Arisaema urashima
★毛利梅園(1798 – 1851)『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 – 1849)
梅園は江戸後期の博物家.名は元寿,号は梅園,楳園,写生斎,写真斎,攅華園など.江戸築地に旗本の子として生まれ,長じて鶏声ケ窪(文京区白山)に住み,御書院番を勤めた.20歳代から博物学に関心を抱き,『梅園草木花譜』『梅園禽譜』『梅園魚譜』『梅園介譜』『梅園虫譜』などに正確で美麗なスケッチを数多く残した.他人の絵の模写が多い江戸時代博物図譜のなかで,大半が実写であるのが特色.江戸の動植物相を知る好資料でもある.当時の博物家との交流が少なかったのか,名が知られたのは明治以降.(梅園については,次記事に述べる)この『梅園草木花譜』の「春之部一」に「天南星」と題する写生図(冒頭図)があるが,これはウラシマソウの図である.なお写生した日,「甲申姑洗」とは 1824年三月の事である.記述文では和名を山蒟蒻とし,『本草和解』,『大和本草』,『本草綱目』,『和漢三才圖會』を参照し,梅園の考察を「元寿謹云」以下に述べている.(画像はNDLの公開デジタル資料よりの部分引用).当時の本草家との交流が少なかったからか,画像の植物の名称を「ウラシマソウ」とはしていない.
「本草和解
天南星(テンナンセウ)
異名 虎掌(コシヤウ) 虎膏(ココツ) 鬼蒟蒻(キコンニャク)
和名 於於曽比(ヲ〃ソヒ)
○山蒟蒻 ヤマコンニヤク
本草ニハ虎掌ト云小ナル者由跋(ユハツ)ト云
其形菎蒻ノ如シ宿根ヨリ春生ス南
星ニ似テ莖極メテ二莖ニ三葉ヲ生ス半(ハン)
夏(ケ)ノ葉ニ似テ大イ也花ハ南星ニ似テ異
有鐙ニ如クナレハ和名武蔵鐙
ト云秋實至ツテ朱ノ如シト云
是ハ別物ナリ當草ハ一花
一莖掌ノ如ク葉ヲ生スヨク菎
蒻ニ似タリ南星ト云ヘリ
大和本草曰
時珍云小者ナル爲二由跋ト一乃一種也、
今按ニ山中ニ似二天南星一而小ナル
者アリ此レ由跋ナルベシト云由跋
南星ノ一類ニナキコト明也
○本草綱目ニ五月開レ花似二蛇
頭ニ一黃色也ト其余ハ實根皆合
天南星ハ即本徑(?經)ノ虎掌也 小者名二由跋ト一
古方ニハ多用二虎掌ヲ一不レ言二天南星ヲ一
天南星之名始二於唐時ヨリ一也 虎掌ハ因ル二葉ノ形似テレ之ニ
非スレ根ニ也南星ハ根圓ク白ク形如ナルニ二
老人星ノ狀ノ一名二南星ト一
○元寿謹云國俗天南星ト喚者即山菎
蒻也南星ハ花中ヨリ鼠尾ヲダサス小指ノ
大サノ如キ丸ク長キ珠ヲ出ス葉莖兩對シテ
其椏ヨリ花ヲ抽ス山菎蒻ハ一莖一花別物ナリ
甲申姑洗下望五日
山林枝折眞寫
異名 虎掌(コシヤウ) 虎膏(ココツ) 鬼蒟蒻(キコンニャク)
和名 於於曽比(ヲ〃ソヒ)
和漢三才圖會按説ニ曰ク虎掌ハ本名也、倭名抄ニモ亦有二
虎掌一無シ二天南星一今却虎掌無シ二識者一、疑此從二虎掌子
種一所レ出異品、名二天南星一、〈一物異品異名也〉近頃亦
出二異品一〈歡喜草 武藏鐙〉之類是也、既ニ虎掌ト与二天南星一相似テ
各別也、又天南星ニモ有二二種一、花房淺青色、而末如二鼠ノ尾ノ一者ハ
高サ不レ過レ尺、惟如ニ二匙(サジ)及佛ノ後光一也、無二鼠尾一者ハ高二尺
許、是自ラ一類二種也、三才圖會及本草必讀出ス下虎
掌ト与二天南星之一圖ヲ上、爲ルヲ二二物一明也焉」
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