
欧州人がジャガイモの価値に気づいたのは,1537年に Gonzalo Jimenez de Quesada の率いるスペイン兵がアンデス山中の土民の貯蔵庫で発見したのが最初.この植物は当時のスペイン人が EI Dorado から略奪したすべての金銀にもはるかに勝る大獲物で,現在世界の年間生産量はこれら金銀の価値をはるかに超える.1540 年代にはメキシコ東岸のベラクルスとスペインの港との間を定期船が往復していたので,これに載せられて欧州に運ばれたと考えられ,スペインのセヴィリア市にあった病院の 1573 年の会計簿には,患者のためにジャガイモを買い入れたことが記録されている.
これがスペインからイタリアへ移入されたのは1580年代のことで,次いで教皇の遣外使節がベルギーの Mons へ伝えた.1598 年には Mons から,チューリップを欧州に導入したことで有名なヴィエナの植物学者 Carolus Clusius へ送られ,たちまちドイツ中に広まった.

イギリスで初めて potato に言及した文献は Gerard の The Herball (1597)で,Sweet potato と区別して‘potato of Virginia’ の名で解説・紹介し,同書の巻頭には,彼が花と実のついたジャガイモの茎を手にしている口絵が載っている(左図).
しかし英国での食糧生産作物としての普及は進まず,その理由は 2 つあった.当時の清教徒は,potato が聖書に見えていないというだけの理由でその栽培に反対したし,また,根も葉もない迷信がジャガイモに対する正当な評価を妨げてもいた.Gerard は次のように述べている.「ボーアンによれば,バーガンディではジャガイモの使用が禁じられていた.これは,このイモを食べすぎればらい病にかかるとされていたからである.“Baubine sayth, That he heard that the use of these roots was forbidden in Bourgondy (where they call them Indian Artichokes) from that they persuaded the too frequent use of them caused the leprosie.”」.無論 Gerard 自身は,このような迷信を信じていたわけではない.
主食として,料理に欠かせない素材としてジャガイモが西欧に普及する契機は,飢餓や戦争にあった.(続く)
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