Trochodendron aralioides
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| 2024年4月筑波実験植物園 |
ヤマグルマ(山車) は、ヤマグルマ科ヤマグルマ属の1属1種の植物であり、トリモチが取れる事,及び広葉樹なのに,仮道管で水を輸送する事で知られている.
東アジア特産(日本では,本州(山形県以南),四国,九州,琉球,伊豆諸島に,東アジアでは,台湾(「崑蘭樹」),朝鮮南部に分布する)の被子植物の常緑広葉樹である.ヤマグルマ科には,他にTetracentron スイセンジュ屬があり,ネパール・中国・ミャンマー北部に生育する T. sinensis スイセンジュが属している.
名前は枝先に着く葉が,短い間隔で四方八方に丸くつくので,車輪の様に見えるからと言われ,シーボルトのつけた屬名(Trochodendron, trocho = wheel, dendron = wood)もこの日本名に由来する.
また良い鳥もち(黐)が製造できるから「トリモチノ」の別名もある.黐は日本においてはモチノキあるいはヤマグルマから作られることが多く、モチノキから作られたものは白いために「シロモチ」または「ホンモチ」,ヤマグルマのものは赤いために「アカモチ」と呼ばれる.鹿児島県(太白岩黐),和歌山県(本岩黐),八丈島などで生産されていた.4 - 6月頃に皮を剥ぎ,半年ほど水に浸けカスを洗って,水に不溶性の粘着質物質をとりだすことで得られる.ハエ取りにも利用された.ヤマグルマから得られる「アカモチ」の主成分のワックスエステルは,脂肪酸としてはパルミチン酸,セロチン酸,オレイン酸,トコロ酸を,アルコールとしては樹脂アルコールなどを含む.また,ベチュリン,α-アミリン,β-アミリン,ルペオールといったテルペノイドも含有する.かつては鹿児島県が日本一の産地であった.
かつては鳥獣保護法において法定猟具にとりもちが含まれており,これを利用した黐縄(もちなわ.鳥黐を塗った縄を湖面に張り巡らせることで水鳥を捕獲する)や,はご(木の枝や竹串に鳥黐を塗布して鳥を捕獲する.おとりの鳥を入れた鳥篭を高所に配置して,近づいてきた鳥を捕獲する猟法は高はご,多数のはごを配置するものは千本はごと呼ばれた)などの猟具が存在した.また,琵琶湖のカモをとるのに,アオツズラフジのつるに,ヤマグルマのトリモチをつけて,湖面に流した.現在ではかすみ網やとらばさみ,あるいは雉笛などとともに禁止猟具に指定されており,鳥類の捕獲自体も銃猟若しくは網猟に限定されていることから,鳥黐を使用して鳥類を捕獲する行為は,「禁止猟具を用いての捕獲およびわなを用いての鳥類の捕獲」に該当し,鳥獣保護法違反で検挙対象となる.
故磯野直秀慶大教授は「ヤマグルマ」の初見は,小野蘭山(1729 - 1810)『紀州採薬記』(1802)としたが,別名「大黐樹」が★嵯峨天皇『新修鷹經』(818)に現れ,この樹木はヤマグルマであるとする説もある(前記事).『紀州採薬記』(1802)は閲覧できなかったが,蘭山の紀州採薬の旅に同行した藤子(加藤元貞)の『南紀採藥紀行』の筆写本は NDL のサイトで閲覧できた.この書には紀州那智山で「山ノ車」を見たとあり,これはヤマグルマと思われる.
蘭山は老齢になっても多くの採藥の旅を敢行したが,74歳の享和2年(1802)2月22日から5月29日にかけて紀伊・木曽を旅した.
その際同行した弟子の藤某が書いたとされる★藤子『南紀採藥紀行』には,「文化元年(1804)四月七日」に那智山で「山ノ車」を観察したとあるが,これがヤマグルマと思われる.
「文化元年
小野蘭山先生伊勢紀伊採藥記
藤子南紀採藥紀行
小野蘭山先生伊勢紀伊採藥記
藤子紀南採藥志稿 合本壹冊
伊藤篤太郎出品
藤子南紀採藥記 蘭山門人
小野蘭山先生 伊勢紀州採藥記 内田春水寫之
藤子紀南採藥志稿
此書ハ蘭山先生台名ヲ蒙テ採藥ノ時
門人藤某從遊シテ所記也
二月二十二日發江戸抵金川駅
(中略)
四月朔日發江住抵大島
(中略)
六日發太地至那智山
(中略)
ヲガ玉の木 那智
七日
(中略)
山ノ車
(中略)
八日上妙法山
(以下略)
文政六年未六月吉日寫之内山春水」とある.
この書は文政六年(1823)に内山春水が筆写したものを伊藤圭介が入手し,後に孫の伊藤篤太郎が薬品会などの展示会に出品した書と思われる.
なお,★平野満『小野蘭山「採薬記」の成立と転写系統の検討―『常野採薬記』『甲駿豆相採藥記』―』駿台史学 第124号(2005)によれば,この筆写藤子とは,紀州採薬に同行した蘭山の門人で,日光(常野)採薬(1803年4月7日-5月18日)にも参加した加藤元貞である事は確実だという.
この論文の註に「加藤元貞は蘭山の紀州採薬にも同行した。紀州採薬では蘭山門人の水野皓山が伏見で合流し比叡山採薬に従った。このときの事を『野氏物産小録』(岩瀬[26-109])の第二冊に書き留めた。そこに「先生陪従門人 江戸本江(ママ)金助町/加藤元亨(ママ)」,「享和二戌年伏見旅舎ニテ蘭夫子面アタリキク処也/先生門人 江戸本江 金助町/加藤玄亭(ママ)」とある。紀州採薬では同行の門人藤某が記録した『藤子南紀採薬志稿』が知られるが,著者の実名は不明だった。この記事によって「藤子」は加藤元貞としてよさそうである。」とある.
★水谷豊文『物品識名拾遺. 乾,坤』(1825)の坤巻の「也」部に「木 ヤマグルマ モチノキ」とある.これが閲覧した限りにおいては,「ヤマグルマ」の名が記された最初の文献だった(上図,左部).
★飯沼慾斎(1782-1865)『草木図説』(成稿 1852年ごろ)は草類1250種,木類600種の植物学的に正確な解説と写生図から成る.草部20巻,木部10巻.草部は1856年から62年にかけて出版されたが,木部は写本が残るのみ.この書に図と共に
「 ヤマグルマ
葉楕円本狭ク末豊ニシテ尖リテ鋸歯アリ、質厚クシテ
光沢アリ、柄尤長ク、十数葉一処ニ近ク聚リツキテ層ヲ
ナス、故ニヤマグルマノ名アリ、春三月枝頭ニ長梗花ヲ
以テ穂状ヲナス、蒂ニシテ萼ナク弁ナク、麦粒状ノ実礎
八箇併次シ、各頸延テ柱ヲナシ、狀ヨリ多ノ雄蕋ヲ出シ
テ下ニ重ル、惣テ淡黄緑色ニシテ葯淡黄粉ヲ吐ク、此樹
往々山中ニ生シ、山人以テ粘黐ヲ製スルニ専ラ此樹ヲ用
ユ、故ニ単ニモチノキト称ス、葉ニ大小二種アリ
附全花郭大図
所属未詳」と名の由来「柄尤長ク、十数葉一処ニ近ク聚リツキテ層ヲナス、故ニヤマグルマノ名アリ」と,とりもち「粘黐」が採れるとある(上図,右部).
★畔田伴存『熊野物産初志 二 木類』(1857)山本錫夫写 には雄木・雌木と稱する二種の木の画と共に
「大モチノ木 樹二三丈皮灰褐色剥テ黐ヲ製ス水田ノ泥中ニ埋ミ置
搗テ皮ヲ去黐トス葉冬青ニ似テ大ニシテ濶ク緑色光澤アリ鋸歯アリ
枝梢ニ聚リ互
生ス夏葉ノ本ニ
穂ヲナシ五瓣白
花ヲ開後實ヲ
結テ緑色若楝
子ニ似テ小也雄
木ハ不結實黐
ヲ取ニ雄木皮ヲ
用新修鷹經
大黐樹(オホトリモチノキ)ト云者此也
農桑輯要曰凡木皆
有雌雄而雄者多不結實
大モチノ木 雌木
大モチノ木 雄木
一種イヌモチアリ大モチニ似テ葉薄ク鋸歯深シ葉ノ莖赤色也」
と,トリモチの製造法と雌雄異株とある.しかし★白井光太郎『樹木和名考』(次記事)によれば,雄木の圖はヤマグルマであるが,雌木と稱するものの圖はコバンモチで,黐が採れないのは当然であるという.なお,ヤマグルマは雌雄同株で雌雄同花.ただし,雄蕊が先に成熟する木と,雌蕊が先に成熟する木とがあり,この事が雌雄異株との誤解を生んだのであろう.
上記の★畔田伴存(翠山,源伴存)『古名録』(1843年-天保14年稿)は彼の永年にわたる研究の集大成であり,正宗敦夫 編校訂『古名録』日本古典全集刊行会(1937)として活字本を閲覧できる.この書の「木部巻第三十」には,図と共に
「大黐樹(オホトリモチノキ) 新修鷹經 按冬靑*ノ一種也 〔今名〕オホトリモチノキ
○文明写本下學集曰、黐(トリモチイ).字典曰、黐。廣韻ニ黐膠,所二以黏一レ鳥ヲ 〔集註〕新修鷹經日、凡剪葉者方二寸鷂者一寸五分用二大黐樹葉煮一而陰乾 〔形狀〕○大トリモチノ木ハ和
州吉野郡大臺山,玉置山縣迦嶽彌山山上嶽、及北山十津川天川、紀州熊野山中ニ多シ,土人山中ニ入テ皮ヲ
剝テ池澤ニ埋、後搗テ黐ト成、其木高サ二三丈、葉一処ニ叢附、四時不凋。形狀女貞(ヒメツバキ)ノ葉ニ似テ厚ク、末尖リ
莖長ク、銘齒アリ。初夏花ヲ開、實ニ結ブ豆ノ大サノ如
シ、木ニ雌雄アリ、雄木ハ實ヲ不レ結、黐ヲ製スルニ良也」と,ヤマグルマが記述されている.
*冬青:モチノキ
畔田伴存(源伴存(みなもと ともあり),1792 - 1859)は,江戸時代後期紀州藩の本草学者・博物学者・藩医.『和州吉野郡群山記』『古名録』をはじめとする博物学の著作を遺した.伴存の著作の特徴となるのは,ある地域を限定し,その地域の地誌を明らかにしようとした点にある.
この他,貝原益軒『大和本草』(1709)や,寺島良安『倭漢三才圖會』(1713頃)にも「モチノキ」の項はあり,幾つかとりもち(黐)の取れる木の記述があるが,ヤマグルマが含まれているか否かは確認できなかった.
★小野蘭山『本草綱目啓蒙』48巻(1803 – 1806)は『本草綱目』に関する蘭山の講義を孫職孝(もとたか)が筆記整理したもの.『本草綱目』収録の天産物の考証に加えて,自らの観察に基づく知識,日本各地の方言などが国文で記されている.この書の「巻之三十二 木之三 灌木類」,「冬青 モチノキ」の項に
「一種トリモチノキハ、クロガネモチノ葉ニ似テ色浅シ。木皮ヲ搗テ、トリモチヲ取。トリモチハ拘骨ノ条ニ粘●(黐のへんを禾)ト云.当ニ粘黐ニ作ルベシ。鴻苞集ニ黐膠ト云.一種オホモチノキアリ。葉大ニシテ大葉楠(ユズリハ)ノ如シ。コノ外ニ黐膠ヲ取木尚多シ。」とある.この「オホモチノキ」がヤマグルマであろうと思われる.
文献画像は NDL のデジタル公開画像からの一部引用
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