2024年2月20日火曜日

スノードロップ-11  D.H.ロレンス(D H Lawrence)「チャタレー夫人の恋人(Lady Chatterley's Lover)」a snowdrop of forked white fire

Galanthus nivalis


 DH.ロレンス著『チャタレー夫人の恋人』は,その自然描写が美しく,数多くの草木が場面に合わせて登場する事でも,英国近代文学の傑作と思われる.英国の春を告げる花-アネモネ(ヤブイチゲ),ブルーベル-の記載回数は多いが,春に先駆け咲くスノードロップは,最終第19章の,「チャタレー夫人の恋人」である森番のメラーズ(Oliver Mellors)が,チャタレー準男爵夫人コンスタンス(Constance Chatterley,コニー,Connie)に宛てた手紙の中に,象徴的に二回登場するに過ぎない.その中でメラーズは,二人の間の交情の安らかな休止を “like a snowdrop of forked white fire.” に例えている.この “forked” (分岐した)は,スノードロップの花の比較的大きな三つの真っ白い外花被からすると「三つに割れた」の訳が適切で, コニーの白い胴体と二つの腿に,また真ん中の小さな内花被は,女性器に例えられるとも思われる.

原文では,
The Grange Farm
Old Heanor
29 September
(中略)
 So I love chastity now, because it is the peace that comes of fucking. I love being chaste now. I love it as snowdrops love the snow. I love this chastity, which is the pause of peace of our fucking, between us now like a snowdrop of forked white fire. And when the real spring comes, when the drawing together comes, then we can fuck the little flame brilliant and yellow, brilliant. But not now, not yet! Now is the time to be chaste, it is so good to be chaste, like a river of cool water in my soul. I love the chastity now that it flows between us. It is like fresh water and rain. How can men want wearisomely to philander. What a misery to be like Don Juan, and impotent ever to fuck oneself into peace, and the little flame alight, impotent and unable to be chaste in the cool between-whiles, as by a river.(中略)
 But a great deal of us is together, and we can but abide by it, and steer our courses to meet soon. John Thomas says good-night to Lady Jane, a little droopingly, but with a hopeful heart.”とある.

この部分の和訳を,以下の和訳本の出版年順に並べると,初訳の①では,snowdropを花とは認識せず,「雪片」や(雪の)「滴り」と誤訳している.しかし,「二人のあいだの」(forked white fire)を「三叉の白い炎」としているのは,偶然ではあろうが,スノードロップの花のかたちを現して妙である.

①伊藤整訳『ロレンス チヤタレイ夫人の恋人』新装世界の文学セレクション36,中央公論社(1994
「だから今、僕は貞潔を愛しています。それが交わりによって生ずる平和というものだからです。僕は今、身を清く保っていることを喜ばしく思っています。雪片が雪を愛するように、僕はそれを愛しています。僕はこの貞潔を愛しています。それは僕らの交わりの安らかさの休止であり、二人のあいだの三叉の白い炎の滴(したた)りです。そしてほんとうに春が来て、いっしょに住めるようになれは、その時は僕らは、この小さな炎を輝く白熱に燃え上がらせることができます。今はまだです。まだその時ではありません!今は身を清らかに保っているべき時です。それは、僕の魂のなかに涼しい水の流れがあるように気特のいいことです。僕はいま二人のあいだに流れているこの清らかさを愛します。それは新鮮な水か雨のようなものです。(中略)
 しかし僕らの大きな部分はともに生きているのです。僕らはそこに身を寄せて早く再会できるように、はからいましょう。君のジョン・トマス君は、少しうなだれた姿で、しかし希望に満ちてジェイン夫人におやすみなさいを言っています」

以下出版年順に比較すると②以下では,snowdropを花と認識して「スノードロップ」或は「マツユキソウ」と訳しているが,forked を「二叉」あるいは「先の割れた」と訳していて,実際にスノードロップの花を観察して訳しているのか,疑問に思われる.

②ロレンス,伊藤整訳,伊藤礼補訳『完訳チャタレイ夫人の恋人』新潮社(1996
「だからいま僕は貞潔を愛しています。それが交わりによって生ずる平和というものだからです。僕はいま身を清く保っていることを喜ばしく思っています。スノードロップが雪を愛するように、僕はそれを愛しています。僕はこの貞潔を愛しています。それは僕らの肉の交わりの休止と平和であり、二人のあいだの二叉の白い焔の咲かせたスノードロップなのです。そしてほんとうに春が来て、いっしょに暮らせるようになったとき、その時僕らは、この小さな焔をあかあかと、黄金色に燃えあがらせることができます。しかし、今ではありません。まだその時ではありません! 今は身を清らかに保っているべき時です。純潔であることは、魂の中に涼しい水の流れがあるように気持ちのいいことです。僕は今二人のあいだに流れているこの清らかさを愛します。それは新鮮な水か雨のようなものです。(中略)
 しかし僕らの大きな部分は共に生きているのです。僕らはそこに身を寄せて早く再会できるように、はからいましょう。ジョン・トマスは少しうなだれた姿で、しかし希望に満ちて、ジエイン夫人におやすみなさいを言っています」

DH.ロレンス,永峰勝男訳『新訳チャタレー夫人の恋人』彩流社(1999
「だから今、俺は貞節を大事にしている。と言うのも、それはセックスをやって生ずる安らぎなのだからだ。俺は今貞節を守っていることが楽しい。まつ雪草が雪を楽しむように、それを楽しんでいる。俺は二叉に分かれた白熱の火のようなまつ雪草のように、今俺達の間にあるこの貞節を楽しんでいる。それは交接後の安らかな休止なのだ。そして本当の春が来た時、互いに抱き合うことが出来た時、その時俺達は交接して、あの小さな炎を燦然と、黄色に輝かすことが山来るのだ。しかし今は駄目だ。まだ駄目だ、今は禁欲を守るべき時だ。禁欲して貞節であるのは俺の心に清涼な水が流れているように、とてもよいことだ、今二人の間に貞節が流れているからこそ、俺は貞節を大切にする。それは新鮮な水や雨のようなものだ.(中略)
「しかし俺達の大部分は一緒にいる.そしてその現状に従って行動し,早く会えるように舵取りをして,進んでいくほかない.ジョン・トーマスは少しうなだれてはいるが,しかし心に希望を抱いて,ジェーン夫人にお休みと言うよ」

DH・ロレンス,武藤浩史訳『チヤタレー夫人の恋人』筑摩書房(2004
「だから、今のおれは、おまんこからもらった安らぎゆえに、貞節を愛している。貞節であることを愛している。スノードロップの花が雪を愛するように、おれもそのことを愛している。おれたちのおまんこの安らぎの休止であるこのおれたちの間の貞節を、先の割れた白い炎のスノードロップのように愛している。それで、本当の春がやって来たら、二人が一つになることができたら、その時は二人でおまんこして、小さな炎を黄色く輝かして輝かしてやればいい。でも、今は違う、今はまだだ! 今は貞節の時で、おれの魂を流れる涼やかな川のように、貞節であることはすばらしい。それが二人の問を流れているからこそ、おれはその貞節を愛している.新鮮な水と雨のようだ。(中略)
 でも、二人の大部分は今でも一緒なのだから、俺たちはそれを信じていって、近い内に又会えるように、舵を取っていこう。チンスケしゃんは、ちょっとうなだれて、でも希望に満ちた心で、マン姫しゃんにおやすみと言っています。」

DH・ロレンス,木村政則訳『チャタレー夫人の恋人』光文社(2014
「だから、いまの僕は貞節を好ましく思っています。交わりから生まれた平穏のおかげです。いまは純潔を愛しています。マツユキソウが雪を愛するように、この貞潔を僕は愛しています。それは二人の交わりによる安息であり、いまはマツユキソウのように真っ白な二叉の炎となって二人のあいだをつないでいます。やがて本物の春が訪れ、また一緒に暮らせるときが来たら、その小さな炎を交わりによって黄色く光り輝かせましょう。しかし、まだいけません。いまは慎むときだから。貞節というのは清らかなものです。魂のなかを冷たい水が流れていく心地がする。いまは二人のあいだを走るこの清冽な流れを大切にしたい。それはまるで新鮮な水、降ったばかりの雨のようです。(中略)
 ともあれ、二人はすでに一心同体なのだから、そのことだけを信じ、再会に向けて舵を切っていきましょう。ジョン・トマスがジェインにおやすみと言っています。少しうなだれてはいるけれど、希望を胸に秘めて」


 和訳本における植物名は,特に英国自生の野草では該当する日本産植物がない事もあって,適切な訳は難しい.特にこの書に多く登場する “anemone” は,「アネモネ」と訳すと,色とりどりの大きな花を着ける Anemone coronaria を想起するが,英国の野草としては白い小形の花をつける wood anemone (A. nemorosa) が一般的で,これにはヤブイチゲという和名があるものの,一般的ではなく,むしろニリンソウ(A. flaccida)と訳した方がよりイメージに近いと思われる.

1. Anemone coronaria  Eeden, A.C. van, Album Eeden (1872-1881), t. 21 p. 15
  2. Anemone nemorosa  Dreves, J.F.P.,et. al., Bot. Bilderb. vol. 1 (1794), t. 2
  3. Anemone nemorosa var. pleno 八重咲ヤブイチゲ 植栽 2014
  4. Anemone flaccida ニリンソウ 筑波山 2000

また上記訳書の複数の植物名を比較すると,全くの誤訳がないとは言えないが,原文の “creeping-jenny” や “campion”,“woodruff”,” burdock” の訳に苦心しているのが伺える.総じていえば,木村政則訳『チャタレー夫人の恋人』光文社(2014)が,読みやすく,英文に近い名称で訳していると評価できよう.(後述)