Arisaema urashima
出版後数年で,日本に渡来し,本草書のバイブルとして,日本の本草学(博物学)にも大きな影響を与えた.『本草綱目』は,動植物の形態などの博物誌的記述が従前の本草書より優れている.この点が日本人に大きな影響を与え,中国からたびたび輸入されるとともに,和刻本も続出し,幕末に至るまで基本文献として尊重された.
この書では,「虎掌」の項のなかに「天南星」が含まれ,このため和書ではテンナンショウ科の植物が広く「虎掌」と称されることもあった.
「虎掌 本經 下品 天南星 開寶
【釋名】虎膏(《綱目》),鬼蒟蒻 (《日華》).
恭曰︰其根四畔有圓牙,看如虎掌,故有此名.
頌曰︰天南星即本草虎掌也,小者名由跋.古方多用虎掌,不言天南星.南星近出唐人中風痰毒方中用之,乃後人采用,別立此名爾.
時珍曰︰虎掌因葉形似之,非根也.南星因根圓白,形如老人星狀,故名南星,即虎掌也.蘇頌說甚明白.宋《開寶》不當重出南星條,今併入.
(中略)
頌曰︰虎掌今河北州郡有之。初生根如豆大,漸長大似半夏而扁,年久者根圓及寸,大者如雞卵。周匝生圓牙三四枚或五、六枚。三、四月生苗,布,尖而圓。一窠生七八莖,時出一莖作穗,直上如鼠尾。中生一葉如匙,裹莖作房,旁開一口,上下尖。中有花,微青褐色。結實如麻子大,熟即白色,自落布地,一子生一窠。九
月苗殘取根。今冀州人菜圃中」とある.
 白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳)『国訳本草綱目』(1929)では,【釋名】の部分は以下の様に和訳されている.
「【釋名】虎掌(《綱目》)、鬼蒟蒻きくしやく
(《日華》)。
(中略)
頌曰く,虎掌は今は河北の州郡にある.初生の根は豆ほどだが,漸次に長大し,
半夏に似て扁(ひら)たく,年久しきものは根が圓く,一寸ほどにもなり,大なるものは雞
卵ほどあつて,周囲に生三四箇,或は五六箇の圓牙を生ずるものだ.三、四月苗が生え,高さ一尺餘の獨莖で,上に爪のやうな,尖つて圓い五六出の葉があつて散り擴(ひろ)が
り,一窠に七八本の莖が生えて,時に一莖を出して穗になり,鼠尾のやうで直上に伸
び,中から匙のやうな一枚の葉が生えて,莖を包んで房になり,旁に一口を開き,
上下が尖つてゐて,中に,微青褐色の花があり,麻子大ほどの實を結ぶ.實は熟すれ
ば白色になり,自から落ちて地上に散布し,その子一粒から一窠を生ずる.苗
が殘(ほろ)びてから根を採取するものだ.現に冀州(きしう)地方では菜畑の中にこれを種(う)ゑ,天
南星と呼んでゐる.」とある.
 この記事を基に,日本では古くは虎掌を「オホソヒ」(ウラシマソウの古名?).江戸中期以降はウラシマソウと考定した.
 牧野富太郎は初めこれを踏襲したが,1940年の「頭註国訳本草綱目」では,マイヅルテンナンショウと考定した.しかしその後「牧野日本植物図鑑」では,ウラシマソウを虎掌とするのは誤考定としたが,マイヅルテンナンショウの漢名を虎掌とはしなかった.
現在は「虎掌」はテンナンショウ属ではなく,ハンゲ属の漢名「掌葉半夏(ショウヨウハンゲ)」Pinellia pedatisecta であると同定されている.
| 年代 | 著者 | 文献名 | 考定 | 備考 | 参照 Blog | ||
| 918頃成 | 深根輔仁 | 本草和名 | 於保々曾美(ヲホヽソミ) | 「半夏」の和名「保曾久美」(ホソクミ) | |||
| 931 - 938 | 源順 | 和名類聚抄 | 於保保曾美 | 承平年間 | |||
| 984 | 丹波康頼 | 医心方 | 於保々曽美 |   | |||
| 1284 | 惟宗具俊 | 本草色葉抄 | 和名なし |   | |||
| 1444 | 東麓破衲 | 下学集 | ヲホヽソミ |   | |||
| 1669 | 松下見林 | 本草綱目 | 和名なし |   | |||
| 1673 | 貝原益軒 | 本草綱目 | 和名なし |   | |||
| 1685 | 下津元知 | 図解本草 | オホソヒ |   | |||
| 1714 | 稲生若水 | 本草綱目 | マムシグサ |   | |||
| 1699 | 伊藤伊兵衛三之丞 | 草花絵前集 | 天南星 | 図はウラシマソウ | |||
| 1719 | 伊藤伊兵衛三之丞 | 広益地錦抄 | 南星 | 図はウラシマソウ | |||
| 1735 | 菊池成胤? | 草木弄葩抄 |   | ウラシマソウ名初出 | |||
| 1759 - 65 | 島田充房・小野蘭山 | 花彙 | 由跋(ムサシアブミ)の古根 |   | |||
| 1779 | 戸田祐之 | 庶物類纂図翼 | 也布古無尓也久(ヤブコンニャク) | 図はウラシマソウ | |||
| 1772 | 斎藤憲純 | 本草鏡 | トラノヲ | ヤマニンジン,クチナワノシヤクシ,イヌノチンポ | |||
| 1801 | 小野蘭山 | 常野採藥記 | ウラシマサウ |   | |||
| 1803 - 1806 | 小野蘭山 | 本草綱目啓蒙 | 浦島草(ウラシマサウ) | 加州ニテ天狗ノハネ | |||
| 1809 | 岡林清達・水谷豊文 | 物品識名 | ウラシマサウ |   | |||
| 1824 | 岩崎灌園 | 武江産物志 | ウラシマサウ |   | |||
| 1824 | 岩崎灌園 | 日光山草木之図 | 浦島サウ |   | |||
| 1825 序 | 毛利梅園 | 梅園草木花譜 | 於於曽比(ヲ〃ソヒ) | 図はウラシマソウ | |||
| 1827 | 清原重巨 | 有毒草木図説 | うら志まさう |   | |||
| 1830 - 1844 | 岩崎灌園 | 本草図譜 | おほほそみ, | てんぐのはね,和蘭 ダラコニチュム | |||
| うらしまさう, | |||||||
| 1834 | 大蔵永常 | 農家心得草 | うら志まさう | 図は清原重巨『有毒草木図説』の転写 | |||
| 1843 | 加地井高茂 | 薬品手引草 | ナンセウ,ブシ |   | |||
| 1847 | 山本亡羊 | 百品考二編 | ウラシマサウノ小ナルモノ |   | |||
| 1852 - 62 | 飯沼慾斎 | 草木図説 | ウラシマサウ | 按マヒヅルサウノ一種ニ属ス | |||
| 1862 | 泉本儀左衛門 | 本草要正 | トラノヲ ヤマニンジン |   | |||
| 1907 - 22 | 牧野富太郎 | 増訂草木図説 | ウラシマサウ |   | |||
| 1929 | 牧野富太郎 | 頭註国訳 | まいづるてんなんしやう |   | 次Blog | ||
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