2013年9月30日月曜日

クリンソウ (2/4) 小林一茶 東莠南畝讖・梅園草木花譜・草木図説・百品考

Primula japonica
シロバナクリンソウ 2009年7月 霧降高原
小林一茶『おらが春』 文政2年(1819),57歳の句
 おのれ住る郷ハ、おく信濃黒姫山のだらだら下りの小隅なれバ、雪ハ夏きへて、霜ハ秋降る物から橘のからたちとなるのミならで、万木千草、上々国よりうつし植るに、ことごとに変じざるハなかりけり。

               九輪草四五りん草で仕廻けり

東莠南畝讖 NDL
一茶は晩年帰郷し生涯を終えた柏原に,屈折した思いを持っていたようで,此の句も,地味や気候に恵まれた「上々国」なら,九層になって咲くクリンソウも,貧しい「下国」であるこの地方に移し植えると,四~五層咲いて終わってしまうと,ふるさとに引っ込んだ自分自身をクリンソウに重ねた嘆きとも自嘲とも,故郷に対する愛ともつかぬ感情を吟っているように思われる.+


★毘留舎那谷『東莠南畝讖』(1731序) 朱筆は後年に小野蘭山が書き入れたもの
「寶幢花,又七重花ト名  (七重草 クリンソウ)」
(左図)
梅園草木花譜 NDL

★毛利梅園(1798 – 1851)『梅園草木花譜』(1825 序)
「救荒本草出 山萵苣 クリンサウ ○九輪草 クリンサウ 俗通 ○ダンザキサクラサウ
白花者一種
地錦抄出 保童花 ホウトウゲ 又 七重ヒチジュウ草 」(右図)
とダンザキサクラソウという名前もあることも記した.梅園が自分の庭で咲かせた白花種の花を写生したので,非常に正確な図となっている.特に葉の凹凸と,中心部下部の濃色部分の描写が美しい.

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(成稿 1852年ごろ)
「クリンサウ
水側湿地ニ生シ.人家多ク栽テ花ヲ弄ブ.葉楕円ニシテ本漸ク流レテ中筋ニ沿フテ殆ト根際ニ至ル.中筋尤粗ク略菘(すずな)葉ノ如シテ微厚.面深緑脊淡緑色ニシテ滑澤.邊縁尖鋸歯アリ.中筋淡紫色ヲ帯ブ.全葉長六七寸.
草木図説 NDL

初生ノ葉ハ往々柄者亦アリ.葉心茎ヲ抽クコト尺許.頂ニ十数花輜次シ.中心少ク延テ又一層ヲナス.故ニ花数サクラサウノ如ク少ナカラス色鮮紅淡紅斑点等種々アリ.梗四五寸.萼鐘状尖鋭五裂.花筒様五辧.形サクラサウノ如ク.實礎両蕊形亦同シ.ソノサクラサウト同類異種ナルヲ以テ.種子ヲ以テ花色ノ変スルコト亦同シ.物印満*ハ此種下ニ花色葉形ノ異ナル八十種ヲ挙.林氏**亦種子ニヨツテ変態不盡ノコトヲ云.恰モ吾邦於ノサクラサウニ於ガ如シ」

「プリムラ アウリクュラ*** 羅  ベーレンヲール 蘭」
(左図)と,学名は誤っていたが,サクラソウと同様,ピン型とブラシ型の二種の花の株があることを考察している.

* ウェインマンJohann Wilhelm Weinmann (1735-45) 著「Phytanthoza-Iconographia,花譜」江戸時代の日本にオランダ語版が入り、当時の本草学者に影響を与えた。
** リンネ Carl von Linné
*** Primula auricular:プリムラ・オーリキュラ(厚葉サクラソウ)

百品考三編 WUL
★『百品考三編』山本亡羊(1853 序刊)
「旌節花
和名 クリンサウ
四川通志,旌節花,成都出,枝直上,花色紅紫,層発如旌節,葉碧類百合
群芳譜,旌節花,高四五尺,格至鏡原作去地二三尺.花小類茄花,俗譌爲錦茄児花,対生,紅紫如錦,
按ニ旌節花ニ草本木本ノ二品アリ 木本ノ旌節花ハ廣群芳譜湧幢小品等ニ見エタリ 先師蘭山先生マメフヂニ充ツルモノ是ナリ 草本ノ旌節花ハ今引用スルニ書所説是ナリ 
古人モクリンサウニ充ツル説アリ 先賢非ナリトス 今再考スルニ此説従フベシ クリンサウハ山ノ谷際沮洳ノ地ニ生ズ 葉質櫻サウニ似タレドモ形細長シテ地ヨリ環生スル處車ユリニ似タリ故類百合ト云ヘリ 三四月茎ヲ抽ヅルコト二三尺茎ヲトリマキテ花対生ス五辧紅紫色如此モノ七八段或ハ九十段ニモ至ル故ニ九輪サウ又七重サウトモ云フ」(右図)
と,クリンソウが草本の「旌節花」であると比定した.草本の「旌節花」が何であるかは探し出せなかったが,木本の「旌節花」はキブシ(Stachyurus praecox)であるとされている.

+ 一茶の,ふるさと,柏原への思いの一端

◎つくづく思うに、おのれ住る柏原は、信濃のおくの小隅なる物から、上々国とは異り、さくらも瘠せて、さながらおのが影法師に似て、誰とふ者もなく、花はつやなく、何となく見すぼらしく、外(そと)の花にくらぶれば仙人の如し。
「花ながらさくらといふが恥しき」(全集第五巻,俳文拾遺) 文政3年1820年

◎「下々(げげ)も下々下々の下国(げこく)の涼しさよ」(七番日記) 文化10年1813年

2013年9月26日木曜日

クリンソウ (1/4)  別名・地方名,大乗院寺社雑事記,山科家礼記・毛吹草・花譜・大和本草・花壇地錦抄・草花絵前集・和漢三才図会・救荒本草・物品識名

Primula japonica
2004年5月 仙台市野草園
日本産のサクラソウでは最も大きく,生育が良いと花茎は50㌢を超える.花は花茎を輪状に取り巻き,それが数層から7層も重なり合う.9層に達することはまずないが,和漢三才図会にあるように,寺院の搭上の請花と最上の水煙の間にある九輪にたとえて名づけられたとされる(左図).
2008年6月 奈良薬師寺五重塔

湿地に自生し,室町時代から庭園で栽培されていた.サクラソウより別名・地方名が多く,広い範囲の山間部の湿地に分布して,山の花として愛されていた.

植物名彙事典』によれば,サクラソウの別名が「櫻草(さくらぐさ)」だけなのに対して,クリンソウは「七階草(しちかいさう)・九階草(くさいさう)・九蓮草(くれんさう)七重草(ななへぐさ)・七重草(しちぢゅうさう)・百日草(ひゃくにちさう)・宝幢花(ほうとうくわ)・保童花(ほうとうくわ)・宝幢花(ほうだうげ)・宝●=(方+童)花(ほうだうげ)」と数多い.

また,『日本植物方言集成』によれば,「あかふじそ- 長野(佐久),おうめど 岩手(九戸),くるまさくらそ- 長野(北佐久),くるまさんしち 加州,くるまそ- 長野(北佐久),くるまっこ 岩手(二戸),さ-ばな 福島(相馬),しちかいそ- 岩手(上閉伊・水沢)宮城(登米)富山(砺波・東礪波・西礪波),しちかえそ- 富山(富山),しちけあんそ- 岩手(気仙),すずけえそ- 岩手(上閉伊),てぐるま 岩手(二戸),と-ばな 岩手(上閉伊),ひちりんそ- 岐阜(恵那),ほ-どけ 盛岡,ほ-どげ 青森(八戸),ほどけ 青森,ほんどき 秋田(平鹿),はんどぎ 秋田(平鹿),ほんどげ 青森,やちばな 長野(佐久),やまだいこん 秋田(平鹿)」と,
七重草宝幢花が訛ったと思われる地方名,車輪状についた花,塔のように盛り上がる花茎,大根に似た葉に由来すると思われる名前などが目に付く.「宝幢」は仏教の教えを具象化した,寺院の円錐形の飾り物の一種で,花序の形状をこれにたとえたものであろうか.

クリンソウは,室町時代中期に京都では栽培されていた.

興福寺大乗院で室町時代に門跡を務めた,尋尊・政覚・経尋が三代に渡って記した約190冊にもなる日記★『大乗院寺社雑事記(だいじょういんじしゃぞうじき)』の文明十年三月(1478)の項の末尾には,尋尊(一条兼良の五男)による筆記で,
「庭前ノ木草花
正月梅 椿 沈丁花  二月同 花櫻 信乃櫻 岩柳 庭櫻 櫻草 全躰(マヽ)
三月 梨(木へんに利) 海道 ス桃 桃 櫻 藤 ツツシ 山吹 木カンヒ 仙人合花 宝●(月+榻のつくり)花(宝塔花=クリンソウ) 定春 馬連 スワウ 石楠 スミレ ヒホネ 一ハツ カキツハタ カシワ」とあり,(辻善之助 編『大乗院寺社雑事記. 第6巻 尋尊大僧正記 72-87』三教書院(1933)NDL)これがクリンソウを庭で育てている最古の現存文献と考えられる.

また,都の羽林家の家格を有する公家,山科家の雑掌を代々務めた大沢家の日記★『山科家礼記』の記主は大沢重康・久守・重胤.1412 (応永19) から 1492(明応1) までが現存している.内蔵寮を管轄した山科家の財政.所領経営に関する記事が多く,当該期の供御人や山科七郷の動向を知る上での基本史料である.
その延徳三年(1491)二月二十一日の記事には「武家(将軍足利義材)へ桜草,ほうとうけ宝幢花,クリンソウ)のたね御所望候間,進之也」とあり,上流階級でも種から育てて,鑑賞されていたことが伺われる.
NDLヨリ

故磯野慶大教授の初見は,江戸時代の俳諧論書,★松江重頼『毛吹草』(1645)でその『巻第二,誹詣四季之詞,三月』に「七重花(ぢうけ)  九輪草とも」と出る(右図).『毛吹草追加上』 (1647)の「春 春草」の項には,作者不知の 「おらせしと七重花(ぢうげ)にや八重の垣」の歌が載る.

★貝原益軒『花譜 中巻 三月』(1694) の「櫻草」の項に「(中略)又七重草あり。同類なり。 陰地をこのむ。」とあり,また

★貝原益軒『大和本草 巻之七 園草』 (1709) の「櫻草」の項には,「(中略)又九輪草アリ 七重(チウ)草アリ 此類ナリ 陰地ヲ好ム」とサクラソウのつけたりのようにクリンソウの記述がある.

From NDL
★伊藤伊兵衛『花壇地錦抄 草花 春之部』(1695)には,「九輪草 (末)。白。紫 咲分源氏いろ/\有日光と云ハくれないなり○保童花(ほうどうけ)〇七重草(しちぢうさう)いふ」とあり,

★伊藤伊兵衛三之丞画・同政武編『草花絵前集』(1699) には,よく特長を捉えた簡単な絵と共に,「九輪草  花形さくらのごとく、段々にさく、三四月也。色は〇白、○紫、とび入等さまざまあり。一名はうどうげ、亦七重草(しちぢうさう)」とあり(左図),この頃には,紫だけではなく,紅色,白や斑入りの個体が栽培されていたことがわかる.

★寺島良安『和漢三才図会 巻第九十四の末』(1713頃)の「山萵苣(くりんそう)」の項には,「俗に九輪草という
『救荒本草』(菜部)に次のようにいう。山萵苣(さんわきょ)は山野に生える。苗葉は地を這って生える。葉は萵苣(ちしゃ)の葉に似ているが小さく、葉の脚に花叉があって大へん小さい。葉の頭はかすかに尖り、まわりに細かい鋸歯がある。葉の間から葶(うてな)がぬきん出て淡黄の花を開く。苗葉は〔味は微苦〕と。
△思うに、山高蓋とはここ(日本)でいう九輪草(サクラソウ科)であろうか。萵苣の葉に似ていて扁(ひらた)く、辺に細かい鋸歯がある。葉の脚は窄(すぼ)み、葉の心の茎は淡紫である。三、四月に葶が抽ん出て小花が開く。桜草の花に似ているがやや大きく、茎の囲(まわり)に生える。八椏それぞれ一様で車の輪に似ていて、梢にいたるまで七層、あるいは九層とこのようで、さながら寺院の九輪に似ている。それでこういう名がある。紅・白・紫の三種がある。茶褐色の子(み)を結ぶ。葉の心の茎の中に紫色の強い糸がある。およそ形状は九輪草と同じである。ただ山萵苣の花は黄色である。九輪草の花に黄色のものはない。ここが異なっている。(現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫)」

『救荒本草』「山萵苣」 NDL
とクリンソウを『救荒本草』の山萵苣(さんくわきょ)(キク科アキノノゲシ)と誤比定している.『救荒本草』の「山萵苣」の記述とは葉の形状は良く似ているものの,山萵苣の花は葉の間から出て黄色く小さいとあるので,なぜこのような誤りが発生したか分らない.

左図 ★周憲王(周定王)朱橚選『救荒本草』(初版1406)の和刻本(茨城多左衞門等刊,享保元 1716)

★岡林清達・水谷豊文『物品識名 乾』(1809 跋) にも「クリンサウ シチヂウサウ」とあり,江戸時代には七重草(しちぢうさう)の名も良く使われていたことが分かる.


2013年9月22日日曜日

シュロソウ(3/3) 薬効 本草綱目・和漢三才図会・本草綱目啓蒙・原色日本薬用植物図鑑・薬草カラー図鑑

Veratrum maackii
2010年7月 高峰山
シュロソウは薬草として古くから使われ,正条品は,Veratri nigrum L.(中)黒黎芦であるようだが,中薬の「藜蘆(りろ)」に比定されていた.根は有毒ではあるが,吐薬としての作用が大きく,また,殺虫効果も利用された.後者の作用は,バイケイソウ,コバイケイにもあるので,此れも「藜蘆(りろ)」の一種とされた.また,北海道のアイヌの人々は,茎の基部の白い部分をゆでてあるいは蒸して食べたそうだ.

★明の李時珍選『本草綱目 草部毒草類 藜蘆の項』(初版1596)
【氣味】辛,寒,有毒。《別錄》曰︰苦,微寒。普曰︰神農、雷公︰辛,有毒;岐伯︰ 咸,有毒;李當之︰大寒,大毒;扁鵲︰苦,有毒。
時珍曰︰畏蔥白。服之吐不止,飲蔥湯即止。
【主治】蠱毒咳逆,泄痢腸 ,頭瘍疥瘙惡瘡,殺諸蟲毒,去死肌(《本經》)。療噦逆,喉痺不通,鼻中息肉,馬刀爛瘡。不入湯用(《別錄》)。 主上氣,去積年膿血泄痢(權)。吐上膈風涎,暗風癇病,小兒 痰疾(頌)。末,治馬疥癬(宗 )。

★寺島良安『和漢三才図会 巻第九十五 毒草類 藜蘆の項』(1713頃),現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫
『本草綱目』(草部毒草類藜蘆〔集解〕)に次のようにいう。
(中略)
根〔辛、寒。あるいは苦で毒ありともいう〕 上隔の風涎・疳病を吐(排出)する。吐薬にもいろいろある。
常山は[瘧痰を吐する〕、瓜丁(うりのへた)は〔熱痰を吐する〕、烏附尖(うふせん,カラトリカブト・天錐のことか)は〔湿痰を吐する〕、萊菔(だいこん)子は〔気疾を吐する〕、藜蘆(りろ)は風疾を吐するものである
〔黄連(山草類)を使(補助薬)とする。芍薬・細辛(山草類)・人参・沙参・紫参・丹参・苦参に反し、大黄を悪(い)む。葱白を畏れる〕。これを服用して吐が止まらなければ、葱湯(ねぎゆ)を飲むと止まる。(後略)

バイケイソウ 2007年7月 日光霧降高原
★小野蘭山『本草綱目啓蒙 巻之十三 草之六 毒草類 藜蘆の項』 (1803-1806) 
(中略)種樹家ニ、バイケイサウト呼。予州ニテハ蝿ノドクト云。江州比良山中ニ多シ。春早ク宿根ヨリ芽ヲ出ス。故ニユキワリト云、又ユキワリノ藜蘆ト云。円茎高サ三四尺、葉互生ス。形萎蕤(アマドコロ)葉ニ似テ、大也。縦文多シ。茎上ニ穂ヲ出スコト一尺許、枝ヲ分テ花ヲヒラク。形日光ランノ花ニ似テ、大サ小銭ノゴトシ。五弁ニシテ梅花ニ類ス。故ニ、バイケイサウト名ヅク。色白クシテ微緑ヲ帯、臭気アリ。コノ根日光ランヨリ塊大ニシテ蒜(ニンニク)根ニ似テ小ク、蘆頭ニ椶毛ナシ。根下ニ粗キ鬚多シ。味辛ク黄白色。飯ニ雑へ蝿ニ飼へバ死ス。故ニ、ハイノドクノ名アリ。(後略)

★木村康一/木村孟淳『原色日本薬用植物図鑑』保育社(1991)
これらの植物(*,バイケイソウ,コバイケイソウ)の根および根茎を藜蘆(りろ,Veratri Rhizoma)と呼び,催吐および瀉下薬として用いられたが,今日ではあまり用いられていない。同属植物から抽出した粗アルカロイド混合物は血圧降下の作用があり,一時応用されたことがあるが,嘔吐などの副作用があるため,使われなくなっている。成分はアルカロイドのVeratramine,rubijervine,11-deoxojervine,solanidine,baikeine,baikeidineおよびステロイドのβ-sitosterolなどが見いだされている。
中国産のものは Veratri nigrum L.(中)黒黎芦を正条品とし,バイケイソウなど7~8種類が原植物としてあげられている。北米の V. viride Aiton(英)green hellebore,(中)緑藜蘆,およびヨーロッパの V. album L(英)white hellebore(中)白藜蘆は血圧降下作用の認められる protoveratrine-A,および –B を含み,総アルカロイドを血圧降下薬として欧米では用いている。

★伊澤一男著『薬草カラー図鑑』主婦の友社 (1990)
中国産の亜種:中国産の毛穂藜蘆はシュロソウに近く、わが国の シュロソウは、この亜種または変種になっている。オオシュロソウに近いのは、中国で藜蘆、または黒藜蘆と言われる種類で、中国ではこれら数種の根茎を乾燥した生薬を藜蘆と称している。 採取時期と調整法:5~6月ごろ、開花前のつぼみのときに地下の根茎を掘り、水洗いして刻み、日干しにする。 成分:毒成分のベラトルーム・アルカロイドのジェルビンが含まれる。 薬効と用い方: 殺虫用・便壷などのうじ虫殺しに:乾燥した根茎を適当量、便壷に投入する。 ★毒成分が強いので、内服はしない。

★乾芳宏『新冠町郷土資料館調査 報告書3』によれば,沙流、新冠地方のアイヌの人々は,茎の基部を「ヌペ núpe」と呼んで,茎の基部の白い部分をゆでてあるいは蒸して食べた。(アイヌ民族の有用植物:独立行政法人 医薬基盤研究所 薬用植物資源研究センター北海道研究部)

現在でも有効な学名 Veratrum maackii をつけたのは,ドイツの園芸学者・植物学者の Eduard August von Regel(エデュアルト・アウグスト・フォン・レーゲル,1815 - 1892)で,ロシアの帝立植物園の園長であったころに,ロシア極東地域で採取されたシュロソウに命名したと考えられる.
原記載文献:Memoires de l'Academie Imperiale des Sciences de Saint Petersbourg. Ser. 7. 4(4) [Tent. Fl. Ussur.]: 169, t. 11, f. 8-14 (1861)

シュロソウ (2/3) 藜蘆(りろ)花木真寫・物類品隲,花彙,本草綱目啓蒙,物品識名,日光山草木之図,梅園百花図譜,増補古方薬品考,草木図説前編

シュロソウ (1/3)  藜蘆(りろ),延喜式,本草和名,和名類聚抄,多識編,草花絵前集,大和本草,和漢三才図会,広益地錦抄

2013年9月11日水曜日

シュロソウ (2/3) 藜蘆(りろ)花木真寫・物類品隲,花彙,本草綱目啓蒙,物品識名,日光山草木之図,梅園百花図譜,増補古方薬品考,草木図説前編

Veratrum maackii
2008年8月 榛名ユウスゲの道
承前
江戸時代には「日光蘭」の名で庭園で観賞用植物としての評価が高く,栽培され,多くの美しい図譜として残されている.
一方,「藜蘆」の薬草としての需要は大きかったようで,薬店で万年青(オモト)やツクバネソウの根がこの名で売られていた. 多くの草木図譜や本草書にシュロソウは「藜蘆」「日光蘭」の名前で記載されていたが,幕末になってもバイケイソウ,コバイケイソウも「藜蘆」とされていた.

近衛豫樂院(1667–1736)『花木真寫』(1736年以前の成立)
「椶櫚草」(シュロソウ)(左図)

平賀源内『物類品隲』(1763)
「藜蘆 和名シユロソウ又日光蘭ト云○日光産上品花紫黒色又白花ノモノアリ」(下図,左端, NDL)

★小野蘭山『花彙 草之部二十』(1765)
「藜蘆(リロ) シュロサウ 日光蘭  江州膽吹(イフキ)山及山州蟻カ池ノ邊ニアリ三月ニ苗ヲ生ス高サ二尺許棕櫚(シュロ)ノ苗及崖椶*(ヒトツホクロ**)ニ似テ茎葱(ヒトモシ)ニ似テ青紫色根ノ上黒皮茎○(ツヽム)椶毛ニ似タリ六七月一茎ヲヌキ花ヲ開ク肉紅色芲ノ形隠忍花(ヒナキヽヤウ)ノ如シ」 (下図,左より二つ目,NDL)
 *カヤツリグサ科イトスゲ,** ラン科ヒトツボクロ

★小野蘭山『本草綱目啓蒙 巻之十三 草之六 毒草類』(1803-1806) 
「藜蘆 シユロサウ 日光ラン (中略)
江州伊吹山ニ多シ。又野州日光山殊ニ多シ。故ニ種樹家ニテ日光ラント云。春、宿根ヨリ苗ヲ発シ、数葉叢生ス。葉濶サ五六分、長サ一尺許、深緑色、縦ニ皺多クシテ椶秧(シュロノナヘ)ニ似クリ。年ヲ経タルモノハ葉漸ク濶ク、三四寸ニイタリ、ヱビネノ葉ノゴトク、初出ノ葉細キニ異ナリ。夏月、別ニ一茎ヲ抽ヅ。長サニ三尺、小葉互生シ、上ニ枚ヲ分テ花ヲヒラク。紫黒色、形白微(フナバラ)花ニ似テ大サ三四分、六弁。臭気アリ。後ニ短扁莢ヲ結ブ。中ニ小実アリ又黄花ノモノ、白花ノモノ稀ニアリ。コノ根葱根ニ似タリ。故ニ集解ニ葱白藜蘆ト云。根下ニ粗キ鬚根多シ。晒シ乾セバ味辛薟。蘆頭ニ黒毛アリ、椶毛ノ如クニシテ苗本ヲツヽム。古渡ニ此ノ如ク椶毛ニテ包ムガ如キモノアリ。今ハ渡ラズ。今渡ルモノハ毛ニテ包マズシテ根大ナリ。コレ本草原始ノ蒜藜蘆ナリ。
種樹家ニ、バイケイサウト呼。予州ニテハ蝿ノドク上云。江州比良山中ニ多シ。春早ク宿根ヨリ芽ヲ出ス。故ニユキワリト云、又ユキワリノ藜蘆ト云。円茎高サ三四尺、葉互生ス。形萎蕤(アマドコロ)葉ニ似テ、大也。縦文多シ。茎上ニ穂ヲ出スコト一尺許、枝ヲ分テ花ヲヒラク。形日光ランノ花ニ似テ、大サ小銭ノゴトシ。五弁ニシテ梅花ニ類ス。故ニ、バイケイサウト名ヅク。色白クシテ微緑ヲ帯、臭気アリ。コノ根日光ランヨリ塊大ニシテ蒜(ニンニク)根ニ似テ小ク、蘆頭ニ椶毛ナシ。根下ニ粗キ鬚多シ。味辛ク黄白色。飯ニ雑へ蝿ニ飼へバ死ス。故ニ、ハイノドクノ名アリ。
古ヨリ藜蘆ヲ誤テヲモトヽ訓ズ。故ニ和方書ニ藜蘆トイフハ皆ヲモトヲサス。ヲモトハ万年青ニシテ藜蘆ノ類ニ非ズ。万年青ハ秘伝花鏡ニイヅ。一名菖(同上)千年菖(汝南圃史)万年春(本草新編)人家庭前ニ多ク裁、幽谷ニ自生アリ。薬家ニハコノ根ヲ斜ニウスク切乾テ藜蘆ト名ケ売。ツネニ柔潤ニシテ燥ズ。先年舶来ニコノ偽アルニ困ナリ。然レドモ藜蘆ニ代用ベカラズ。万年青ニモ殺瘵虫、治猘犬傷(箋解)ノ効アリ。
又薬当子一名延齢草ノ根ヲ、唐ノ藜蘆ニ偽売モノアリ。コレハ昧苦シテ殺虫ノ効アリ。王孫*ノ一種ニシテ藜蘆ノ類ニアラズ。〔附録〕山慈石、詳ナラズ。参果根、詳ナラズ。馬腸根、詳ナラズ。」 *ツクバネソウ

★岡林清達・水谷豊文『物品識名 巻坤』(1809 跋)
「シユロサウ 藜蘆 山椶 薬性要略大全」(上図,右より二つ目, NDL)

★岩崎灌園『日光山草木之図 巻之二』(1824)
「日光らん」(上図右端, NDL)

★毛利梅園(1798 – 1851)『梅園百花図譜 夏乃三』(1825 序)(他人の絵の模写が多い江戸時代博物図譜のなかで,大半が実写であるのが特色)では,多識編や本草綱目の藜蘆の項の記述を引用した後
「藜蘆 今云シユロサウ 日光ラン 保々都久利
数種有。円葉。長葉 此●スル者根連珠有ル者。篠ツクリ根無。薹(トウ)ツタリ一根一ハ半夏ノ根ニ似リ。
予曰 藜蘆ヲヲモトヽ訓スルハ非ナリ ヲモトハ万年青ナリ 別物 藜蘆ハ葉紫蘭白蘭ニ似タレハ日光蘭ト云 国俗山名●●通日光山・多ク生故ニ日光蘭ノ名アル ●ヲモトトヒスルハヨリドコトナキ 和漢三才図会,藜蘆(エビ子)トス是亦非也 他楡草(エビ子)ハ別ナリ 藜蘆夏部巻七ニ奇品再出」(● 判読不能であった)とある.(左図,左側, NDL)
『同図譜 夏乃七』には,白色の花をつける「藜蘆」の変種と称する植物の図が載るが,本体は不明,コバイケイソウかも知れない.(左図右側, NDL)

★内藤尚賢『増補古方薬品考 巻之一』(1842)
「藜蘆 肌ヲ療ス.服レハ痰水ヲ吐ス.シユロサウ 一名葱苒 [本経曰](中略)[藜蘆甘草湯](中略)
[撰品]藜蘆二三種有リ其形青葱(子ギ)ノ茎ニ似テ而毛有紫黒色ノ者真.[釈名]謂所葱管藜蘆是也.又蒜藜蘆(バイケイサウ)苗葉萎蕤ニ似テ而肥大夏白花ヲ開ク六弁 薬用ニ入ラ不.今薬舗ニ販ク者此レ万年青(オモト)ノ根ニテ眞ニ非 ○葱管藜蘆春芽ヲ生ス.葉ハ初生椶櫚(シュロウ)ニ似テ而長ク縦文有リ.茎本ニ毛有リ.茎ヲ裏ハ棕竹(シュロチク)ノ如シテ.夏中心一茎ヲ抽ルコト二三尺枝ヲ岐チ花ヲ開ク.六弁紫黒色.花後實ヲ結ブ.」(右図左側,NDL)

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)巻之二十』(成稿 1852頃,出版 1856 - 62)
「第二十三綱 有雄花雌雄両全花
シユロサウ 藜蘆 葱管藜蘆
往々山中ニ生.伊吹山ニモ多シ.春芽ヲ出シ数葉●生シ.長一尺余濶一二寸.夏月葉間茎ヲ抽クコト二三尺小葉ヲ互生シ.上ニ枝ヲ分シ穂ヲナシテ花ヲ開ク.無萼六弁.々本厚ク薄クシテ紫黒色.子室三箇相接シ.頭外及シ.雄蕊六ニシテ葯黄粉ヲ吐ク.此種三性花ヲ交ヘ開クコトバイケイサウト同シ.根形亦同シケレトモ此種ニハ黒色棕毛ノ如キアツテ多ク根上ヲ包ム.一種花緑色ナルアリ又一種小ニシテ尺許ナルアリ 或云白花亦アリト余未見 附全ハナ郭大図
第二種
Veratrum nigrum 羅  ??? ??? 蘭」(上図右側,NDL)
(● 判読不能であった)

シュロソウ (1/3)  藜蘆(りろ),延喜式,本草和名,和名類聚抄,多識編,草花絵前集,大和本草,和漢三才図会,広益地錦抄

シュロソウ(3/3) 薬効 本草綱目・和漢三才図会・本草綱目啓蒙・原色日本薬用植物図鑑・薬草カラー図鑑

2013年9月7日土曜日

サンカヨウ(3/3) 鬼臼 新修本草・本草和名・延喜式・本草綱目・和漢三才図会・本草綱目啓蒙・梅園草木花譜,増補古方薬品考

Diphylleia grayi
2007年06月 尾瀬
サンカヨウ(2/3)に,「江戸時代の園芸書・本草書には殆んど記載がなく,見つけることが出来たのは,幕末の『草木図説前編』のみ」と記したが,その後,サンカヨウが漢本草の「鬼臼」と誤比定されていて,古くから薬草として用いられていた可能性があることが分かった.

古くは薬用として中国から輸入されていた植物は,乾燥され修治され,その原形を留めてはいなかった.また,基本となる中国の本草書には精密な絵も無く,植物の形状を記述する文章のみが,和産の植物を比定する根拠であった.従って中国特産の植物については誤比定が避けられなかった.

奈良時代に中国から輸入され,当時の薬物学の基本とされていた『新修本草』に,鬼臼の記事がある.
★梁の陶弘景(456年-536年)は、『神農本草経』に補注を加えて、730種の薬名を記録し、本草学の基礎を築いた。後、659年になって『新修本草』が勅撰され、陶弘景の書に修改が加えられた。
新修本草』 「玉石、草、木 卷第十一
鬼臼      味辛、溫、微溫,有毒。主殺蠱毒鬼疰精物,辟惡氣不祥,逐邪,解百毒。療咳嗽喉結,風邪煩惑,失魄妄見,去目中膚翳,殺大毒,不入湯。一名爵犀,一名馬目毒公,一名九臼,一名天臼,一名解毒。生九真山谷及宛朐。二月、八月采根。
畏垣衣。鬼臼如射幹,白而味甘,溫,有毒。療風邪鬼疰蠱毒。九臼相連、有毛者良,一名九臼。生山谷,八月采,陰幹。又似鈎吻。今馬目毒公如黃精,根臼處似馬眼而柔潤;鬼臼似射幹、術輩,有兩種:出錢塘、近道者,味甘,上有叢毛,最勝;出會稽、吳興者,乃大,味苦,無叢毛,不如,略乃相似而乖異毒公。今方家多用鬼臼,少用毒公。不知此那複〔謹案〕此藥生深山岩石之陰。葉如蓖麻、重樓輩。生一莖,莖端一葉,亦有兩歧者。年長一莖,莖枯爲一臼。假令生來二十年,則有二十臼,豈惟九臼耶?根肉皮須并似射幹。今俗用皆是射幹,及江南别送一物,非真者。今荊州當陽縣、硖州遠安縣、襄州荊山縣山中并有之,極難得也。」

この鬼臼の和名は「奴波乃美:ぬわのみ」であるとされた.
★深根輔仁撰『本草和名』(918頃編纂)
鬼臼 一名爵犀 一名馬目毒公 一名九臼 一名天臼 一名解毒 一名萑頸 一名萑草(已上二名出釈薬性) 一名萑辛(出雑要决) 和名奴波乃美」,(奴波乃美:ぬわのみ[ぬはのみ])(左図,NDL)

この「鬼臼」は薬草としての価値は高かったようで,延喜式によれば,大宰府から朝廷に毎年貢献され,その一部は渤海からの使いへの返礼とされていた.
★『延喜式 』(927編纂開始)
「諸国進年料雑薬 西海道 太宰府十二種 木蘭皮百五十斤。土瓜。石膏各十斤。(中略)鬼臼四升。狸骨二具。」
「遣諸蕃使 渤海使 草薬八十種 升麻。橘皮。附子。烏頭。天雄。黄蓍。松脂。(中略)鬼臼。(後略)」

この「鬼臼」について本書の『和名考異』には,「鬼臼 於保乃也久良 貞享本渤海使。案於尓也加良之誤 案輔仁和名等。奴波乃美。」とあり,和名は「於保乃也久良:おほのやくら」で,これは「於尓也加良:おにのやがら」の誤りではないかと言いつつ,『本草和名』の「奴波乃美:ぬわのみ」も引用している.しかし,「おにのやがら」の漢名は「天麻」であるので,これとは別物と考えられる.一方,「おほのやくら,ぬわのみ」がどのような植物であるかは現在分からないようだ.

その後平安時代に輸入され,和本草学の基本となった『本草綱目』には,「鬼臼」の一名が「山荷葉」であると記されていて,

★明の李時珍選『本草綱目』(初版1596)
鬼臼
(《本經》下品)
【校正】並入《圖經》瓊田草。
【釋名】九臼(《本經》)、天臼(《別錄》)、鬼藥(《綱目》)、解毒(《別錄》)、爵犀 (《本經》)、馬目毒公(《本經》)、害母草(《圖經》)、羞天花(《綱目》)、朮律草(《綱目》)、瓊田草(《綱目》)、獨腳蓮(《土宿本草》)、獨荷草(《土宿》)、山荷葉(《綱目》)、旱荷」
とあり,またその形状については

「時珍曰︰鬼臼根如天南星相疊之狀,故市人通謂小者為南星,大者為鬼臼,殊為謬誤。 按《黃山谷集》云︰唐婆鏡葉底開花,俗名羞天花,即鬼臼也。歲生一臼,滿十二歲,則可為藥。今方家乃以鬼燈檠為鬼臼,誤矣。
又鄭樵《通志》云︰鬼臼葉如小荷,形如鳥掌,年 長一莖,莖枯則根為一臼,亦名八角盤,以其葉似之也。據此二說,則似是今人所謂獨腳蓮者也。又名山荷葉、獨荷草、旱荷葉、八角鏡。南方處處深山陰密處有之,北方惟龍門山、王屋山有之。一莖獨上,莖生葉心而中空。一莖七葉,圓如初生小荷葉,面青背紫,揉其葉作瓜李香。開花在葉下,亦有無花者。其根全似蒼朮、紫河車。丹爐家采根製三黃、砂、汞。
 或云其葉八角者更靈。或云其根與紫河車一樣,但以白色者為河車,赤色者為鬼臼,恐亦不然。而《庚辛玉冊》謂蚤休陽草,旱荷陰草,亦有分別。陶弘景以馬目毒公與鬼臼為二物,殊不知正是一物而有二種也。
 又唐獨孤滔《丹房鏡源》云︰朮律草有二種,根皆似南星,赤莖直上,莖端生葉。一種葉凡七瓣,一種葉作數層。葉似蓖麻,面青背紫而有細毛。葉下附莖開一花,狀如鈴鐸倒垂,青白色,黃蕊中空,結黃子。風吹不動,無風自搖。可製砂汞。 按︰此即鬼臼之二種也。其說形狀甚明。」とある.

江戸時代の『本草綱目』の和刻本には,「鬼臼」の注釈として「ヌハノミ」「ツリガネガサ」とある.『本草綱目』の記事に基いた図もあるが,なんとも珍妙な植物となっている(上図,左:野田彌次右衞門刊『本草綱目』(1637),中央・右:伝貝原篤信編『本艸綱目品目,本草名物附録』(1672),いずれも NDL).

江戸時代,「鬼臼」の薬効は高く評価されていたが,その本体は日本にはないとされ,薬肆では「ヤグルマサウ・ハウチハサウ・カサグサ」をこれに当てている.たしかに,葉の形状は似ているが,この植物が「白花ヲヒラキ、穂ヲナス」「ソノ花葉上ニ高ク出ル」のは,「鬼臼」の「葉下二小茎ヲイダシ一花ヲ開、下垂ス。鈴鐸(リン)ノ形ノゴトク」とは合致しないとしている.これらの植物がサンカヨウか否かは不明.

★寺島良安『和漢三才図会 第九十五 毒草類』(1713頃),現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫 には,
「鬼臼(ききゅう)
九臼,天臼,鬼薬,爵犀,解毒,旱荷,害母草,羞天花,朮律草,八角盤(蓮),唐婆鏡,独脚蓮
独荷草・山荷葉・馬目・毒公・瓊田草など〔数名ある〕。
『本草綱目』(草部毒草類鬼臼〔集解〕)に次のようにいう。鬼臼(メギ科)には二種ある。根はどちらも天南星に似ていて、茎は赤く、直上に伸びる。茎の端に葉が出るが、一種は葉が七弁、一種は葉が数層をなしている。葉は箆麻(とうごま)に似ていて、表面は青く、裏面は紫で細毛がある。葉の下は茎に付いていて、一花を開く。花の状は倒(さかさに)垂(たれ)して鈴鐸(すず)のようで、青白色。黄蕊で中空である。黄色い子を結ぶ。風が吹いてもそれによって動かず、風がなくても自ら揺れ動く。またこの草は一年に一茎が生え、それが枯れると一臼が生え、八、九年たつと八、九臼になる、という。けれども一年に一臼が生じても、一臼は腐る。つまり新・陳が交代するのである。

根〔辛、温、毒がある〕  百毒を解し、胎子が腹中で死に、胞が破れて生れ出てこないものを治す〔この処方は非常に効がある。これによって幾万もの数の胎子を救っている〕。鬼臼の分量は多少を問わない。黄色いものの毛を取り去り、細末にする〔篩羅(ふるい)を用いず、ただ撚(ひね)って粉のようになればよい〕。毎服一銭を、酒一盞で八分ぐらいになるまで煎じ、一口に服用する。立ちどころに子は生きる。効験すばらしく一字(神)散と名づける。」

トウゴマ 小石川植物園
★小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806) 巻之十三 草之六 毒草類
鬼臼 カサグサ ツリガネサウ ツリガネガサ 〔一名〕独揺 馬目 玉芝 一握金
漢渡ナシ。コノ草一枚一茎ニシテ、大カザクルマノ如ク茎頭二七八葉、輪次ス。大カザグルマヨリ茎長シ。葉下二小茎ヲイダシ一花ヲ開、下垂ス。鈴鐸(リン)ノ形ノゴトク、貝母花二似クリ。外ハ紫色、内ハ細金点アリテ撒金(キンスナゴ)ノゴトシ。コノ花、葉下ニカクレテ見エズ。故二羞天花ノ名アリ。今コノ草絶テナシ
一種ヤグルマサウト呼アリ。一名、ハウチハサウ、カサグサ。種樹家ニ多クウユ。深山二生ズ。東国ノ山中尤多シ。宿根ヨリ春苗ヲ生ズ。一茎直上ス。高サ二尺許、葉互生ス。ソノ葉五葉一帯、葉ゴトニ末ヒロク三尖ニシテ、本ハ窄ク箭ノ羽ノゴトシ。ホソキスジ多クアリテ皺ノゴトシ。周辺二鋸歯アリ。夏月、茎頭ニ細白花ヲヒラキ、穂ヲナス
コレヲ古ヨリ鬼臼ニ充レドモ、ソノ花葉上ニ高ク出ルトキハ、羞天花ノ名二応ゼズ。薬肆ニモコノ根ヲ以、鬼臼二充、ウル。ソノ根径一寸許、長サ六七寸。コレヲ六分許横二切テ乾ストキハ、両頭辺ハ高ク内ハ凹ニシテ、魚梁骨(セボネ)ノ形ノゴトク褐色ナリ。其物ハ全根臼ノ形ヲナス。正字通ニ、独脚蓮ハ鬼臼ト別ナルコトヲ云リ。其説ヤグルマニ近シ。今薬肆ニテ唐ノ鬼臼ト云モノハ其ニアラズ。

★毛利梅園(1798–1851)『梅園草木花譜 春三』(1825 序,描図 1820 - 1849)には,
「加州山荷葉(カシュウサンカヨウ カシュウノキキウ)
予曰
此鬼臼ノ一種ニシテ名ヲ同ス 鬼臼ハ一茎直上ニ葉ヲ生葉?テ七弁花 葉下莖ニ附開状鈴鐸ノ如 外紫内金梨地色也 然本綱ニ二種有リト云 一種則此乎 糺可 又云花戸ニ鬼臼ト謂ル者大葉兎児傘*也 鬼臼ノ一種也」
とあり,加賀地方産で,実際に自分の庭で咲いた花を写生した美しいサンカヨウの図が掲げられている.(左図,NDL)
*兎児傘・兔児草:ヤブレガサ

★内藤尚賢『増補古方薬品考』(1842)には
「鬼臼 通名 綱目.山荷葉.一名九臼
[本経曰]鬼臼.味辛ク温.主トシテ蟲-毒鬼-疰*ヲ殺シ.邪ヲ遂ヒ百毒ヲ解ス.
[紫石寒食散]傷寒令愈復セ不ルヲ治
[撰品]鬼臼.邦品得難シ.舶来亦之無シ.今薬舗ニ販者ハ此レ也具留末草(ヤグルマ草)ノ根ニシテ真ニ不.此草一-茎直-上シテ.葉五出ス車輪ノ如シ.故名ツク.其根ノ大サ径リ寸許.土人之ヲ裁ルコト五六分.其乾者ハ皆凹ニシテ臼ノ状ノ如シ.城州丹州等ニ産ス.

[笙洲西山曰]鬼臼.深山陰谷ニ生ス.雪後苗ヲ生.一-茎一-葉.茎梢葉心ニ當リ頗ル蓖麻(タウゴマ)葉ニ似テ鋸葉有リ.其一年ヲ経ル者.一茎ヲ岐チ.一葉ヲ生シ其上ヘ白花ヲ開ク.野梅花ニ似テ.而六弁中黄蕊有リ.花後實ヲ結フ.熟シテ黒ク内細子有リ.冬茎枯ルトキハ即根ニ一臼ヲ為ス.黄精**ノ猶シ.一年一臼ヲ生シ.八九年ニ及フトキハ則八九臼.根ノ肉-皮-鬚.淡黄色射干***ノ如シ.其味全ク苦シ.」

とあり,挿絵には,葉がサンカヨウとは異なり,トウゴマの葉に似ているが,花は正にサンカヨウであり,また,年にひとつずつ「臼」が増える根茎も描かれている.(上図,WUL)
*鬼疰:突發心腹刺痛 **黄精:アマドコロ,***射干:ヒオウギ

本当の「鬼臼」は中国特産の「八角蓮 (Dysosma pleiantha)」であるが,日本には産しなかったので,『本草綱目』(草部毒草類鬼臼)の記述を元に,国内で特長の合う植物を探しだし,サンカヨウ (Diphylleia grayi) がそれに合うとして「八角蓮」の一名「山荷葉」と名づけた.したがって漢名としての「山荷葉」は誤用である.従ってサンカヨウに漢方の「鬼臼」の効用*は期待できない.
* 根状茎及根入药,功能清热解毒、化痰散结、祛瘀消肿,主治痈肿疔疮及治毒蛇咬傷的等藥效

サンカヨウ(1/3) 草木図説,中国の山荷葉(Diphylleia sinensis,Astilboides tabularis ),薬効
サンカヨウ (2/3) シーボルト, ミショウ,チャールズ・ライト,J.スモール,エイサ・グレイ「東アジア・北米隔離分布」, F. シュミット

2013年9月4日水曜日

シュロソウ (1/3)  藜蘆(りろ),延喜式,本草和名,和名類聚抄,多識編,草花絵前集,大和本草,和漢三才図会,広益地錦抄

Veratrum maackii
2008年08月 赤城 覚満淵 
本州中部以北・北海道の山地に生える日本特産の多年草.根茎は短く斜めに出る.茎の基部とともに葉鞘を覆う,枯れ残った黒褐色の繊維が,シュロの毛のようであるためこの名がある.シシノクビ(ノキ)の和名は,春に出る粗い毛に覆われた若芽を,イノシシの首に例えたからか.
夏に1㍍以上の草丈で,径1cm位の赤黒褐色の花をつけて草原では目立つ.下部に雄花,中部以上は完全花がつく.古くから薬用とされ,漢名の藜蘆(りろ)と比定されていたが,正確に言えば誤用.

平安時代に著された書物には,ヤマウハラ,シシノクヒ(ビ)(ノ)キの和名でしるされ,延喜式では,毎年,伊勢国・飛騨国から薬用として宮廷に献上されたとある.(薬効についてはシュロソウ (3/3) に記す予定)

★深根輔仁撰『本草和名 上』(901 - 923)編纂
「○(莉の下に木)蘆 (中略) 和名 也末宇波良 之々乃久比乃岐」(左図左 NDL)

★『延書式 巻第三十七』(905編纂開始 - 927完成)
「諸国進年料雑薬  伊勢国五十種 藜蘆二斤四両。飛騨国九種 藜蘆十斤」
「延喜式附録和名考異  藜蘆 也末宇波良 之々乃久比伎 之々乃久比久左 宇波良 也末无久良 於毛止久左」

★源順『和名類聚抄』(931 - 938),那波道円 [校](1617)
「藜蘆 ヤマウハラ シシノクヒキ 本草ニ云藜蘆ハ上ハ音藜 和名 夜末宇波良 一ニ云 之之乃久比乃木」(左図右 NDL)

江戸時代になると「日光蘭」の名で庭園で観賞用植物として栽培される一方,「藜蘆」の薬草としての需要は大きかったようで,薬店で万年青(オモト)やツクバネソウの根がこの名で売られていた.また,バイケイソウ,コバイケイソウも「藜蘆」の一種とされ,さらにはエビネまで「藜蘆」と一括りにされていた.

★林羅山『多識編』(初版 1612)には
「藜蘆 志志乃久比岐 [異名] 山-葱(サンサウ)別-録」と,和名は「ししのくびき」とある.(右図,NDL)

★伊藤伊兵衛三之丞画・同政武編『草花絵前集』 (1699)
日光蘭(につくわらん) 花のいろうすがき、○むらさき、○うす白と有、葉はゑびね草のごとし。六月にさく。」(下図,左端, NDL)

★貝原益軒『大和本草 巻之六  草之二 薬類』 (1709)
「藜蘆 ヲモトト訓ス非ナリ 薬肆ニヲモトノ根ヲ藜蘆ナリテウル用ユルヘカラス ヲモトハ万年青ナリ エビ子モ藜蘆ニ似タレトモ別ナリ 又 大葉蘭ト云物アリ 藜蘆ニ似テ非ナリ 唐ヨリ来ルヲ用ユヘシ」

★寺島良安『和漢三才図会 巻第九十五 毒草類』(1713頃),現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫(下図右端)
「藜蘆(りろ,えびね,リイロウ)(中略)
〔和名は山宇波良(やまうばら)また,之之乃久比乃木(シシノクビノキ)ともいう〕
『本草綱目』(草部毒草類藜蘆〔集解〕)に次のようにいう。藜蘆(ユリ科リロ)は山谷の各処にある。冬に凋(しぼ)み春に苗が出る。葉は出初めの椶(しゅろ)の心に似ていて、また車前草(湿草類オオバコ)にも似ている。茎は葱白(ねぎのくき)に似ていて青紫色。
高さ五、六寸。上に黒皮があって茎をつつみ、椶の皮に似ている。花は肉紅色。板は馬腸根(ばちょうこん)に似ていて長さ四、五寸ぐらい。黄白色で、鬚は二、三寸ぐらい。二、三月に根を採って陰乾しにする。高山に生えるものが住い。
(薬効 略)
△思うに、藜蘆はいま多く庭園に植えて、その花を愛でる。形状は全く上説のようで、根が少し異なっているだけである。陰処がよく、冬も凋まない。葉は車前草に似ていて厚く長く、地にひろがって生える。三、四月に茎が抽(ぬき)ん出て肉紅色の花を開く。また淡黄・柿色のもの、あるいは外は褐(きぐろ)色で内白く、外は紫で内は黄のもの、あるいは樺色のものがある。また外は青く内の白いものがあり、吾須手という。また淡紫のものを出船という。根は円くて梟茈(くろくわい)に似て、中の根は大抵髭のようなので、蝦根(えびね)という。恐らくこれが藜蘆であろう。
けれども古から万年青を日本の藜蘆としている。これは大へんな誤りである。和方に桑山小粒丸というのがある。よく小児の諸虫や癲癇を治す。その処方の中に苦参・藜蘆があり、これは互いに相反するものである。どうして宜いことがあろうか。ただし、和方の藜蘆には万年青を用いているのならば問題はない。だから薬店の和の藜蘆とは恐らく万年青の根なのである。
注 - 桑山小粒丸 大坂天王寺の珊瑚寺から売り出されていた小児病の万能薬。朝鮮出兵の際、豊臣家の臣、桑山修理大夫が持ち帰ったと伝えられる。」

★伊藤伊兵衛『広益地錦抄 巻之六』(1719) (上図中央, NDL)
「藜蘆(里ろ) 宿根より春生ル葉ハ紫蘭白蘭に似たれば日光蘭といふ 日光山におほくあるよし 花の色黒べに色にて花形は薬種の丁字頭のごとく穂をたしておほくはなさく 六七月ひらく 花壇にうへながめあり 根元土中よりしゆろの皮のごとくなる毛をかぶりて生る たねをとりおき二月まくべし」

シュロソウ (2/3) 藜蘆(りろ)花木真寫・物類品隲,花彙,本草綱目啓蒙,物品識名,日光山草木之図,梅園百花図譜,増補古方薬品考,草木図説前編

シュロソウ(3/3) 薬効 本草綱目・和漢三才図会・本草綱目啓蒙・原色日本薬用植物図鑑・薬草カラー図鑑