2012年12月1日土曜日

ホルトノキ (1/3) ホルトカル,ヅク,貝原益軒,加地井高茂,平賀源内,膽八樹,物類品隲

Elaeocarpus sylvestris var. ellipticus
2009年11月21日 香取神宮
茨城県の香取神宮には,「ホルトノキ」という奇妙な名の樹木が植えられている.この名は「ポルトガルの木」の意味とのこと.日本在来の樹木にどうしてとこんな名前が?と調べてみたら,平賀源内(1728 - 1780)が紀州でこの木を見て,オリーブ(の木)と誤認したかららしい.
オリーブ油は,江戸時代オランダ医学の外科で良く使われ,原産地にちなんでポルトガル油とよばれていて,オリーブの木は「ホルトカル」と呼ばれていた.

WUL
貝原益軒大和本草』宝永6年(1709) 巻之十二 木之下 雑木類 には「蛮種 ホルトカル,其実杏子ニ似タリ.蛮醫之ヲ用イ瘡瘍等ノ外治ニ用イル事香油ヲ用ルカ如シ.ホルトガルハ蠻戎ノ国ノ名ナリ.其國ヨリ出ル故ナツケシニヤ.」とある.(左図 NDL)

また加地井高茂 編『薬品手引草』(1843)には右図のように「ホルトガル バン国ノ木ノミノアブラナリ」とある.(右図 WUL)

もちろん日本にはないので,オリーブ油は高価な輸入品であった.ところが,宝暦10年(1760)6月,平賀源内は高松候松平頼恭(よりたか)の帰国に随行し,その命により紀州で介類を採集した.その際湯浅深専寺でヅクノキと呼ばれる木をみつけて,その実が輸入されていた紅毛図譜で知っていたオリーブの実に似ていたことから,これをオリーブの木ではないかと考えた.

源内は,紀州藩にこの発見を報告したらしく,宝暦12年(1762)刊行の『紀州産物志』には,「御国(紀州)之湯浅之寺ニホルトカルト申木御座候.甚珍木ニ而御座候.人存不申候.此木之実ヲ取,油ニシボリ候ヘハ,ポルトガル之油ト申候而,蛮流外療家常用之品ニ御座候」と記した.
さらに,彼は宝暦13年(1763) 3月に,蘭館長参府に加わって江戸を訪れた医師ボステルマンにこの木を示し,それがオリーブ樹かどうかを質問したところ,確かにオリーブの実だといわれ,「ヅクノキ」 はポルトガル油の取れる木,ポルトガルの木=ホルトノキということになってしまった.ボステルマンはオランダ人で,地中海沿岸の温暖な地が主な生産地であるオリーブの形状には詳しくなかったのであろう.

さらに彼はヅクノキは,『本草綱目』の木之一の「篤耨香」の項にある「膽八樹」*と同じだとして,ここに「ヅクノキ」=「膽八樹」=「オリーブ(ホルトノキ)」の式が成り立ってしまった.

そして,宝暦13年(1763)7月出版の『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』「巻の四 木部」で
「△膽八(たんばん)香 篤癒香附録二出タリ 和俗ポルトガルノ油ト名ズク ポルトガルハ蠻国ノ名ナリ 此モノ其国ニ出ル故二名ヅク 紅毛語ヲ「ヲヲリヨヲレイヒ」ト云 「ヲヲリヨ」ハ油ナリ 「ヲレイヒ」ハ此木実ノ名ナリ 此物功用 綱目二出タリ 又悪血ヲアゲ肉ヲアゲ 一切乾タルヲ潤シ 筋ヲノバシ痛ヲ和ク 服之麻疾ヲ治ス以上紅毛人カスハル口授ノ功能ナリ 又紅毛人平常ノ食用トス〇蠻産紅毛人持来
○擔八樹 東璧日ク擔八樹生交南番諸国 樹如稚木犀ノ葉鮮紅色類霜楓ニ其ノ實圧シテ油ヲ和諸香爇之ヲ辟悪ノ気ト則チ此實ノ仁ヲ取テ抽ニ搾タルモノヲヲリヨヲレイ 和俗ノ所謂ポルトガルノ油是ナリ
○紀伊産方言ヅクノ木ト云湯浅深専寺内ニ大木アリ高七八丈周囲一丈三四尺其他紀伊地方二多シ葉形冬青樹及木犀二類ス経冬ヲ不凋葉四時ニ落ル時至テ鮮紅色可愛實形大棗ノゴトク熟シテモ色青シ 庚辰歳ノ予紀伊ニ游テ始テ是ヲ得クリ蠻産ノ實ヲ以テ是ヲ較ルニ蠻産ハ大ニ和産ハ小ナリトイヘドモ全ク同物ナリ 或日是橄欖ノ一種ナリト此説甚ダ非ナリ 橄欖ハ絶テ別ナリ 又今些三月紅毛人東都ニ来ル 予是ヲ携テ紅毛外療ポルストルマンニ質ス亦眞物ナリト云 小川悦之准伝訳蠻人ハ實ヲ酢二漬テ是ヲ食フ 味酸甘ナリ 又和俗続随子ヲポルトガルト称スルハ大ナル誤ナリ」
と記して,実は小さいものの,この擔八樹をホルトノキ,すなわちオリーブと同定している(左図).

この「ヅクノキ」=「膽八樹」=「オリーブ(ホルトノキ)」の等式は,永く多くの本草学者の認識となった. (続く)

*本草綱目/木之一 篤耨香 【附錄】膽八香 時珍曰︰膽八樹生交趾、南番諸國。樹如稚木犀。葉鮮紅,色類霜楓。其實壓油和諸香 之,辟惡氣。

ホルトノキ (2/3)  物品識名,蘭説弁惑,厚生新編,本草綱目啓蒙,牧野
ホルトノキ (3) 宇田川玄真著,宇田川榕菴校補『遠西醫方名物考』

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