江戸末期・明治.飯沼慾斎『草木図説後編』(1832),坂本浩然『躑躅譜』(1836),泉本儀左衛門『本草要正』(1862),『古事類苑』(1896 - 1914),伊藤篤太郎『大日本植物図彙』 (1911)
文献画像は全て NDL の公開デジタル画像よりの部分引用
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★飯沼慾斎『草木図説後編』(1832)
慾斎 (1783 – 1865) は医者であるが,偉大なナチュラリストでもあった.世情騒然たる幕末,大垣郊外の静かな別業平林荘に五十歳を過ぎて隠棲し,こつこつと飽くことなく植物の花の構造を顕微鏡で調べて分類し,リンネの分類法に準拠して記載文と図を作製し続けた.そして,わが国で最初の科学的植物図鑑『草木図説』草部二十巻,木部十巻を編んだのである.草部は安政三年 (1856) から自費出版されたが,木部その他は未刊に終わった.
これらの出版により,慾斎の仕事は,泰西の純正植物学の導入・紹介ということ以外に,植物和名の浸透・普及・定着に大いに関与し,慾斎の用いた方言や命じた新名のいくつかが今日の標準和名の基礎となっていることは,もっと注目されてよいと思う.
飯沼慾斎は天明三年(1783),伊勢亀山に西山信左衛門の二男として生まれた.通称本平,十二歳で家を出て大垣の叔父の医師飯沼長顕の塾で医学を修業,のちにその養子となって長順と称した.次いで京都の官医福井よう亭(1753 - 1844)に入門,漢方医学を修め,小野蘭山(1729 - 1810)に本草を学んだ.その後,大垣の蘭学者江馬蘭斎(1747 - 1838)の紹介で江戸に出て宇田川榛斎(1769 - 1834)の門に入り,その高弟藤井方亭(1778 - 1845)から蘭学を学んだ.大垣に帰って開業,町医師としての名声を得るようになった.天保二年(1831),四十九歳で家業を義弟の長栄に譲り,前述のように平林荘で植物研究に専念して種々の著述に励んだが,慶応元年(1865),閏五月五日八十三歳で没した.
慾斎の研究は主として植物分類学的研究であるが,その材料採集には自ら足まめに各地を歩いたらしい.また,先輩知友を通して種々の情報を得,交換もしたようである.種名不詳のものについては,江戸の蘭山や京都の山本亡羊とその一門,あるいは尾張の水谷豊文や吉田平九郎の教えを請うたという.
彼の未刊に終わった『草木図説後編(木部)』の「巻之二 第五綱 上 五雄蕋」には,単色の図と共に
「レンゲツツジ キツヽジ キツ子ツヽジ 羊躑躅
葉長大殆ト桃葉ノ如クシテ微々毛茸アリ花亦大ニシテ黄赤色
蕚甚ダ小子室一柱五雄蕊ナドノコトハツツジノ常套又花深紅
或淡黄色ニシテ尤美ナリアリ此二種ハ黄赤色ノ品ヨリハ花
差小也」
と,其花の美しさを高く評価している.
★坂本浩然『躑躅譜』(1836)
浩然 (1853 – 1800) は,江戸後期の医者,本草家で,名は直大,浩然は通称.号は浩雪,蕈渓,桜子,香邨.父は和歌山藩医兼本草鑑定の坂本純庵.父に医学を,曾占春に本草学を学び,摂津高槻藩主永井氏に仕える.
画をよくし,純庵の『百花図纂』や遠藤通の『救荒便覧後集』の図を描く.天保6(1835)年に刊行した『菌譜』2巻は食菌,毒菌,芝類計56種の図説で江戸時代の菌蕈の類書中もっともすぐれたものである.幕臣久保帯刀の麻布長者ケ丸の桜園のサクラ136品を写生した『桜譜』(1842)や,ユリ類30品を描いた『百合譜』を残した.種樹家増田金太郎とも親交があった.
ここで引用した『躑躅譜』の奥付には
「著者 並 年号未詳 / 田安家本/躑躅譜/故理学博士男爵伊藤圭介遺本
躑躅百十九種ノ着色図アリ/本書ノ序??ノアル「丙申」トアリ/按ニ「丙申」天保七年丙申ニシテ山下浩然ノ撰スルトコロカ」とある.
彼の『躑躅譜』には,「羊躑躅」或はその一種とされているツツジが数種描かれている.しかし,ヒカゲツツジやリュウキュウツツジの類がその花色の類似性や大きさから「羊躑躅の一種」とされていて,明らかにレンゲツツジを描いたと考えられるのは,⑥「赤レンゲ」と⑧「紅レンゲ」の二枚だけである.
①白サキ 羊躑躅之属
毒アリ 口ニ入ル
可ラズ一名白
蓮花
②黄琉球 キレンゲ
一名 盡月背 一名
黄躑躅大毒あり
口に入る可らず
➂琉球かば
八重咲き 大毒
あり口に入る可
らず
④一種羊躑躅
大毒あり
口に入る可らず
⑤羊躑躅之
一種 かばざらさ
キシヤクナゲ大
毒あり口に入る
可らず
⑥赤れんげ 羊躑躅の一種
きつ子ツヽジ
大毒あり口に入る可らず
⑦極黄 キレンゲ
羊躑躅
毒あり口に
入る可らず
⑧紅れんげ
羊躑躅
の一種
毒あり口に入
る可らず
★泉本儀左衛門『本草要正』(1862)は, テフ (蝶) を「チョオ」,メウガ (茗荷) を「ミョオガ」のように,和名を発音表記とした和漢名辞典で,和名の方言や異名も記している.園芸植物の花銘を多数挙げるのも特色で,アサガオ130点,フクジュソウ131点,ツバキ236点などを記している.本来13冊だが,8冊のみ現存する.著者は江戸の人と思われるが,詳細は不明.
この書の「巻之四,草部,也之部」に
「羊躑躅 毒 イヌツヽジ キレンゲ」とある.
★『古事類苑』(1896 - 1914)
全1000巻の百科事典.和装本は本文350冊,ほか総目録と索引.洋装本51冊.明治12年 (1879),西村茂樹の建議により文部省に編纂係が設けられ,96年に刊行を開始,皇典講究所・神宮司庁へと引き継がれ,35年を費やして完成.中国や日本の先行の類書の体裁にならい,天部,歳時部から植物部,金石部まで30部門に分かち,歴代の制度文物社会百般の事項を六国史以下慶応3年(1867)までの文献から引用した例証を収載,7万余ページに達する.1913年にようやく完結した.明治29~大正3年(1896 - 1914)刊.
この書の「植物部/木八」の「躑躅」の項及び「羊躑躅」の項に「羊躑躅」の記事のある文献が引用されている.その殆どは既にこのブログの先の記事で述べているが,改めて引用するが,「羊躑躅」=「イハツヽジ」として万葉集の歌が記載されているのは目新しい.
古事類苑 植物部/木八
「躑躅」
躑躅ヲツヽジトヨム、字體草木ニ縁无ハ如何、 此問實ニ然リ、本名ハ山榴也、其花赤シテ柘榴(セキリウ)ニ似タル也、是ヲ躑躅(ツヽジ)ト云事ハ、古事ニ依テ也、申サバ異名ナルベシ、千金翼方ト云本草ニ云、羊食二此花一、躑躅(テキチヨウ)シテ而斃、故ニ云レ爾ト、文選ニハ躑躅(テキチヨク)ト、タヽズムトヨメリ、注ニハ不レ安ノ貌ト云、立煩惱姿ナルベシ、或ハフシマロブトヨム、同心也、羊此ノ山榴ノ花ヲ食テ、立煩ヒテ斃死ケルヨ リ、ツヽジノ名トハスル也、或説云、羊ノ性ハ至孝ナレバ、見二此花赤莟一、母ノ乳ト思テ、躑躅シテ折二膝ヲ一飮レ之、故ニ云レ爾共、此義難二信用一、又本草文ニ違ヘリ、但事廣ケレバ何ナル文ノ説ニカ、陁羅尼集經云、迦羅毘羅樹(キヤラヒラジユ)、唐ニハ云二躑躅(テキチヨク)一ト云云、花赤キ故ニ映山徑共云也、但順和名ニハ、山榴ヲバアイツヽジト點セリ、和名云羊躑躅、〈イワツヽシ、一云、モチツヽシ、〉茵芊(インセン)〈マツヽシ、一云ヲカツヽジ、〉山榴(アイツヽシ)〈予以二山石榴一也、花羊躑躅相似云々、〉
〔大和本草〕 〈十二花木〉
躑躅(ツヽジ) 大小霧島、其外種類、近年甚多シ、カゾヘツクスベカラズ、各其名アリ、三月花ヲ開ク、山州攝州河州ニ多シ、山ニモ紫ツヽジ、ヨド川ツヽジ、紅ツヽジアリ、本草毒草羊躑躅ノ附録ニ、山躑躅ヲノセタリ、凡躑躅杜鵑花ハ非レ草、小樹也、故今改爲二木類一、ツヽジハ新ニウフルニハ根ヲヨク洗ヒ、舊土ヲ去、細黄土ニウヘ、日ヲ掩ヒシバ〳〵水ヲソヽグベシ、根下ヲ堅クツクベカラズ、六月ニ新枝ヲ挾ムベシ、舊枝ニツラ子切テ、好土ニ挾シ、日ヲオホヒ、シバ〳〵水ヲカクベシ、細黄土ヨシ、凡躑躅杜鵑花、共ニ糞溺ヲイム、米泔魚汁ヲ時々ソヽグベシ、葉ニ水ヲソヽグベカラズ、根ニソヽグベシ、 蓮華ツヽジ、花三月サク、花落テ葉生ズ、花黄ニシテ如二萱艸色一、花ハ重葉也、葉ツ子ノツヽジニ異リ、葉ノ頭圓ク柔ナリ、羊躑躅ハ、モチツヽジト云、黄花三四月ヒラク、高二三尺バカリ、葉ハ桃ニ似タリ、花大毒アリ、アサギツヽジ、葉ハ大ギリシマノ如ク、枝ハ蔓ノ如ク長シ、小木ナリ、花ハ綿花ニ似テ小ナリ、色アサギ也、春花サク、木不レ高、花ヨカラザレドモメヅラシ、大山ノ岩上ナドニアリ、山中ニ紫花ノ春ツヽジ、木ノ高一丈許ナルアリ、ツ子ノツヽジノ花ノ三倍ノ大サアリ、花ウルハシ葉三角ナリ、
「羊躑躅」
〔新撰字鏡〕〈木〉
羊躑躅 〈毛知豆々自)〉
〔倭名類聚抄〕〈二十
木〉
羊躑躅 陶隱居本草注云、羊躑躅、〈〇(擲の手偏を木偏) 直二字、和名以波豆豆之○)、一云毛知豆豆之、〉羊誤食レ之、躑躅而死、故以 名レ之、
〔箋注倭名類聚抄〕〈十
木〉
證類本草下品引、食之、作二食其葉一、名レ之、作二爲名一、本草和名與レ此同、唯無二食下之字一、陶又云、花苗花二鹿葱一、古今注云、羊躑躅花黄、羊食レ之則死、羊見則躑躅分散、故名二羊躑躅一、其説與レ陶少異、
〔萬葉集〕〈七
雜歌〉
羇旅作 山越而(ヤマコエテ)、遠津之濱之(トホツノハマノ)、石管自(イハツヽジ)、迄吾來(ワガキタルマデ)、含而有待(フヽミテアリマテ)、
〔和漢三才圖會〕〈九十五 毒草〉
羊躑躅 黄躑躅 老虎花 黄杜鵑 驚羊花 玉枝 羊不食草 閙羊花〈閙當レ作二 〇(惱の忄を片)字一〉 俗云蓮 華豆々之 本綱、近道諸山皆有レ之、小樹高二尺、葉似二桃葉一、三四月開レ花、黄色似二凌霄花一、而五出蕊瓣、皆黄而氣味皆惡、 花〈辛温有大毒一〉羊食二其葉一躑躅而死 按、羊躑躅〈和名以波豆々之、一云毛知豆々之、〉據二本草之諸説一、則今云蓮 華躑躅也、丹波及和州吉野山多有レ之、其木二三尺、高者五六尺、葉似二楊梅葉一而薄、有二微白毛一、三月開レ花五出、似二凌霄花一、一莖八九蕚、遠望レ之如二 蓮華一、故名レ之、又有二赤 蓮華者一、〈蘇領云、嶺南有二深紅色羊躑躅一者是矣、〉凡躑躅之品類雖レ多、黄花者惟蓮華躑躅、豆萁躑躅之二種也、而黐躑躅、岩躑躅等、亦一類、而花色不レ黄、
羊躑躅 黄躑躅 老虎花 黄杜鵑 驚羊花 玉枝 羊不食草 閙羊花〈閙當レ作二 〇(惱の忄を片)字一〉 俗云蓮 華豆々之 本綱、近道諸山皆有レ之、小樹高二尺、葉似二桃葉一、三四月開レ花、黄色似二凌霄花一、而五出蕊瓣、皆黄而氣味皆惡、 花〈辛温有大毒一〉羊食二其葉一躑躅而死 按、羊躑躅〈和名以波豆々之、一云毛知豆々之、〉據二本草之諸説一、則今云蓮 華躑躅也、丹波及和州吉野山多有レ之、其木二三尺、高者五六尺、葉似二楊梅葉一而薄、有二微白毛一、三月開レ花五出、似二凌霄花一、一莖八九蕚、遠望レ之如二 蓮華一、故名レ之、又有二赤 蓮華者一、〈蘇領云、嶺南有二深紅色羊躑躅一者是矣、〉凡躑躅之品類雖レ多、黄花者惟蓮華躑躅、豆萁躑躅之二種也、而黐躑躅、岩躑躅等、亦一類、而花色不レ黄、
★伊藤篤太郎(1866-1941)『大日本植物図彙』第1巻 第1輯~第6輯 (1911.11 - 1924.3)
日本最初の理学博士,伊藤圭介の孫である篤太郎は,明治19 年(1886)2 月にロシアの学術誌であるサンクト・ペテルブルグ帝国科学院生物学会雑誌に,日本人による初めてトガクシソウ(Podophyllum japonicum Ito ex Maxim.), キイセンニンソウ(Clematis ovatifolia Ito ex
Maxim.)と,「マキシモヴィッチが自分の論文中で篤太郎の代わりに発表した」というただし書きの「ex Maxim.」とあるものの,二つの植物の学名に命名した.
明治21 年(1888)には,先に新種として学名を命名したトガクシソウに対して,新属Ranzania を創設してこれに移し,新組み合わせRanzania japonica( T.Ito ex Maxim.)T. Itoを記載した.この発表は日本人として初めての新属としての学名の命名となるものであった.しかし,このトガクシソウの帰属に関する新属創設の優先権争いで,帝国大学植物学教室の矢田部良吉教授の怒りを買い,教室の出入り禁止という,いわゆる「破門草事件」を起こしてしまい,以後不遇な研究生活を送った.
篤太郎は初学者向けの教科書である『最新植物學教科書』を著わし,また日本初となる本格的百科辞典である『日本百科大辞典』の植物の項目の多くを執筆し,さらには色彩が美しくまた精密なる写生図・解剖図を備えた植物図譜である『大日本植物図彙』を上梓したりして,多彩な著作活動を行っていた.
(岩津 都希雄『初めて植物に学名を与えた日本人 伊藤篤太郎』www.num.nagoya-u.ac.jp › event › 06_IWATSU_Tokio)
彼の『大日本植物図彙』第五輯 第一巻 には,美しい原色石版画による写生図・解剖図とともに,詳細な性状の記述がある.但し,彼はレンゲツツジを,中国に自生する
Rohdodendron sinense と同一種としている.R. sinense とレンゲツツジは別種であるとしたのは,牧野富太郎で,『頭註国訳本草綱目』(1929) で,R. sinense には,シナレンゲツツジの名を与えた.
「Tab. 17
ROHDODENDRON SINENSE.
NOM. JAP. RENGÉ -TSITSIJI. 第十七圖版
れんげつつじ〔蓮華躑躅〕.
Kō Rengé -tsutsuji. [一名〕こうれんげつつじ[紅蓮華躑躅].
Kaba-rengé. かばれんげ.
(Family RHODODENDRANCEÆ). (石楠(シャクナゲ)科).
(中略)
―「あげはのてふ」(風尾蝶)屬の或る
種と,他の鱗翅類及び膜翅類に屬する昆蟲,
此花に來る.― 花候は五月なり.
[産地].本邦中部と,南部の山地に生
ず.志那にも産す.本邦に於いては,この火
焔色の花咲く壮麗なる種を庭園に栽植す.
黄花(var. FLAVESCENS SWEET ; 和名「き
つつじ」・「キレンゲツツジ」・叉「てうせん
つつじ」)と,淡紅花(var. Rozae m.)の諸變
種あり.何れも庭園に栽培せらる.
本邦に於いては,本種の花と葉とには毒あ
りと思考せらる.
第一七圖の諸圖は,東京小石川なる家
園に栽培せる生植物を描寫せるものなり.
★『頭註国訳本草綱目』白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳)(1929)春陽堂
第六冊 草部 第十七巻下 毒草類
羊躑躅(一)(本經下品) 和名 たうれんげつつじ(新称)
學名 Rhododendron molle G. Don.
科名 しゃくなげ科(石楠科)
(一)牧野云フ,羊躑躅ハ我邦ノれんげつつじノ中ノきれんげつつじニ酷似シタ品デアルガ,固ヨリ別種デ我邦ニハ産セヌ.きれんげつつジニ充テテハ不可デアル.