2018年3月21日水曜日

ツグミ(2) 山背國風土記.室町時代.海人藻芥,康富記,三好筑前守義長朝臣亭江御成之記,大草殿より相伝之聞書

Turdus eunomus
2018年2月
庭に来るツグミは,丸々と太っていて,いかにも肉付きがよさそう.
古くから食用としての評価は高かったようで,室町時代の文献から多く現れ,足利将軍にも供されていた.
特に武家での食卓では,特別の作法で食されていたので,彼らにとっては意味のある食物であったのかもしれない.

出雲風土記の出雲郡の項で,他の大きな,或は目立つ鳥と共に記されているのは,食用とされていたためであろうか.

古風土記に仮託した後世の偽書と考えられている『日本惣国風土記』には,嘉慶2年(1388)左中将藤原元隆奧とされる『日本惣国風土記 第六 山背國兎道郡』が納められ,山城国宇治,現在の京都府宇治市近辺の記述として「兎道郡
名山十七 岡十一 泉 河五流 川四流 宮祠十五〓 寺院十一宇 墳墓十三基
兎道郡 或宇治 或鵜路(中略)
貢脩      茯苓 - 松蕈 黄菌之類
          河川之鮮 調布等
(後略)」とあり,宮廷にツグミも他の産物と共に貢がれていたとある.

室町時代に編纂された,鎌倉時代末から室町時代に及ぶ僧俗の有職故実の書である★恵命院権僧正宣守『海人藻芥(あまのもくず)』(1420) には,
「内裏仙洞ニハ一切食物ニ異名ヲ付ケテ被召事也」と「塩ハシロモノ,豆腐ハカヘ,索麺ハホソモノ,松蕈ハマツ,鯉ハコモジ,鮒ハフモジ」など宮中や将軍家で使われた多くの女房言葉も収載されているが,その中に
ハツモジ、ツグミヲ供御ニハ不備也
とあり,鶇は女房言葉で「つもじ」と言い習わし,食用にしたことが分かる.鵜を供御にそなえなかった理由は明らかでない.(群書類従. 619-621 (492)

また,室町期,権大外記であった★中原康富(1400-57)の日記『康富記1449年(文安六年、宝徳元年)に「朝食を賜う.を賞翫也」とあるそうだが確認中.高位の方から供された食事の主菜であったのであろう.

さらに,永禄四(1561)年,時の将軍足利義輝(室町幕府 13代征夷大将軍,1536 - 1565,在職:1546 - 1565)が,三好義長(三好義興,1542 - 1563)邸に赴いた時の記録★『三好筑前守義長朝臣亭江御成之記』には,進士流の進士晴舎(進士美作守)が八十貫文で調えた豪華な料理のリストが残されている.

「一 公方様御前,并御相伴衆,御伴衆,(御)走衆,雜掌方之事.
進士美作守被申談(之).八十貫文にて十七献之分調進云云
進士美作守請取調進献立次第.

式三献     御手かけ           二重     瓶子
               をき鳥 をき鯛
初献        とり                  ざうに   
               のかふ
(中略)
十六献     つぐみ              かも
               たいの子
十七献     からすみ           せいご
               はまぐり
已上十七献參なり.」
と,ツグミを上餞として,酒と共に将軍や高位の同行者の饗膳に供したことが,記録に残る.(続群書類従. 23輯ノ下)
(献立の内容は,河田容英氏,http://bimikyushin.com/chapter_3/03_ref/shinji.html に詳しい)

室町期には,将軍などの御成の際に供される本膳形式の料理との関連で,『四条流庖丁書』『武家調味故実』『庖丁聞書』のほか,『大草家料理書』『大草殿より相伝之聞書』といった料理技術を記した料理書が,四条流,大草流,進士流といった庖丁流派の成立に伴って出現する.これらは故実書,伝書として伝えられ,いずれも写本であった.
古代以来権力者の暗殺には毒が使われることが多かったため,足利将軍家における調理は特に信用できる譜代の家臣に任されていた.大草流を確立した大草氏は室町時代の足利将軍家包丁人,大草三郎佐衛門尉公次(おおくささぶろうさえもんのじょうきみつぐ)に始まる「大草流」は四条流の支流で,公家の流儀であった四条流より分かれ,武家の流儀として起こされ,将軍の元服など儀式での料理を担当した.幕府の初物献上の儀式など,年中行事を受け持っていたが,江戸初期に後継者は絶えた.

室町時代の後期の資料と推定されている★『大草殿より相伝之聞書』は大草流の相伝書として,料理法をはじめ,魚鳥の取扱い,飲食の作法について紹介している.
その中で,「ツグミ」の食べ方として,武家の饗膳では,つぐみは飯の菜として食べるのではなく,酒のさかなとして食べるしきたりであるとして,その複雑とも思える作法について述べている.

つぐみのおのがしやくしの事.これも食の内にはたべず,御酒の時もちいる也.其時は
座卓を見合,右の手にて台を取り,左の手にすゑて,鳥のうしろをよくみて,いかにもしづし
づと感じて我が前の右の方の畳に据ゑ,まづしゃくしをしゃくしの上にあるくろ塩を手にいれ
いただきて食べ,しゃくしをば二の膳のぶちなどにかけをき,又御酒などたべて,其後つぐみ
の右の羽をとりおろし候.つぐみを羽の上に置き,扨又つぐみを台共に持ちあげ,うしろをみ
て,感じて前の脇に置く.さて羽の上に有るつぐみを集養して,御酒過ぎ侯へは,つぐみの腹
に羽をかぶせをき,しやくしをば又取りあげ,いかにも感じ懐中する也.其座に恐陸の人御座
ありて,しゃくしなど御賞翫侯はば,其まねの様に僕ひてはわろく候.ただただ知らぬやうに,
又さすが様躰もあるやうに仕儀」(群書類従. 第三百六十七 飲食部四)
これだけ勿体ぶった作法で食べるのだから,武家にとってツグミには,それだけの意味があったのであろう.

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