2022年5月12日木曜日

ウラシマソウ-1 江戸以前 於保々曽美,虎掌.本草和名,和名類聚抄,医心方,本草色葉抄,下学集

Arisaema urashima

サトイモ科テンナンショウ属のウラシマソウは,仏炎苞に包まれた肉花穂の上部の付属体の先が糸状に長く伸び,その様子を浦島太郎の釣り糸に見立てて名づけられた.古くはオホホソミ(於保々曽美)と言われ,漢方の「虎掌」と考定されていた.なお,カラスビシャク(Pinellia ternata)の古名がホソクミ(保曽久美)であるので,オホホソミ(於保々曽美)とは大型のカラスビシャクのオホホソクミの意味で,その転訛であろうか.

虎掌は,『神農本草經』(後漢(25-220)から三国(220-263)の頃に成立)にも記載される,古代から知られた薬草で,この書の「虎掌」には「味苦。溫、生山谷。治心痛。寒熱結氣。積聚伏梁。傷筋痿拘緩。利水道。」とある.日本に飛鳥初期までに伝来されたと考えられる陶弘景の『本草経集注(500頃成)の「虎掌」には性状として「近道亦有,極似半夏,但皆大,四邊有子如虎掌」とあり,奈良時代に渡来し,以降,平安時代にかけて本草書の標準になったと考えられる,唐の蘇敬が著した『新修本草』(659成)には,「虎掌」の性状として,「〔謹案〕此藥,是由跋宿者,其苗一莖,莖頭一葉,枝丫夾莖。根大者如拳,小者若卵,都似扁柿,四畔有圓牙,看如虎掌,故有此名。其由跋是新根,猶大於半夏二、三倍,但四畔無子牙耳」とある.
 これらの記述,及び/或は渡来した「虎掌」を基に,於保々曽美(ウラシマソウ)と考定されたのであろう.


深根輔仁撰『本草和名』(918頃成)は,現存する日本最古の本草薬名辞典である.本書は『新修本草』の薬物名とその配順に従い,70余の中国書から薬物の別名を網羅.各々には和名を同定して万葉仮名で記し,国産のあるものは産地まで記してある.中国本草学の本格的受容は,まさしく同書によって口火が切られたといえよう.
この書の〈十
/草〉には,『本草経集注』を引用し「虎掌」を記述し,和名は「於保々曾美」であるとした.また,「半夏」の和名として「保曾久美」(ホソクミ)とある.

  虎掌 陶景注云四畔有圓牙如看虎掌故以名之 一名虎卷 出釋藥 和名於保々曾美


★源順(みなもとのしたごう)編『和名類聚抄』は,平安時代中期の承平年間(931 - 938年)に,順が勤子内親王の求めに応じて編纂した辞書で,中国の分類辞典『爾雅』の影響を受けている.名詞をまず漢語で類聚し,意味により分類して項目立て,万葉仮名で日本語に対応する名詞の読み(和名・倭名)をつけた上で,漢籍(字書・韻書・博物書)を出典として多数引用しながら説明を加える体裁を取る.今日の国語辞典の他,漢和辞典や百科事典の要素を多分に含んでいるのが特徴.

この書の「二十/草」には,「虎掌 陶隱居云虎掌 和名於保保曾美 四畔有圓牙如看虎掌故以名之」と,前書と同じ記述がされていて,また,「半夏」の和名として「保曾久美」とある.

★丹波康頼 (912 - 995) 撰『医心方』(984)は,平安時代の宮中医官である鍼博士丹波康頼撰による日本現存最古の医学書である.この書の「諸薬ノ和名 第十」には,「虎掌 和名於保々曽美」とある.


★惟宗具俊『本草色葉抄8巻(1284)は,平安の『本草和名』をさらに発展させた鎌倉時代の本草薬名辞典である.すなわち,漢音読みのイロハ順に配列した薬物につき,『大観本草』での記載巻次とおもな条文を記して検索の便がはかられている.また,それ以外の薬名も『本草和名』から転録するほか,独自に『本草衍義』(1119)など各種漢籍より引用する.出典にあげられた文献は転録も含め約140種で,うち平安末以降に新渡来の中国医書が18種ある.中でも漢方医学のバイブルとされる『傷寒論』の引用は注目に値し,日本へ渡来していた証拠記録として今のところ最も早い.

この書の〈古部第卅三 草部〉の部には,「●虎掌 「證?* 味苦溫有大毒主心痛積聚伏梁 唐本云此是由跋宿者其苗
             
一莖 一名天南星 冀州人菜圃中種之呼爲天南星 圖經**云天南星如本草所説即虎掌也小者爲由跋
同類也圖經云又有一種天南星」とあり,中国本草の引用のみで,和名は記されていない.
  *唐慎微撰『證類本草』(1082):『嘉祐補註本草』(掌禹錫,1060)と『図経本草』(蘇頌)の2書を合揉して処方を加えた書
  **蘇頌撰『図経本草』(1061


★東麓破衲編『下学集』(1444)は,日本の古辞書の一つ.著者は,序末に〈東麓破衲〉とあるのみで不明.京都東山建仁寺の住僧かといわれる.ただし,その成立には『壒囊鈔』と密接な関係があると推定される.内容は「天地」「時節」以下18の門を立てて,中世に行われた通俗の漢語の類を標出し,多くの場合それに注を加えてある.

この書の巻下之三「艸木門」第十四には,「虎掌 ヲホヽソミ」とある.また同じページに「半夏 ホソクミ」ともある.

江戸以前の記述では,虎掌の和名はヲホヽソミとあり,その記述は中国本草書の虎掌に基づく.故磯野慶大教授による「ウラシマソウ」の初出は,菊池成胤『草木弄葩抄』(1735)であるが,この書では虎掌=ウラシマソウとの記述はない. 

2022年4月25日月曜日

サクラソウ 地植え

 Primula sieboldii

二十年近く,自己流でサクラソウを鉢で育てていたが,品種や株が増えるにつれ,鉢での管理が難しくなり,一部は地植えに切り替えた.数年前,冬に鉢の水を切らして鉢植えの株の一部を枯らしてしまった.

当地の気候でも,環境にさえ気を付ければ(取手の鉄橋の下では,取手自然友の会が地植えにして繁殖させている),地植え栽培が可能なのではと考えて,思い切って地植えを主力に切り替えた.

サクラソウ(日本桜草)は,江戸時代から栽培され,色々な品種が生み出されたが,元はたった一つ,江戸の荒川の川岸に自生していたサクラソウである.従って地植えの育て方としては,自生地の環境をミミックするのがよろしいと思い

1. 夏の日中は,日陰になり,過度に高温になりすぎない(夏には河川敷には背の高い草が生い茂る)場所を撰ぶ.

2. 冬から春には,日光が十分にあてる(背の高い草は枯れて日光が当たる).

3. 土質は水はけがよいが,乾燥しすぎず,肥料分は多くはない(河川敷は砂が多く水はけはよいが,水は十分にある).

4. 花が終わったら,根元が隠れるくらい薄く土を掛ける(梅雨の時期には,川の増水により上流から流れてきた土が被る).


これを栽培の基本とし,ヤエベニシダレの影になる場所に鉢から移し,夏,サクラソウの葉が枯れた後は,株の間にノハカタカラクサ(黄葉種,左図)を植えて広がらせ,グランドカバーとした.早春には枯れたノハカタカラクサを取り除き,充分に日光が当たるようにした.

 地植え栽培を始めて4年,約30品種のサクラソウが四面の区域に元気に育ち,品種により僅かに開花時期は異なるものの,美しい花畑になっている.

 気を付けてはいるが,育土に窒素分が多いためか,鉢植えに比べて葉が大きくなり,花莖が伸びて,可憐さがやや失われてしまうのが残念ではある.

 しかし,朱・赤・桃・紫・白の花の混在のなすハーモニーも捨てがたく,ヤエベニシダレとの共婉も楽しめるので,春の風物詩としてご近所の花好きさん達にも好評である.

なお,冒頭画像左端の黄色いプリムラは英国原産の Primula veris である.

2022年2月26日土曜日

アマナ (10/10) 学名・異名(仮) シーボルト,グレイ,ミクェル,ベイカー,レヴェイエ,本田正次,ヤエノアマナ

Amana edulis

 

 アマナは日本・朝鮮半島・中国・北東ロシアに広く分布し,日本では古くから鱗茎が食用・藥用として利用されていた.

この植物に最初に学名をつけたのはシーボルトで,1830 年刊行の『バタビア芸術科学紀要』に日本名 Amana であり,Ornithogalum edule(食用)という種小名をつけて発表した.

日本に開国を迫ったペリーの北太平洋遠征隊(第1次)が浦賀・横浜・下田・函館の4地点で採集した多くの植物標本を整理し,米国政府によって出版された『ペリー日本遠征記』(Narrative of the Expedition of an American Squadron to The China Seas and Japan, 1856)の中の報告書の第二部に記述したエイサ・グレイAsa Gray, 1810 - 1888)は,横浜で採取したアマナをOrithiya oxypetala と同定した.

 シーボルトらの残した日本植物の腊葉などの資料整理したミクェルは,シーボルトが正式に判別文や記載文を残していなかったアマナを詳細に研究し,1867 年に属を変更して Orithyia edulis として『ライデン王立植物標本館紀要』に発表した.

英国の植物学者ジョン・ギルバート・ベイカーJohn Gilbert Baker, 1834- 1920)は,1874年に,ミクェルが帰属した属を変更し,Tulipa edulis として,” J. Linn. Soc., Bot.” に発表した.

1875年に M. Moore Journal of botany, British and foreign.” に,医師の G. Shearer が中国で収集した植物標本のアマナをもとにベイカー Tulipa graminifoliaの学名の新種としたとして記載したが,現在ではアマナの異名とされている.

1906年にフランスの聖職者・植物学者のレヴェイエは,中国からフランス人宣教師によって送られてきた標本を基に,バチカンで刊行されていた “Mem. Pontif. Accad. Romana Nuovi Lincei” に中国産のアマナに Gagea hypoxioides H.Lév.と命名したが,現在ではアマナの異名とされている.

1910年にレヴェイエは,ドイツで出版されていた “Repert. Spec. Nov. Regni Veg.” に朝鮮半島産のアマナに “Gagea coreana Lév..” の学名をつけ新種としたが,これも現在は異名とされている.

その後,1935年に本田正次博士が,アマナ属をたて,学名を Amana edulis (Miq.) Honda として『日本生物地理学会会報』に発表,これが現在の正名 accepted name となっている.

 2010年には千葉県で雄しべが弁化して重弁化したアマナが,谷城勝弘,市原通雄,岩瀬徹によって発見され,植物研究雑誌 J. Jap. Bot.” ヤエノアマナ Amana edulis f. duplexa として発表された.


 鎖国の江戸時代末期,出島のオランダ商館の医師として 1823 – 1829 年滞日して,多くの西欧の科学・医学の技術知識を日本に伝えたシーボルト(Philipp Franz von Siebold, 1796 - 1866)は,日本の有用植物に大きな関心を持ち,茶の種をバタビアに生きたまま送る事に成功したことでも知られる.この有用植物の調査は,当時あまり利益の上がっていなかった日蘭貿易の新しい商品開発の意味もあった.

 彼は 1827 年 11 月の日付 "Dabam in Insula Dezima mensi Novembris 1827, Dr. von Siebold." の「有用植物概要表 ”TABULA SYNOPTICA USUS PLANTARUM (Synoptic Table of Plant Uses)」二枚を出島からバタビアに送った.この幅 75 cm,高さ 46 cm の大型の表には計 447 の植物が使用目的及び部位ごとに分類され収載されている.表は 6行各2段に区切られ,上段にシーボルトが同定或は命名した学名,下段にカタカナの日本名と漢名が記されている(左図).

 この表を附録とした論文『全日本帝国有用植物概要“Synopsis plantarum oeconomicarum universi regni Japonici”』は 「バタビア芸術科学紀要 Verhandelingen van het Bataviaasch Genootschap van Kunsten en Wetenschapen. Batavia (Verh. Batav. Genootsch. Kunsten)」12: 1 – 74 (1830) に発表された.この論文の本文中で,シーボルトはアマナについて,

 ” XLIV. ORNITHOGALUM , Linn.
 86. O. edule, Sieb. Amana, Japon. (v. v. h. b.)*
 Bulbi mucilaginosi eduntur.”
と記して,アマナをユリ科オオアマナ屬に帰属させ,「食用になる」という意味の “edule” を種小名とし,「日本名は,アマナ.実際に生体及び腊葉標本を観察した.自生及び庭園でも栽培され,粘液性の球根は澱粉質で食べられる」と記した(左図). *(v. v. h. b.): Quas ipse vidi vivas siccatasve, signis : (v. v.) (v. s.), quasque in horto botanico colui, signo: (h. b.).

 一方,付表では,第一表の “ I. ALIMENTA SIMPLICIA(食用)” の部の “E. Radices sobolesve. (根菜)a. Cruda, cocia , siccata, salsave.(生・調理・乾燥で可食)” のカテゴリーに,上段には,“19. Ornithogalum edule, Sieb.”,下段には「アマナ 山慈姑」と記されている(上図左図).しかし,シーボルトのアマナの記述はあまりに簡便すぎ,同定には情報が不足であり,また属が誤りであったため,この学名は現在,「nom. nud. 裸名」とされている.

 シーボルトがオランダにもたらしたと思われるアマナの標本は,現在でもオランダ,ライデンの Naturalis Biodiversity Center に保存されていて,L 0175925とL 0327467の二つの画像を NET で見ることができる(上図右部).「トンボラン」「アマナ」,「カタクリ」との名が毛筆で書かれているので,シーボルト滞日中に弟子が採取した個体に由来すると思われる.

2022年1月9日日曜日

エナガ-3 西欧-1 シーボルト『日本動物誌』“FAUNA JAPONICA, Aves”

Aegithalos caudatus

  シーボルト (Siebold, Philipp Franz Balthazar von, 1796-1866) は長崎に滞在した1823-1829年の間に採集した膨大な動物標本や,川原慶賀などの日本人絵師が描いた下絵を本国オランダへ送った.1830年に帰国するとライデン市の国立自然史博物館館長テミンクと館員シュレーゲル, デ・ハーンの協力を得て,1833年から1850年にかけて美しい図版を豊富に配した『日本動物誌』(FAUNA JAPONICA)全五巻を刊行した.日本の動物について欧文で記載した最初の資料であり,本書によって日本の動物が西欧に広く紹介された.その内 鳥類篇 “Aves” (1844-1850) 12分冊はライデン博物館長のテミンク(Temminck, Coenraad Jacob, 1778-1858)と脊椎動物管理者シュレーゲル(Schlegel, Hermann, 1804-1884)が責任者としてシーボルトのメモを基に記述文を書き,主に剥製標本に基づいて,チョウゲンボウ(雌・若鳥)からヒメウ(幼鳥)まで約 120 種の鳥類の図が描かれている.中にはトキの図もある.

この書には図と共にエナガが記述されている(上図)が,その学名はParus (Megisturus) trivirgatus Temminck & Schlegel, 1848 で,欧州産のエナガとは別種としている原記載文献である.欧州産のエナガとの大きな違いは,欧州産のエナガより小さいことにあり,頭部の色彩が僅かに異なるとしている.しかしエナガは現在欧州産のエナガ (Aegithalos caudatus) の亜種とされており,その標準的な学名は.Aegithalos caudatus trivirgatus (Temminck & Schlegel, 1848) となっている.

“FAUNA JAPONICA”, “AVES” (1850)

LES MÉSANGES, PARUS.

2.) LA MÉSANGE à LONGUE QUEUE DU JAPON. PARUS (MEGISTURUS) TRIVIRGATUS. Pl. 34.

La mésange à longue queue de l’Europe se trouve représentée, au Japon, par une
race remarquable par sa moindre taille et, à ce qu’il paraît, par quelques modifi-
cations dans la distribution des teintes de la tête. Du reste, elle est absolument,
modelée sur le meme type que l’espèce européenne; elle offre la même organisation
et les mêmes formes; les différentes parties de l’animal, quoique toutes de moindre
dimension, présentent les mêmes proportions relatives; la distribution des teintes en-
fin, et leurs nuances sont en général les mêmes que dans notre espèce européenne.
  Les ailes, dans cette dernière, portent en longueur, 2 pouces 4 lignes; dans la
race du Japon, elles n’offrent que 2 pouces et une ligne. La queue, longue dans
l’espéce européenne de 3 pouces 3 lignes, ne porte que 2 pouces 8 lignes dans celle
du Japon. Le tarse est d’une ligne moins long dans cette dernière; mais le bec ne
parait pas offrir de différence notable dans ces deux races d’oiseau. Il en est de
même des proportions relatives des rémiges et des pennes de la queue.
  Quant à la distribution des teintes de cette race japonaise, elle est en tout point
semblable à celle des jeunes individus de notre mésange à longue queue de l’Europe ;
c’est a dire, il existe toujours, sur le dessus de la tête, de chaque côté, une raie
noire qui commence sur la région des freins pour s’étendre en arrière sur la nuque
où elle se confond avec le noir de cette partie et du dos. Tous les individus que
nous avons examinés de cette espèce, et ils sont en bon nombre, nous ayant offert
cette distribution des teintes de la tête, on serait porté à croire que les adultes ne
présentent jamais la tête d’un blanc presque uniforme, comme cela a lieu dans
l’cspèce commune de l’Europe.

 
 シーボルトがもたらした雌雄のエナガの仮剥製標本は,現在でもオランダ,ライデンの
 Naturalis Biodiversity Center に保存されていて,画像を見ることができる(上図).
RMNH.AVES.89878(♂),RMNH.AVES.89879(♀)の二つであり,Collector  “Siebold, Ph. F. B. von.”Date  “1823-01-01 to 1829-12-31” とシーボルトの第一次滞日期間となっている.
また,標本に着けられたラベルには,何れも原産地(Loc.)が “Japan” ,採取者(Collect)が “Siebold” と記されている(左図).

2021年12月14日火曜日

エナガ-2 江戸中期・後期,明治.蘭山禽譜,水谷禽譜,武江産物誌,鳥名便覧,諸鳥飼養法秘傳,保護鳥圖譜

Aegithalos caudatus


幕末最大の本草学者★小野蘭山の『蘭山禽譜』には,エナガが図と共に形状と「数十羽で群れをなす.声は短くて鑑賞に値しない」との記述が記載されている.

★本草学者,水谷豊文の鳥類図譜『水谷禽譜』(1810)には,「形が丸い小さな鳥で声がいい」と図と共に記載されている.

 ★岩崎灌園『武江産物誌』(1824)には,江戸近辺,綾瀬近くでエナガが見られるとある.

 薩摩藩の第八代藩主★島津重豪『鳥名便覧』(1830)には,エナガの「属品」として島エナガ,ヱゾエナガ ,ヱビシヤクが挙がる.

岡本綺堂の父親★岡本半渓『諸鳥飼養法秘傳』(1899)には,『喚子鳥』(前記事)を基にした文章で,飼い餌や性状が記されており,「いかにも愛らしい鳥である」とある.

 日本鳥類学会の創立メンバーの一人で初代会長を務めた★飯島魁『保護鳥圖譜』(1905)には,学名と共に「夏は山地で繁殖し,冬は平地に下りてきて,他のカラ類と混じって群をなす.北海道には産しないが,シマエナガという別種がいる」と図と共に説明し,次の項ではシマエナガについて述べている.記載した学名は現在のそれとは異なる. 

★小野蘭山の『蘭山禽譜』は蘭山(17291810) の自筆本天地二冊が明治42年(1909)の蘭山没後百年記念会までは存在していたが,現在は行方不明である.しかし,諸書の検討によって,天之巻(水鳥)と地之巻(水鳥以外の鳥類と獣類)の二冊から成り,鳥類計307品・獣9品と推定されている.その「地之巻」には,鳥171品と獣7品を含み,各品とも雌雄を描く例が多い.記文では産地や渡来年,形状や色彩を簡潔に記す.

この書には「ヱナカ
  コカラ大ノ小鳥,目黒,觜短,足漆黒
  全身灰色,翅上尾筒辺淡赤之,数十
  群飛,声短不足賞
  頂腰白喉下白」と,数十羽群れをなして飛来するが,声は鑑賞するに値しないとある.(冒頭図①)

 尾張藩士・水谷豊文(通称は助六,17791833)は,若い頃に名古屋で医学を学び,小野蘭山に師事して本草学を学び,後に藩の薬園監督となる.文政9年(1826)宮駅で,江戸に向かうシーボルトに会い植物標本を見せ,シーボルトよりボタニストとして高い評価を受け交流が始まる.また彼は「嘗百社」(ひょうひゃくしゃ)と名づけた本草学研究サークルを主宰して,彼を中心にして薬草を見つけるフィールドワークを行ない,領内をくまなく歩いた.伊藤圭介の師匠である.

彼の禽譜,通称★水谷豊文『水谷禽譜』(1810)には,図とともに
「ヱナガ
 四十雀ノ類圓キ小ナル鳥背モヽ色カシドリノ色ノ如シ頭上白ク
 ムネハラモ白シ觜短ク尾長シ背色ウグヒスニ似タリ声ヨシ」冒頭図②
と簡潔に性状が記されている.蘭山と異なり,声は豊文の気に入ったようだ.


 
★岩崎灌園『武江産物誌』(1824)は江戸とその周辺の動植物誌.観察された動植物を,野菜并果・蕈(キノコ)・薬草・遊観(花の名所)・名木・虫・海魚・河魚・介・水鳥・山鳥・獣の各類に分け,それぞれの品に漢名を記し,和名を振仮名で付け,多くは主要産地を挙げる.合計で植物約

520品,動物約 230品.薬草類は採集地別で,道灌山(上野駅の北)の119品が群を抜いて多く,ついで堀之内・大箕谷(おおみや,現杉並区)と尾久(JR山手線田端駅の北)が各29品.鶴には本所・千住・品川,鸛(コウノトリ)には葛西,紅鶴(トキ)には千住の地名がそれぞれ記されている.

この書の「山鳥類」の章に
 「ゑなが 綾瀬邊」とある.

 島津氏二十五代当主(薩摩藩の第八代藩主)★島津重豪(1745 - 1833)の著わした『鳥名便覧』(1830)の「衣行」には

 「エナガ 柄長とも書たり
   属品 ○島エナガ ○ヱゾエナガ ○ヱビシヤク」とある.島エナガとヱゾエナガはシマエナガの事であろうが,ヱビシヤクはエナガの地方名であろう.(冒頭図③)
重豪は,十一代将軍徳川家斉の正室・広大院(茂姫)の父であり,将軍家の岳父として高輪下馬将軍と称されるほど権勢を振るう一方で,蘭癖大名・学者大名として知られ,1826年には江戸参府したシーボルトと会見した.シーボルトは「重豪公は八四歳の老人でおられたが、たいへんに話がお好きで、耳も目もなお完全に元気で強壮な体格をしておられたので、せいぜい六五歳ぐらいだろうと思う。(中略)対談中にはところどころでオランダの言葉を使い、侯の注目を集めたいろいろな品物の名をたずねられた。使節との話が終わると、こちらに向き直って私の名を呼び、自分は動物や天産物の大の愛好者で、四足の獣や鳥を剥製にしたり、昆虫を保存する方法を習いたいと言われたので、私は喜んで助力を申し出た。」と述べている.

 ★岡本半渓『諸鳥飼養法秘傳』(1899)には,『喚子鳥』(前記事)を基にした文章で,飼い餌や性状が記されて


「ゑなが
餌飼
                            
一生餌 壹匁        一粉 壹匁
                            
一あをみ 適宜 聊多量になるも苦しからず
大きさ、鷦鷯(さゞい)に似(に)て、毛色白黑柿色交(まじり)にて、嘴(はし)短(みじ)かく尾ながし。囀(さへづり)聊にて地鳴(ぢなき)同様なり.如
何にも愛らしき鳥なり。あら鳥は冬(ふゆ)より春迄出るものにて巣子は夏いづる、此を子飼(こがい)にする尤(もつとも)もよし.
聊:いささか
 半渓は,明治大正に活躍した,小説家・劇作家の岡本綺堂(1872 - 1939)の父親で,本名は岡本敬之助,のち純(きよし),明治元年5月の上野のいくさ,彰義隊に参加するも,奥州にて敗走負傷し,江戸へ戻り,英国商人ブラウンにかくまわれる.その紹介もあってか,明治2年,当時高輪・泉岳寺に置かれていた英国公使館の日本語書記として雇われ,以後34年間に渡り勤務した.趣味人として知られ,小鳥の飼い方のほか,小説,芝居評論,音曲解説,盆栽の作り方などの本を著わした.

日本鳥学会を創設し,1912年から1921年まで,初代会長を務めた飯島魁(いいじま いさお,1861 - 1921)は明治・大正期の動物学者,魚類学者.海綿の研究と,鳥・寄生虫に関する研究が多く,日本動物学の前進に大きな役割を果たした.

 ★飯島魁『保護鳥圖譜』(
1905)には,
(十五)尋常柄長
             
ゑなが叉ゑびしやく,まつさがり
             
 Acredula trivirgata (T. & S.)
Japanese Long-tailed Tit
             
   (第四版,十六圖,全形二分一)

本邦ニ産スル柄長ニ二種アリ.通常ノ柄長及ビ島柄長是レナリ.通常柄長ハ我國ニ棲息スル極
小鳥ノ一ナルガ尾ハ本體ノ一倍以上ノ長サアリ.額ヨリ頭上ハ純白ニシテ其両側則チ眼上
ヨリ後方ニ伸延シテ黒色部アリ.背ハ黒ト淡紫赤ヲ雜ヘ,頤以下々面ハ一體ニ白色ナルモ腹部
ニ至リ淡白ナル紫赤色ヲ帯ブ.翼羽ニハ全羽黒色ノモノト一部分白色ノモノトアリ,尾羽ノ中
央ノ四枚ハ全黒ナルモ外側ノ三枚ニハ多少ノ白色部アリ且ツ其長サハ外側ニ至ルニ随ヒ漸ク
短シ
此鳥ハ多數ノから類ト同ジク夏季山地ニ於テ繁殖シ秋季群ヲ爲シテ平原ニ下リ渉冬ス.時ニ
四十雀若クハ菊戴(キクイタダキ)ノ群ニ混ジテ之ヲ見ルコトアリ.朝鮮ニハ此種アリト雖モ我ガ北海道ニハ未
ダ産スルヲ聞カズ但シ該道ニハ別種ナル島柄長アリテ之ヲ代表ス.

(十六)島柄長
                しまゑなが
             
    Acredula candata (L.)
                  Continental Long-tailed Tit
             
   (第四版,十七圖ノ全形二分一)

島柄長 ハ形狀羽色共ニ前出通常柄長ニ同ジ,唯ダ通常柄長ト異ナルハ全頭純白ニシテ
黑色部ヲ雜ヘザルニアルノミ
此鳥ハ四時北海道ニ在テ其中稀レニ冬季中津輕海峡ヲ横過シテ内地東北部ニ彷徨スルモ
ノ之レアリ,但シ我ガ北海道ニ限リ産スルニ非ズテ廣ク西比利亞及ビ歐州ニモ亦産ス」とある.

日本鳥学会(目録編集委員会)編『日本鳥類目録改訂第7版』(2012)によれば,エナガの学名は Aegithalos caudatus trivirgatusシマエナガの学名は,Aegithalos caudatus japonicus で何れも欧州産の基本種の亜種となる.