがある。山のふもとの湿地に生ずる草がある。その葉は、百合のようだが、葉が対になっていて茎が一本である。茎はすこし赤昧がかり、高さは、一、二尺である。名を虱建草という。蟣(き)虱を除去する。水竹というのがある。葉が竹に似て、水中に生ずる。短くて小さいが、虱を退治する。」と和訳されていて,湿地に生育し,対生の百合の葉に似た葉を對生に出し,茎が赤みを帯びる植物とされている.
この「虱建草」は李時珍の『本草綱目』の「蟲之二
(卵生類下二十二種)人虱」の項にも「【氣味】
鹹,平,微毒。畏水銀、銀朱、百部、菖蒲、虱建草、水中竹葉、赤龍水、大空。」と書かれ,虱驅除の薬草の一つとして記載されている.
また中国で薬草古典『神農本草経』を基本とし,12世紀頃までに31巻発刊された最も権威がある薬物書である★『証類本草』(初稿完成1082年,最後定稿1098年)の「卷第九」には,「虱建草 味苦,無毒。去蟣虱。挪取汁沐頭,盡死。人有誤吞虱成病者,搗絞汁,服一小合,亦主諸蟲瘡。生山足濕地。莖葉似山丹,微赤,高一、二尺。又有水竹葉,如竹葉而短小。生水中,亦云去虱,人取水竹葉生食。」と,より詳細に虱驅除の処方を述べている.また茎葉は「山丹」(ヒメユリLilium concolor Bak.)に似ているとある.
この名は,江戸時代中期-後期の医師,本草家の★栗本丹洲 (1756-1834) の二巻の植物の彩色図譜『栗氏図森』においても使われ,
「加賀州白山産
虱建草
一種黄花者夏至花
和名山ホトヽギス
茎立常種ニ比スレハ堅ク
ツヨシ茎端只一花ヲ開ク
英三稜アリ」
とあり(左図,TNM, https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0081947),葉が丸みを帯び,縁が波を打ち,基部のへこみが深く茎を抱くなどの特徴を捉えた,タマガワホトトギス(Tricyrtis latifolium)の美しく正確な図が残る.ホトトギス一般を「虱建草」と呼んだと思われる.
丹洲は,田村藍水の次男.幕府の医官栗本昌友の養子.寛政元年奥医師となり,文政4年法印にのぼる.医学館で本草学をおしえ,また虫,魚,貝などを研究,日本で最初の昆虫図説「千虫譜」など彩色写生図集をのこした.
享保年間(1716-35)に趣向の新しさを求めて始まった斑入(ふいり)や奇形植物の愛好は18世紀後半から19世紀にかけて一段と過熱し,文政10年代には,変わった色や形斑入植物主体の図譜まで現われた.その図譜の一つで,★水野忠暁(みずの・ただとし 通称は宗次郎)著,大岡雲峯・関根雲停画の『草木錦葉集』(1829) には二種のホトトギスが掲載されている.
著者の忠暁(天保5年(1834)没.享年68)は幕府旗本で草木の培養に長けていた.先祖は知行500石であったが,元禄年間に当主が「狂気」を理由に知行を没収され,その後はわずかな俸禄に甘んじ,役職にも就いていないようである.
本書の,冒頭が天狗の横顔ともみえる署名「水のげんちうきやう」(右図)は,「水野源忠暁」のことで,また出版元の「御鉢植作 留藏」は「お鉢植え作る」藏で本人の諧謔名と思われる.木版芸術としても大変優れた美しい図が添付されている.
本書は緒巻・前編・後編から成り,緒巻では斑入り愛好家の間で用いられる「通言」(特殊な用語)や各種栽培法,害虫の駆除法などを述べ,前編後編では「いろは順」に,斑入りや奇形の草木を写生図を添えて紹介している.「む」の部で中断しているものの千点余を掲載.図のほとんどは大岡雲峰の門人,関根雲停によって描かれた.
その「前編,第一巻 ほ之部」に
「(廿九)時鳥草(ほとゝぎすさう)布 〇虱建草(しつけんさう) 〇宿根 〇色あさき黄布 〇日 〇う二 〇わ二」とあり,また
[廿八]黄時鳥草(きほとゝぎすさう) 〇宿根 〇 草丈(くさたね)のびずちやぼ〓といふ
花黄の色よし
大坂天満太〓〓村での名
付替(つけかへ)〓〓〓〓につき杜鵑蘭(とけんらん)と名付る」とある(上図, NDL).
「〇日 〇う二 〇わ二」は緒巻の「通言」(特殊な用語)や各種栽培法,害虫の駆除法に該当すると思われるが確認できなかった.
しかし,虱建草は,★岩崎常正(灌園)(1786-1842)『本草図譜』(1830-44)の「巻二十一毒草類」においてはミズトラノオと考定されており,一方「巻三十九雑草類」項にある「ホトトギス」の記述には虱建草への言及はない(次記事).
「虱建草(しつけんさう)附録 みづとらのを
丹波の宇津根及越後の水地にあり夏月實より生ず葉細して長く一節に四葉
對生して蓬子菜(カハラマツバ)に似て軟なり秋月茎の高さ一尺許末穂をなして長
さ一二寸形状地楡(ワレモカフ)に似て細く細小の淡紫色花あり此物越後の土人採て乾
し煎て蟣虱(しらみ)を生じたる衣服を洗ふに能死す因て今此を充つ琅邪
代酔編に有レ草生二山脚濕處一葉如二百合一對生獨莖々微赤高一二尺名二虱
建草一能去蟣虱と云」
とある.(左図,NDL)
ミズトラノオ (Pogostemon yatabeanus) の生育地や地方での使用法から虱建草と考定したのであろうが,ミズトラノオのこのような薬効は他では見いだせなかった.
この頃にはホトトギス≠虱建草が認められていたのであろう.
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