2018年3月13日火曜日

ツグミ(1) 䳯,鶇,馬鳥,鵣,出雲国風土記・倭名類聚鈔・色葉字類抄・温故知新書

Turdus eunomus
2018年2月

「電線にムクドリぞわりと群れをなし ツグミ孤高に暮れて行くなり」

山本寒苦(東金市)
朝日歌壇 201835日 佐佐木幸綱選

庭にはこれまでにも,スズメ・キジバト・シジュウカラ・コゲラ・ヒヨドリ・ムクドリ・エナガ・ジョウビタキ等の野鳥が来ていたが,今はツグミが毎日のようにやってくる.落ち葉を土に返す主義の我が家の庭がよほど気に入ったのか,毎朝地上の枯葉をひっくり返して,強い足で地面をほじくりかえし(迷惑),餌を探している.

余り鳴き声は出さず(つぐみの名の由来という説もあり),エサ台では,ヒヨドリには勿論,スズメにも場をゆずるという,遠慮深い性質だとの事だが,私が50センチほどに近づいても,飛び立たずにじっとこちらをうかがっている.肉はおいしく,以前は北から群れをなして渡ってくる段階で,カスミ網で何万羽と捕獲され,焼き鳥の主な素材だったそうだ.地域の観察会では,1947年から鳥獣保護法により,「狩猟」してもよい部類からはずされてから(狩猟鳥獣の種類が定められ、それ以外は狩猟の対象とならず自動的に保護鳥となったこと),人をあまり恐れなくなったと聞いた.

江戸時代の文献でも,鳩の次においしい三種の鳥(他はアカハラ,ヒヨドリ)の一つに挙げられ,また,冬,サザンカの花を食べると,腸がなくなり,増々おいしく食べられるとある.さらに,京都では年末に豆と共に「まめに次身(つぐみ)」と言葉遊びの祝い膳にされていたそうだ.人が名付けた名前のための災難であった.

生育地は,バングラデシュ以東のアジア,ロシア東部(中央アジア・東部アジア)で,これまで迷鳥として,歐州南部・中部・北部,北米,アラビア半島などで観察されたという記録がある.日本ではありふれた鳥だが,欧州には分布しないので,2016年に迷鳥が英国イングランドに現われた時には,多くのバードウオッチャーが現地に集まったという事だ.
Amateur's ultra-rare sighting of Siberian dusky thrush brings hundreds of birdwatchers to Derbyshire village December 6, 2016 The Telegraph (http://www.telegraph.co.uk/news/2016/12/06/hundreds-birdwatchers-descend-village-ultra-rare-sighting-dusky/)

日本では越冬のため飛来する冬鳥で,夏季にシベリア中部や南部で繁殖し,冬季になると大群で南下し,その後ほぼ単独で越冬する.和名は冬季に飛来した際に聞こえた鳴き声が,夏季になると聞こえなくなる(口をつぐんでいると考えられた)ことに由来するという説がある.

,鶫 なお,ツグミの漢字として「鶫」があるが,これは国字で,正字は「鶇」であり,この「鶇」の構成部分の「東」を「柬」と誤ったものが定着した.正字「鶇」は,江戸時代は勿論,明治31 (1898) 年刊行の岡本純 (半渓) 著『諸鳥飼養法秘伝』,また昭和初期の刊行物でもが使われている.昭和13年の徳田秋声『灰皿: 随筆集』 (砂子屋書房, 1938) や,昭和19年更科源蔵『北の国の物語』 (大鵬社, 1944) では国字「鶫」が使われているが,同年代の書に正字「鶇」が使われている例も多い.この頃から国字「鶫」が一般化し始めたものと思われる.

また,古くは「馬鳥」,また江戸時代にはそれをひっくり返した「鳥馬,ちょうま」も使われていた.この正字「鶇」や「馬鳥」の由来には,著者・成立年代不明の『鶇方義論』にもっともらしい説が記載されているが,こじつけに見える.

 ★『出雲国風土記』 (733) の「出雲郡」の部には, 
「凡(すべ)て、諸(もろもろ)の山野(やまの)に在(あ)るところの草木(くさき)は、(中略)
禽獣(とりけだもの)には則(すなは)ち、晨風(はやぶさ)・鳩(はと)・山雞(やまとり)・鵠(くぐひ)・(つぐみ)、猪(ゐ)・鹿(しか)・狼(おほかみ)・兎(うさざ)・狐(きつね)・獮猴(さる)・飛鼯(むささび)あり。」とある(現代語訳,秋本喜郎『日本文学大系-2,風土記』(1958) 岩波書店).他の郡の産物としては,「」は現れず,出雲郡のみである.「」の読みとして「ツグミ」とするのは,現代の『出雲風土記』の書籍では一般的で,古くは江戸時代前期,松江藩士岸崎左久次が天和三年(1683年)に著し,出雲国風土記鈔の諸写本中の最善本とされる『出雲風土記抄(松江桑原家所蔵本)』において「」に「ツグミ」のカナがふられている.(図は島根大学図書館SUL

」の字は中国宋時代の★陳彭年『廣韻』の「上平声,鍾」の「重」の部
鍾:職容切當也酒器又量名。左傳釜十則鍾亦姓〓鍾離氏十八.鐘:樂器丗本曰垂竹鐘
重:直容切複也疊也又直勇直用切六」に「 𪄹 鳥名」と出ている.
『廣韻』は,26000字余を206韻に分けて,反切をつけて発音を標記,簡単な字義解説を加えた字書.北宋の真宗の勅命により,陳彭年らが先行する韻書を改定増修して,1008年(大中祥符1)に完成した.図は明代初期,福建省建陽の書肆劉氏文明坊が刊行した『大宋重修廣韻』の第一巻より(NDL).

★源順『倭名類聚鈔』(931 - 938),那波道円 []1617).『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』源順著,那波道円校訂・刊『和名類聚抄』 (1617)
平安時代中期の承平年間(931 - 938年)に,勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂した辞書で,中国の分類辞典『爾雅』の影響を受けている.名詞をまず漢語で類聚し,意味により分類して項目立て,万葉仮名で日本語に対応する名詞の読み(和名・倭名)をつけた上で,漢籍(字書・韻書・博物書)を出典として多数引用しながら説明を加える体裁を取る.今日の国語辞典の他,漢和辞典や百科事典の要素を多分に含んでいるのが特徴.
その「巻十八羽族ノ部二十八 羽族ノ類大二百廿七」には,鶇の読み仮名として「豆久見(つぐみ)」を充て,別名として「馬鳥」を舉げる.
*1(ツグミ)唐韻*2ニ云鶇ハ音- --*3-ニ云鶇- 豆久見 - -*4-ニ云 -鳥 鳥ノ名也」
*1正字「鶇(東+鳥)」
              *2唐韻,*3漢語抄(楊氏漢語抄),*4辧色立成:いずれも先行する辞書・事典,現存せず,逸文のみ残る.

「鶇」の字は上記★陳彭年『廣韻』の「上平声,東」の部「一.東 獨用 德紅切,東方也。文動也,亦東風菜都賦云草則東風扶留又姓舜七友有東不訾又漢複姓東方朔何氏姓苑有東萊氏。十七。」の節に「鶇:鶇鳥名美形出廣雅亦作𪂝」とある.

平安時代末期に成立した古辞書★橘忠兼『色葉字類抄 三巻本』光棣(), 文政10 (1827) 中巻「津 動物」には「鶇 ツクミ トウ」「鷯 〓 馬鳥 己上同」とある.ここにもツグミの別名として「馬鳥」が記録されていて,この名も長く使われた.

★菅原為長撰(傳)『字鏡集』(成立年代未詳。寛元3 (1245) 年以前)は部首引きの漢和字書で,部首は意義分類によって配列され,音訓が記されている.意義分類は『色葉字類抄』によったとみられ,異体字や訓の豊富であるのが特色である.
この書の「巻之第三 動物部 十二 鳥部」 には,「東 鶇(トウ)●(梟の木の代りに東)同 ツクミ」とある.

日本の古辞書の一つ文安元 (1444) 年成立★東麓破衲編『下学集』の元和三 (1617) 年版の「氣形門 第八」には,「鵣 ツグミ」とあり,漢字名として鵣(束+鳥)とある.但し「鵣」は,おしどり.また,おしどりに似た鳥とされている.
著者は,序末に〈東麓破衲〉とあるのみで不明.京都東山建仁寺の住僧かといわれる.ただし,その成立には《壒囊鈔》と密接な関係があると推定される.内容は〈天地〉〈時節〉以下18の門目を立てて,中世に行われた通俗の漢語の類を標出し,多くの場合それに注を加えてある.

★大伴泰広『温故知新書』(おんこちしんしょ)は、室町時代後期の文明16年(1484年)に成立した国語辞典。著者は新羅社宮司(大伴広公)。全2巻(3冊)。所収語数は約13,000。いろは順が一般的であったこの時代に五十音順を採用した最古のものといわれている。
その「ツ」の部,「氣」の門に「鶴ツル」と「燕ツハメ」の間に「●(矛+鳥)ツフリ 鶇」とある.(尊経閣叢刊. 侯爵前田家育徳財団 (1939)

図は出雲風土記(SUL)以外は NDL の公開デジタル画像より部分引用

このように,ツグミを表す漢字として,多くの文字が使われたが,元は「トン」という名の鳥に充てられた字と考えられる.構成部分の「東」が変化して多くの文字ができたのであろうか.

現代中国でも「斑斑鶇」がツグミの一種,ハチジョウツグミ Turdus naumanni の漢名であるように,正字「鶇」が使われている.

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