Hucho perryi 「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (7) イトウ
from “Narrative of the expedition of an American squadron to the China seas and Japan” vol. 2 (1856)
IX-1:Salmo perri (イトウ) Hakodadi (函館) 273
IX-2:Salmo masou (サクラマス) Hakodadi (函館) 245
鋼板手彩色.数値は記述記載ページ
日本最大の淡水魚で,釣り人たちにとって「幻の魚」「夢の釣魚」のイトウ(伊富,伊富魚,伊当,𩹷(魚偏に鬼)).その学名は将に上に示した「ペリー提督日本遠征記」第二巻( 1856 – 1858) のこの図譜に由来する(根拠:左下図).日本に黒船で来航し,「日米和親条約」の締結に成功し,下田と函館両港を開港させたペリー提督 (マシュー・カルブレイス,Matthew Calbraith Perry, 1794 – 1858) は,日本への航海において,寄航した各地の地勢・文物の詳細な記録を「航海記」に残した.鳥・魚類・植物・貝類なども採り,標本や絵で記録を残し,帰米後専門家に依頼して同定をしてもらい,「航海記」第二巻に記載した.その際一部のものは美しい絵を付した.その中には,西欧社会に初めて紹介され,学名がつけられたものも多い.イトウもその一つである.
魚類を担当した J C Brevoort (1818-1887) は当時米国で最も権威ある魚類の分類学者で,魚類の章の緒言に専門のナチュラリストが遠征に同行しなかったのを残念としながら,p255~290 に計62種の魚類についての項目を立て,その同定をそれまでの多くの文献を引きながら行い,計10枚の多色図版に計 29 種の魚類の図を掲げた.
その中に,「イトウ」があり,これが「イトウ」の原記載となって,この絵と記述が元になって,新種として認められ, J C Brevoort がつけた学名が認められた.彼はこの魚の命名について以下の様に記述している.
Salmo perri
Notes.- From Hokodadi, May and June, (33 inches)
(中略)
This Salmo herewith figured has been named after the able commander of the United States Japan Expedition, to whose efforts alone we owe the scanty yet interesting zoological collections and drawings, made under disadvantageous circumstances, while the squadron was in those distant seas. この絵のサケ(マス)は米国の日本遠征隊の有能な指揮官(ペリー提督)にちなんで名づけられた.艦隊が遠い海域に滞在中の不自由な状況で作成された,あまり数は多くないが興味深い動物学的な標本と絵は,彼の努力がなければ得られなかったからである.
その後,「イトウ」はイトウ属 (Hucho) が作られたため,現在の学名は “Hucho perryi ” であるが,Brevoort がペリーに献じた種小名はそのまま残っている.
なお私の持っているペリーの航海記に収載された魚類の図譜,鳥類の図譜,哺乳類の図譜は,私のもうひとつのブログに掲載した.
「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (6) タヌキ
「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (5) 日本の魚類 (3)
「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (4) 日本の魚類 (2)
「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (3) 日本の魚類 (1)
「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (2) マカオの鳥類
「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (1) 日本の鳥類
Test
8 年前
0 件のコメント:
コメントを投稿