2021年12月7日火曜日

エナガ-1 江戸前中期.本朝食鑑,大和本草,喚子鳥,和漢三才図会,觀文禽譜,鳥賞案子,飼籠鳥,物品識名

 Aegithalos caudatus

狭いながらハンカチノキ,ヤエベニシダレ,残雪(八重枝垂れ桃)の大きな木のある我が家の庭には,野鳥が訪れてくれる.今はヒヨドリの声がけたたましいが,スズメ,ジョウビタキ,シジュウカラ,ゴジュウカラ,コゲラ,オナガキジバトのご夫婦,ムクドリのカップル,ツグミなど,変わったところでは,猛禽類のツミなどが姿を見せて,しばらく滞留した.

先日は可愛いエナガの20羽ほどが,シジュウカラやメジロを引き連れてやってきた.せわしなく木々の間を飛び回り,細い枝にぶら下がり,細い声で鳴きかわして,10分ほどで去って行った.後にはシジュウカラが取り残され,慌てて後を追っていった.

冬季,エナガはカラ類やメジロ,コゲラなどは種類を超えて群れる「混群」を作って行動するが,その中ではエナガの行き先にシジュウカラやコガラ,メジロなどがついて行く.エナガがいろいろな場所に移動してくれる結果,カラたちが餌場を発見することができるとも考えられ,エナガは小鳥たちの「道案内」役を務めている.

全長14㎝というスズメとほぼ同じサイズながら,まっすぐ伸びた尾はその半分にもなり,頭と胴体の部分はわずか67㎝しかなく,体重は68g.スズメの体重が約24gであることを考えると,エナガがいかに小柄な鳥なのかがわかる.白くてふわふわとした印象のエナガ特有の可愛らしさは,その小ささも理由のひとつであろう.

和名は極端に長い尾を柄の長い柄杓に例えたことに由来している.英名も Japanese Long-tail Tit (日本の尾の長いカラ類).

食物本草の最高峰といわれる江戸初期の本草学者★人見必大『本朝食鑑』(1697)に,「恵--加(エナカ)鳥」の項があり,その性状が記され,「声は「清-滑,可」とあり,更に「其ナラ」と味は良くないとある.

★貝原益軒『大和本草』(1709)の「小鳥」には,「觜短ク尾長シ」の外観とともに「聲ヨシ」と鳴き声を褒めている.

江戸三大養禽書の一つ★蘇生堂主人『喚子鳥』(1710)には飼育する際の餌と「しほらしき鳥なり」とその可憐さを記している.

絵入り百科辞典★寺島良安『和漢三才図会』(1713)には「声は清亮で喘(ささやき)に似ていて,豆伊豆伊(ついいつい)というようだ.ただ寒さが苦手で,飼育は難しい」とあり,細い枝に下を向いて止まっている小鳥の図があるが,尾はさほど長くない.

堅田藩主で,のち佐野へ転封された★堀田正敦の『觀文禽譜(1794) は江戸時代で最大最高の鳥譜とされるが,そこには,エナガ,シマエナガ,ドロエナガの三種のエナガが記録されている.

 江戸時代三大養禽書の一つで、もっとも流布していた★比野勘六『鳥賞案子』(1800)には,「江戸では春に瓢箪型の巣をかけて繁殖する.子は多い」とある.

 江戸時代三大養禽書の一つで,水戸藩士★佐藤成裕『飼籠鳥』(1808)には,「秋早くに新鳥を捕えて飼うのがいいが,弱いので強い餌を与えるべきだ.真っ白い種もいるが長くは飼うことができない」とある.

和名中心の動植鉱物辞典の嚆矢★岡林清達・水谷豊文『物品識名(1809 ) には,「エナガはシジュウカラの類」とある.


 食物本草は,日常食品の調和で健康を保つとの観点に立った本草書で本邦では寛永期(162443)以降多くの著作が現われたが,★人見必大『本朝食鑑』(1697)はその最高峰といわれる.見出しの多くが和名であること,「華和異同」の項で和漢の違いを考察するのが特色.ただし,原文はやや日本臭を帯びた漢文で,図はない.著者人見必大(1642?-1701)は幕医で,野必大とも称した.植物は食品を含めて約160品,動物は250品を記述する本書は優れた博物書でもある.とくに鳥類について詳しい.その「巻之六  丹岳野必大千里父 著、男 浩元浩甫 閲

禽部之三 林禽類三十八種」に
--(エナカ) 訓如

〔集解〕狀如ニシテ而,全-體純-白.眼-後,背-上,翮-端,羽-上有-.尾亦純-黒色.其-滑,可.其ナラ.」とある.現代語訳は

「恵那加鳥 訓は字のとおり。

〔集解〕状は雀に似て、全体に純白。眼の後、背の上、翮端、羽の上黒い紋がついている。尾も純黒色である。声は清滑で、愛すべきである。味は美くない。」(島田勇雄訳注 平凡社(19761981 東洋文庫)
さすが,食物本草の文で,食べた時の味まで記しているが,食べではなかったであろう.

 貝原益軒 (1630 - 1714) は,「養生訓」,「和俗童子訓」の著者であるだけでなく,歴史学者,地理学者として広く国中を見て回って旅行記を書き,博物学者として路傍の雑草,虫や小川の魚まで詳細に観察し「大和本草」に記述している.益軒はさらに,自宅の庭で花や野菜の栽培を実践していたことも知られている.★『大和本草』(1709)の「巻之十五,小鳥」には,

「ヱナガ 頭上白クム子ハラモ白シ.觜短ク尾長シ。背ノ色ウグヒスニ似タリ.四十カラヨリ小也.聲ヨシ」とある.

 ★『喚子鳥』(1710)は,江戸時代前期-中期の博物家の蘇生堂(姓は津村)(1630?)が著わした,江戸三大養禽書の一つ.蘇生堂は他に「鶉書(うずらのしょ)」を慶安2年に刊行している.『喚子鳥』巻之上に

ゑなか            ゑがい    生餌壹匁あをみ入 粉 壹匁

大きさ、さゞいににて、毛色(けいろ)(しろ)くろかき色まじり、はしみぢかく尾(お)ながし。さゑづり少し有。志ほらしき鳥なり。あら鳥ふゆ出る。春またすこし有。子は夏(なつ)いづる、尤子がいよし」と雛を獲る時期や餌の配合など実践的な飼育法を記し,また,「志ほらしき鳥なり」と,その形を愛でている.

 中国の絵入り百科「三才図会」の影響を強く受けた,★寺島良安『和漢三才図会』(1713)の「巻第四十三,林禽類」には,枝からぶら下がる小鳥の絵と共に

恵奈加鳥(えながとり) 正字未詳
△按恵奈加烏大如鷦鷯.全体似四十雀而背淡赤雜色
鮮明(アサヤカナラ).眼後背上部翮羽ノ上布黒紋.其尾半白半黒。頭
小於常鳥ヨリ.其声清亮而似スタク。毎鳴如豆伊豆伊.蓋

此四十雀之属乎。性怕寒難育」とある.読み下し及び現代語訳は,
「恵奈加鳥(えながとり)
△按ずるに、恵奈加鳥は大きさ鷦鷯の如し。全体に四十雀に似て、背は淡赤雑色鮮明(あざやか)ならず。眼の後、背の上、翮端、羽の上に黒紋有り。其の尾半白半黒、頭常の鳥より円く小さし。其の声は清亮にして喘(ささやき)に似たり。毎に鳴くこと豆伊豆伊と曰ふが如し。蓋し、此れ四十雀の属か。性寒を怕(おそ)れ、育ち難し。」谷川健一ら『日本庶民生活史料集成 第二十九巻 和漢三才図会』三一書房(1980
「恵奈加鳥(えながどり) 正字は未詳
△思うに、恵奈加鳥の大きさは鷦鷯(みそさざい)ぐらい。全体は四十雀に似ていて背は淡赤雑色で鮮明ではない。眼の後、背の上、翮の瑞、羽の上に黒紋がある。尾は半白半黒、頭は普通の鳥よりも円い。声は清らかで明るく、虫が喘(すだく)のに似ていて、いつも豆伊豆伊(ついつい)という風に鳴く。これは四十雀の属であろうか。寒さに弱く育てにくい。」島田勇雄,竹島淳夫,樋口元巳訳注,平凡社-東洋文庫(1991
 鳴き声を「ついつい」と表現し,寒さが苦手で,飼育は難しいとある.良安は京都在住だったので,寒さが厳しい京都の冬はエナガの飼育には,向かなかったのであろうか.この鳥は身が軽く,細い枝にぶら下がって止まり餌を探す風景が見られるが,この図では尾が短すぎ,実際とは合わない.


  
堀田正敦(17551832)は堅田藩主で,のち佐野へ転封,寛政2年(1890)から天保3年(1832)まで幕府の若年寄を勤めた.栗本丹洲・大槻玄沢・小野蘭山・岩崎灌園らと親しく,自身も優れた博物家であった.正敦の『觀文禽譜(1794) は江戸時代で最大最高の鳥譜で,その図譜部の通称『堀田禽譜』と対になる業績である.巻1にはツル・サギ・シギ,巻2にはカモメ・カモ,巻3にはニワトリ・キジ・ハト,巻にはインコ・タカ・フクロウ,巻5にはツバメ・コウモリ・キツツキ,巻6にはヒバリ・スズメなど,総計 655 品が納められている.その巻之六「原禽類」には

ゑなか  ゑなか 仙臺方 尾の長きを以て柄扚に比する ゑ柄扚 薩摩方言
微小ニシテ四十カラノ如シ 全身灰白背及翅黒斑アリ尾黒シテ長シ
觜至テ短シテ黒シ 眼邉桃花色ヲ帯 好テ群ヲナス 声四十カ
ラニ似テ細ク 養法小カラニ同シ
志まゑなか
  或云 全身エナカノ如ニシテ頭雪白
とろゑなか
  或云 形エナカニ似テ 頭灰白 今此鳥ヲ以テ偽テ島エナカトナス 上總ノ産ナリ」
とあり,エナガは仙台の方言で,尾が長いのを柄杓と例えて言い,また薩摩ではエビシャクというとある.飼い方はコガラと同じとあるが,「志から」の項には「荏*ヲ食フ」とあるのみで,詳しい飼い方はない. *荏:エゴマ

江戸時代三大養禽書の中で,もっとも流布していた薩摩藩の御鳥方★比野勘六『鳥賞案子』(1800)は,『飼鳥必用』『鳥名集』『養禽物語』『鳥養草』『鳥はかせ』などの別名書も多い.上巻「飼方餌付方之部」は飼育・繁殖・治療法など,中巻「唐紅毛渡鳥之部」は外来種105品の形状と飼育法,下巻「和鳥之部」は和鳥201品(うち4品は獣)の形状と飼育法,となっている.その「下巻」には
「柄長
此鳥春江戸在にて子をうむ.巣草に青苔をもつて,ひょうたんの形にかけ,子數多きもの也.飼方

*にて五分餌,白餌にて胡桃を入る.此内に菊柄長とて頭に白き毛あるを,心をつけ見分べし.」とある.

*魦:1 ハゼ科の淡水魚。全長8センチくらい。琵琶湖特産で、主に秋、いさざ網とよぶ底引き網で漁獲し、鮨すし・飴煮あめになどにする。《季 冬》「道さむく量りこぼしの—踏む/青畝」.2 シロウオの別名。(デジタル大辞泉)

もう一つの江戸三大大養禽書,水戸藩士★佐藤成裕(17621848)『飼籠鳥』の,巻1は序などと「異鳥部」(天狗など,想像上の鳥),巻2・3は「飼法部」で,飼い方・治療法・21種の猟法を記す.巻4以下が各論で,416品(うち102品は外来種)を鶏部・雉部・鳩部・鸚鵡部‥‥鷹部・隼周鳥部と,形状に基いて17部に分けて叙述し,『本草綱目』の分類とは異なる.当時の野鳥の分布など,参考になる記載が少なくない.この書の飼育法は明治時代の養鳥書にもほぼそのまま転記されるほど洗練されたものであった.この書に

柄長ヱナガ) 一名 エビシャク 薩州方言
諸州共に山中に棲む。又江戸の近山にも常に来る。其雛
も養鳥家へ出る事あり.多くは秋渡り来る。春月も所々の
茂林の中に飛鳴す。予嘗て常州の小倉原を過ぎて其
声を聞て夏月も多く群飛す。秋早く其新鳥を捕へて
飼ふべし。甚だ弱きもの故強き餌にてよし。其状即ち小
雀に類して、丸く尾長し。之も全身雪白のものあり。しかれ
ども久しく飼ひがたし.」

とあり,弱い鳥なので栄養価の高い餌を与えるのがよい.しかし長く飼うのは難しいとある.

 ★岡林清達・水谷豊文『物品識名(1809 )は,品名を和名のイロハ順とし,ついで水・火・金・土・石・草・木・虫・魚・介・禽・獣に分け,各項にその漢名・和の異名・形状などを記した辞典.序によれば,『物品識名』は,初め水谷豊文(17791833)の友人岡林清達(生没年不詳)が着手したが眼病で中絶し,豊文が継続,完成させた.イロハ順といっても,江戸時代の場合は第2字目以下はイロハ順ではないが,本書は「キリシマ・キリ・キリンケツ」のように,第2字目も同じ名を連続する工夫をしているので,一般的なイロハ引より使いやすい.本書は和名中心の動植鉱物辞典の嚆矢だったので,大歓迎された.

その「江部」「禽」の項に
「ヱナガ 四十カラノ類ナリ」とある.

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