2014年4月30日水曜日

オキナグサ (2/5) 薬用 本草綱目,出雲国風土記,延喜式,本草和名,医心方,和名類聚抄,下学集,多識編

Pulsatilla cernua (Syn. Anemone cernua)
2004年6月 筑波実験植物園
新井白石が『東雅』で考察したように,オキナグサという名前は,「ニコグサ」が中国の本草書の「白頭翁(白髪頭のオキナ)」に比定されて,薬草として使われるようになってから一般的になったと考えられる.

明の李時珍選『本草綱目』(初版1596)草之一 山草類 には,以下のように「白頭翁」の性状や,根に止血や下痢止め,痛み止めの薬効があると記されている.
白頭翁(《本經》下品)
【釋名】野丈人(《本經》)、胡王使者(《本經)》)、奈何草(《別》)。
弘景曰處處有之。近根處有白茸,白頭老翁,故以為名。
時珍曰丈人、胡使、奈何,皆老翁之意。
【集解】《別》曰白頭翁,生高山山谷及田野。四月採。
恭曰其葉似芍藥而大,抽一莖。莖頭一花,紫色,似木槿花。實大者如雞子,白毛寸餘,皆披下,似纛頭,正似白頭老翁,故名焉。陶言近根有白茸,似不識也。太常所貯蔓生者,乃是女葳。其白頭翁根,似續斷而扁。
保升曰所在有之。有細毛,不滑澤,花蕊。二月採花,四月採實,八月採根,皆曬乾。
頌曰處處有之。正月生苗,作叢生,似白薇而柔細稍長。葉生莖頭,如杏葉,上有細白毛而不滑澤。近根有白茸。根紫色,深如蔓菁。其苗有風則靜,無風而搖,與赤箭、獨活同也。陶注未述莖葉,蘇注言葉似芍藥,實如雞子,白毛寸餘者,皆誤矣。
奭?
宗奭?曰白頭翁生河南洛陽界,其新安山野中屢嘗見之,正如蘇恭所。至今本處山中人賣白頭翁丸,言服之壽考,又失古人命名之義。陶氏所,失於不審,宜其排叱也。
機曰寇宗 以蘇恭為是,蘇頌以陶為是。大抵此物用根,命名取象,當準蘇頌《圖經》,而恭恐別是一物也。
【氣味】苦,,無毒。《別》曰有毒。綬曰苦、辛,寒。權曰甘、苦,有小毒。豚實為之使。大明曰得酒良。花、子、莖、葉同。
【主治】瘧狂 ,寒熱,症瘕積聚癭氣,逐血,止痛,療金瘡(《本經》)。鼻衄(《別》)。止毒痢(弘景)。赤痢腹痛,齒痛,百骨節痛,項下瘤 。(甄權)。一切風氣,暖腰膝,明目消贅(大明)。

この「白頭翁」の原植物は中国原産のヒロハオキナグサ(Pulsatilla chinensis)であるが,その性状から日本に広く生育するオキナグサ(Pulsatilla cernua)と比定され,根の薬効も変わりはないとされて,古くから使われた.

★出雲国風土記 (733)の飯石郡及び仁多郡の項の「凡て、諸の山野に在る所の草木は」には多くの有用植物とともに「白頭公=オキナグサ」の名が挙がる.草本の殆んど全てが薬草で,「白頭公」は後述の「諸國進年料雜藥」として,宮廷に献上されたので.薬草として認識されていたのであろう.

飯石郡 「凡諸山野所在草木 卑解 升麻 当帰 独活 大薊 黄精 前胡 薯蕷 白朮 女委 細辛 白頭公 白芨 赤箭 桔梗 葛根 秦皮 杜仲 石斛 藤 李 椙 赤桐 椎 楠 杜梅 槻 柘 楡 松 榧 蘗 楮」
仁多郡 「凡諸山野所在草木 白頭公 藍漆 藁本 玄参 百合 王不留行 薺泥 百部根 瞿麦 升麻 抜葜 黄精 地楡 附子 狼牙 離留 石斛 貫衆 続断 女委 藤 李 檜 椙 樫 松 柏 栗 柘 槻 蘗 楮」

★延喜式 (927編纂開始)卷第卅七 典藥寮 には,「白頭公」が宮中でいくつかの部署に支給され,また,渤海の使節には製剤・生薬の一つとして返礼として使わされたとある.また,関東から四国まで多くの地方から貢物として献上すべき生薬の一つとして,白頭公が指定されていた.
中宮臘月御藥。  白頭公一兩二分
雜給料          白頭公四兩二分

諸司年料雜藥。
齋宮寮,五十三種。      白頭公三兩一分
遣諸蕃使。渤海使,十七種。素女丸半劑,五香丸三兩など,   草藥,八十種。  白頭公、一斤など

•諸國進年料雜藥。
相摸國:卅二種の内,白頭公一斤.安房國:十八種の内,白頭公三斤.上總國:廿種の内白頭公三斤.下總國:卅六種の内白頭公九斤.常陸國:廿五種の内白頭公一斤.美濃國:六十二種の内白頭公四斤.出雲國:五十三種の内白頭公二斤三兩.備前國:卌種の内,白頭公二斤.備中國:卌二種の内白頭公三斤.備後國:廿八種の内白頭公五斤.安藝國:卅二種の内白頭公三斤.讚岐國:卌七種の内白頭公六斤

本草和名 NDL
この「白頭公」の和名が「於歧奈久佐(オキナグサ)」であると記した最初の文献は,『本草和名』と考えられる(磯野初見*).多くの本草書で和名の一つとされている「奈何久佐」は中『本草綱目』の「時珍曰丈人、胡使、奈何,丈人、胡使、奈何」をそのまま引用したと思われ,実際に「ナカクサ」と呼ばれていたかは不明.『下学集』においては,「ヲキナクサ」と仮名を使って表記した.

★深根輔仁撰『本草和名』延喜年間(901 - 923年)編纂
白頭公 陶景注云近根処有白茸似人白頭故似為名 一名 野丈人 一名 胡王使者 一名奈何草 一名 羗胡使者 出雑要史 和名 於歧奈久佐 一名 奈何久佐」

和名類聚抄
NDL
★丹波康頼(912 – 995)撰『医心方』984年(永観2年)朝廷に献上
諸薬ノ和名 第十 第十一巻 草ノ下ノ下 六十七種
白頭 和名於歧奈久佐 又奈加久佐 (白頭公 和名オキナクサ。又、ナカクサ。)」

★源順『和名類聚抄』(931 - 938),那波道円 []1617).巻之第二十 草木部第三十二 草類二百四十二
白頭公 陶隠居本草注云白頭公 和名 於木奈久佐 一云 奈何久佐 近根處有白茸似人白頭故似名之」

下学集 NDL
★東麓破衲編『下学集』(1444成立) 巻之下之三 艸木門 第十四
白頭公 ヲキナクサ」 初めて仮名で表記した.

★林羅山『多識編』(1612) (再版 16301631)
新刊多識編巻之二 古今本草並異名 羅浮子道春諺解 山草部第一
白頭翁 於歧奈(ナ)久佐 異名 野丈人(ヤシャウニン)本経」

江戸中後期に入ると,全く別種の植物も「オキナグサ」あるいは「オキナソウ」と呼ばれる.

磯野直秀 資料別・草木名初見リスト

オキナグサ (1/5) 万葉集,ニコグサ,ネッコグサ,地方名・方言,ハコネシダ?

オキナグサ (3/5) もう一つのオキナグサ. 花壇地錦抄,広益地錦抄,大和本草,和漢三才図会,東雅,用薬須知,東莠南畝讖,絵本野山草,物類品隲,物類称呼,本草綱目啓蒙,物品識名,梅園草木花譜,増補古方薬品考,薬品手引草,本草図譜,八翁草,草木図説,原色日本薬用植物図鑑

2014年4月29日火曜日

オキナグサ (1/5) 万葉集,ニコグサ,ネッコグサ,地方名・方言,ハコネシダ?

Pulsatilla cernua (Syn. Anemone cernua)
2003年5月 筑波実験植物園
全国の明るい山野に分布し,全身が銀白色の短い毛で覆われ,4月~5月に内側が暗赤紫色の釣鐘型の花が下向きに咲く.果実は,多数の柱頭が伸びて広がり,老人の白髪の頭のようになる.しかし,「オキナグサ」の名は,中国から本草書が渡来し,「白頭翁(白頭公)」にこの草が比定され,その根が薬用として利用されるようになってから,漢名に習って付けられ(新井白石『東雅』),それ以前は「ニコグサ」あるいは,「ネッコグサ」と呼ばれていたのではないかと考えられる.
即ちオキナグサの最も大きな特徴である全草を覆う柔らかい毛,ニコゲ(和毛)から「ニコゲグサ」と呼ばれ,これが「ニコグサ」「ネコグサ」そして「ネッコグサ」と訛化したのではなかろうか.

万葉集には「爾故(古)具左」,「似兒草」,「和草」,「根都古具佐」を詠った五首の歌が載る.
○(巻十一 二七六二、詠人未詳)
蘆垣之 中之似兒草 爾故余漢 我共咲為而 人爾所知名
葦垣の 中のにこ草 にこやかに 我れと笑まして 人に知らゆな
○(巻十四 三三七〇、東歌)
安思我里乃 波故祢能祢呂乃 爾古具佐 波奈都豆麻奈礼也 比母登可受祢牟
あしがりの 箱根の嶺ろの にこ草の 花つ妻なれや 紐解かず寝む
○(巻十四 三五〇八、詠人未詳)
芝付乃 御宇良佐伎奈流 根都古具佐 安比見受安良婆 安禮古非米夜母
芝付の 御宇良崎(みうらさき)なる ねつこ草 相見ずあらば 吾恋ひめやも
○(巻十六 三八七四、詠人未詳)
所射鹿乎 認河邊之 和草 身若可倍爾 佐宿之兒等波母
射ゆ鹿を 認(つな)ぐ川辺の にこ草の 身の若(わか)かへに さ寝し子らはも
○(巻二十 四三〇九、大伴家持)
秋風爾 奈批久可波備能 爾故具左能 布古鎗可爾之母 於毛保由流香母
秋風に なびく川辺の にこ草の にこよかにしも 思ほゆるかも

この植物を単に柔らかい草とする説もあるが,山田卓三,中嶋信太郎『万葉植物事典』北隆館 (1995) では,「ニコグサ」をハコネシダ(ハコネグサ)とし,「ネッコグサ」はオキナグサとの説もあるが,特定できずとしている.
しかし,このニコグサには花が着くと詠われるし,また,海岸の明るい芝の岬に生えることからすると,ハコネシダでは適切ではない.また,ハコネシダの地方名には「にこ」や「ねこ」に関連しそうなものはない*.

一方,木下武司『万葉植物文化誌』八坂書房 (2010)では,オキナグサ説をとるが,「ネッコグサをもっとも古い名と考え、「つ」が略されてネコグサとなり、にこ草はこのネ→ニの転訛とするのは、音韻的に無理がなく、至極妥当と思われる。ねつこ草は根っ子草と考えられがちだが、古語に「根っ子」は見当たらない。おそらく「土(に)つ子草」すなわち「土の子草」の意と思われる。オキナグサはその地上部から想像できないほど根が大きくて深いのであるが、地上部が枯れても毎年同じ場所から苗が生えてくる。とりわけ、川原に生えるものは洪水で氾濫した後からでも芽が出て花を咲かせるから、土の中に子があると考えて「土の子草」と名づけたのではなかろうか。」としている.
しかし,万葉の時代には,オキナグサの根の薬効は認識されておらず,したがってその根が注目される度合いは,特徴的な地上部に比すると低かったろうと推察される.

オキナグサを「ニコグサ」から転訛した「ネコグサ」あるいは,その「ネコ」と関連付けて呼ぶ地方名(方言)は古くから知られていて,江戸時代の本草書,松岡玄達の『用薬須知(1726) には,「猫艸(子コグサ)(筑前)」とあり,越谷吾山 編輯『物類称呼(1775) には「筑前にて○ねこぐさ」と,更に小野蘭山の『本草綱目啓蒙(1803-1806) には「ネコグサ筑前 ネコバナ筑後」と記録されている.

八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房 (2001) には,303個の地方名が収載されているが,「ネコ」に関連しそうな名称は,九州を中心に 15 ほどある.
おないこ(肥後),おないご(大分(別府市)・肥後),おにごろ(越中(富山・石川),おにやこ(熊本(球磨)・大分(大分)),おにやこ(熊本(球磨)),おねこ(宮崎(児湯)),おねご(大分・鹿児島(伊佐)・鹿児島(大口)),おねこぐさ(鹿児島(肝属)),おねごじょ(鹿児島(鹿児島)),おねこやんぶし(鹿児島(出水・大口・阿久根)),おねこやんほし(鹿児島(姶良・国分・薩摩)),おねごやんぼし(鹿児島(伊佐)),ねこ(長野(佐久)),ねこぐさ(筑紫(筑前(福岡))),ねこばな(九州(筑後・福岡))

さらに,オキナグサの地方名を集積している中園氏の著名なサイト「幻の野草・オキナグサ/呼び名方言集」(http://www.synapse.ne.jp/m3naka/WORD.HTM)には,県別で集積しているので重複もあるが,688 件が記録され,その中には「ネコ」関連と思われる以下のような地方名がある.
2005年1月美保の松原
ウネイコ(鹿児島県),ウネーコ(鹿児島県),ウネコ(鹿児島県),ウネゴ(大分県,鹿児島県),ウメゴ(鹿児島県),オナイコ(熊本県),オナイゴ(大分県,熊本県),オニャコ(熊本県),オニヤコ(大分県,熊本県),オニャンコ(熊本県),オネコ(宮崎県,鹿児島県),オネゴ(宮崎県,鹿児島県),オネコグサ(鹿児島県),オネコジョ(鹿児島県),オネゴジョ(鹿児島県),オネコヤンブシ(鹿児島県),オネコヤンボシ(鹿児島県),オネゴヤンボシ(鹿児島県),オネコンジョ(鹿児島県),オネコンボ(鹿児島県),オネッ(鹿児島県),オネッコ(鹿児島県),オンネコ(鹿児島県),ネコグサ(福岡県),ネコノテ(広島県),ネコノミミグサ(山口県),ネコバカボーズ(熊本県),ネコバナ(福岡県)

これだけ「ネコ」に関連ありそうな地方名が多いと,万葉の「ニコグサ」も,この草を柔らかく短い毛を持つネコに見立てた「ネコクサ 猫草」由来と思いたくなるが,ネコが愛玩用あるいは経典をネズミから守るために大陸から入ってきたのは奈良時代と思われる.古代にネコが日本に定着していたという物証は乏しく,古事記や日本書紀などにもネコの記述は無い.従って,万葉集の「ニコクサ」「ネッコクサ」は動物のネコとは関連しないと考えられる.しかし後世,貯蔵する穀物を害するネズミを駆除するため,多くのネコが農村部でも飼われるようになって以降は,オキナグサの「ねこ」に関連する地方名が,動物の「ネコ」由来である可能性はあろう.

*ハコネシダの地方名 八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房 (2001) 
あしなが 江州,いししだ 駿州,いちょ-ぐさ 伯州,いちょ-しのぶ 阿州 徳島,おず-ず- 神奈川(津久井),おずる 神奈川(津久井),おとのくさ 和歌山(東牟婁),おらんだそ- 武州 相川箱根,からすのあし 越後,きつねのかんざし 越後,くろはぎ 加州,すしたで 和歌山(東牟婁),すじたで 和歌山(東牟婁),とらのぐさ 和歌山(東牟婁),はこねそ- 和歌山(東牟婁),ほ-お-そ- 甲州河口,ほ-お-はぎ 駿河,よめがさら 甲斐,よめがはし 甲州,よめがははき 甲州,よめのかんざし 越後,よめのぬりばし 越前,よめのはし 能登,よめのははき 近江

オキナグサ (2/4) 本草綱目,出雲国風土記,延喜式,本草和名,医心方,和名類聚抄,下学集,多識編

続く

2014年4月18日金曜日

セツブンソウ イエニレ,菟葵,本草綱目,和名類聚抄,下学集,多識編,和漢三才図会,東雅,地錦抄附録,本草綱目啓蒙,物品識名,梅園草木花譜,本草図譜,草木図説,莵葵=イエニレ(フユアオイ or ウサギアオイ)≠セツブンソウ

Eranthis pinnatifida
2003年3月 筑波実験植物園
関東地方以西で特に石灰岩地域に見られる多年草.2-3月に高さ10cmほどで直径2cmの白い花を咲かせる.花弁に見えるのは萼片であり,花弁は黄色い細いY字型をしていてあまり目立たない.葯と花糸が特有の青紫色でよく目立つ.西洋のお小姓の襟飾りのような包葉が可愛らしさを引き立てる.乱獲と環境変化で絶滅に瀕している.

古くはイヘニレと呼ばれていたとされ,中国本草の薬草「菟葵」に比定されていたが,日本特産なのでこの比定には疑問があり,寺島良安や新井白石の説によれば,イエニレと同じかも怪しい.現代中国では,「菟葵」はセツブンソウともされているが,「Malva verticillata, 冬葵」ともされていて,こちらの方が正しそうだ.

明の李時珍選『本草綱目』(初版1596)草之五 隰草類下「菟葵(《唐本草》)」の項に
【釋名】天葵(《圖經》)、【集解】恭曰菟葵苗如石龍芮,而葉光澤,花白似梅,其莖紫黑,煮啖極滑。所在下澤田間皆有,人多識之。六月、七月採莖葉,曝乾入藥。
禹錫曰郭璞注《爾雅》云菟葵似葵而小,葉如藜,有毛, 之可食而滑。
宗奭曰菟葵,綠葉如蜀葵,其花似拒霜,甚雅,其形至小,如初開單葉蜀葵。有檀心,色如牡丹姚蕊,則蜀葵也。唐劉夢得所謂菟葵燕麥動搖春
時珍曰鄭樵《通志》云菟葵,天葵也。如葵菜,葉大如錢而濃,面青背微紫,生於崖石。凡丹石之類,得此而後能神。所以《雷公炮炙論》云如要形堅,豈忘紫背,謂其能堅鉛也。此得於天台一僧。又按南宮從《靈草也。生於水際。取自然汁煮汞則堅,亦能煮八石拒火也。又按初虞世《古今驗》云五月五前齋戒以手摩桑陰一遍,口嚙菟葵及五葉草嚼熟,以唾塗手,熟揩令遍。再齋七日,不得洗手。後有蛇蟲蠍蠆咬傷者,以此手摩之,即愈也。時珍竊謂古有咒由一科,此亦其類,但不知必用菟葵,取何義也」
とあり,蘇恭が言う「而葉光澤,花白似梅,其莖紫黑」を元に,菟葵をセツブンソウと比定したと考えられる.しかし,他の説では花は白色ではない.

日本では,
★源順『和名類聚抄』(931 - 938),那波道円 [校](1617)に
草木「兎葵 本草云兎葵 和名 以倍仁禮」
野菜類「兎葵 イヘニレ 本草云兎葵 和名 以倍仁礼 味甘シ寒ニシテ無毒者也」
とある(左図).
セツブンソウはキンポウゲ科なので有毒であり,また地上部の存在時期は短く,野菜として栽培されることはないのでイエニレ=セツブンソウには疑問がある.

★東麓破衲編『下学集 巻下之三』(1444)年(文安1)成立 には
「兔葵 イヘニレ」とある.


★林羅山『多識編』(1612)  羅浮子道春諺解『新刊多識編巻之二 古今和名本草並異名 湿草部第二』 (1649) には
「菟葵 伊倍尓礼 異名 天葵 圖経 キ 音希」(右図,左)とある.

★寺島良安『和漢三才図会 巻第九十四 隰草類』(1713頃)に
現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫,『和漢三才図会』島田勇雄,竹島淳夫,樋口元巳訳注,平凡社-東洋文庫,
「菟葵(いえにれ,トウクイ) 天葵(てんき) [音は希(キ)]  雷丸(らいがん)草 [和名は以倍爾礼(いへにれ)]
『本草綱目』(草部湿草類菟葵〔集解〕)に次のようにいう。
菟葵(アオイ科)の状は、葵菜に似ていて、葉の大きさは銭ぐらいで厚い。葉の表は青く裏は微紫。花は白くて梅に似ている。崖石に生える。
(中略)
△思うに、『和名抄』に、葵(園菜類)・菟(野菜類)ともに野菜・水菜(園菜)の部に入れているからには、古はわが国でも葵をもって疏菜としたことは明らかであろう。いまは和漢とも常食とはしない。
山州の賀茂(京都市北区上賀茂) の山中に、二ッ葉の葵〔毛呂波久佐 もろはぐさ〕がある。地にひろがり生える。葉は団くてやや尖り、表面は青、裏は紫色を帯びている。賀茂の神事に葵を桂の木の枝に着けて簾や器に掛ける。これを葵祭りという。毎年四月中の酉の日に行なわれ、葵は北山中村から献上する。
〔新古今〕 いかなればそのかみ山の葵草年はふれども二葉なるらん 小侍従
〔夫木〕日影山けふのかざしのもろは草かけてたのむと神は知るらん 忠基」
とあり,タチアオイ或はフタバアオイの類の一つと位置づけていている.

★新井白石『東雅(とうが)』(1719年脱稿) には
「兎葵 イヘニレ イヘとは家也.猶芋をイヘチモといふが如し.ニレとは滑らかなるをいうなり.其煮?ふが極めて滑らかななればなり.楡をニレとも,ヤニシなどもいへ,蕘花をハマニレといふも,皆此類なり.楡は下に見えたり.蕘花は本草圖経に.蕘花根入(レ)土深三五寸.似(二)楡根(一)といふものにして.李東壁本草に蕘花黄色謂(二)之黄色芫.此蕘花也.といひしものなり.
凡物の粘滑なる.ニといひ.ヌといひ.ネと云ひ.ノと云ひし.義前に註せり.又俗にトロロといふ事.太古のときより聞こえたりき.トロヽギといふ事の,古事記に見えし.即是也.泥をドロと云ひしも,その滑らかなるをいふなり.またトロケル,トラカスなどといふが如きも亦皆此義なりけり.」
とあり,イヘニレは家庭で栽培され,料理すると滑らかな食感を示す野菜とされ,フユアオイやトロロアオイを想起させる.

★四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録 巻之一 △草花の部』(1733) には
「節分草(せつぶんさう) 花形いちりんさうに似たり一茎一輪づつ開く色白く梅花のかたち寒中より葉を出し立春の頃花開くゆへ節分草といふ花実ともに霜雪の内にいさざよくながめ珍賞せり」とあり(左図),観賞用として栽培されていたことを示すが,莵葵やイへニレとの関連は記していない.

★小野蘭山『本草綱目啓蒙』巻之十二 草之五 隰草類 下 (1803-1806) には,
「莵葵 イへニレ(和名鈔)
集解ニ説トコロ一ナラズ、大抵三種ニ別ツ。恭ノ説トコロノ者ハ、和名セツブンサウ、一名一花草(筑前)、山足或ハ原野ニ生ズ。小寒ノ候旧棍ヨリ一茎ヲ抽ヅルコト一寸許、其梢ニ一葉アリ、白頭翁花下ノ葉ニ似テ、至テ小ク、毛ナクシテ深緑色ナリ。葉中ニ一花ヲ包ム。
立春二至テ開ク故ニ節分草ト云。人家ニ移シ栽ルモノハ半月後レテ開ク。形梅花ノ如ク、大サモ同ジ。ソノ弁尖リ、或ハ鋸歯アリ、色白クシテ中ニ白蘂多クアリ、花謝シテ葉ヲ生ズ。烏頭葉ニ似テ至テ小ク岐多クシテ深緑色、大サ一寸余、一根二三葉二過ズ。夏二至テ枯、花後小扁莢ヲ結ブコト二三箇、長サ二三分、内ニ二三子アリ、鳳仙花子ノ如ク褐色、熟スレバ莢自ラ裂テ子オチ、次年ノ春生出ス。其根形円ニシテ半夏根ノ如シ。(中略)南錫ノ説トコロノ者ハ、和産詳ナラズ。宗爽説トコロノ者ハ、即救荒本草ノ野西瓜苗、是ナリ。和名ギソンセンクハ*、(中略)時珍説トコロノ紫背天葵ハ、和名イチヤクサウ。(後略)」
と本草綱目の「莵葵」はセツブンサウ一種ではなくほかに三種あり,どれとも決めがたいとしている.セツブンソウの性状の説明は詳しい.*ギンセンカ

★岡林清達・水谷豊文『物品識名』(1809 跋) には「セツブンサウ 菟葵 蘇恭説」とあり,本草綱目で蘇恭のいう「莵葵」はセツブンソウであるとしている.(右上図,右)

★毛利梅園(1798 ?-1851)『梅園草木花譜』(1825 序)
春乃部三,春乃部四,夏乃部五に三種の菟葵の図(右図左より)があるが,いずれもイチリンソウの類.さらに,中央の図の植物には「節分草」とあるが,キクザキイチゲの若い花のように思われ,セツブンソウではない.


★岩崎灌園『本草図譜』(1828-1844),巻十七 湿草類
「莵葵 一種 せつぶんさう
相州筥根(はこね)其外山足にあり 山中にてハ節分のころ生じ人家に栽るときハ正二月に生ず 葉烏頭(か○○きく)に似て小く茎長さ二寸許一茎一花を開く 五辧白色梅花の如し 根に圓き塊りありて延胡索に似て黒褐色なり 以上三種○(蘇)恭説ところの物是なり」とあり(図は下図右),本草綱目の「莵葵」の比定候補として,セツブンソウの他にイチリンソウやキクザキイチゲを挙げている.

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(成稿 1852ごろ,出版 1856-62),巻之十
『草木図説』       『本草図譜』
「セツブンサウ 莵葵
幽谷樹陰ニ生。梢上四五葉輻次シ。毎葉三五裂ニシテ頭不斉。中心短梗ヲ抽一花ヲ放ク。五辧白色略梅花ノ如クシテ縦條脉アリ。実礎牛角状二三箇並置シ。雄蕊二十許林ニ出葯淡藤花色。又雄蕊外ニ蜜槽八箇アツテ相圍ム。形漏斗ノ如ニシテ頭殆ト四裂。ソノ二ハ小二ハ稍大ニ毎端滑沢黄色。此種全形略一リンサウノ如ニシテ小。根一リンサウト異ニシテ。茎下長鬚根ヲ引キ末ニ一珠塊アリ。形零餘子(ムカゴ)ノ如シテ外面黒褐色裏白色。味微渋ニシテ帯耳。一根一茎或ハ二茎ヲ出ス。萠芽寒ヲ冒シテ早クメ花アリ。故ニ節分サウノ名ヲ得 附両蕊蜜槽郭大圖 (以下略)」(図は上図左)

近代植物学が入ってきた江戸後期においても,セツブンサウ=莵葵の等式は壊れず,「本草学」の呪縛の強さがしのばれる.

牧野富太郎は 「莵葵」に Malva parviflora L. を比定し,和名を「ウサギアオイ」とした(出典,確認できず).冒頭に述べたように 「莵葵」はセツブンソウではなく,食用にもなる Malva の類,フユアオイあるいはウサギアオイと考えるのが妥当である.莵葵イエニレ(フユアオイあるいはウサギアオイ)セツブンソウと考えるべきであろう.

現在でも有効な学名を付けたのは,日本産植物の研究で有名なロシアの植物学者マキシモウィッチ(Maximowicz, Carl Johann (Ivanovič), 1827-1891) で,元記載文献は “Bull. Acad. Imp. Sci. Saint-Pétersbourg xxii. (1877) 225.” であるが,ネットでは見ることができなかった.なお,種小名の pinnatifida とは「羽状の葉をもつ」の意味で,細かに裂けた苞葉に由来する.

画像はNDLの公開画像より部分引用.