2014年4月18日金曜日

セツブンソウ イエニレ,菟葵,本草綱目,和名類聚抄,下学集,多識編,和漢三才図会,東雅,地錦抄附録,本草綱目啓蒙,物品識名,梅園草木花譜,本草図譜,草木図説,莵葵=イエニレ(フユアオイ or ウサギアオイ)≠セツブンソウ

Eranthis pinnatifida
2003年3月 筑波実験植物園
関東地方以西で特に石灰岩地域に見られる多年草.2-3月に高さ10cmほどで直径2cmの白い花を咲かせる.花弁に見えるのは萼片であり,花弁は黄色い細いY字型をしていてあまり目立たない.葯と花糸が特有の青紫色でよく目立つ.西洋のお小姓の襟飾りのような包葉が可愛らしさを引き立てる.乱獲と環境変化で絶滅に瀕している.

古くはイヘニレと呼ばれていたとされ,中国本草の薬草「菟葵」に比定されていたが,日本特産なのでこの比定には疑問があり,寺島良安や新井白石の説によれば,イエニレと同じかも怪しい.現代中国では,「菟葵」はセツブンソウともされているが,「Malva verticillata, 冬葵」ともされていて,こちらの方が正しそうだ.

明の李時珍選『本草綱目』(初版1596)草之五 隰草類下「菟葵(《唐本草》)」の項に
【釋名】天葵(《圖經》)、【集解】恭曰菟葵苗如石龍芮,而葉光澤,花白似梅,其莖紫黑,煮啖極滑。所在下澤田間皆有,人多識之。六月、七月採莖葉,曝乾入藥。
禹錫曰郭璞注《爾雅》云菟葵似葵而小,葉如藜,有毛, 之可食而滑。
宗奭曰菟葵,綠葉如蜀葵,其花似拒霜,甚雅,其形至小,如初開單葉蜀葵。有檀心,色如牡丹姚蕊,則蜀葵也。唐劉夢得所謂菟葵燕麥動搖春
時珍曰鄭樵《通志》云菟葵,天葵也。如葵菜,葉大如錢而濃,面青背微紫,生於崖石。凡丹石之類,得此而後能神。所以《雷公炮炙論》云如要形堅,豈忘紫背,謂其能堅鉛也。此得於天台一僧。又按南宮從《靈草也。生於水際。取自然汁煮汞則堅,亦能煮八石拒火也。又按初虞世《古今驗》云五月五前齋戒以手摩桑陰一遍,口嚙菟葵及五葉草嚼熟,以唾塗手,熟揩令遍。再齋七日,不得洗手。後有蛇蟲蠍蠆咬傷者,以此手摩之,即愈也。時珍竊謂古有咒由一科,此亦其類,但不知必用菟葵,取何義也」
とあり,蘇恭が言う「而葉光澤,花白似梅,其莖紫黑」を元に,菟葵をセツブンソウと比定したと考えられる.しかし,他の説では花は白色ではない.

日本では,
★源順『和名類聚抄』(931 - 938),那波道円 [校](1617)に
草木「兎葵 本草云兎葵 和名 以倍仁禮」
野菜類「兎葵 イヘニレ 本草云兎葵 和名 以倍仁礼 味甘シ寒ニシテ無毒者也」
とある(左図).
セツブンソウはキンポウゲ科なので有毒であり,また地上部の存在時期は短く,野菜として栽培されることはないのでイエニレ=セツブンソウには疑問がある.

★東麓破衲編『下学集 巻下之三』(1444)年(文安1)成立 には
「兔葵 イヘニレ」とある.


★林羅山『多識編』(1612)  羅浮子道春諺解『新刊多識編巻之二 古今和名本草並異名 湿草部第二』 (1649) には
「菟葵 伊倍尓礼 異名 天葵 圖経 キ 音希」(右図,左)とある.

★寺島良安『和漢三才図会 巻第九十四 隰草類』(1713頃)に
現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫,『和漢三才図会』島田勇雄,竹島淳夫,樋口元巳訳注,平凡社-東洋文庫,
「菟葵(いえにれ,トウクイ) 天葵(てんき) [音は希(キ)]  雷丸(らいがん)草 [和名は以倍爾礼(いへにれ)]
『本草綱目』(草部湿草類菟葵〔集解〕)に次のようにいう。
菟葵(アオイ科)の状は、葵菜に似ていて、葉の大きさは銭ぐらいで厚い。葉の表は青く裏は微紫。花は白くて梅に似ている。崖石に生える。
(中略)
△思うに、『和名抄』に、葵(園菜類)・菟(野菜類)ともに野菜・水菜(園菜)の部に入れているからには、古はわが国でも葵をもって疏菜としたことは明らかであろう。いまは和漢とも常食とはしない。
山州の賀茂(京都市北区上賀茂) の山中に、二ッ葉の葵〔毛呂波久佐 もろはぐさ〕がある。地にひろがり生える。葉は団くてやや尖り、表面は青、裏は紫色を帯びている。賀茂の神事に葵を桂の木の枝に着けて簾や器に掛ける。これを葵祭りという。毎年四月中の酉の日に行なわれ、葵は北山中村から献上する。
〔新古今〕 いかなればそのかみ山の葵草年はふれども二葉なるらん 小侍従
〔夫木〕日影山けふのかざしのもろは草かけてたのむと神は知るらん 忠基」
とあり,タチアオイ或はフタバアオイの類の一つと位置づけていている.

★新井白石『東雅(とうが)』(1719年脱稿) には
「兎葵 イヘニレ イヘとは家也.猶芋をイヘチモといふが如し.ニレとは滑らかなるをいうなり.其煮?ふが極めて滑らかななればなり.楡をニレとも,ヤニシなどもいへ,蕘花をハマニレといふも,皆此類なり.楡は下に見えたり.蕘花は本草圖経に.蕘花根入(レ)土深三五寸.似(二)楡根(一)といふものにして.李東壁本草に蕘花黄色謂(二)之黄色芫.此蕘花也.といひしものなり.
凡物の粘滑なる.ニといひ.ヌといひ.ネと云ひ.ノと云ひし.義前に註せり.又俗にトロロといふ事.太古のときより聞こえたりき.トロヽギといふ事の,古事記に見えし.即是也.泥をドロと云ひしも,その滑らかなるをいふなり.またトロケル,トラカスなどといふが如きも亦皆此義なりけり.」
とあり,イヘニレは家庭で栽培され,料理すると滑らかな食感を示す野菜とされ,フユアオイやトロロアオイを想起させる.

★四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録 巻之一 △草花の部』(1733) には
「節分草(せつぶんさう) 花形いちりんさうに似たり一茎一輪づつ開く色白く梅花のかたち寒中より葉を出し立春の頃花開くゆへ節分草といふ花実ともに霜雪の内にいさざよくながめ珍賞せり」とあり(左図),観賞用として栽培されていたことを示すが,莵葵やイへニレとの関連は記していない.

★小野蘭山『本草綱目啓蒙』巻之十二 草之五 隰草類 下 (1803-1806) には,
「莵葵 イへニレ(和名鈔)
集解ニ説トコロ一ナラズ、大抵三種ニ別ツ。恭ノ説トコロノ者ハ、和名セツブンサウ、一名一花草(筑前)、山足或ハ原野ニ生ズ。小寒ノ候旧棍ヨリ一茎ヲ抽ヅルコト一寸許、其梢ニ一葉アリ、白頭翁花下ノ葉ニ似テ、至テ小ク、毛ナクシテ深緑色ナリ。葉中ニ一花ヲ包ム。
立春二至テ開ク故ニ節分草ト云。人家ニ移シ栽ルモノハ半月後レテ開ク。形梅花ノ如ク、大サモ同ジ。ソノ弁尖リ、或ハ鋸歯アリ、色白クシテ中ニ白蘂多クアリ、花謝シテ葉ヲ生ズ。烏頭葉ニ似テ至テ小ク岐多クシテ深緑色、大サ一寸余、一根二三葉二過ズ。夏二至テ枯、花後小扁莢ヲ結ブコト二三箇、長サ二三分、内ニ二三子アリ、鳳仙花子ノ如ク褐色、熟スレバ莢自ラ裂テ子オチ、次年ノ春生出ス。其根形円ニシテ半夏根ノ如シ。(中略)南錫ノ説トコロノ者ハ、和産詳ナラズ。宗爽説トコロノ者ハ、即救荒本草ノ野西瓜苗、是ナリ。和名ギソンセンクハ*、(中略)時珍説トコロノ紫背天葵ハ、和名イチヤクサウ。(後略)」
と本草綱目の「莵葵」はセツブンサウ一種ではなくほかに三種あり,どれとも決めがたいとしている.セツブンソウの性状の説明は詳しい.*ギンセンカ

★岡林清達・水谷豊文『物品識名』(1809 跋) には「セツブンサウ 菟葵 蘇恭説」とあり,本草綱目で蘇恭のいう「莵葵」はセツブンソウであるとしている.(右上図,右)

★毛利梅園(1798 ?-1851)『梅園草木花譜』(1825 序)
春乃部三,春乃部四,夏乃部五に三種の菟葵の図(右図左より)があるが,いずれもイチリンソウの類.さらに,中央の図の植物には「節分草」とあるが,キクザキイチゲの若い花のように思われ,セツブンソウではない.


★岩崎灌園『本草図譜』(1828-1844),巻十七 湿草類
「莵葵 一種 せつぶんさう
相州筥根(はこね)其外山足にあり 山中にてハ節分のころ生じ人家に栽るときハ正二月に生ず 葉烏頭(か○○きく)に似て小く茎長さ二寸許一茎一花を開く 五辧白色梅花の如し 根に圓き塊りありて延胡索に似て黒褐色なり 以上三種○(蘇)恭説ところの物是なり」とあり(図は下図右),本草綱目の「莵葵」の比定候補として,セツブンソウの他にイチリンソウやキクザキイチゲを挙げている.

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(成稿 1852ごろ,出版 1856-62),巻之十
『草木図説』       『本草図譜』
「セツブンサウ 莵葵
幽谷樹陰ニ生。梢上四五葉輻次シ。毎葉三五裂ニシテ頭不斉。中心短梗ヲ抽一花ヲ放ク。五辧白色略梅花ノ如クシテ縦條脉アリ。実礎牛角状二三箇並置シ。雄蕊二十許林ニ出葯淡藤花色。又雄蕊外ニ蜜槽八箇アツテ相圍ム。形漏斗ノ如ニシテ頭殆ト四裂。ソノ二ハ小二ハ稍大ニ毎端滑沢黄色。此種全形略一リンサウノ如ニシテ小。根一リンサウト異ニシテ。茎下長鬚根ヲ引キ末ニ一珠塊アリ。形零餘子(ムカゴ)ノ如シテ外面黒褐色裏白色。味微渋ニシテ帯耳。一根一茎或ハ二茎ヲ出ス。萠芽寒ヲ冒シテ早クメ花アリ。故ニ節分サウノ名ヲ得 附両蕊蜜槽郭大圖 (以下略)」(図は上図左)

近代植物学が入ってきた江戸後期においても,セツブンサウ=莵葵の等式は壊れず,「本草学」の呪縛の強さがしのばれる.

牧野富太郎は 「莵葵」に Malva parviflora L. を比定し,和名を「ウサギアオイ」とした(出典,確認できず).冒頭に述べたように 「莵葵」はセツブンソウではなく,食用にもなる Malva の類,フユアオイあるいはウサギアオイと考えるのが妥当である.莵葵イエニレ(フユアオイあるいはウサギアオイ)セツブンソウと考えるべきであろう.

現在でも有効な学名を付けたのは,日本産植物の研究で有名なロシアの植物学者マキシモウィッチ(Maximowicz, Carl Johann (Ivanovič), 1827-1891) で,元記載文献は “Bull. Acad. Imp. Sci. Saint-Pétersbourg xxii. (1877) 225.” であるが,ネットでは見ることができなかった.なお,種小名の pinnatifida とは「羽状の葉をもつ」の意味で,細かに裂けた苞葉に由来する.

画像はNDLの公開画像より部分引用.

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