2015年3月9日月曜日

イヌノフグリ-2.  ツンベルク,伊藤圭介,稚膽八郎=椎+膽八=シイ+ホルト=シーボルト,タチイヌノフグリと誤認

Veronica polita  subsp. lilacina 
オオイヌノフグリ(左)とイヌノフグリ(右) 2015年2月
いわき市の T. S. さんが自宅で育てていたイヌノフグリの種からの幼苗,送っていただき,ビニ鉢で育てていた株が茎・葉を伸ばして,花や実を順調につけている.比較するため,花をつけている茎と,庭に咲きだしたオオイヌノフグリ(V. persica)の花,双方をスキャナーに載せて画像を取り込んだ.
イヌノフグリの花一つが,オオイヌノフグリの花弁の一つほど.いかに小さいか分かる.しかし花のつくりは同じで,触ると花弁がぽろっと落ちるところも似ている.

Curtis "Fl.L."
日本産のイヌノフグリを海外に紹介した最初の西欧人はツンベルクで,ただ,リンネが学名をつけた欧州原産のタチイヌノフグリ(Veronica arvensisと誤認して報告した.この説は後に,シーボルトによって認められた.(左図,V. arvensisCurtis, William "Flora Londinensis" vol. 2 t. 2[133] (1777-1778))

カール・ツンベルク (Carl Peter Thunberg, 1743-1828,滞日1775 - 1776) 日本植物誌』(Flora Japonica, 1784)には,四種のベロニカ属の植物が記されているが,そのうちの一つ Veronica arvensisがイヌフグリに該当すると,『泰西名疏 巻下』にも,前記事に記したように飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』にも述べられている.一方,タチイヌフグリが日本に帰化したのは,もっと後世(牧野によれば明治初年)である.

リンネ植物の種』(Species Plantarum, 1753p.18
"Veronica arvensis.
21. Veronica floribus solitariis, foliis cordatis incisis pedunculo longioribus. Fl. suec. 16. Dalib. paris. 5.
Veronica foliis oppositis cordatis crenatis, floribus solitariis sessilibus. Hort. cliff. 9. Gron. virg. 4. Roy. lugdb. 303.
Alsine veronicæ foliis, flosculis cauliculis adhærentibus. Bauh. pin. 250.
Habitat in Europæ arvis, cultis. ☉"

ツンベルク日本植物誌』(Flora Japonica, 1784p.20,(右図,左側.MoBot)
"Veronica / arvensis V. floribus solitariis, foliis cordatis incisis pedunculo longioribus."

伊藤圭介訳述『泰西本草名疏 巻下』(1863)
「VERONICA ARVENSIS LINN. イヌフグリ 婆々納  和漢名原缺」 1829年版と同刻(右図,右側,WUL)

ツンベルクの『日本植物誌』に所収された植物を学名のアルファベット順に配列し,その和名・漢名を記した★伊藤圭介訳述『泰西本草名疏』(1829) では,和名(イヌフグリ),漢名(婆々納)の下に「」の印があるが,「凡例」に「和名ノ下ノ○符ヲ載スルモノ多シ是本ト稚膽(ワカ井)八郎ノ説ナリ」とある.

これは出版がシーボルト事件(1828)のすぐあとだったので,差しさわりがあるとシーボルトに「稚膽(わかい)八郎」の仮名を用いたためで,他にも「云」と書き始められている条もある.さらに彼は、「稚膽八郎ハ伊豆ノ産。今死スト云」という頭注を付けていて,この書に対するシーボルトの関与を隠そうとした意図が伺える. (左図右側,NDL)

吉野政治 同志社女子大学教授によれば,圭介自身の家族に宛てた手紙で明らかにされているが,この仮名の「稚」の字はシーボルトのシイの音を託した「椎」に「ノ」の一画を加えたものであり,さらに,「膽八」もまたシーボルトのホルトの音を託したものであるとする.即ち当時の本草書でオリーブと誤考定していたヅクノキ「膽八樹」,「ポルトガルの木」=「ほるとの木」と呼ばれるので,「膽八」=「ほると」.従って「稚膽八」=「椎膽八」=「シイ+ホルト」=「シーボルト」と読める.即ち圭介はシーボルトという名前に「椎膽八」と当て,「椎」を「稚」に改め,「郎」の字を加えて日本人風の名に見せ,更にもう死亡したとすることで,それを悟られないようにしていた.(同志社女子大学 学術研究年報 62 2011年).

後に圭介は「稚膽八郎」を「来舶西医」に彫り換えた後修本を作り,さらに文久三年(1863)の第二後修本では「舶西醫ノ説」が「西醫椎氏ノ説」となり、「稚」の字も最初の一画が省かれてシイ氏と読めるようになっている(上図左側, WUL).

現在のイヌノフグリの基本種である Veronica polita は1828年に E. M. Fries によって記載されたので,ツンベルクは勿論シーボルトもこれを知らなかったのであろう.

イヌノフグリ-1 花,名は果実にちなんで江戸時代から,婆婆納,破破衲,救荒野譜,救荒本草,物品識名,救荒野譜啓蒙,救荒本草啓蒙,本草図譜,草木図説 - 林氏,西勃氏

0 件のコメント: