2016年5月10日火曜日

ツリフネソウ-4 マンドレイク, ツタンカーメン,旧約聖書 創世記・ソロモンの雅歌,ヨセフス「ユダヤ戦記」,フロンティヌス「戦術書」ハンニバル軍

Impatiens textorii
ツリフネソウ 2004年10月 渡良瀬遊水地
前記事にあるように,ツリフネソウは『本草綱目』にある「坐拏草」と誤考定されていたが,坐拏草の本体は現在でも不明とされる.一方その項の附録にある「押不蘆」は,その記述のもとになった資料から,欧州の伝説的霊薬「マンドレイク(Mandrakeマンダラゲ)」に該当するように思われる.地中海域・中近東原産のナス科の有毒植物マンドレイク(Mandragora officinarum & sp.)は,古くから鎮痛・麻酔剤,睡眠剤,催淫剤,懐妊誘起剤そして致死性の霊草として認識されていた.

古代エジプト第18王朝の若くして亡くなったファラオ,ツタンカーメン(紀元前1342 - 紀元前1324頃,在位:紀元前1333 - 紀元前1324頃)の墓から発見された,埋葬時にささげられた花束には,ヤグルマギクなどと共に,マンドレイクの実のついた茎が入っていて,これらの植物の開花や結実の時期から,埋葬されたのは,三月中旬から四月下旬と推定されている.マンドレイクはナイル流域には自生しないことから,中近東から移入され庭園で栽培されていたと思われる.(H. Carter “The Tomb of Tut-Ankh-Amen: Discovered By The Late Earl Of Carnarvon And Howard Carter, Volume II”, Cambridge Library Collection
スカラベとマンドレイク
+スイレンの腕輪

また,マンドレイクをモチーフにした壁画や,腕輪(右図)などの装飾品,調度品等の副葬品が多く発見されていて,特に王妃アンケセナーメンがその実の束を王に手渡している絵(左図)からも,当時からこの実は「愛」の象徴とされていたと考えられている.また,軟膏を入れる貴石製の容器には,様式化されたマンドレイクの根が描かれ,鎮痛薬としてマンドレイクの根が配合されていた可能性を示唆する.

★『旧約聖書』の「創世記 第三十章 14節」に,” During wheat harvest, Reuben went out into the fields and found some mandrake plants, which he brought to his mother Leah. Rachel said to Leah, Please give me some of your son’s mandrakes.と,ヤコブの第一夫人のレアの息子,ルベンが野から持ってきたマンドレイクを,第二夫人のラケルが受胎のためにもらい受けたとの説話が記されており,文語訳,口語訳聖書ではそれぞれ,「戀茄(こひなす)」「恋なすび」と和訳されていて,受胎誘起作用が期待されている.ただし中世から,まだ幼いルベンが摘んできた植物は,マンドレイクではなく,花の美しい他の植物ではないかとの異論もある(Geralde).
また,ソロモン王(紀元前1011年頃 - 紀元前931年頃)が詠ったとされる「ソロモンの雅歌 第七章 13節」には,” The mandrakes give forth fragrance, and beside our doors are all choice fruits, new as well as old, which I have laid up for you, O my beloved. とあり,それぞれ「戀茄」「恋なす」と訳されていて,果実のリンゴに似た香りには催淫作用があるようにも読める.

帝政ローマ期の政治家及び著述家,フラウィウス・ヨセフスFlavius Josephus, 37 - 100頃)の★『ユダヤ戦記 “The Jewish War”』の 紀元 70 年のエルサレム陥落を描写した第六章には,エルサレムの近くのバアラス(Baaras)という土地には,同名の植物が生育していて,その根には魔に取りつかれた病人から悪魔を追い出す効果がある.しかし,根の採取には,犬を使わないと危険であると,歐州中世のマンドレイクの伝説に通じる記載があり,このバアラスがマンドレイクであろうと考えられている.

” But still in that valley which encompasses the city on the north side there is a certain place called Baaras, which produces a root of the same name with itself its color is like to that of flame, and towards the evenings it sends out a certain ray like lightning. It is not easily taken by such as would do it, but recedes from their hands, nor will yield itself to be taken quietly, until either the urine of a woman, or her menstrual blood, be poured upon it; nay, even then it is certain death to those that touch it, unless any one take and hang the root itself down from his hand, and so carry it away. It may also be taken another way, without danger, which is this: they dig a trench quite round about it, till the hidden part of the root be very small, they then tie a dog to it, and when the dog tries hard to follow him that tied him, this root is easily plucked up, but the dog dies immediately, as if it were instead of the man that would take the plant away; nor after this need any one be afraid of taking it into their hands. Yet, after all this pains in getting, it is only valuable on account of one virtue it hath, that if it be only brought to sick persons, it quickly drives away those called demons, which are no other than the spirits of the wicked, that enter into men that are alive and kill them, unless they can obtain some help against them.” (“The Works of Flavius Josephus, Translated by William Whiston, [1737]”).

陥落するエルサレム エルコレ・デ・ロベルティ(Ercole de' Roberti, 1451頃 - 1496)
「町を囲む北側の渓谷にバアラスという場所があり、そこでは同名のバアラスと呼ばれる根茎が成育している。その色は燃えあがる炎のような色で、夕方に明るい光を発する。引き抜こうとして近づいて触れようとするとその手を避け、婦人の小水や月のものをふりかけると静止する。しかし、そのときでも、直接手でさわるのはきわめて危険で命にかかわる。そこで触れないように充分注意して根を引き抜かねばならない。危険を避けるもう一つの採集方法は次のようなものである。まず、周囲の土を全部掘り起こし、根のわずかの部分だけが土でおおわれている状態にする。そして犬をそれに縛りつけると、犬が縛りつけた者を追いかけようと飛び出そうとするが、その瞬間根は簡単に引き抜ける。しかし犬はそれを引き抜こうとした者の身代りになったかのように即死する。
〔一度引き抜けば〕手で扱っても安全である。この植物はこのように危険きわまりないものにもかかわらず、人びとに珍重される治癒力が認められている。すなわちこの根を病人の患部に当てるとそうしただけで、悪鬼(デイモニア)と呼ばれるもの - それは邪悪な者たちの霊で、生きている者〔の肉体〕に入り込み、手当てしなければ死ぬ - がたちどころに追い出されるからである。」(フラウイス・ヨセフス著,秦剛平訳『ユダヤ戦記 III』(1997)山本書店)

冬のアルプスを象と共に超えてローマに進攻した逸話で有名なカルタゴの猛将ハンニバル・バルカ(Hannibal Barca, 247 B.C. – 183/182 B.C. の部下マハルバルMaharbal)は,反乱を起こしたアフリカの一種族に,彼らが酒好きなのを知って,マンドレイクを入れたワインの甕を残して敗退を装って陣地を明け渡した.その後,勝利の美酒に酔いしれ,マンドレイクの麻酔作用で無力になった敵軍を散々に打ちのめしたと,フロンティヌス(Sextus Julius Frontinus, 40 A.D. – 103 A.D.)はその著書★『戦術書 “Stratagems”』の第二巻に記している.
“Maharbal, sent by the Carthaginians against rebellious Africans, knowing that the tribe was passionately fond of wine, mixed a large quantity of wine with mandragora, which in potency is something between a poison and a soporific. Then after an insignificant skirmish he deliberately withdrew. At dead of night, leaving in the camp some of his baggage and all the drugged wine, he feigned flight. When the barbarians captured the camp and in a frenzy of delight greedily drank the drugged wine, Maharbal returned, and either took them prisoners or slaughtered them while they lay stretched out as if dead. ”Sextus Julius Frontinus: Stratagems” Loab edition, 1925 Translated by Charles E. Bennett. )「私訳:カルタゴからアフリカの反乱軍鎮圧に送られたマハルバルは,その部族がワインに目のない事を知って,毒死と催眠作用をもたらす中間の量のマンドレイクを混入したワインを大量に用意した.見せかけの小競り合いの後,彼はわざと敗退した.真夜中にいくつかの荷物と,薬物を混入したワインとを幕営地に残して,退却を装った.野蛮人たちがキャンプを占領し,大喜びでそのワインをウワバミの如く飲んだ時,マハルバルは戻ってきて死んだように寝込んでいる彼らを捕虜にしたり,虐殺したりした.」

地中海沿岸に自生している薬効の大きなこの植物は,古くから薬剤としての効用と共に,ふしぎな伝説を付け加えられて記録に残る.次は古代ギリシャ・ローマの著作のいくつからマンドレイクの記事を記す.

2016年5月2日月曜日

ツリフネソウ-3 坐拏草,押不蘆.本草綱目,頭註国訳本草綱目,本草圖經,三才圖會,本草綱目啓蒙,志雅堂雜鈔,癸辛雜志,押不蘆=マンダラゲ?

Impatiens textorii
2004年10月 渡良瀬遊水地
前記事にあるように,江戸末期から明治の著名な本草家,岩崎灌園や小野職愨(小野蘭山の玄孫),白井光太郎は「ツリフネソウ」=「坐拏草(ザドソウ)」と考え,牧野富太郎も一時この考定を採用した.この「坐拏草」は,『本草綱目卷十七 草之六 毒草類」には現れる.しかし,貝原益軒や稲生若水の和刻では,対応する和名が記されておらず(下左図),小野蘭山の「本草綱目啓蒙」でも「坐拏草 詳ナラズ。〔附録〕押不蘆 詳ナラズ」と和名は記されていない.後年牧野はこの考定を取り消し,現在では誤りとされている.本草綱目で「鳳仙」の次の項に記され,紫色の花をつけるという事から,ツリフネソウに誤考定されたのかもしれない.
この『本草綱目』にある「坐拏草」及びその項の附録である「押不蘆」はどのような薬草であったのだろうか.

稲生若水校本 (1714) NDL
本草綱目 卷十七 草之六 毒草類四十七種』には,「坐拏草 (宋《圖經》)
【集解】頌曰生江西及滁州。六月開紫花結實。采其苗入藥,甚易得。後因人用有效,今頗貴重。
時珍曰按《一統志》云出吉安永豐縣。
【氣味】辛,熱,有毒。
【主治】風痺,壯筋骨,兼治打撲傷損(蘇頌)。
【發明】頌曰《神醫普救方》治風藥中已有用者。
時珍曰危氏《得效方》麻藥煮酒方中用之。《聖濟錄》治膈上虛熱,咽喉噎塞,小便赤澀,神困多睡,有坐拿丸。用坐拿草、大黃、赤芍藥、木香、升麻、麥門冬、黄耆、木通、酸棗仁、薏苡仁、枳殼等分,為末,蜜丸梧子大。每服二十丸,麥門冬湯下。
【附錄】押不蘆
時珍曰按周密《癸辛雜志》云 漠北回回地方有草名押不蘆。土人以少許磨酒飲,即通身麻痺而死,加以刀斧亦不知。至三日,則以少藥投之即活。 御藥院中亦儲之。貪官吏罪甚者,則服百日丹,皆用此也。昔華陀能刳腸滌胃,豈不有此等藥耶」
とある.

この項を★『頭註国訳本草綱目』白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳)(1929)春陽堂では,
「坐拏草*1 (宋圖經) 和名 なし,學名 未詳, 科名 未詳
集解 頌曰く、江西、及び滁州に生ずる。六月紫色の花を開いて實を結ぶ。その苗を採つて藥に入れる。甚だ得易いものだつたが、後世では一般にこれが有效なので、今では頗る貴重視される。時珍曰く、按ずるに一統志に『吉安、永豐縣に産す』とある。
【氣味】辛し、熱にして毒あり
【主治】風痺。筋骨を壯にし、兼ねて打撲傷損を治す。(蘇頌)
【發明】頌曰く、神醫普救方の治風藥中に已に使用された事實がある。
時珍曰く、危氏得效方の麻藥煮酒の方中にこれを用ゐてある。聖濟錄には治膈上の虛熱、咽喉噎塞、小便赤澀、精神困憊の多睡を治する藥に坐拏丸(ざぬぐわん)といふのがあつて、それは坐拏草、大黃、赤芍藥、木香、升麻、麥門冬、黄耆 、木通、酸棗仁、薏苡仁、枳殼等分を末にして蜜で梧子大の丸にし、二十丸づつを麥門冬湯で服するのである。
【附錄】押不蘆*2 時珍曰按ずるに周密の癸辛雜志に「漠北、囘囘地方*3 に押不蘆(あふふろ)といふ草があつて、その地では、その草少量を酒に磨つて飲ませる。すると直ちに全身が麻痺して死亡し、凶器で斬られても知覺がなくなる。しかし三日經過してから別に少量の藥を投ずると、また直ちに活きるといふ」とある。 御藥院中にもやはりこれを貯蔵してあつて、貪官吏にして罪の甚しい者に服ませる百日丹に皆これを用ゐてある。昔、華陀は能く腸を刳(えぐ)り、胃を滌(あら)つたといふが、これ等の藥を用ゐたものではあるまいか。」と訳している.
*1 牧野云フ,坐拏草ハ不明ノ植物デアル.之レヲほうせんくわ科(鳳仙科)ノつりふねさう(Impatiens textorii)ニ充ツルハ謂ワレガナイ.
*2 牧野云フ,押不蘆ハ不明ノ品デアル.
*3 囘囘ハ石部青琅玕ノ註ヲ見ヨ.(本叢書の該当部には「囘囘ハ古代ノ國名.唐書ノ所謂貨勒自彌(クワラツム)國ニシテ宋ノ時突厥此ニ國ヲ建テ,元ノ太祖ニ滅サル.今ノ波斯ノ地ナリ」とある.)

前記事に述べたように,牧野は『増訂草木図説 草部』(1912) においては,「坐拏草=ツリフネソウ」との岩崎灌園の見解を踏襲していたが,この書(1929)では,「坐拏草ハ不明ノ植物デアル.之レヲほうせんくわ科ノつりふねさうニ充ツルハ謂ワレガナイ」とこの考定を否定した.

『本草綱目』で引用されている★『本草圖經』は,北宋の嘉祐年間 (1061) に蘇頌が編撰した,中國に現存する最も早く版刻された本草圖譜である.その「本經外草類卷第十九」には,「坐拿草
生江西及滁州。今頗貴重。神醫普救治風方中,已有用者。」とあり,これが『本草綱目』に引用されていると思われる.左図は後世の和書 貝原益軒『校訂本草項目図上』より(NDL).

また,★宋の太医院編『聖濟總錄 卷第一百二十七』(1117)には,切り傷治療の貼り薬として「如瘡口未合,用後膏藥。坐拿草半兩上一味,搗羅為細末,用粟米少許,將酒煮成稀粥,濾取濃汁,入前藥調勻為膏,塗於帛上貼之,不得動換瘡口,永瘥。」との処方がある.

★明王圻 (1592-1612) 纂集『三才圖會 全百六卷』萬暦371609)序刊の,『巻之草木五』には「坐孥草
坐孥草生江西及滁州六月開紫花結實采其苗爲藥
打撲所傷兼壯筋骨治風痺」
と図と共に記載されていて,これも『本草綱目』の引用元かもしれないが,その図は『本草圖經』のそれとは異なる(右図,NDL).

一方,日本の★小野蘭山口述『重訂本草綱目啓蒙(1803-1806) の「巻之十三 草之六 毒草類」には,
坐拏草  詳ナラズ。〔附録〕押不蘆 詳ナラズ。
続医説、引志雅堂雑抄云、回回国之西産一物、極毒、全似人形、如人参之状、其名謂之押不蘆、生於地中、深数尺、取之者、若傷其皮、則毒気着人必死、取之之法、先開大坑、令四傍可一レ人、然後軽手以皮条之、繋皮条於大犬之足、可既而用杖打犬、犬奔逸、則此物抜起、犬感其気即斃、然後別埋他土中、經歳取出曝乾、別用藥以製之云云。」とあり,「坐拏草」についてはあっさりと「詳ナラズ」と片付け,一方,附録の「押不蘆」については,はるか西方に産する猛毒の植物で,抜くには犬の犠牲が必要という宋末・元初の文人,周密 (123298) の『志雅堂雑抄』を引用してかなり詳しい.

仮に訳すと「〔附録〕押不蘆 不詳である。『続医説』に、『志雅堂雑抄』を引用して云うには、「回回国の西に一物が産する.極毒で,その形は人の形にそっくりで,(朝鮮)人参の様である.その名を「押不蘆」と云う.深さ数尺の地中に生育し,これを取る者が,若し其の皮傷をつけると,すぐ毒気が人に着き,必ず死ぬ.これ取る方法は、先ず四方に人が入れるほどの大きな坑を開きそののち,軽手(不詳)で,皮ひもをこれに絡め,このひもを大きな犬の足につなぐ.杖で犬を打ち,犬が逃げ走り出すと,此物がぬける.犬は其の気を感じてすぐさま斃れる.その後に別に他の土中に埋めて,一年ほど経てから取出して日に曝して乾し、薬物を製造するのに用いる.云云。」

蘭山が押不蘆の一次出典としている,周密* (123298)の『志雅堂雜鈔』の該当部を見たところ,より詳しい記述が見つかった(右図).即ち

囘囘國之西數干里地一物 極毒全似人形如人參之狀 其名押不蘆 生于地中探數丈或從 傷其皮則毒之氣著人必死 取之之法則 先開大坑令四旁可容人 然後輕手以皮條結絡之 其皮條之前則繫于大犬之足 既而用杖打犬 犬奔逸則此物拔起 犬感此氣即斃 然後別埋他土中 經後取出暴乾別用藥以製之 其性以少許磨酒飲人 即通身麻痺而死 雖刀斧加之不知 也然一日別以少藥投之即活蓋古者華陀能刳腸滌藏治疾者 蓋因此藥也 聞今時御藥院中亦有二枚 此神藥也 曰玉廷聞之盧松崖云」

時珍が引用している同人の『癸辛雜識 續集上』には「○押不蘆 囘囘國之西數千里地,一物極毒,全類人形,若人參之狀,其酋名之曰押不蘆.生土中深數丈,人或誤觸之,著其毒氣必死.取之法,先於四旁開大坎,可容人,然後以皮條絡之,皮條之系則系於犬之足.既而用杖擊逐犬,犬逸而根拔起,犬感毒氣隨斃.然後就埋土坎中,經,然後取出曝乾,別用他藥制之.每以少許磨酒飲人,則通身麻痺而死,雖加以刀斧亦不知也.至三日後,別以少藥投之即活,蓋古華陀能刳腸滌胃以治疾者,必用此藥也.今聞御藥院中亦儲之,白廷玉聞之盧松崖.或云 今之貪官吏贓過盈溢,被人所訟,則服百日丹者,莫非用此.」とほぼ同様の記事がある.(出典:いずれも中国哲学書計画)

*周密 (123298) 中国,宋末・元初の文人.字は公謹,号は草窓.浙江省呉興の出身,原籍は済南.宋末に任官したが,滅亡後は隠退して風雅の生涯を送った.歌辞文芸,詞の作家として有名.

この押不蘆の特徴をまとめると,「原産地はペルシャより西数千里で,非常に有毒.根の形は人にそっくりで,地中深くに産する.人が誤って触れると死に至る.採るには,犬の足に革紐で結びつけ,杖で犬を打って走らせて抜く.犬は毒に感じてすぐ死ぬ.
採取した根は一年以上土中に埋め後,日に曝して乾かして薬物とする.磨った粉を少しだけ酒に混ぜて飲ますと,その人は麻痺して死んだようになり,刃物で切り付けても感じない.三日後にまた少量を服用させると生き返る.」

これらの特徴は,微妙な違いはあるものの,中世の欧州のマンダラゲMandrake, Mandragora officinarum L.)の伝説と合致する所が多い.例えば,12世紀の英国の詩人 Philip de Thaun ” Bestiaire” には, この薬草の不思議な特性の記述があるので,欧州から西域経由でマンダラゲがその伝説と共に中国に伝来し,押不蘆として記録されたのであろう.いろいろ調べてみたが,押不蘆の記事はこれ以降の中国本草書・植物誌には見いだせなかった.

2016年4月28日木曜日

ツリフネソウ-2 坐拏草 本草圖譜,本草図譜名疏,草木図説,草木図説目録,増訂草木図説

Impatiens textorii
2006年9月 茨城県北部
前記事にあるように,江戸末期から明治にかけて「ツリフネソウ」の漢名として「坐拏草」を記した植物書がある.岩崎灌園や小野職愨(小野蘭山の玄孫),白井光太郎はこの漢名を採用し,牧野富太郎も一時この考定を記録した.この「坐拏草」は,『本草綱目卷十七 草之六 毒草類」には現れる.しかし,貝原益軒や稲生若水の和刻では,対応する和名が記されておらず,小野蘭山の「本草綱目啓蒙」でも「坐拏草 詳ナラズ。〔附録〕押不蘆 詳ナラズ」と特定の植物は考定されていない(後述).後年牧野はこの考定を取り消し,現在では「ツリフネソウ=坐拏草」は誤りとされている.

★岩崎灌園(17861842)『本草圖譜 巻之二十三 毒草部』(刊行1828-1844)
一種 うづらぐさ,  一種 白花つりふねさう,  坐拏草 (NDL)
坐拏草(ざどさう)
つりふねさう よこくもさう ほらかひさう
武州道潅山水濕の地に多し春月實より生す莖ハ鳳仙に似て紅色葉濶し鋸歯あり
夏秋の間花あり形又鳳仙に似て紅色實又鳳仙に似て細し葉莖味ひ微し酸しよこくもさうを充るハ古説なり鳳仙の次の條にありて坐拏の形をいふものか又楚頌の説に六月開紫花結レ實采其苗藥甚易得と云ふあり」
「一種 白花つりふねさう
摂州及江戸稀にあり形状全種と異ることなし但莖淡緑色にして花白色なり」
「一種 うづらぐさ きつりふね
相州大山邉に多く實より生ず莖ハ鳳仙に似て細く透徹す葉は薄荷に似て鋸歯粗く紫の斑ありて鶉の羽に似たり故にうづら草の名あり
花ハ夏月開く形坐拏草(ヨコクモサウ)に似て黄色實も似たり實に觸れハ急に裂破れて實飛散る」

★本草図譜刊行会『本草図譜名疏 巻之二十』(1916-1921),和名考訂 白井光太郎,學名考訂 大沼宏平
「解説 坐孥草
〔和名〕つりふねさう. 一名 よこくもさう. 一名 よこむらさき(大田澄元,本草記聞), 一名 ほらかひさう(本草要正)
(學名)Impatiens textorii Miq.
一種 白花つりふねさう*
(學名)Impatiens textorii Miq. var albiflora K. Ohnuma
一種 うづらぐさ. 一名きつりふね.(學名)Impatiens noli-tangere L.

*和名:シロツリフネ(Impatiens textorii Miq. f. pallescens (Honda) H.Hara)か?

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(成稿 1852年ごろ,出版 1856 - 1862

黄ノツリフ子サウ, 紫ノツリフ子サウ, 上条一種 (NDL)
「黄ノツリフ子サウ 鳳仙花ノ属
溪間濕地ニ生ス.莖二三尺多液柔滑ニシテ節々膨起シ。有柄葉ヲ互生ス形橢圓ニシテ粗鋸齒アリ。色淡緑ニシテ光ナク。往々暗赭色ノ斑アルモノアリ。夏梢葉腋ニ寸餘ノ花莖ヲダシ。数梗ニ分レテ葉間ニ垂レ毎頭一花ヲ下垂ス。蕚圓尖二葉。花体螺ノ如ク尖尾長シテ曲リ唇大ニシテ二辧。帽小ニシテ一辧。ソノ状頗ル奇ナリ。故ニホラガヒサウノ名アリ。黄色ニシテ裏ニ赭赤ノ細點アリ。雄莖五莖帽唇相會スル処ニツキ。子室ヲ圍ミ葯下ニ至テ共ニ併合ス。葯亦相摂スルコト鳳仙花ト轍ヲ同ウス。子室角様ニシテ尖鋭。熟後折開スルコト亦鳳仙花ト同シ 附蘂廓大圖
第七種
Impatiens noli-tangere(インパチーンス ノリ タンゲレ)羅 Europisch Springzaad(エウロピス スプリングサード)蘭
Croydeken en Roert my niet.(コロデケン エン ルールト メイ ニート)鐸氏*
*書中又時々鐸氏ト云フ是レ「ドドネウス」氏(Rembertus Dodonoeus 即チ R. Dodoenus)ニシテソノ書ハ Cruydt-boeck ナリ西暦一千六百十八年(元和四年)和蘭国「ライデン」府ニ於テ出版セルモノナリ.(牧野富太郎『増訂草木圖説』「巻末ノ言」)
紫ノツリフ子サウ
大段黄花ノ品ト同シテ。葉稍大ニ形尖鋭ニシテ鋸齒細密。色深緑莖柄共ニ紅紫色ヲ帯フ花形黄花ノ者ト同ジケレドモ尖尾巻囘シ。辧色淡紅紫。體尾ニ於テハ差浅ク。裏面ニ紫細點アリ生殖部黄花ト同シ
按上条ノ一種ニシテ西書ニ在テ未ダ此種ヲ説ヲ見ズ」
上条一種
木曽山中水側濕地ニ生ス。形状都テ紫ノツリフ子サウニ同ウシテ小。高僅ニ尺許。花最小ニシテ短ク。嘴下ニ曲テ後ヘノビず。間最短キヲ交ウ。両廓大圖ヲ以テ其状ヲ示ス。五雄蘂平扁ニシテ子状ニ起リ。葯下ニ於テ各蘂分岐シテ互ニ相連ル。葯白色。子室細長ニシテ鮮緑色。一柱ヲナシ柱頭亦白色
按西書ニ在テ未ダ此種ヲ説ヲ見ズ」

 
★田中芳男, 小野職愨 選『草木図説目録. 草部』(1874)博物館
「(六五)キツリフ子 吊胡蘆〔鳳仙科〕
(65) KI-TURIFUNE. (BALSAMINACEA)
IMPATIENS NOLI-TANGERE L.
(六六)ツリフ子サウ 坐拏草〔鳳仙科〕
(66) TURIFUNESŌ. (BALSAMINACEA)
IMPATIENS TEXTORI MIQ.
(六七)ミヤマツリフ子  〔鳳仙科〕
(67) MIYAMA-TURIFUNE. (BALSAMINACEA)
IMPATIENS PARVIFLORA. D. C..

小野職愨(もとよし)(1838 – 1890) 幕末-明治時代の植物学者.小野職孝(もとたか)の子.小野蘭山の玄孫.蘭山や父の影響をうける.維新後大学南校(東大の前身)にまなび,文部省博物局にはいる.近代植物学の普及につくし,「新訂草木図説」「毒品便覧」などをあらわした.

田中芳男 (1838 – 1916) 幕末-明治時代の博物学者,官僚.伊藤圭介に師事.蕃書調所にはいり,慶応3年パリ万国博覧会に参加.維新後は文部省,内務省,農商務省で博覧会開催や博物館の建設,殖産興業につくす.駒場農学校の創立,大日本水産会,大日本農会の設立などにも貢献.著作に「有用植物図説」など.

★故飯沼著述 牧野富太郎 再訂増補 四輯『増訂草木図説 草部(1912) 成美堂
「○第六十三圖版
キツリフ子 吊胡蘆
Impatiens noli-tangere L.
ホウセンクワ科(鳳仙科) Balsaminacea
溪間濕地ニ生ズ、莖二三尺多液柔滑ニシテ節々膨起シ、有柄葉ヲ互生ス形橢圓ニシテ粗鋸齒アリ、色淡緑ニシテ光ナク、往々暗赭色ノ斑アルモノアリ、夏梢葉腋ニ寸餘ノ花莖ヲダシ、数梗ニ分レテ葉間ニ垂レ毎頭一花ヲ下垂ス、蕚圓尖二葉、花體螺ノ如ク尖尾長シテ曲リ唇大ニシテ二辧、帽小ニシテ一辧、ソノ状頗ル奇ナリ、故ニホラガヒサウノ名アリ、黄色ニシテ裏ニ赭赤ノ細點アリ、雄莖五莖帽唇相會スルノ處ニツキ、子室ヲ圍ミ葯下ニ至テ共ニ併合ス、葯亦相摂スルコト鳳仙花ト轍ヲ同ウス、子室角様ニシテ尖鋭、熟後折開スルコト亦鳳仙花ト同ジ、附蘂廓大圖
第七種
Impatiens noli-tangere(インパチーンス ノリ タンゲレ)羅 Europisch Springzaad (エウロピス スプリングサード)蘭
Croydeken en Roert my niet.(コロデケン エン ルールト メイ ニート)鐸氏」
「○第六十四圖版
ツリフ子サウ 坐拏草
Impatiens Textori Miq.
ホウセンクワ科(鳳仙科) Balsaminacea
大段黄花ノ品ト同シテ、葉稍大ニ形尖鋭ニシテ鋸齒細密、色深緑莖柄共ニ紅紫色ヲ帯ブ花形黄花ノ者ト同ジケレドモ尖尾巻囘シ、辧色淡紅紫、體尾ニ於テハ差浅ク、裏面ニ紫細點アリ生殖部黄花ト同ジ、
按上条ノ一種ニシテ西書ニ在テ未ダ此種ヲ説ヲ見ズ、」
「○第六十五圖版
ミヤマツリフ子
Impatiens japonica Franch. et Sav.
ホウセンクワ科(鳳仙科) Balsaminacea
木曽山中水側濕地ニ生ズ、形状都テ紫ノツリフ子サウニ同ウシテ小、高僅ニ尺許、花最小ニシテ短ク、嘴下ニ曲テ後ヘノビズ、間最短キヲ交ウ、両廓大圖ヲ以テ其状ヲ示ス、五雄蘂平扁ニシテ子状ニ起リ、葯下ニ於テ各蘂分岐シテ互ニ相連ル、葯白色、子室細長ニシテ鮮緑色、一柱ヲナシ柱頭亦白色、
按西書ニ在テ未ダ此種ヲ説ヲ見ズ、