2016年11月29日火曜日

オシロイバナ (5) 伊藤圭介『泰西本草名疏』,草稿.シーボルト & ツッカリーニ“FLORE JAPONICAE, FAMILIAE NAURALES”

Mirabilis jalapa

伊藤圭介 (18031901) は名古屋生まれの植物学者.24歳の時,長崎でシーボルトから博物学の教えを受ける.
L:泰西本草名疏草稿
R:泰西本草名疏
泰西本草名疏』は,彼が文政11 (1828) 長崎にてシーボルトから贈られたツンベルク(C. P. Thunberg)の『日本植物誌』(Flora Japonica)をもとに,ここに記載された日本産植物の学名(ラテン語)をABC順に並べ,対応する和名と漢名を記した書であり,付録で,リンネの分類法を日本で最初に紹介したことに,大きな意義がある.
草稿」中にとあるのは,既に長崎でシーボルトから得ていた見解であるが,文政11年秋に発覚したシーボルト事件のため,刊本ではシの字が削られ印のみとなる.また本文中ではシーボルトに「稚(ワカ井)膽八朗」の仮名を使い,既に死亡したとした(稚=椎=シイ+膽八=ホルト(ノキ)=シイボルト).

★伊藤圭介『泰西本草名疏』下 八(1829)には,『日本植物誌』の Mirabilis jalappa について,
[十一 方言録* IEN CHI HOA トアリ按ニ臙脂花]
MIRABILIS IALAPPA. LINN.** オシロイバナ
紫茉莉 尋常藥用ノ「ヤラッパ」ハ蓋シ旋花甘藷ノ類ニシテ CONVOLVUS. ナリ先輩紫茉莉ニ充ルノ説誤ナルベシ ホウセン
MIRABILIS HIBRIDA. R.S.** オシロイバナ〕」

とあり(左図,右側,NDL),シーボルトの言(〇)から,汎用されている「ヤラッパ」はヒルガオ科の植物で,オシロイバナ(紫茉莉)に充てるのは間違いだとしている.一方漢字名として「臙脂花」を挙げ,また和名として「ホウセン」を記している.
十一
方言録ニ IEN
MIRABILIS IALAPPA. LINN. オシロイバナ紫茉莉
尋常藥用ノ「ヤラッパ」ハ蓋シ旋花甘藷
CHI HOA
ノ類ニシテ CONVOLVUS. ナリ先
アリ按ニ臙脂花
紫茉莉ニ充ルノ説誤ナルベシ
ホウセン
 [MIRABILIS HIBRIDA. R.S.  オシロイバナ ]
 

*方言録」および学名を与えた人物「**西名」について,関連部分を同書の凡例部から拾うと
*方言録:余西遊中般●(風+忽)爾孤(ハンビユルグ)ガ撰スル諸国物産方言録〈紀元一千七百九十二年鏤版〉ヲ閲ス其書ハ欧羅巴諸州ヲ初メ其佗支那交趾等諸国ノ方言ヲ纂輯スソノ漢名ハ音譯スルモノニシテ漢字ヲ記サレザレドモ〈余間漢字ヲ塡ムルモノアリ然トモ轉音頗ル多キニ似テ隱當ナラザルモノ蓋シ少カラズ〉茲ニ一二ヲ鼇頭ニ抄録シ漢名ノ當否ヲ参考ニスルノ一助トス」とあり,検索したが,該当する書は見出せなかった.

**西名:編中舉ル所ノ西名ソノ●(鋻の又を十)定ノ人ハ林娜斯(リン子ウス)春別爾孤(チュンベルグ)最トモ多シ其陀稚氏引用スルモノ諸家●(鋻の又を十)定ノ名亦一ナラズ通編各名ノ下左ニ列スル符號ヲ標ス
LINN.                   加禄律斯(カロリス).林娜斯(リン子ウス)
TH.                       加禄兒百篤爾(カロルペトル).春別爾孤(チュンベルグ)
R.S.                      爾謨爾(ルームル).斯屈兒的斯(スキュルテス)」
とあり,夫々,
LINN.: カール・フォン・リンネ(Carl von Linné1707 - 1778),ラテン語名:カロルス・リンナエウス(Carolus Linnaeus),『植物の種』(Species Plantarum, 1753
TH.: カール・ペーテル・ツンベルク(Carl Peter Thunberg1743 - 1828),『日本植物誌』(Flora Japonica, 1784
R.S.: Roemer et Schultes, Roemer, Johann Jacob (1763 – 1819) & Schultes, Josef (Joseph) August (1773 – 1831)” Systema Vegetabilium” (1817 – 1819)
と判明した.

シーボルトが “MIRABILIS HIBRIDA. R.S.” としたオシロイバナの学名は,Roemer et Schultes “Systema Vegetabilium, 612-3” (1817 – 1819) に記載されている Mirabilis  hybrida Lepelletierと思われるが(右図, BHL/Biblioteca Digital),このラテン名は現在では殆ど見ることができない.

一方,この刊本の原稿も,NDLで公開されていて,★伊藤圭介『泰西本草名疏 草稿』〔文政 11-12 (1828-1829)〕の「M」部には(左上図,左側,NDL)
Mirabilis Jalappa Thu [ in. hibrida, MS] (ホウセン キンホウケ)
【按二 紫茉莉ヲ云カ 紫茉莉ハ Mirabilis hybrida ??
 ヲシロイバナ】
とあり,Mirabilis hibrid とシーボルトが同定したことが分かる.
刊本と比較すると,ツンベルクの示した学名が正として採用され,また,和名の「キンホウケ」が記載から外れている.

シーボルトが帰国後,ドイツの植物学者 ミュンヘン大学教授のツッカリーニ(ヨーゼフ・ゲアハルト,Joseph Gerhard (von) Zuccarini, 1797 - 1848)と共著で,Abh. Akad. Muench に発表した日本の植物に関する報告書,★“FLORE JAPONICAE, FAMILIAE NAURALES, ADJECIS GENERUM ET SPECIEREM EXEMPLIS SELECTIS. SECTION ALTERA PLANTAE DICOTYLEDONEAE (GAMOPETALAE, MONOCHLAMMYDEAE) ET MONOCOTYLEDONEAE. には,オシロイバナの記事がある(Abh. Akad. Muench. (1846) 4(3): 208)(下図,上部).
407. Mirabilis L.
720. M. Jalapa L. Thunb. Fl. jap. p. 91.
Wir haben die Pflanze nicht selbst gesehen, aber Thunberg sagt, dass die Japaner aus dem Samenmehl dieser Art eine weisse Schminke bereiten. Da nun dieselbe Art nach Hooker (Beechey p. 207) auch in China, nach Loureiro in Cochiuchina und nach audern Angaben in Ostindien vorkommt, so zweifeln wir nicht an der Richtigkeit der Thunbergischen Bestimmung.”

その記事では,オシロイバナの学名を,Mirabilis Jalapa とし,ツンベルクを参照し,「我々(シーボルト自身)は(日本では)この植物を見ていない.しかし,ツンベルクの『廻国奇観』にこの植物の記事があり,(種子内の)白い粉を化粧に使っていると述べている.フッカーは『ビーチェイ艦長航海記の植物記』では中国に,ルーレイロはコーチシナ(交趾支那,現在のベトナム南部)で記録し,また東インドでの生育も観察されていることから,(日本で生育しているという)ツンベルクの見解を否定はしない.」とある.

ルーレイロの記事では,オシロイバナの根のヤラッパ根との混同を記して,更にオシロイバナの根にも弱い瀉下作用があるとしている.
ここで引用されている,フッカーとルーレイロの記事の出典は以下の通り.

Hooker & Beechey, “The Botany of Captain Beecheys Voyage” (1841), p. 207
フレデリック・ウィリアム・ビーチェイ (Frederick William Beechey, 1796 - 1856) は英国の海軍士官. 1825 年から三年にわたって英国海軍の”Blossom” 號を率いて,ベーリング海峡を東側から探検・探査した.
この隊が航海中に収集した植物標本を,英国の有名な植物学者フッカー (William Jackson Hooker, FRS1785 1865)が研究・同定し 1841 年に出版したのが本書.(図はGooglebooks)

Loureio “Flora Cochinchinensi” (1790), Vol.1, p.101
ジョアン・デ・ルーレイロ(João de Loureiro1717 - 1791)は,ポルトガルのイエズス会宣教師,古生物学者,医師,植物学者.宣教師としてインドのゴアに3年,マカオに4年赴任した後,1742年にコーチシナを訪れ,その後30年間以上滞在した.ルーレイロは薬用植物の性質や使用法を学び,アジアの植物相の専門家となった.1777年に広東を旅し,4年後に帰国し,『コーチシナの植物』("Flora Cochinchinensis")1790年)を出版した.(図は BHL/MoBot)

2016年11月26日土曜日

オシロイバナ-4 榕菴 『遠西醫方名物考』-1,『遠西名物圖』 ヤラッパと誤考定.和産のオシロイバナの根に薬効がないのは,気候が合わず大きくならないから.

Mirabilis jalapa

★宇田川玄真 (1769-1834) 著,宇田川榕菴 (1798-1846) 校補『遠西醫方名物考(1822)
宇田川玄真は,旧姓安岡,師である宇田川玄随の養子となる.大槻玄沢に蘭書を学び,オランダ語に堪能.解剖学の訳書『遠西医範堤綱』(1805)は有名で,膵,靭帯などの解剖名の創案者である.

遠西名物圖 WUL
宇田川榕菴は,大垣藩の江戸詰め医,江沢養樹(1773-1838))の長男.父の師匠である津山藩医 宇田川玄真に才を見出され,14才の時玄真の養子となった.養父・玄真に学び1817年に津山藩医となった後,津山藩主が御家門であったことから玄真とともに幕府に重用された.宇田川榕庵とも表記される.(なお,「榕」とはガジュマルの木を意味する)
それまで日本に概念が無かった植物学(『菩多尼訶経』,『理学入門 植学啓原』),化学(『舎密開宗』)等の書物を翻訳し,日本に存在しなかった学術用語(元素,酸化,還元,溶解,分析といった化学用語.酸素,水素,窒素,炭素,白金といった元素名.細胞,属といった生物学用語)を新しく造語し,多くは現在も使われている.シーボルトとの交流,日本で最初にコーヒーという名を使ったこと,温泉の効用について日本で初めて述べたことなどの逸話がある.

遠西醫方名物考』には,西洋の薬物が名前のイロハ順に記載され,産地や形状,製法,薬効,処方が述べられ,西洋の薬学を集大成した書として日本の医学に計り知れぬ貢献をした.その「巻之十 〔也〕」の部には,蘭藥の下剤(瀉下薬)として尋用されていたヤラッパ」の記事がある.その中で榕菴は「オシロイバナ」を「葯剌巴(ヤーラッパ)」と誤考定し,和産の葯剌巴根(オシロイバナの根)に薬効がないのは,気候のせいで根が大きくならないためであろうとし,舶来特にインド及び米国の品を推奨している.
地上部の形状は「オシロイバナ」を記述し,薬舗で売買されている根の,薬効の強い物の見分け方は,輸入されている乾燥された本当のヤラッパ (Jalapa) 根(Ipomoea purge 根)の形状を記している.

この叢書の第36巻『遠西名物圖』には本編で取り上げられた薬物の図が収載されているが,「葯剌巴」の図は「オシロイバナ」 Ipomoea purge ではない.

本文中の「華爾斯」はオランダ語の Harsで樹脂の事で,「蒲里阿尼亞(ブリオニア)」は吐剤・下剤として用いられるヨーロッパ産ウリ科の蔓草ブリオニア “Bryony” である.

巻之十 〔也〕
葯剌巴(ヤーラッパ)羅 「ヤーラッペ」蘭
〔形状〕
此草。春月莖ヲ抽(ヌク)コト二三尺許。節高ク是ヨリ枝ヲ分チ。葉楕圓ニシテ末尖リ本濶ク稍(ヤヽ)厚ク光澤アリ互ニ對生シテ十字様ヲ爲シ龍葵葉ノ如シ花筒様。五出。一心蕊。五鬚蕊アリテ枝梢ニ攅簇シ煙草花ニ似タリ其色淡紅或ハ深紅或ハ紫或ハ黄或ハ白或ハ紅白ノ纈文アリ或ハ黄紅ノ條理駁雑ナル等ナリ。皆夕ニ開キ朝ニ萎ム。香氣アリ。花後圓子ヲ結ブ。黒色ニシテ皺アリ内ニ白色ノ髄アリ。
根太ク尖リ外黒色。或ハ赭黒ニシテ皮ニ皺アリ。裏灰色ニシテ赭色ノ條理(或六黒色ノ條理アリ)及ビ細點アリ。其條理多ク。赭色ナルハ華爾斯(ハルス)多ク且ツ上品ニシテ新鮮トス或ハ云黒色多キハ華爾斯(ハルス)モ亦多クシテ効力峻ナリ。是ヲ割レバ華爾斯(ハルス)滲出シテ細點ヲ見ハス者ハ上品トス。斯ノ如キ根ハ脂多クシテ光澤アリ或ハ是ヲ切庁トシテ販(ヒサ)グ。火ヲ點スレバ燃(モエ)易シ。味辛。咽喉ヲ刺戟シ微(ヤヽ)嘔スベク惡ムベキ不佳ノ氣アリ肥實ニシテ重ク固(カタ)ク華爾斯(ハルス)(脂氣多キヲ云)多ク破砕シ難キヲ上品トス
L: Jalapa. Köhler (1890)  (Plantillustration)
R: Bryony, Thomé (1885)  (Plantillustration)
○根。黴蛀輕虚。裏淡白ナルヲ下品トス
〇或ハ蒲里阿尼亞(ブリオニア)根ヲ以テ是ヲ偽造スルモノアリ眞品ニ比スレバ切庁輕虚ニシテ灰白ナリ。
○印度地方及ビ南亞墨利加(アメリカ)洲ノ諸国ニ産ス。根數年ニシテ漸ク肥大トナル(按ニ舶来ノ品ヲ見ルニ形チ蕃薯ノ如シ)

按ニ先輩此草ヲ以テ紫茉莉(俗閒オシロイバナ」ト呼ブ)ニ充(ア)ツ是ヲ和蘭ノ諸書ニ參攷スルニ紫茉莉ニ隱當ナルコト右ノ譯説ノ如シ。和蘭ノ醫書ニ此根留飲停水ヲ瀉下スル効ヲ称ス其洋舶ノ品ヲ試ミ用ルニヨク瀉下ス。和産ノ紫茉莉根ハ瀉下ノ効ナシ
〔物〕云ク此根。印度地方及ビ亞墨利加(アメリカ)洲ニ産スル者ハ峻下ノ効アリ和蘭地方ノ者ハ其効ナシコレ風土氣候ノ異(コト)ナル因ルト。然レバ和産ノ者モ風土ノ異(コト)ナル因テ効ナキカ此レ猶和産ノ大戟甘遂ハ瀉下ノ効ナキガ如シ。故ニ此物。舶来ノ品ヲ用ヒ或ハ留飲停水ヲ瀉下スル藥ヲ擇テ代用スベシ或ハ和産ノ者モ暖國ニ産シ數年宿根シテ脂氣多ク肥大ナル者ハ瀉下ノ効アランカ今ダ悉ク試用セズ。

〔主治〕根性熱.味辛.留飲停水.粘液膽液ヲ瀉下シ又小便ヲ利ス故ニ水腫ニ多ク良効ヲ稱ス.」

以下略すが,多くの処方と適用症が記載されていて,葯剌巴(ヤーラッパ)が蘭医の治療薬として汎用されていたことが伺える.

2016年11月21日月曜日

オシロイバナ-3 出島の三学者-1 ケンペル・ツンベルク,"Foo-sen" "Kinfoqa", 方言

Mirabilis jalapa

鎖国の時代に長崎出島のオランダ商館の医師として赴任し,不自由な中,日本研究をして,欧州に日本の状況を紹介した「出島の三学者 ケンペル・ツンベルク・シーボルト」もオシロイバナの記述を残している.その内前二者は実際に観察しているようだが,シーボルトは実際には見ていないと言っている.前二者はオシロイバナの和名として「ホウセン(鳳仙)」と記録しているが,他の文献にはその名の記録がなく実際そのように呼ばれていたのかは不明.また,ツンベルクは種子内の白い粉を女性が白粉として使っていると記している.

★エンゲルベルト・ケンペルEngelbert Kaempfer, 1651 - 1716
1690年(元禄3年)、オランダ商館付の医師として、約2年間出島に滞在した。1691年と1692年に連続して、江戸参府を経験し徳川綱吉にも謁見した。滞日中、オランダ語通訳今村源右衛門の協力を得て精力的に資料を収集した。帰国後旅行記の『廻国奇観』(Amoenitates Exoticae(1712) を著したが,この書には旅行途中に見聞した国々の情勢と共に,日本で見た多くの植物が記述され,当時の日本で呼び名や漢字名が記され,またその一部には図もあり,興味深い資料である.『廻国奇観』の執筆と同時期に『日本誌』の草稿である「今日の日本」(Heutiges Japan)の執筆にも取り組んでいたが,1716112日,ケンペルはその出版を見ることなく死去した.この書は 1727 年に英国で J. G.  Scheuchzer によって英訳され “The history of Japan” の書名で出版された.

『廻国奇観』 p.910 (KUL)
廻国奇観』の”Catalogus Plantarum”  p.910 には,
仙鳳  litteratis & vulgo Foosen & Kinfoqua. Mirabilis Peruviana Raji; seu, Admirabilis Peruana Clus.
 floribus albis et rubris.”
「漢名も一般名も「ホウセン」及び「キンホウカ」,ジョン・レイ*の云う “Mirabilis Peruviana”;或はカルロ・クスシウスのいう “Admirabilis Peruana”. 花は白と赤.」とある.
*Joannis Raji (Ray, John, 1627-1705) “ Methodus plantarum emendata et aucta :” (1703)p 45 Mirabilis Peruviana,” の記事がある.
“5 Mirabilis Peruviana, hujus notas facit P. Hermannus, semina oblong-rotunda, sulcate, pentagona, umbilicata, nucleum farinaceum continentia, flores e tubo in pentagonum orbem dispositos, folia & ramos conjugatos.
Jalapium Milabilis Peruvianae radix est, monente D. Plumier & Muntingio.”

『廻国奇観』 p.862 (KUL)
廻国奇観』のp. 862 には,もう一つ “Foo sen” と和名で呼ばれるとされる植物の記事がある.
薇薔 Foo sen, it. Kinfo qua, vulgo Ibara, item Igi, i. e. spina, Igino fanna, i. e. flos spinae, vel mutuato a Lusitanis vocabulo: Rosa. Rosa frutex spinosus nostras. Non habet eam odoris gratiam, quam in Europa vel Asia occidentali. Varietates sunt:
Rosa hortensis flore pleno albo.
Eadem flore rubro.
Rosa sylvestris flore pentapetalo, odore perdulci.
Eadem flore candido.
このホウセンは明らかにバラ(薔薇)で,キンホーカ(金櫻花*?)とイバラ(茨)の別名があるとしている.なぜ,薔薇が ホウセンと呼ばれるのか?未詳.
*金櫻花:Rosa laevigata Michx.  ナニワイバラ
p. 862

一方,この書には「鳳仙」で思いつく「鳳仙花―ホウセンカ」の記事はない
和名としてこの時代には一般的であった「オシロイバナ」ではなく,「ホウセン」が記録されているのか,長崎地方の方言なのかは不明.「薔薇」と共通する和名が記録されているのが気にかかる.

★カール・ツンベルクCarl Peter Thunberg, 1743-1828, 滞日 1775-1766)”Flora Japonica”(1784
ウプサラ大学のカール・フォン・リンネに師事して植物学、医学を修めた。フランス留学を経て、1771年オランダ東インド会社に入社し、ケープタウン、セイロン、ジャワを経て、1775年(安永4年)8月にオランダ商館付医師として出島に赴任した。翌17764月、商館長に従って江戸参府を果たし徳川家治に謁見した。ツンベルクは、わずかな江戸滞在期間中に、吉雄耕牛、桂川甫周、中川淳庵らの蘭学者を指導した。1776年、在日1年で出島を去り帰国し、1781年、ウプサラ大学の学長に就任した。
帰国後出版した『日本植物誌』(Flora Japonica, 1784)では,多くの日本の植物をリンネのラテン名で同定し,また,リンネの『植物の種 Species plantum 』に記録の無い植物には新たな学名を与えた.
『日本植物誌』 p 91 (BHL/MoBot)
その p 91 には,

PENTANDRIA. Monogyma. 91
MIRABILIS.
Jalappa. M. floribus congestis terminalibus erectis.
Mirabilis Jalappa. Linn. sp. Pl. p. 252.
Japonice : Keso*, Foosen et Kinfokua.
Foosen et Kinfokua. Kaempf. Am. exot. Fafcic. V, p, 910.
Crescit in Sastuma, alibi.
Floret Septembri, Ocltobri
E farina seminum coniciunt Japonenses fucum album, quo faciem quandoque obducunt feminae.

とあり,この植物をリンネが学名をつけた Mirabilis Jalappa (但し,Sp. Pl. vol.1. p 177 (1753) Sp. Pl., Edition 2. vo1. p 252 (1762) では jalapa とpが一つ)であると同定し,薩摩(伝聞と思われる)その他の地域でも生育し,種子内の白い粉が女性の化粧に白粉として使われる事を述べている.日本名は,ケンペルと同じ「ホウセン」「キンホウカ」の他に「ケソウ(化粧*か?)」と記録している.
*実際に★八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房(2001)には,鹿児島地方の方言で,オシロイバナが「おけしょ-ばな 鹿児島(姶良),おけしょばな 鹿児島(姶良),けしょ-ばな 鹿児島(薩摩)」と呼ばれているとある.

同書には,オシロイバナ〔オシロイバナ科/草本〕の方言として,南から「うえざぬはな:沖縄(鳩間島),うやぎばな:沖縄(鳩間島),うやんちゅぬばな:沖縄(八重山),ゆさんでぃばな:沖縄(首里),ゆさんでば-な-:沖縄(島尻),さんとうしばな:沖縄(波照間島),ゆね-ばな:鹿児島(与論島),おけしょ-ばな:鹿児島(姶良),おけしょばな:鹿児島(姶良),おしろいはな:鹿児島(鹿児島),けしょ-ばな:鹿児島(薩摩),けしんみのき:鹿児島(川内市),おしろいのき:山口(熊毛)島根(美濃)鹿児島(加世田),ご-せ-すぶら:長崎(上県・下県),めしたきばな:長崎(平戸島),よめしぼな:東京(三宅島)長崎,おしろい:福岡(築上),おっしゆくさ:福島(相馬),はっしえくさ:福島(相馬),あきざくら:仙台」が記録されている.沖縄地方での名称が多いのは,自生していてよく見かけられているからだろうが,何らかの目的に使われていたからかも知れない.
仙台の地方名「秋桜」は★直海元周(龍)『廣倭本草』巻之三(1759)に「火炭母草 和名ヲシロイ(中略)ヲシロイバナナリ 仙臺ニテハ秋ザクラトモ云ナリ」とある.

『日本植物誌』 p 213+214 ( BHL/MoBot)
一方,ケンペルが「ホウセン」と,オシロイバナと同じ和名とした「ノイバラ」について,ツンベルク Rosa canina (欧州自生のイヌバラ)と考定し,和名「ホウセン,キンホウカ」,俗名「イバラ,イゲ,イゲノハナ」を記録し,ケンペルの『廻国奇観』を引用している.
POLYGYNIA
ROSA
canina
R. germinibus ovatis pendunculisque glabris, caule petiolisque aculeatis.
Rosa canina. Linn. spec. Pl. p. 704.
Japonice : Foosen, it. Kinfo Kua, vulgo Ibara, it. Ige* et Igino Fanna*. Kaempf. Am. Exot. Fascic. V. p. 862.
Crescit in Dezima alibique.
Floret per totam aestatem floribus rubris inodoris et floribus albis odoris, simplicibus.
出島の植物園でも生育し,白い花の種には香りがあり,赤いそれには香りがないと記している.

*バラの別名,Ige: 棘(いげ),Igino Fana: 棘花(いげばな)に由来か(『図説草木名彙辞典』)

『日本植物誌』 p 327 (BHL/MoBot)
更に,p 327 では,
IMPATIENS.
Balsamina I. pendunculis unifloris subaggregatis, foliis lancelatis superioribus alternis, nectariis flore brevioribus
              Impatiens Balsamina. Linn. sp. P. 1328
              Japonice : Foosen Kwa, it Tsumane*
              Crescit prope Nagasaki, interudum in ollis culta.
              Floret Septembri, Octobri.
              Ex huius succo cum alumina ungues ruburos interdum tingunt Japanenses
と,ケンペルの書には記録がない「ホウセンカ 鳳仙花」を,Impatiens balsamina と同定して,和名は「ホウセン-カ,ツマネ」と記録し,長崎では野生化しているが,時々は鉢植えで栽培される.日本人女性は花の汁を “alumine” ? と混ぜて爪を赤く染めるのに用いると記した.
八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房(2001)には数多くの「ホウセンカ」の地方名が載るが,その中に,「つまね 肥前 佐賀(藤津)長崎(長崎・諌早・西彼杵・北高来)」とあり,ツンベルクの記録した「Tsumane:ツマネ」は長崎地方の江戸時代からの方言だったことが分かる.


シーボルトの「オシロイバナ」の記述と,伊藤圭介がシーボルトの指導を受けてツンベルクの “Flora Japonica” に収載された植物のラテン名と和名を対比させた『泰西本草名疏』内の「オシロイバナ」については次記事以降.

オシロイバナ-2 江戸時代-2 紫茉莉,本草綱目啓蒙,重刻秘伝花鏡,物品識名,梅園草木花譜,薬品手引草,和蘭六百薬品図

2016年11月15日火曜日

オシロイバナ-2 江戸時代-2 紫茉莉,本草綱目啓蒙,重刻秘伝花鏡,物品識名,梅園草木花譜,薬品手引草,和蘭六百薬品図

Mirabilis jalapa

小野蘭山は,『花彙』(1765刊)で,先人たちに従ってオシロイバナを『本草綱目』に記載されている「火炭母草」と考定したが,約30年後に出版した『本草綱目啓蒙』では,この考定を「穏ナラズ」とし,明の髙濂撰『遵生八牋』の「紫茉莉.一名臙脂花」,陳扶揺『秘伝花鏡』(原本 1688)の「紫茉莉.状元紅」と正しく再考定した.
この「オシロイバナ=紫茉莉」の考定はかなり広く行き渡ったが,なお,「火炭母草」との誤考定も根強かった.
一方,西欧からの本草書や薬物,あるいは科学書の渡来にともない,強力な下剤である「葯刺巴,鬼茉莉,ヤラッパ」が使われるようになり,これを「オシロイバナ」と誤認する蘭学者もあった(次次記事).これには,リンネがつけた学名の種小名が「jalapa」であることも影響しているかもしれない.

本草綱目啓蒙 濕草類下 NDL
★小野蘭山『本草綱目啓蒙(1803-1806) 巻之十二 草之五 濕草類下 には,
火炭母草  詳ナラズ。
ヲシロイバナニ充ル古説ハ穏ナラズ.ヲシロイバナハ遵生八牋ニ載ル所ノ紫茉莉ナリ.一名臙脂花(同上) 状元紅(秘伝花鏡) 春分,子ヲ下ス.円茎高サ二尺許,枝四旁ニ繁布シ,高ク聳ヘズ.節高ク紅ニシテ秋海棠ノ茎ノ如シ.其枝葉両両相対ス.葉円ニシテ尖,莧(ヒユノ)葉ノゴトシ.淡緑色.秋ニ至テ枝ノ梢ゴトニ花ヲ族生ス.夕ニ開キ朝ニ萎ム.形牽牛(アサガホノ)花ニ似テ,小ク,五尖アリ.内ニ長キ蘂ヲ吐.其花深紅色ナリ.又白色,紫色,黄色アリ.黄ニシテ深紅間(まじ)ルモノヲ花戸ニテ,キンゲシャウト呼.花謝シテ円実ヲ結ブ.大サ三分許,黒色,硬クシテ皺アリ.打破スレバ殻甚厚シ.其内ニ白キ粉アリ.故ニ,ヲシロイバナト呼.根ノ形直長ニシテ羅葡(ダイコンノ)根ノゴトシ.子熟スレバ苗根共ニ枯.然レドモ九州ニテハ旧根枯ズ,春ニ至テ更ニ苗ヲ生ズト,大和本草ニ云リ.」
と,九州では宿根であるが,江戸では一年で枯れる.こんもりと茂り,幹や枝の節は膨らみ,紅・紫・黄・白,黄色に紅色の斑入りなど,アサガオに似て先の尖った五辧の花は色とりどりの花を多くつけるなどとし,また,葉や根の特徴は多くの植物との類似性を指摘して,さすが,当代一の本草家,その記述は的確である.

この紫茉莉について★陳扶揺『秘伝花鏡』(1688) に,平賀源内が校正・訓点を加えた『重刻秘伝花鏡』(1773)には, 「巻之四 藤蔓類考」
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-----.本不甚高カラ.但婆-婆而蔓衍.葉似タリ-菁(カフラ).秋深シテ.似-而色紅-紫清-*.午-後即歛.其艶不シテ久.而香亦不-ニハ故不世重セラレ.結實頻繁.春-間下即生.」とある.大和本草と同様に,「早朝に咲き,午後には萎む」と実際の開花時間とは逆の記述があり,更には,花は似ているが,香りが本物の「茉莉(ジャスミン)」には及ばないので,中国ではあまり珍重されていないとある(右図,WUL).
*清晨:(夜明け前後の短い時間を指し)早朝,明け方

一方『遵生八牋』の「紫茉莉」の記述は,公開ネット上では見いだせなかったが,これを引用したとみられる『草花譜』の記事は認められる.(後の記事)

★岡林清達・水谷豊文『物品識名. 四十一(1809 ) には
「ヲシロイ ユウニシキ 紫茉莉 遵生八牋」と正しく考定され,この時期には有力本草家の間では広く認識されていたと思われる(左図,NDL).

梅園草木花譜 夏乃部一, NDL
★毛利梅園(1798-1851)『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 – 1849)「夏乃部一」には,庭に栽培した紅色と紫色のオシロイバナの絵が掲げられ
紫茉荊(莉?)オシロイ 辟書 白粉花
外 白シボリ有 一類華與是相同し
和漢三才圖会濕草類曰 白粉草 オシロイクサ 正字未詳 於之呂以乃木
本草家曰 山臙指(脂?)」とある.長い萼筒や飛び出した細い蕊が繊細かつ正確に描かれている.

薬品手引草 NDL
★加地井高茂『薬品手引草』(1843
「火炭母草 クハクハイモサウ おしろいはな」との誤考定が残る.

★山本錫夫(1809-1864)考定『和蘭六百薬品図』には,原著『薬用植物図譜』の Mirabilis jalappa. L.図の主要部の模写に,「北茉莉 ヲシロヒバナ」の題がついている.北の地方まで咲くことができる茉莉(茉莉花:ジャスミン)の意味と思われる.
和蘭六百薬品図 左 原図 NDL

オスカンプ等編『薬用植物図譜』(Oskamp, D. L.: Afbeeldingen der artseny-gewassen met derzelver nederduitsche en latynsche beschryvingen..( 1796-1800))は,天保期(1830-43)には舶載され,本草学者に利用された.『和蘭六百薬品図』は同書の図のみをすべて模写したもの.ラテン名,オランダ名,漢名,和名を付記する.部分図の省略は見られるものの,繊細な筆致で丁寧に再現されている.巻末に「平安榕室山本錫夫題名」の墨書があり,本草学者山本錫夫(1809-1864)が漢名,和名を付記したものと思われる.原書の図は手彩色された銅版画である.

このように江戸後期には「火炭母草≠オシロイバナ=紫茉莉」と認識されてきていたが,その薬効についての記述はあまりない.ただ,★宇田川玄真著,宇田川榕菴校補『遠西醫方名物考』(1822) には,「オシロイバナ」を,舶来の強力な下剤として蘭医の間で使われていた「葯剌巴 ヤラッパ Jalapa」と誤考定した記述と図がある(次次記事).

オシロイバナ-1 江戸時代に日本に渡来.『花譜』,『草花絵前集』,『大和本草』,『和漢三才図会』,『画本野山草』,『廣倭本草』,『花彙』 ,『本草正譌』,『本草正々譌』,火炭母草から紫茉莉