2015年3月13日金曜日

イヌノフグリ-3 6つの学名 Tenore,Fries,松村任三,牧野富太郎,山崎敬,環境省第4次レッドリスト

Veronica polita  subsp. lilacina
名の由来の果実をつけた枝と,熟して口の開いた果実
鉢からあふれんばかりに茎を伸ばし,多くの花と実をつけて,鉢受けの皿に種をこぼしている.こんなに実や種をつけるのに絶滅危惧種とは信じがたいが.

Y-list でイヌフグリの「学名」には,Table-1 6個がある.
米倉浩司・梶田忠 (2003-) 「BG Plants 和名−学名インデックス」(YList),http://bean.bio.chiba-u.jp/bgplants/ylist_main.html(2015年3月13日)



Y-list 学名ステイタス
Veronica didyma auct. non Ten.
1811
synonym
Veronica polita Fr.
1817
広義
Veronica caninotesticulata Makino
1940
synonym
Veronica dydima Tenore v. lialacina (Hara) Yamaz.
1957
synonym
Veronica polita Fr. v. lilacina (T.Yamaz.) T.Yamaz.
1963
標準
Veronica polita Fr. subsp. lilacina (T.Yamaz.) T.Yamaz.
1993
synonym

最も古い①, V. didyma (二つの連なった) は MicheleTenore (1780-1861) によって欧州原産のベロニカ属の植物に命名された(Prod. Fl. Nap. p. vi .(1811),左図)が,現在は auct. non との位置づけとされている.
メルボルン規約によれば,「[auct. non] , auctorum non, of the authors not ….~ではない著者による(学名の原著者の前に置き,誤用名の引用に用いて原著者の指定したタイプと異なることを示す).」図鑑類では、~氏という個人名でなく,一般的な著者という意味でauct.auctorum)と書くことが多い.
United States Department of Agriculture USDA, Germplasm Resources Information Network (GRIN) Taxonomy for Plants   Taxon: Veronica didyma auct. の項には Comment: application of V. didyma Ten., older than V. polita Fries, is apparently uncertain とある.

「広義」の学名はVeronica polita Fr. で,スウェーデンの植物学者 Elias Magnus Fries (1794-1878) が学名をつけた (Nov. Fl. Suec.: 63 (1817)*), 欧州原産の青い花を着ける V. polita と同じとする.(右図は Thomé, O.W., Flora von Deutschland Österreich und der Schweiz, Tafeln, vol. 4 t. 503, fig. A (1885).

*  Novitiae Florae Suecicae. Edit. Altera, Auctior et in Formam Commentarii in Cel. Wahlenbergii Floram Suecicam Redacta. Lund

東京帝国大学植物学教授の松村任三 (1856 – 1928) は日本のイヌノフグリがこれと同種とした(Index Pl. Jap. **2(2): 572 (1912),下図).

**  Index plantarum Japonicarum, sive, Enumeratio plantarum omnium ex insulis Kurile, Yezo, Nippon, Sikoku, Kiusiu, Liukiu, et Formosa hucusque cognitarum systematice et alphabetice disposita adjectis synonymis selectis, nominibus Japonicis, locis natalibus,

一方,牧野富太郎はイヌフグリを新種としVeronica caninotesticulata Makino を与えた(Ill. Fl. Nippon日本植物図鑑: 140, f. 418 (1940))****
高知県立牧野植物園
「第418圖 ごまのはぐさ科/いぬふぐり(地錦)/一名 いぬのふぐり・へうたんぐさ・てんにんからくさ
Veronica caninotesticulata Makino /(中略)
蒴果ハ扁圜ニシテ縦ニ一溝ヲ有シ,宛モ二箇相接スルノ状ヲ呈ス.本種ハ元来外来ノ植物ナルベシト雖モ決シテ V. agrestis L. 或ハ V. polita Fries. ニ非ズ,故ニ今此ニ上掲ノ新学名ヲ剏定セリ.和名狗フグリハ其果実ノ状狗ノ陰嚢ニ似タレバ云ヒ,瓢箪草ハ同ジク果実ノ状ニ基キシ名,天人唐草ハ其草姿ヲ形容セル称ナル.漢名 婆々納(誤用)」
なお,ラテン語で,canino とはイヌ,testiculata とは陰嚢の意であるので,和名そのままを種小名をつけたことになる.
面白い学名と思うが,残念ながら現在は「裸名」とされ,用いられないようだ.(nomen nudumnom. nud.)裸名:記載文あるいは判別文を伴わないか,あるいは記載文または判別文への出典引用を伴わないで発表された新分類群の名称(メルボルン規約)).

Veronica dydima Tenore v. lialacina (Hara) Yamaz. はイヌノフグリを V. dydima の変種とする考え方で,山崎敬 (1921-2007) によって1957年の東京大学理学部紀要(J. F. S. U. T. 3, J. Fac. Sci. Univ. Tokyo, [Rigaku-bu kiyo], Sect. 3, Bot..7(2): 150 (1957), '(H.Hara) T.Yamaz.)に記載された.後述のように最近の図鑑類ではこの学名の採用が多い.しかし,①で記したように基本名は auct. non. なので,イヌフグリの学名としてこれを採用するのはためらわれる.

「標準」の学名は,イヌノフグリを V. polita の変種とする考え方の Veronica polita Fr. var. lilacina (T.Yamaz.) T.Yamaz.***  であり,④ から基本種が変更された.
欧州産の基本種V. polita と異なり,花の色が藤(ライラック)色であることから,山崎敬 (1921-2007) によって,朝鮮半島産のものを基にして名づけられた(Bull. Kwanak Arbor. 4: 66 (1983)左).

Wikipedia 日本語の「イヌノフグリ」の本文中ではこれが採用されている.

***Bulletin of the Kwanak Arboretum. Suwon A revision of the Scrophulariaceae in Korea / Lee, Tchang Bok; Yamazaki, Takasi)

 更に最新の学名は,イヌノフグリを V. polita の亜種 (subspecies) とする考え方の V. polita Fr. subsp. lilacina (T.Yamaz.) T.Yamaz. であり,山崎敬を命名者とし, in K.Iwats. et al., Fl. Jap. 3a: 354 (1993) が原記載文献として挙げられている.この学名は環境省第4次レッドリスト2012)●絶滅危惧Ⅱ類(VU)で用いられており,政府機関で採用されているという意味では,それなりの重要性があるやに考えられる(2015/03/11 閲覧)
下表 13. 日本植物分類学会『日本植物誌DB Flora of Japan (http://foj.c.u-tokyo.ac.jp/gbif/)』のイヌノフグリの項には,イヌノフグリを V. polita の亜種 (subspecies) とした山崎敬自身のコメントが載っている.
” Subspecies polita of Europe has the larger and blue corollas 5--6 mm across, and the pedicel short pubescent with hairs generally 3--4-celled, sometimes mixed with 5--6-celled hairs. In subsp. lilacina the pedicel has hairs generally 5--8-celled, sometimes mixed with 3--4-celled hairs.”.命名者が変種から亜種にランクを上げた理由は読み取れなかった.

以下に手持ち及び閲覧可能な最近の図鑑類で,イヌノフグリの学名として上記のどれが採用されているかを示した.圧倒的に④のVeronica dydima Tenore v. lialacina が多い.

1.
長田武正『原色日本帰化植物図鑑』保育社 (1976)
V. dydima v. lialacina
2.
長田武正『原色野草観察検索図鑑』保育社 (1981)
V. caninotesticulata
3.
林弥栄ら編『日本の野草 (山渓カラー名鑑)』山と溪谷社 (1983)
V. dydima v. lialacina
4.
長田武正ら『検索入門 野草図鑑 (7) さくらそうの巻』保育社 (1985)
5.
『世界大百科事典(4)』平凡社 (1988)
6.
佐竹義輔ら編『フィールド版 日本の野生植物 草本』平凡社 (2000)
7.
北村四郎ら『日本原色植物図鑑 草本編(1)合弁花類』保育社 (2002)
8.
大井次三郎ら『エコロン自然シリーズ 植物Ⅰ』保育社 (2004)
V. caninotesticulata
9.
清水矩宏ら『日本帰化植物写真図鑑』全国農村教育協会 (2008)
V. dydima v. lialacina
10.
岩槻秀明『街でよく見かける雑草や野草がよ-くわかる本』秀和システム (2006)
11.
環境省第4次レッドリスト(2012)●絶滅危惧Ⅱ類(VU(2015/03/11 閲覧)
V. polita. subsp. lilacina
12.
岩槻秀明『街でよく見かける雑草や野草がよ-くわかる本』秀和システム (2014)
V. dydima v. lialacina
13.
日本植物分類学会『日本植物誌DB Flora of Japan(2015/03/11 閲覧)
V. polita. subsp. lilacina

イヌノフグリは多くの県のレッドリストに載っているが,その学名は上記の③⑤⑥とさまざまに分かれているが,環境庁リストのように⑥に統一した方がすっきりとはする.

2015年3月9日月曜日

イヌノフグリ-2.  ツンベルク,伊藤圭介,稚膽八郎=椎+膽八=シイ+ホルト=シーボルト,タチイヌノフグリと誤認

Veronica polita  subsp. lilacina 
オオイヌノフグリ(左)とイヌノフグリ(右) 2015年2月
いわき市の トミーさんが自宅で育てていたイヌノフグリの種からの幼苗,送っていただき,ビニ鉢で育てていた株が茎・葉を伸ばして,花や実を順調につけている.比較するため,花をつけている茎と,庭に咲きだしたオオイヌノフグリ(V. persica)の花,双方をスキャナーに載せて画像を取り込んだ.
イヌノフグリの花一つが,オオイヌノフグリの花弁の一つほど.いかに小さいか分かる.しかし花のつくりは同じで,触ると花弁がぽろっと落ちるところも似ている.

Curtis "Fl.L."
日本産のイヌノフグリを海外に紹介した最初の西欧人はツンベルクで,ただ,リンネが学名をつけた欧州原産のタチイヌノフグリ(Veronica arvensisと誤認して報告した.この説は後に,シーボルトによって認められた.(左図,V. arvensisCurtis, William "Flora Londinensis" vol. 2 t. 2[133] (1777-1778))

カール・ツンベルク (Carl Peter Thunberg, 1743-1828,滞日1775 - 1776) 日本植物誌』(Flora Japonica, 1784)には,四種のベロニカ属の植物が記されているが,そのうちの一つ Veronica arvensisがイヌフグリに該当すると,『泰西名疏 巻下』にも,前記事に記したように飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』にも述べられている.一方,タチイヌフグリが日本に帰化したのは,もっと後世(牧野によれば明治初年)である.

リンネ植物の種』(Species Plantarum, 1753p.18
"Veronica arvensis.
21. Veronica floribus solitariis, foliis cordatis incisis pedunculo longioribus. Fl. suec. 16. Dalib. paris. 5.
Veronica foliis oppositis cordatis crenatis, floribus solitariis sessilibus. Hort. cliff. 9. Gron. virg. 4. Roy. lugdb. 303.
Alsine veronicæ foliis, flosculis cauliculis adhærentibus. Bauh. pin. 250.
Habitat in Europæ arvis, cultis. ☉"

ツンベルク日本植物誌』(Flora Japonica, 1784p.20,(右図,左側.MoBot)
"Veronica / arvensis V. floribus solitariis, foliis cordatis incisis pedunculo longioribus."

伊藤圭介訳述『泰西本草名疏 巻下』(1863)
「VERONICA ARVENSIS LINN. イヌフグリ 婆々納  和漢名原缺」 1829年版と同刻(右図,右側,WUL)

ツンベルクの『日本植物誌』に所収された植物を学名のアルファベット順に配列し,その和名・漢名を記した★伊藤圭介訳述『泰西本草名疏』(1829) では,和名(イヌフグリ),漢名(婆々納)の下に「」の印があるが,「凡例」に「和名ノ下ノ○符ヲ載スルモノ多シ是本ト稚膽(ワカ井)八郎ノ説ナリ」とある.

これは出版がシーボルト事件(1828)のすぐあとだったので,差しさわりがあるとシーボルトに「稚膽(わかい)八郎」の仮名を用いたためで,他にも「云」と書き始められている条もある.さらに彼は、「稚膽八郎ハ伊豆ノ産。今死スト云」という頭注を付けていて,この書に対するシーボルトの関与を隠そうとした意図が伺える. (左図右側,NDL)

吉野政治 同志社女子大学教授によれば,圭介自身の家族に宛てた手紙で明らかにされているが,この仮名の「稚」の字はシーボルトのシイの音を託した「椎」に「ノ」の一画を加えたものであり,さらに,「膽八」もまたシーボルトのホルトの音を託したものであるとする.即ち当時の本草書でオリーブと誤考定していたヅクノキ「膽八樹」,「ポルトガルの木」=「ほるとの木」と呼ばれるので,「膽八」=「ほると」.従って「稚膽八」=「椎膽八」=「シイ+ホルト」=「シーボルト」と読める.即ち圭介はシーボルトという名前に「椎膽八」と当て,「椎」を「稚」に改め,「郎」の字を加えて日本人風の名に見せ,更にもう死亡したとすることで,それを悟られないようにしていた.(同志社女子大学 学術研究年報 62 2011年).

後に圭介は「稚膽八郎」を「来舶西医」に彫り換えた後修本を作り,さらに文久三年(1863)の第二後修本では「舶西醫ノ説」が「西醫椎氏ノ説」となり、「稚」の字も最初の一画が省かれてシイ氏と読めるようになっている(上図左側, WUL).

現在のイヌノフグリの基本種である Veronica polita は1828年に E. M. Fries によって記載されたので,ツンベルクは勿論シーボルトもこれを知らなかったのであろう.

イヌノフグリ-1 花,名は果実にちなんで江戸時代から,婆婆納,破破衲,救荒野譜,救荒本草,物品識名,救荒野譜啓蒙,救荒本草啓蒙,本草図譜,草木図説 - 林氏,西勃氏