2013年9月30日月曜日

クリンソウ (2/4) 小林一茶 東莠南畝讖・梅園草木花譜・草木図説・百品考

Primula japonica
シロバナクリンソウ 2009年7月 霧降高原
小林一茶『おらが春』 文政2年(1819),57歳の句
 おのれ住る郷ハ、おく信濃黒姫山のだらだら下りの小隅なれバ、雪ハ夏きへて、霜ハ秋降る物から橘のからたちとなるのミならで、万木千草、上々国よりうつし植るに、ことごとに変じざるハなかりけり。

               九輪草四五りん草で仕廻けり

東莠南畝讖 NDL
一茶は晩年帰郷し生涯を終えた柏原に,屈折した思いを持っていたようで,此の句も,地味や気候に恵まれた「上々国」なら,九層になって咲くクリンソウも,貧しい「下国」であるこの地方に移し植えると,四~五層咲いて終わってしまうと,ふるさとに引っ込んだ自分自身をクリンソウに重ねた嘆きとも自嘲とも,故郷に対する愛ともつかぬ感情を吟っているように思われる.+


★毘留舎那谷『東莠南畝讖』(1731序) 朱筆は後年に小野蘭山が書き入れたもの
「寶幢花,又七重花ト名  (七重草 クリンソウ)」
(左図)
梅園草木花譜 NDL

★毛利梅園(1798 – 1851)『梅園草木花譜』(1825 序)
「救荒本草出 山萵苣 クリンサウ ○九輪草 クリンサウ 俗通 ○ダンザキサクラサウ
白花者一種
地錦抄出 保童花 ホウトウゲ 又 七重ヒチジュウ草 」(右図)
とダンザキサクラソウという名前もあることも記した.梅園が自分の庭で咲かせた白花種の花を写生したので,非常に正確な図となっている.特に葉の凹凸と,中心部下部の濃色部分の描写が美しい.

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(成稿 1852年ごろ)
「クリンサウ
水側湿地ニ生シ.人家多ク栽テ花ヲ弄ブ.葉楕円ニシテ本漸ク流レテ中筋ニ沿フテ殆ト根際ニ至ル.中筋尤粗ク略菘(すずな)葉ノ如シテ微厚.面深緑脊淡緑色ニシテ滑澤.邊縁尖鋸歯アリ.中筋淡紫色ヲ帯ブ.全葉長六七寸.
草木図説 NDL

初生ノ葉ハ往々柄者亦アリ.葉心茎ヲ抽クコト尺許.頂ニ十数花輜次シ.中心少ク延テ又一層ヲナス.故ニ花数サクラサウノ如ク少ナカラス色鮮紅淡紅斑点等種々アリ.梗四五寸.萼鐘状尖鋭五裂.花筒様五辧.形サクラサウノ如ク.實礎両蕊形亦同シ.ソノサクラサウト同類異種ナルヲ以テ.種子ヲ以テ花色ノ変スルコト亦同シ.物印満*ハ此種下ニ花色葉形ノ異ナル八十種ヲ挙.林氏**亦種子ニヨツテ変態不盡ノコトヲ云.恰モ吾邦於ノサクラサウニ於ガ如シ」

「プリムラ アウリクュラ*** 羅  ベーレンヲール 蘭」
(左図)と,学名は誤っていたが,サクラソウと同様,ピン型とブラシ型の二種の花の株があることを考察している.

* ウェインマンJohann Wilhelm Weinmann (1735-45) 著「Phytanthoza-Iconographia,花譜」江戸時代の日本にオランダ語版が入り、当時の本草学者に影響を与えた。
** リンネ Carl von Linné
*** Primula auricular:プリムラ・オーリキュラ(厚葉サクラソウ)

百品考三編 WUL
★『百品考三編』山本亡羊(1853 序刊)
「旌節花
和名 クリンサウ
四川通志,旌節花,成都出,枝直上,花色紅紫,層発如旌節,葉碧類百合
群芳譜,旌節花,高四五尺,格至鏡原作去地二三尺.花小類茄花,俗譌爲錦茄児花,対生,紅紫如錦,
按ニ旌節花ニ草本木本ノ二品アリ 木本ノ旌節花ハ廣群芳譜湧幢小品等ニ見エタリ 先師蘭山先生マメフヂニ充ツルモノ是ナリ 草本ノ旌節花ハ今引用スルニ書所説是ナリ 
古人モクリンサウニ充ツル説アリ 先賢非ナリトス 今再考スルニ此説従フベシ クリンサウハ山ノ谷際沮洳ノ地ニ生ズ 葉質櫻サウニ似タレドモ形細長シテ地ヨリ環生スル處車ユリニ似タリ故類百合ト云ヘリ 三四月茎ヲ抽ヅルコト二三尺茎ヲトリマキテ花対生ス五辧紅紫色如此モノ七八段或ハ九十段ニモ至ル故ニ九輪サウ又七重サウトモ云フ」(右図)
と,クリンソウが草本の「旌節花」であると比定した.草本の「旌節花」が何であるかは探し出せなかったが,木本の「旌節花」はキブシ(Stachyurus praecox)であるとされている.

+ 一茶の,ふるさと,柏原への思いの一端

◎つくづく思うに、おのれ住る柏原は、信濃のおくの小隅なる物から、上々国とは異り、さくらも瘠せて、さながらおのが影法師に似て、誰とふ者もなく、花はつやなく、何となく見すぼらしく、外(そと)の花にくらぶれば仙人の如し。
「花ながらさくらといふが恥しき」(全集第五巻,俳文拾遺) 文政3年1820年

◎「下々(げげ)も下々下々の下国(げこく)の涼しさよ」(七番日記) 文化10年1813年

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