2022年10月25日火曜日

シロバナマンジュシャゲ(4)白いリコリス?和古文献,重修秘伝花鏡,秘伝花鏡会識,本草綱目啓蒙,本草図譜,草木図説

Lycoris x albiflora Koidz. 


白いヒガンバナの記述は,古くから漢文献や和文献にもみられる.ヒガンバナの本草書での名称は,薬用とされる根茎「石蒜」で呼ぶのが一般的だが,漢園芸書では「金燈花」が使われていて,その白色種は「銀燈(花)」と記されている.
(文献画像は NDL, 中国哲学書電子化計劃,Internet archives の公開デジタル画像の部分引用)

 平賀源内『重修秘伝花鏡』には多くの場合和名が追記されているが「金燈花」にはそれがない.この書に注釈を加えた小野職博(述)『秘伝花鏡会識』では,「金燈花」は「シビト花 石蒜」と考定し,更に「銀燈ハ石蒜ノ白花ヲ云和産ナシ」と日本には白いヒガンバナはないとした.小野蘭山『本草綱目啓蒙』及び岩崎灌園の『本草図譜』では『秘伝花鏡』を参照して白花のものがあり,銀燈花というと記したが,実見したのかは不明.飯沼慾斎の『草木図説前編』の「マンジュシヤケ」の項には,「一種白花ノモノアリ」とし,更に「花色を除いた他の性状は赤花のものと同じ」とあるので,実際に飯沼慾斎は白花のヒガンバナを見た可能性は考えられる.

 源内が清の陳淏子(1612 - 没年不明)が1688に刊行した『秘傳花鏡を校閲して出版した『重修秘伝花鏡』(1773)では多くの場合,和名が追記されているが「金燈花」にはそれがない.この書に

 「金
--

金燈 一名山慈菰。冬-月生。葉似--。三--中枯。根
即慈-菰。深-秋獨-莖直。末分-。一簇--朶。--
-焰如-。叉有--
()-紅紫-碧五-者。銀-燈色
白。禿-莖透-シテ即花サク--。花後發葉似-
皆蒲-。須分種。性喜-。即栽於屋-脚墻-根。無-
亦活。」とある.


小野蘭山(職博,1729 – 1810)の講義を中村宗栄が筆写した『秘伝花鏡会識』(1827)は,秘傳花鏡』に注釈を加えた書だが,その「花草類」の章の「金燈花」には
「金燈花 シビト花即石蒜一名山慈姑ト云根即慈菰ト云
倶ニ謬リ溷ス山慈姑石蒜別物之石蒜ハ秋生シ山慈菰
ハ春生ストウロウ花ト名ク○銀燈ハ石蒜ノ白花ヲ云
和産ナシ○花後発葉似水仙皆蒲生蒲生ハ葉ノ長ク
生スルコト蒲ノ如ヲ云」と金燈花=石蒜=ヒガンバナと考定し,更に「銀燈ハ石蒜ノ白花ヲ云和産ナシ」と日本には白いヒガンバナはないとした.

小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803 - 1806)の「巻之九 草之二 山草類下」の「石蒜」の項では


「石蒜 (中略)
   一根數葉、葉ハ水仙ヨリ狭
 ク、長サ一尺許、緑色ニシテ黒ヲ帯、厚ク固クシテ光
 アリ。夏中即枯、七八月忽圓莖ヲ出ス。高サ一尺餘、
 其端ニ數花聚リ開ク。深紅色六瓣ニシテ細ク反巻
 ス。内ニ長鬚アリ、花後圓實ヲ結ブ。實熟シテ莖腐シ、
 新葉ヲ生ズ。冬ヲ經テ枯ス。根ノ形水仙ノ如ク、
 大サ一寸許、外ハ薄キ茶色ノ皮ニテ包ム。内ハ白
 色、コレヲ破ハ重重皆薄皮ナリ。一種白花ノモ
 ノアリ。此ヲ銀燈花ト云。祕傳花鏡ニ見エタリ。
(後略)」とある.一般に三倍体のヒガンバナは実を結ばないとされるが,実際に結実し,その種子が発芽する場合があるとされる(Facebook 日本ヒガンバナ学会 #ヒガンバナの種子 #実生ヒガンバナ実験 https://www.facebook.com/groups/317413309122960/).

 牧野富太郎は,飯沼慾斎の『草木図説』を増補改訂した『増訂草木図説』(1907)のマンジュシヤケの項で,「予ハ未ダ本種ノ結實セシモノヲ見タルコトナシ」と記している(下項).また,別の文献では「蘭山は花後に尚存する緑色の略円き子房を見て其れを実が熟したと誤解している」と断じたそうだ(栗田子郎『雑学の世界・補考』(出典未確認)).


岩崎灌園『本草図譜』(1828-1844)の「第七巻 山草之類五」にはヒガンバナの美し正確な図と共に
石蒜 ひがんばな 

秋月葉を生す.水仙に似て瘠て硬く
深緑色.夏に至て枯.秋にいたりて花
のみ生じ六瓣赤色の花あつまりて
傘状をなす.根は水仙の如く皮黒し.
白花の者を銀燈花 秘伝花鏡 といふ」とあり,『秘伝花鏡』を参照して白花のものがあり,銀燈花というと記したが,実見したのかは不明.



飯沼慾斎『草木図説前編』(1852)の「巻之五」には,
「マンジュシヤケ 石蒜

啓蒙形狀ヲ載セ衆亦通知ス故略之一種白花ノモノアリタヾ花色ノ異アリテ生殖部ニ在ツテハ同シ共ニ根形葉狀下条種ト同クシテ只葉稍狭長ナルノミ故ニ別ニ不圖

第八種

アマレールリス・サルニクシス 羅  ヤッパンセ・レリー ナルシス 蘭」とある.「一種白花ノモノアリ」とし,更に「花色ノ異アリテ生殖部ニ在ツテハ同シ」とあるので,慾斎は実際に白花のリコリスを見た可能性は考えられる.
 
また,ヒガンバナの羅甸名として,伊藤圭介(1803-1901)がツンベルクの “Flora Japonica” (1784) 記載の羅甸名をシーボルトの指導を受けて,和名と対照させた『泰西本草名疏』(1829)から,”Amalyris sarniensis” とし,和蘭名としては「日本百合水仙」の意味の “Japanse lelienarcis” と記した(A. sarniensis Nerine sarniensis ガーンジー・リリーの旧名.この「ガーンジー・リリー」=ヒガンバナの誤解は,南方熊楠をも惑わせた.後の記事参照)


牧野富太郎は,この『本草図譜』を増補改訂した『増訂本草図譜』(1907)の
「草部 巻五」に於て,現在の標準的な学名を採用した.

「○第五十六圖版 Plate LVI.

マンジュシヤケ シタマガリ 石蒜

Lycoris radiata Herb.

ヒガンバナ科(石蒜科) Amaryllidaceae

啓蒙形狀ヲ載セ衆亦通知ス,故略之一種白花ノモノアリ,タヾ花色ノ異アリテ生殖部
ニ在テハ同ジ共ニ根形葉狀下條種ト同クシテ只葉稍狭長ナルノミ故ニ別ニ不圖.

附(一)花ノ縦裁(補) (二)雄蘂,廓大圖(補) (三)柱頭部,廓大圖(補) (四)葉ヲ有セル襲重鱗莖(補)

第八種

アマレールリス,サルニクシス   ヤッパンセ,レリーナルシス

〔補〕叉ヒガンバナト云フ其他諸州ノ方言多シ,多年生草本ニシテ襲重鱗莖ハ球形
ヲ成シ外面ハ黒色ナリ,葉ハ線形ニシテ深緑色ヲ呈シ鈍頭ヲ有ス,花終テ深秋始メ
テ葉ヲ出シ翌年四月ノ候ニ枯稿ス,花ハ九月ニ開キ直立セル葶上ニ繖形ヲ成シ苞
アリ.花蓋ハ鮮赤色ニシテ裂片反曲シ下ハ短筒ヲ成ス,六雄蘂長ク花外ニ超出シ側
ニ向フ,花柱亦長ク子房ハ短小ニシテ淡緑色ヲ呈シ下位ヲ成ス,予ハ未ダ本種ノ結
實セシモノヲ見タルコトナシ,叉支那ニ産ス(牧野)」と,新しい学名と共に,「私は未だに種子をつけたヒガンバナを見たことはない」とも記した.
 この知見は,それまでの漢文献・和文献に記載されていなかった(『雑学の世界・補考』「ヒガンバナに種子ができないことの不思議を最初に指摘したのは牧野富太郎だった。」http://widetown.cocotte.jp/japan_den/japan_den157.htm#top)と記されている.

『本草綱目』の「水仙」の項に「按段成式『酉陽雜俎』云,㮏(木偏に柰)祗,出拂林國,根大如雞卵,苗長三四尺,葉似蒜葉,中心抽條,莖端開花,六出紅白色,花心黃赤,不結子,冬生夏死。(中略)據此形狀,與水仙仿佛,豈外國名謂不同耶」とはあるが,これをリコリスと考定するのはためらわれる.

2022年10月17日月曜日

シロバナマンジュシャゲ(3)白いリコリス-銀燈花.中国文献  三才図会,花史左編,秘伝花鏡,植物名實圖考

Lycoris x albiflora Koidz.

 文献画像は NDL, 中国哲学書電子化計劃,Internet archives の公開デジタル画像の部分引用


牧野富太郎が,自身が九州の知り合いから貰って育てていたシロバナマンジュシャゲの観察結果を,『シロバナマンジュシャゲの記』(植物分類,地理 Vol.13, p. 17 (1943))に「此シロバナマンジュシャゲは其種名の albiflora が示してゐる樣に,其花は先づ先づ白色であると謂って可いが,然かし雪の樣な純白色であるとは謂へなく常に微しくウルミがある事を免がれ得ない,そして隠々微黄色を帯ぶる者が多く其黄采は花の咲き初めに於て稍濃厚であるを覺ゆる。叉株により始め微黄色で後ち白色と成る者も多い,叉株によりては多少淡紅色を帶ぶるものも見られるが,然かし花蓋片の邊縁は漸次に淡白色と成つてゐる,叉株により花蓋片の上部極淡紅で下部多少極淡黄色を呈する者もある,叉株によつては花蓋片の中部と下部とが淡紅色を呈し上部幷に其邊縁の方は次第に淡く成つてゐる者もある,或は叉株によつて白色花蓋片の一に一,二條の紅色線を出現さす者も見られる,要するに其花色は各,株の異なるに從つて多少の相違ある事が認め得られる。」と述べたように,親のヒガンバナとショウキズイセンの血の濃さに従ってか,花色に変異が多い.(冒頭図.左より帯黄色株,淡紅色株,紅色線出現株)

白いヒガンバナの記述は,古くから漢文献や和文献にもみられる.ヒガンバナの本草書での名称は,薬用とされる鱗茎「石蒜」で呼ぶのが一般的だが,漢園芸書では「金燈花」が使われていて,その白色種は「銀燈(花)」と記されている.

 中国唐代の随筆,段成式の『酉陽雑俎』には,「金燈」の項があり,ヒガンバナと考定できる記事が載る.『三才図会』の「金燈花」には,ヒガンバナ類とは程遠い図が添付されているが,「銀燈は色白」とあり,また,図を見る限りヒガンバナに近い「石垂」には,根は石蒜とされるとある.一方『花史左編』の「金燈花」の記述は,ヒガンバナ類と合致する.『秘伝花鏡』の「金燈花」の記述と図はヒガンバナ類に合致し,「銀燈色白」と,白い花をつける「銀燈」があるとする.一方『植物名實圖考』の「金燈」は,キンポウゲ科の植物かミズキンバイと考えられ,むしろ「天蒜」の方がヒガンバナ科と思われるが,葉と花が同時に見られる様に描かれているので,ヒガンバナ連ではないと思われる.

 ★段成式『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』(860年ごろ成立)は唐代の随筆.前集20巻,続集10巻からなる.宰相で蔵書家であった父をもち,宮中の図書係である校書郎の職について,無類の読書家であった著者が,その該博な知識を駆使して,奇事異談から衣食風習,医学,宗教,動植物に至るまで,世事万端についての見聞,考証を記したもの.なかには非現実的な記事も見受けられ,前集にある「盗侠篇」などはほとんど小説といえる内容も含むが,多くは唐代の社会風俗を知るための貴重な記録である.
 この書の「卷十九 廣動植類之四 草篇」の「牡丹」の項に,行を改めず


「金燈一曰九形花葉不相見俗惡人家種之一名無義草」とある.現代語訳では「金燈。あるいは、九形という。花と葉と会わない。世俗では、人家にこれを植えることをきらう。別名、無義草という。」とされている.(東洋文庫397 「酉陽雑俎3 段成式 今村与志雄訳注」(1981) 平凡社)
 なお,訳注者の今村氏は,この項の註として「金燈 未詳。」としているが,『本草綱目』に「山慈菇」の項に「段成式酉陽雜俎云」として全文引用されているが,以下の記事からも,アマナではなく,ヒガンバナと考定できる.アマナは,葉と花が同時に見られる.

清の★張璐『本經逢原』(1695)の「卷一山草部」に

「山慈姑
金燈花根也。九月開花,朱色,與葉不相見,故又名無義草 甘微辛,小毒。
發明 山慈菇攻堅解毒,治癰腫瘡瘻,瘰癧結核等
證。紫金錠用之,亦是解諸毒耳。丹方 治面上瘢痕用
山慈菇末,和輕粉、硼砂末各少許,先用鹼水筆塗患
處,次摻上藥,太乙膏葢,日易一次,俟疙瘩消盡後,以
鷹屎白、密陀僧末,蜜水調護,數日勿見風,日效。惟眼
胞上者不可治,以其眨動不轍也。」とあり,「開花時期が秋・花色が朱・花と葉が同時には見られない」のことから,この場合「山慈姑=金燈花=無義草=ヒガンバナ」と分かる.
 和書ではあるが★松岡恕庵『用薬須知』(1712脱稿,1726刊行)巻一草部 には
「山慈姑,此モノ種類多シ,古人用ユル所ハ多ク石蒜根(シビトハナ子)ナリ獨リ時珍ニ至ッテ根顆辧解アルモノヲ以テ之充ツ,和名甘菜(アマナ)ト云モノ是ナリ, 然レトモ臞-神-隠傳紫-金-錠ノ方下ニ花紅ク花ト葉ト相ヒ見不故無義草ト名クルノ説ヲ見ルニ石-蒜-根是ナルベシ,」ともある.

★王圻『三才図会』(1607)は,中国,明代の図解百科事典.王圻の子王思義の続集とあわせ106巻.天地人の三才,つまりこの世界の事物を,天文,地理,人物,時令,宮室,器用,身体,衣服,人事,儀制,珍宝,文史,鳥獣,草木の14門に分け,図絵を添えて簡略に説明する.とくに器用,儀制,衣服などは有用である.中国では低く評価されがちだが,日本では寺島良安の『和漢三才図会』の手本となった.


この書の「草木十二巻 花卉類」には

金燈花
金燈花 一名忽地笑 有二種花開一簇五朶金燈色紅銀燈色白」とある.
 図からはそうとは見えないが,現在の「忽地笑」は「ショウキズイセン」(Lycoris aurea (L'Hér.) Herb)との事なので,文にある「銀燈色白」が白いヒガンバナかもしれない.
また,「草木六巻 草類」には,小野蘭山がヒガンバナと考定した「岩垂」の項がある.
岩垂
岩垂 福州山中三月有花四月採子焙乾用其根即石蒜文具水麻條下彼人用治蟲毒甚佳」とあり,根が「石蒜」の原料とされている.
 図には二つの植物が描かれ,下のそれは葉と花が描かれたヒガンバナ類とも考えられる.

明の★王路『花史左編』(1617完成) は,花の形状・変異・栽培法・病害虫・月別の園芸作業・園芸用具などについて記すと共に,花にまつわる故事や名園・名勝を収録する.文学色が濃く,一般の園芸書とは趣を異にする.ヒマワリが丈菊の名で記載されている.

 この書の「草木十二巻 花卉類」には

「金燈花
金燈花 花開一簇五朶金燈色紅銀燈色白皆蒲生分種開
時無葉花完發葉如水仙
」とあり,ヒガンバナ類の特徴である,「花時には葉がなく,花が終わってから水仙に似た葉が群生する」とあるので,この「銀燈」は「白色」なヒガンバナであろうと思われる.

★陳淏子(1612 - 没年不明)は中国.清代の博物学者.園芸家.浙江省杭州の人.字は扶揺.号は西湖花隠翁.経歴は知られていない.晩年杭州の西湖の湖畔に住み多くの花草果木を育てた.1688年.77歳の時に刊行した『秘傳花鏡』は花木・花草の種類.栽培法と.鳥・獣・魚・昆虫の飼育法を述べた書物.日本に伝わり、平賀源内が校正し1773年に『重刻秘伝花鏡』を刊行した.


 この書の「卷五 花草類考」には

「金燈花
金燈 一名山慈菰。冬月生葉似車前草。三月中枯。根
 
即慈菰深秋獨莖直上。末分數枝。一簇五。正紅色
 
光焰即金澄。叉有黄金燈。粉紅紫碧五色者。銀燈色
 
白。禿莖透出即花。俗呼爲忽地笑。花後發葉似水仙。
 
皆蒲生。須分種。性喜陰肥。即栽於屋脚墻根。無風露
 
處亦活」とあり,ヒガンバナと考定できる図が添えられている.文からすると「金澄」はヒガンバナ,「黄金燈」はショウキズイセン,「粉紅紫碧五色者」はナツズイセン,「銀燈」は白いヒガンバナと考えられる.なお,平賀源内が校定した『重刻秘伝花鏡』のこの項では,返り点・送り仮名は付されているものの,和名は記されていない.

★呉其濬 (1789-1847)『植物名實圖考』清末(1848)三八巻は,薬草のみならず植物全般を対象とした中国初の本草書として名高い.『図考』には実物に接して描いた,かつて中国本草になかった写実的図もある.この書にはヒガンバナと考定できる項目は見当たらず,関連がありそうな項目は,


「天蒜

天蒜 雲南圃中植之根葉與佛手蘭無異唯花色純白紫鬚繚
繞橫綴黄蕊按閭中金燈花亦名天蒜未知與此同異」とあるが,図では葉と花が同時に見られ,花茎の出方からするとヒガンバナの類よりはアマリリス(Hippeastrum)屬のように見える.なお,現在の中国での「天蒜」はツルボ(Barnardia japonica)やネギ屬のAllium paepalanthoides を云うようだ.また,
「金燈
 金燈 細莖裏嫩葉如寓壽菊葉而顯開五小辨黄花圓扁頭有
 小缺如三葉酸葉」もあるが,キンポウゲ科の植物かミズキンバイと考えられる.現代中国でこの「金燈」の記述に該当する「金燈」の名の植物は見つけられなかった.

  これらの文献に出ている「銀燈花」は白いリコリスと思われる.”eFloras.org” “Flora of China” によれば,アジアを中心に全世界には約20種の,中国にはその内15種のリコリスが分布する.その内白い花を着けるリコリスとしては,シロバナマンジュシャゲ以外にもいくつか中国に分布するとある.以下の四種は何れも白い或は白っぽい花を着ける.

L. albiflora:乳白石蒜
L. straminea
:稻草石蒜
L. caldwellii
:短蕊石蒜
L. longituba
筒石蒜
Lycoris x houdyshelii:江苏石蒜

 この内,L. albiflora の原産地に関しては,中国以外に日本・済州島・台湾とする記事もあるが,Kew が運営する ”Plants of the World Online” によれば,原産地は日本で,中国・朝鮮半島に帰化しているとされており,それ以外の四種は,中国のみに分布するとある.従って,銀燈(花)は,これらの四種のどれかかも知れないし,それ以外の白いリコリスかも知れない.
 なお,ネットを引いても,現代中国で「銀燈花」が何の植物を指すのか調べきれず,また,張宗緒『植物名彙拾遺』(1919)にも「銀燈花」は記載されていなかった.

2022年10月6日木曜日

シロバナマンジュシャゲ(2)学名原記載 小泉源一,ヒガンバナとショウキズイセンの交配種 牧野富太郎

Lycoris x albiflora Koidz.

暑さも一段落,庭では,三度目の月下美人の開花シーズンも終わり,ヒガンバナとシロバナマンジュシャゲが花を開いている.

 庭では山口の姉からもらった球根が増えた.関東地方ではまだ珍しいらしいが,球根が市販されているようで,最近はところどころで見かける.庭の個体の花は親のヒガンバナとショウキズイセンの血の濃さに従ってか,牧野富太郎の観察のように,咲き始めは赤味が濃い個体や黄味が濃い個体があり,終わりになっても真っ白になることはない.咲く時期はヒガンバナよりやや早く,ヒガンバナに比べると,花茎の色はやや紫がかっており,花後に拡がる葉はやや幅広く,上面色は薄く,白い筋は入っていない.球根もやや大きいようである.

両者が混合して咲くとなかなか美しいが,残念ながらいずれも花期はそれほど長くはない.

 学名をつけたのは日本植物分類学会の創立者,小泉源一1883 - 1953)で,栽培品を基に,1924年に新種として発表した(『植物学雑誌,Bot. Mag. (Tokyo) vol.38, p.100 (1924).

その約二十年後,牧野富太郎は,自身が九州の知り合いから貰って育てていたシロバナマンジュシャゲの観察結果を,より平易な言葉で『シロバナマンジュシャゲの記』(植物分類,地理 Vol.13, p. 17 (1943))美しく,精密正確な図とともに述べ,その性状や形状から本種は赤い花を咲かせるヒガンバナと黄色い花を着けるショウキズイセンの交配種であろうと考察し,原産地は肥前五島方面或は南九州と考案した.また『植物一日一題』では,純白の花を見たと言い,さらに『牧野日本植物圖鑑. 増補』(1955) にもこの考察を記し,生育地は九州及び済州島とした.

 


小泉源一植物学雑誌Bot. Mag. (Tokyo)vol.38, p.100 (1924

Contributiones ad Cognitionem Frorae Asiae Orientalis
By G. Koidzume Rigakuhakushi

 

Lycoris albiflora n. sp.

Species L. radiatac HERBERT. affinis sed floribus albis parvioribus,
tepalis minus recurvis, staminibus brevioribus, versus apicem leviter dec-
linatis nec curvato-ascendentibis, filarnentis albis brevioribus, styls albis
brevioribvs, ovario globoso-ovoideo profunde trisulcato ; forum pedicellis
duplo triplove brevioribus latioribusque differt.

Folia hibernalia, linearia apice rotundata 12-13 mm. lata. duplo
latiora quam in L. radiata, circiter ad 25 cm. longa, supra nitidula
subtus opaca.

Flores in septembri ad Novembri.
N
OM. JAP. Shirobana-manjushake.
H
AB. in Japonia culta. forsan in insula Amamiohshima spoatanea.

「ヒガンバナではあるが,白い花はより小さく,花被はあまり湾曲しない.雄蕊は白く短く湾曲も小さい.花柱も短い.冬季の葉は線形で先端は丸みを帯び,幅広くヒガンバナの約 2 倍で 12 -13 mm,長さは約 25 cm.葉の上面には光沢があり,下の色は濃い.花期は9月~11月で,和名は「シロバナマンジュシャケ」,日本で栽培されているが,奄美大島には多分自生している.」(私訳)とある.

 


牧野富太郎 植物分類,地理Vol.13 p. 17-19 (1943)

シロバナマンジュシャゲの記

牧野富太郎

On Lycoris albiflora
Tomitaro M
AKINO

  曾て京都帝國大學教授小泉源一博士に由て我邦マンジュシャゲ(ヒガンバナ)屬の一新種として命名發表せられた者にシロバナマンジュシャゲ即ちLycoris albifiora Koidaumi
がある,本種は疑ひも無く我が日本で絶て無くして僅かに在ると評せられる稀品と謂つて
も敢て誣言では無いのである。

 此シロバナマンジュシャゲの原産地に就ては私はまだ之れを知るには及ばないけれど,
其れは惟ふに確か九州の者であらうと想像する,そして或はヒョツトすると肥前五島方面
乎或は南九州乎の原産では無い乎と云ふ樣な感じがする,幸に誰れ乎其野生せる産地を知
つてゐられる御方があれば斯學の爲め叉我がフロラの爲め其れを個で公にせられん事を望
んで止まない。

 私は先年其生根を前の知人から得て爾來今に至るまで十年近くも之れを愛撫してゐる
が,其間威勢よく生活して年々其時期には能く開花してゐる,今此處に掲げた圖は其れを
寫生し叉其生態を撮影した者である。そして其繁殖は極めて旺盛で,年々其仔球を増して
行く事宛かも普通のマンジュシャゲの如くである。

 今熟ら其れを觀察して靦ると,其れは疑も無く一の間種即ちhybrid である事が首肯せ
られる,そして其兩親は赤花を開くマンジュシャゲ即ちヒガンバナ(Lycoris radiata
Herb
.)と,黄花を開くショウキラン(Laurea Herb.)とである事が想像し得られる,
即ち其れは今絶對に實をむすばないマンジュシャゲが能く實を結ぶショウキランにかヽつた
もので,乃こで結實し此間種を出生させた者であらう。然かし是れは單なる外觀觀察であ
るから,誰れ乎此兩親と看徹さるヽ マンジュシャゲとショウキランとの兩品幷に其子と看
倣さるヽ此シロバナマンジュシゲに於ける染色體の研究を爲て見たら,必ずや蓋し其外
觀觀察と一致する結果を把握し得られ愈よ之れが間種なる事を確定する事が出來るでは無
い乎と思はれ私かに其學者に期待する所である。

此シロバナマンジュシャゲは其種名の albiflora が示してゐる樣に,其花は先づ先づ白
色であると謂って可いが,然かし雪の樣な純白色であるとは謂へなく常に微しくウルミが
ある事を免がれ得ない,そして隠々微黄色を帯ぶる者が多く其黄采は花の咲き初めに於て
稍濃厚であるを覺ゆる。叉株により始め微黄色で後ち白色と成る者も多い,叉株によりて
は多少淡紅色を帶ぶるものも見られるが,然かし花蓋片の邊縁は漸次に淡白色と成つてゐ
る,叉株により花蓋片の上部極淡紅で下部多少極淡黄色を呈する者もある,叉株によつて
は花蓋片の中部と下部とが淡紅色を呈し上部幷に其邊縁の方は次第に淡く成つてゐる者も
ある,或は叉株によつて白色花蓋片の一に一,二條の紅色線を出現さす者も見られる,要
するに其花色は各,株の異なるに從つて多少の相違ある事が認め得られる。

 花は九月葉に先だつてマンジュシャゲの花と同時に發らき之れを混植して置くと紅白相
映じて頗る美しい,そして其花序の狀,花序に於ける花數,叉葶の形狀大小高低色彩は全
くマンジュシャゲの其れ等と同じく,又花後に決して實を結ばない事も同樣である。

 葉は無論花了つて後に萠出し冬の霜雪を凌いで一,二月に盛茂し三月に至れば萎黄して
枯死に就く事宛かもマンジュシャゲ幷にショウキラン其等の者と同じである。そして其葉
は無論マンジュシャゲ葉と同形でも無く,叉ショウキランとも同じでは無い,然かし其れ
は何ち等乎と謂へばショウキランの葉に其形質も其帶黄な緑色も能く似てはゐるが其葉幅
に至ては其れよりは狹い,されどマンジュシャゲの葉とは大分徑底があつて其れは彼れの
樣に狹く無く叉彼れの様に濃線色をば呈してゐない。

 襲重鱗莖(tunicated bulb)はマンジュシャゲの其れよりも太く,ショウキランの其れ
よも小く,即ち其中問の太さを占めてゐる。
 以上は誠に咄嗟に筆を馳せた疎漫な記事ではあるが,無限に永く生生繁殖する此
Lycoris albiflora Koidzumi
其者を以て私は其名け親である小泉博士を祝福する事にし
た。

牧野富太郎『随筆 植物一日一題』(1953)

狐ノ剃刀

 キツネノカミソリ、それは面白い名である。(中略)
   この属すなわち Lycoris 属には日本に五種があって、その一は右のキツネノカミソリ、その二は桃色の花が咲き属中で一番大きなナツズイセン、その三は黄花の咲くショウキラン、その四は赤花が咲き最も普通でまた多量にはえているヒガンバナ一名マンジュシャゲ、その五は白色あるいは帯黄白色の花が咲きヒガンバナとショウキランとの間の子だと私の推定するシロバナマンジュシャゲである。今日までまだ純粋の白色ヒガンバナを得ないのが残念であるが、しかしこれはどこかにあるような気がする、というのは数年前摂津の某所にそれが一度珍しく見つかったことがあったからである。惜しいことには、その白花品をある小学校の先生が他へ運んでついになくしたという事件があった。私は人に頼んでその顛末を詮議してもらったけれど、ついにそれを突き止めることが出来ず、よく判らずにすんでしまった。

(後略)」

牧野富太郎『牧野日本植物圖鑑. 増補(1955)


3691図 ひがんばな科

しろばなまんじゅしゃげ

Lycoris albiflora Koidz.

 九州及び済州島に稀に発見される多年生草本で、時に人家で観賞のために栽植される。ヒガンバナとショウキランの雑種と推定される。地下の重襲鱗莖は卵形で黒褐色、横径4cm内外。葉は秋に出で、1-2月頃最も繁り、線形で軟質、黄緑色で、ヒガンバナより淡く、巾 10-15 mm、春に枯れる。秋10月頃高さ40-50 cm の中空の花茎を抽き出して、膜質の総苞を反転し、繖形に外向して10数花をひらく。小梗は長短があり、花はヒガンバナと同大であるが、6個の花蓋片は強くは反曲せず、辺縁の皺曲も弱く、6個の絲状雄芯は彎曲して、長く花外に超出する。花色は株によって変化があり、純白に黄、或は淡紅を帯びる。果実を結ばない。