08年11月 塩原 大沼園地 |
日本のヤドリギ(中国・朝鮮半島にも分布)は,欧州で数多くの伝説に包まれるセイヨウヤドリギ “Mistletoe (Viscum album) “ の亜種とされる.セイヨウヤドリギの実がオパールのように白く半透明に熟すのに対し,淡黄色あるいは橙黄色になる.画像のように実が橙黄色になるものは,アカミヤドリギ f. rubro-aurantiacum と呼ばれる.
冬季,果実をキレンジャク・ヒレンジャク・カラスなどが好んで食べ,くちばしについた種子を樹皮でふきとったり,ふんとともに排泄した種子(シリクサリ)が樹皮に粘着して張り付くと、そこで翌年春から発芽して樹皮に向けて根を下ろし、寄生がはじまる.年内に本葉が2枚となり,年々1節ずつ伸び,2枚の対生した葉をつける.茎は二またに分かれる.それは主軸が成長を中止し両側の側枝が成長するためで,叉状分枝(ヒカゲノカズラ)と区別して,偽叉状分枝という.この枝の成長様式から株は球形となる.花は2~3月にかけて枝先にふつう3個つくので,果実も3個ずつ付く(左図,セイヨウヤドリギ Fucks 1542).
冬枯れの林に,緑の葉を茂らせていることから,万葉時代には長寿や永遠の繁栄の象徴として尊ばれていた.『万葉集』十八,4136には,越中の国庁に派遣されていた大伴家持が,天平勝宝2年(700)の正月の宴会の席で披露した,ヤドリギの古名「寄生(ほよ)」によせた祝いの歌が載る.
「天平勝宝二年正月二日、国庁に饗(あえ)を諸(もろもろ)の郡司等に給ふ宴の歌一首 「安之比奇能 夜麻能許奴礼能 保与等理天 可射之都良久波 知等世保久等曽(あしひきの 山の木末(こぬれ)の寄生(ほよ)取りて 挿頭(かざ)しつらくは 千歳(ちとせ)寿(ほ)ぐとぞ)」(山の梢のから寄生(ほよ)を取って、髪に挿したのは、千年の命を祝う気持からです。「新編古典日本文学全集 萬葉集4」小学館).
また,平安時代には宮中の行事に使われたのか,『延喜式』巻第四十,造酒司の「践祚大甞祭供神料」の項には,「中取案/高闌料。檜葉真木葉各五担。弓弦葉(ユズルハ)寄生(ヤトリキ)各十担。真前葛(マサキノカツラ)日蔭山孫(ヒカケヤマヒコ)組各三担。---」とある(右図,国史大系 第13巻(経済雑誌社 編,1897-1901)).
「やどりぎ」はいくつかの古典文学に取り上げられているが,その多くがヤドリギではなく,大きな木の叉に鳥など運ばれた他の木の種が成長した「宿木」を題材にしたものと考えられる.
★清少納言『枕草子』(四七段)には「木は 桂。五葉。柳。橘。 そばの木、はしたなき心地すれども、花の木ども散りはてて、おしなべたる緑になりたる中に、時もわかず濃き紅葉のつやめきて、思ひかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。 檀(まゆみ)更(さら)にもいはず。そのものともなけれど、やどり木といふ名いとあはれなり。榊、臨時の祭、御神樂のをりなどいとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前の物といひはじめけんも、とりわきをかし。」とあるが,単に名前の趣を楽しんでいるように思われる.
★紫式部『源氏物語』(宇治十帖)
『宿木(第七章 第五段)』 「宿り木と思ひ出でずは木のもとの 旅寝もいかにさびしからまし」
『東屋(第六章 第九段)』 「宿り木は色変はりぬる秋なれど 昔おぼえて澄める月かな」
『蜻蛉(第四章 第四段)』 「我もまた憂き古里を荒れはてば 誰れ宿り木の蔭をしのばむ」
「東屋」の歌では秋に葉の色が変わるので,「宿り木」は「ヤドリギ」ではないといえよう.
★芭蕉『発句集 笈の小文』には,「貞亭5年(1688)45歳 二月四日(網代民部雪堂)網代民部雪堂に會「梅の木に猶やどり木や梅の花(うめのきに なおやどりぎや うめのはな)」」
ヤドリギは本草綱目にも記載された薬効があるとして,薬として使用されていた.(続く)
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