非常に興味深い分布をする留鳥で,ユーラシア大陸の東西両端の2つの離れた地域,一つは日本を含むロシア東部・中国東部など東アジア,もう一つはイベリア半島の一部に棲息する(別種 Cyanopica cooki とも考えられるがまだ一般的には受け入れられていないようだ).大陸に広く分布していた先祖が何らかの理由で中央部から絶滅し,両端に残ったと考えられる.いずれの地域においても局所的 ,飛び地状に生息域が存在する.
Wikipedia によれば,「日本では1970年代までは本州全土および九州の一部で観察されたが、1980年代以降西日本で繁殖は確認されておらず、留鳥として姿を見ることはなくなった。現在は本州の石川県以東、神奈川県以北で観察されるのみとなっている。わずか10年足らずで西日本の個体群が姿を消した原因はまったくわかっていない。ただし、九州の個体群については近年になって分布を拡大し続けているカササギとの競争に破れたという説がある。このように分布域を狭めてはいるが、東日本に残された群の個体数は減少どころか増加の傾向にある。」
奈良時代の★『常陸風土記』に「別に鳥がある。尾長と名づける。また酒鳥という。その姿は頂(うなじ)は黒く尾は長く、色は青鷺に似て雀を取る。ほぼ鶏に似ているけれども隼ではない。山野に栖み、また里にも住む。」(常陸国記云 別有鳥 名尾長 亦號酒鳥 其状 頂黒尾長 色似青鷺 取雀而略似鶏子非隼 栖山野亦住里村 ト云ヘリ)という記述があると,鎌倉時代後期,文永~弘安(1264‐88)ころの成立といわれる『塵袋』に引用されている.喧嘩っ早い性質と,配色からオナガではないかと思われる.
★『和漢三才図会』には「畿内ではかつて見たことはない」とあり,江戸時代には京阪では姿を見ることは稀だったようで,そのためか「尾の端は白く円環形」とあり,挿絵の鳥はまるで鳳凰(左図,右方).
また京都の画師★今尾景年の『景年花鳥画譜』(1891)廿九の図(左図,左方)のタイトルは「サカキ、関東ヲナガ サカキ,クワントウヲナガ」となっており,「関東」が付いているところを見ると,やはり京都では珍しかったようだ.
一年中 20 羽内外の群れで林地や住宅地に生活し,息子は生まれた群れに残り,娘はでていく.つがい相手が見つからない息子は両親の繁殖をヘルパーとして手伝う.またカッコウが托卵する相手ともなっている(「けさの鳥」朝日新聞 山岸哲).
★寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)(上図,右方) には
練鵲(をながとり) 〔俗に尾長鳥という〕
△思うに、練鵲は鳩ぐらいの大きさで、状は山鵲に似ていて、頂は純黒で黒帽のようである。胸は柿灰色、背は青碧、尾は長くてその中でも二尾は最も長くて一尺ばかりもあり、端は白く円環形になっていて大へん美しい。嘴・脛は灰黒色で、雨が降りそうになると群れ飛ぶ。鳴き声は短く、遠くまで飛ぶことは出来ない。関東の山中に多くおり、畿内ではかつて見たことはない。俗に尾長鳥と呼んでいる。(現代語訳,島田勇男ら,1987年) とある.
練鵲(をながとり) 〔俗に尾長鳥という〕
△思うに、練鵲は鳩ぐらいの大きさで、状は山鵲に似ていて、頂は純黒で黒帽のようである。胸は柿灰色、背は青碧、尾は長くてその中でも二尾は最も長くて一尺ばかりもあり、端は白く円環形になっていて大へん美しい。嘴・脛は灰黒色で、雨が降りそうになると群れ飛ぶ。鳴き声は短く、遠くまで飛ぶことは出来ない。関東の山中に多くおり、畿内ではかつて見たことはない。俗に尾長鳥と呼んでいる。(現代語訳,島田勇男ら,1987年) とある.
背中の美しい青碧色から,英語では “Azure-winged Magpie” (羽青カサカギ),ポルトガル語,ロシア語でもそれぞれ “Pie bleue”,“Голубая сорока” (青カサカギ)と,一方中国語では体色や尾の形から “灰喜鹊,蓝鹊、灰鹊、马尾鹊、羊乌鹊、山喜鹊、蓝膀喜鹊” と呼ばれている.
オナガ(2) 幼鳥,大和本草,本草綱目啓蒙
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