2012年12月5日水曜日

ホルトノキ (2/3)  物品識名,蘭説弁惑,厚生新編,本草綱目啓蒙,草木育種,牧野

Elaeocarpus sylvestris var. ellipticus
2009年11月 香取神宮
一旦成り立った「ヅクノキ」=「膽八樹」=「オリーブ」の式は,江戸時代の終わりまで続く

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岡林清達・水谷豊文著『物品識名』(1809 跋) には「ホルトガル ヅクノキ  膽八樹 篤禄香附録」とある(左図).

また,大槻玄沢 口授,有馬元晁 筆記の『蘭説弁惑』(1788 序,1799 出版)には,玄沢に弟子たちが蘭学の種々の疑問を問うという,今でいう FAQ の形式の問答が記され,その一項目として
「○ほるとがる
間ていはく。俗に続随子(ぞくすいし)を「ほるとがる」といひ、又、持渡りの油薬にも「ほるとの油」といふものあり。願くは其正説を聞ん。
答曰。「ほとるがる」本(もと)和蘭の地よりは西隅にある国の名なり。支那にて波爾杜瓦爾と音訳す。本名「ぼるちゆがる」なり。むかし比国の船多くわたりしよし、其ころ、その国の辞(ことば)、この方に伝りて今に残れるもの「かつぱ」「すつぽん」「いのんど」「まんていか」「ひりゃうづ」の類なるべし。此ほるとの油も其国の名産にて、且その国人の初めて持渡りしもの故、その国の名を直(しき)に称したる者と見ゆ。此物本(もと)「おれいふ・ぼふむ」といふ木の実の絞り取りたる油なり。和蘭地方にて、専ら薬用に使ふ油、皆是なり、此国にて胡麻油(ごまあぶら)を使ふがごとし。
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此油の本名「おれうむ」、又木の名を「おれいふ」といふよりして、総(すべ)て油の事を「おれうむ」或は「おれいふ」など惣名になりたるなり。我邦(くに)豆州(いず)にては「葉細(はほそ)」、紀州にてはづくの木と称する木あり。此「おれいふ・ぼうむ」の種類なりといふ。図を和蘭本草より出して爰にしめす。」とあり,次に三葉の図があり,それぞれ,次のように
 ほるとがるの図 本名「おれいぼうむ」 「どゝねうす」の本草に出す
 おなじく 連花実図
 野生 おれいふ・ぼうむ枝朶図」と説明がある.
左図は原出典のドドエンス『本草書』(Crŭÿde boeck),1563年刊のラテン語版(左方),1578年刊の英語版(右方,仏語版よりの重訳)のオリ-ブの木の挿絵.

簡略ながら葉は対生と見て取れる.一方ヅクノキの葉は,源内の図に示されるように互生である.この違いからヅクノキ≠オリーブが分かっても良さそうなものだがと思ってしまう.
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フランス人ショメール (Noël Chomel, 1633 - 1712) による『家事百科辞典 Dictionnaire œconomique 』をシャルモが蘭訳した『 Huishoudelijk Woordenboek 』を,幕府の命令で馬場貞由らが訳し,大槻玄沢が校閲した『厚生新編』巻一(1811 翻訳開始)の「葱」の項には,「酒或は水にて煮たるものに膽八樹子油(ほるとがるのあぶら)を加へ搗き交ぜ,再び煮て軟膏となし,産婦腹腸彎痛(ふくてうわんつう)〈按に産に臨むで陣痛(しきりいた)むの症なり〉をなすに臍(へそ)の下に貼(は)りて効あり.」とあり,「オリーブ油(ほるとがるのあぶら)」=「膽八樹の実の油」つまり,膽八樹=オリーブと考えられていたことが分かる(左図).

さらに,小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806) 巻之三十 木之一 香木類においても,「篤耨香 〔一名〕篤槈(通雅)篤禄香(同上)」の項に「〔附録〕胆八香 ホルトガルノ油 披爾杜瓦爾(ホルトガル)ハ蠻国ノ名ナリ。紅毛人コノ地ヨリ采来ル故ニ,ホルトガルノ油ト云。コノ樹,本邦暖地ニ多シ。喬木ナリ。寒地ニ移シ栽ルモ育シ易シ。俗名ヅクノキ(紀州) シラキ(九州)モウガシ(薩州)バボソ(豆川)シイトギ(阿州) 葉ハ楊梅葉ニ似テ,薄ク,長サ三寸許ク,鋸歯粗ク,互生ス。四季ニ葉換ル。其落ントスルトキ色赤シ。故ニ年中紅葉相雑ル。夏葉聞ニ枝叉ヲ出シ花ヲ開ク。黄色ニシテ粉ノ如ク,竹柏ノ花ニ似クリ。後実ヲ結ブ。長サ六七分・両頭尖リ稚実ニ比スレバ徴シ狭小,外皮ハ熟スト雖ドモ緑色ナリ。内ニ厚核アリ,核中ニ仁アリ。是ヲ搾リテ油ヲ采。即,ホルトガルノ油ナリ。蛮名ヲーリー(油)ヲレイフ。蛮産ハ実大ナリ,和産ハ小ナリ。近来続随子(注ホルトソウの実)ノ油ヲ以テ偽リ売モノアリ。麻油ノ如ニシテ色白シ。真物ハコリテ色黄ナリ。混ズベカラズ。」とあり,「葉ハ(中略)互生ス」とはっきりと見ていながら,オリーブとしている.また,種子の仁を搾るとオリーブ油が取れると,実際のオリーブ油とは異なった採取法を示しているが,これはヅクノキの実の種子が大きくて,薄い果皮(果肉)からは油は取れないことが分かっていたからであろう.

★岩崎灌園(1786-1842)は『草木育種 巻之下』(初版文化15年 (1818))に,ホルトノキを「膽八樹(ほそは)」として記し,暖かい地方には自生するが,若木の防寒に気を付ければ江戸でも大木に育つ.とし,さらに,果実を搾って得られる油はオリーブ油の代りに使えるとした.ホルトノキはオリーブの木とは異なることは認識していたが,実からは油がとれるとしている.

「膽八樹 (ほそは)」本艸 八丈島にて細葉のきといふの也.俗にホルトガルと云
九州房州豆州にあり実をとり油を窄(しぼり)ヲレイフ油の代用とすべし
江戸にも園に栽て大樹(たひじゆ)となすべし小木ハ雪霜をよけべし」


このような誤同定に対して,牧野富太郎博士は『続牧野植物随筆』(1948)「オリーブは橄欖であるの乎」では「従来日本の学者はオリーブを我邦に産するモガシ科のモガシ,一名ハボソ,一名ヅクノキ,一名シラキ,一名シイドキ(学名は Elaeocarpus elioptica Makino)であると謂ひ,此モガシを支那の膽八樹だと謂ってスマシてゐたが,其れは何れも皆意外な大間違ひであった事が分った,そして此過ちを敢て為た学者は小野蘭山,平賀源内等であった,」としるし,また『随筆 植物一日一題』(1953)の「オリーブとホルトガル」の項で,「我国の徳川時代における本草学者達はヅクノキ一名ハボソを間違えて軽率にもそれをオリーブだと思ったので、今日でもこの樹をホルトノキ(ホルトガルノ木の略)と濫称しているが、それは大変な誤りだ。そしてこのヅクノキをオリーブと間違えるなんて当時の学者の頭はこの上もなく疎漫で鑑定眼の低かったことが窺われる。」といって,この誤鑑定をコテンパンにやっつけている.

江戸時代における本草学者は,偉大な先人の同定になかなか異を唱えることは出来なかったし,特に実際には油しか入ってこなかったオリーブを,蘭書の記述や図のみで比定していたという事情を踏まえると,又まして源内は蘭医に試料を示して確認をしているので,この誤りには大いに同情すべき点があると思う.

牧野博士の「ハボソをオリーブと間違へたので,乃(そ)こで此ハボソ即ちモガシをホルトノキと呼び,其誤認の称呼が今日でも尚ハボソにウルサク附き纏ひ不用意な人々は此ハボソをホルトノキと誤称してゐる.」(「オリーブは橄欖であるの乎」)と,「ホルトノキ」は使うべきではないとの主張はあったものの,現在「ホルトノキ」が標準的な和名である.

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