2003年3月 茨城県南部 十三面砂山 |
(承前) ヤドリギの葉や茎は漢方で婦人薬として使われている.
江戸時代まで最も権威ある中国本草書の集大成として認められていた,中国の明の李時珍選『本草綱目』(初版1596)木之四寓木(寓木類一十二種)の「桑上寄生」には,「【修治】曰︰採得,銅刀和根、枝、莖葉細銼,陰乾用。勿見火。【主治】腰痛,小兒背強,癰腫,充肌膚,堅發齒,長須眉,安胎(《本經》)。去女子崩中內傷不足,產後余疾,下乳汁,主金瘡,去痺(《別錄》)。助筋骨,益血脈(大明)。主懷妊漏血不止,令胎牢固(甄權)。」とある.ヤドリギが婦人にのみならず,小児の背の痛みに対してなど幾つかの薬効があるとされている.この書には他にも桃寄生,柳寄生が収載されているが,これらの記述は少ない.薬料としては「桑上寄生」が重要視されており,日本ではこれがヤドリギに当てられた.
日本でも,『延喜式』(927) の「巻三十七典薬寮」の「諸国進年料雑薬」には,毎年「阿波国」より「卅三種」の薬料が貢進されることになっていて,その中には「橘皮一斤。躑躅花四斤。芍薬,牡丹各三斤。細辛九斤。大戟。狼牙。茯苓。連翹。女萎各二斤。升麻十両。蒲黄八両。天門冬五斤。」などとともに「寄生廿斤。」がある.
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以下に江戸時代までの主な本草書に於けるヤドリギの記載を拾うと,いずれも「桑上寄生」=「ホヤ,ヤドリギ」としている.(右図,右端より1 - 4)
★深根輔仁撰『本草和名』延喜年間(901 - 923)編纂「上巻,第十二巻 木 上卅七種,桑上寄生 和名:久波乃岐乃保也」(右図,1)★源順『和名類聚抄』(931 - 938),那波道円 [校](1617)「木類第二百四十八」(右図,2)
★東麓破衲編『下学集』(1444)「寄生 アトカキ,ホヤ 一名寓生」
★林羅山『多識編』(1612)「巻之三 木部四 桑上寄生 久和乃保也(ほや) 今案ニ 久和乃保也土利元(クワノヤドリギ)」(右図,3)
★岡林清達・水谷豊文著『物品識名-坤』(1809 跋)(右図,4)
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さらに,小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806)「巻之三十三 木之四 寓木類」には,「桑上寄生 クハノヤドリキ」の項が設けられ「寄生 ヤドリキ(和名抄),ホヤ(同上),ヤドルホヤ(古歌),カラスノウヱキ(防州),トビキ(讃州)
桑寄生 〔一名〕混沌螟姈,寓屑,寓童,桑生,桑木冬児沙里,桑絡,桑樹上羊児藤,桑上羊児藤,桑上牛児藤
桑樹上ノヤドリキヲ桑寄生ト云。ヤドリキハ寄生ナリ。其木ノ余気ニテ生ズル者ニシテ、諸木共ニアリ。薬ニハ桑上ノ者ヲ用ユ。鳥他木ノ子ヲ食ヒ、糞樹上ニ落テ生ズルヲ寄生ト云ニ非ズ。保昇ノ説ハ誤ナルコト、宗爽ノ弁明ナリ。寄生ハソレゾレノ木ニ自ラ生ズ。故ニ各木ニ由テ葉実ノ形異ナリ。鳥ノ糞中ノ木子樹窼ニ落テ生ズル者モアレドモ、コレハ寄生ニ非ズ。桑寄生ハ隠州ノ産ヲ上品トス。凡ソ蚕ヲ養ハザル暖地ニハ、桑木採斫ノ苦ナキ故、木盛ニ茂り、木モ古クナリテ枝間ニ寄生ヲ生ズ。皮中ヨリ幹ヲ出シ、他木ノ枝ヲ挿タルガ如シ。枝葉両対シ、柳葉ノ如ク、躑躅葉ノ如クニシテ厚シ。葉間ニ円実ヲ結ブ。南天燭子ノ大ノ如シ。熟シテ淡黄色透徹シ内子見ユ。破レバ粘滑ナリ。隠州ノ産ハ葉他州ノ者ヨリ大ナリ。桜、柳、朴(エノキ)、梨等ノ寄生桑上ノ者ト形状相同ク、乾者節節相離レ、葉葉自ラ落。故ニ今薬家ニ販グ者多クハ和州芳野ノ桜寄生ナリ。桑上ノ者ハ枯テ枝葉共ニ黄色ナリ。
他木ノ者ハ緑色ニシテ黄ナラズ。故ニ黄色ニ染テ偽ル者アリ。本草原始ニ、茎葉黄自採者真ト云。本草彙言ニ、其他木如松楓楡柳欅槲(カシワ)桃梅等、樹上間或赤有寄生、形頼相似、気性不同、服之反有毒ト云。本草●(氵+匚+隹)ニ別樹生者殺人ト云リ。松上、樅(モミ)上ノ者ハ葉、柞木(イヌツゲ)葉ニ似テ、狭細ニシテ厚ク色深シ。実ハ小豆ノ大ノ如シ。紅熟シテ味甘シ。櫧(カシ)上ノ者ハ、ヤシヤビシヤクト云。他ノ樹上ニモ生ズ。一名テンバイ テンノウメ テンリウバイ(加州)キウメ(土州)シャウイタドリ(同上) 葉ハ木ヒヨドリジヤウゴノ葉ニ似テ厚シ。花ハ梅花ニ似タリ。実ハ蒼耳(ヲナモミ)実ノ如シ。野州日光山ニ多シ。即、鄭樵。爾雅ノ註ノ蔦ナリ。」とある.
西欧ではローマ時代にすでにヤドリギ(セイヨウヤドリギ)は鳥が散布することを記しているが,小野蘭山は「其木ノ余気ニテ生ズル者」として,木が切られもせずに古木になったときに,その精気が余ってヤドリギが生ずるとしている.一方,形状の観察は鋭い.クワの木に生えたヤドリギは,薬用としての需要は多かったためであろう,他の木のヤドリギを黄色に染めた偽者が売られていることも記している.
長崎出島に滞在したケンペル,ツンベルクもヤドリギの記録を残していて,ケンペル(1651 - 1716)の『廻国奇観』(1712)には,「生寄,Ksei, Jodoriki」と,漢字・漢名・和名とともに,”Viscum baccis rubentibus” とセイヨウヤドリギとの類似性を指摘し,江戸参府の途上,三河で観察したとしている(左図,左上).
カール・ツンベルクの『日本植物誌』(Flora Japonica)(1784)には,日本名は「Ksei, I(J)adoriki」であるとし,三河と長崎の植物園で見て,リンネが命名したセイヨウヤドリギ (Viscum album) と同定した(左図,左下).
シーボルトの弟子の伊藤圭介はツンベルクの『日本植物誌』を訳述した『泰西本草名疏』(1829) で,『日本植物誌』のViscum album に「ヤドリキ 寄生」を当てた(左図,右).
現在では冒頭の学名のように,ヤドリギはセイヨウヤドリギの亜種と位置づけられている.(セイヨウヤドリギに続く)
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カール・ツンベルクの『日本植物誌』(Flora Japonica)(1784)には,日本名は「Ksei, I(J)adoriki」であるとし,三河と長崎の植物園で見て,リンネが命名したセイヨウヤドリギ (Viscum album) と同定した(左図,左下).
シーボルトの弟子の伊藤圭介はツンベルクの『日本植物誌』を訳述した『泰西本草名疏』(1829) で,『日本植物誌』のViscum album に「ヤドリキ 寄生」を当てた(左図,右).
現在では冒頭の学名のように,ヤドリギはセイヨウヤドリギの亜種と位置づけられている.(セイヨウヤドリギに続く)
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