2017年7月1日土曜日

カタクリ (3) 江戸中期 民間備荒録,千家新流挿花直枝芳,物類称呼,千金方薬註,草花写生,笈埃随筆,本草綱目啓蒙,甲子夜話

Erythronium japonicum 
2010年5月 筑波山
カタクリは生け花の花材としても使われていたが,やはり食用としての認識度が高く,根(鱗茎)を精製して得られた粉から作られた「カタゴ餅」が食されていた.東北地方から多く産出したが,特に盛岡南部藩の特産品として,幕府や朝廷に貢献されていた
平戸藩の,引退した藩主松浦静山はその本体を知らずに,秋田藩より贈られた「かたぐり」を賞味していて,後に絵をかいてもらってその形状を知ったとある.日本での分布は四国までなので,西国・九州の人にとっては珍しかったのであろう.(文献画像は NDL の公開デジタル画像よりの部分引用.)

一関藩の醫者+本草学者で,杉田玄白との蘭学に関する往復書簡で知られる★建部清庵の『民間備荒録』(1717)  は,飢饉の際の救荒になる山野草とその調理法を纏めた書籍であるが,その「巻之下 ○食草木葉法」には,
○かたかこ一名かたくり又かたこ。漢字
若水日、旱藕なるべし。其粉如米。
味甘し。食して人を補益すと云へり。製法天花
粉のことし。○解毒の法前に同し。」
とある.
参照されている「天花粉」の製法とはカラスウリの項にあり,
「○瓜楼根(からすうりのね)一名天花粉。味 苦、性寒、
毒。根を採て削皮、至極白ところ寸々に
切り、水に浸す事一日に一度ツヽ水を換て浸し、
四五日へて取出し搗爛(つきたゝらかし)、絹か布の袋に盛て
澄濾て、極て細にし粉のことくし、或ハ根
を採晒し搗麺となし、水に浸し澄渡こと十余
へん、贓?粉(おしろい)のことくならしむべし。如水飛
せざれハ害あり。(以下略)」とある.
また「解毒の法」は「○蕨粉(わらひのこ)」の項の「○もし毒にあたらハ、白米を挽わり、粥に煮て湯のごとくし、塩か焼味噌を雑(まじ)へ、度々吮(すわ)せよ。」とある.
水飛とは固形物を粉砕して,大きな破片を布で濾過して除き,液を乾燥させて微細粉体を得る精製法の一つ

千家新流の創始者,入江玉蟾撰『千家新流挿花直枝芳(1768) の「春」の部には,「旱藕(カンクウ) 本草 杜蒙(トモウ) 和俗 カタクリ カタコ 初百合 ブンダイユリ ゴンベイコウ 各所によりて云なり 一莖 一花 一根 二葉 出生なる故 一花四葉可許 稀なる故花形顕之
万葉古今新撰六帖和歌六帖に
もののふの八十の妹らがくみまがふ寺井のうへの堅香子のはな
又萬葉の〓〓〓〓〓曰堅香子花は〓〓〓〓〓
をくるまのもろわにかヽかるかたかしのいつれもつき人こヽろかな
こと〓〓〓〓〓美し」
とあり,立派な双耳壺に挿されたカタクリの生花が春の投げ入れの手本として描かれている.花被が細かく分かれているのと,一莖から二つの花が出ているのを見ると,実写とはいいがたい.葉脈の走りも異なる(右図)

武蔵国越谷に生まれた俳人・方言研究家の★越谷吾山(1717-87) 著『物類称呼 (1775) は,全国各地の方言語彙4,000 を,天地,人倫,動物,生植(草木のこと),器用(道具類をいう),衣食,言語の7部門に分け,約500項の標語のもとに列挙する方言辞書.ときに古書を引いたり解説を加えたりしており,凡例では,簡単ながら方言分布の大観をしている.日本における最初の全国方言辞典で,雅言が尊ばれた時代に方言語彙の編集を試みたことは評価すべく,また江戸中期の方言をうかがうに貴重な文献である.
その「巻之三 生植」の部には
「堅香子
かたかご かたかご古名也 今かたくりと云 
○奥州南部にて○かたくりと云 江戸にて○かたくり又うばゆり
又ぶんだいゆりと云 京にて○はつゆりと云 野州日光山にて○ごんへいるといふ 松井
*ノ日 奥州南部に かたくりと云草有 其形百合に似たり 花もゆりに似て正月頃
紫色の花さく 其根をとりて葛の如く水飛**して ねり餅となして食ふ〔万葉〕及〔新撰
六帖〕に詠ずる所の堅香子といふ物なりとぞ
万葉 ものゝふのやそのいもらかくみまかふ寺井のうへのかたかこの花
六帖 ものゝふのやそをとめらかふみまとむ寺井のうへのかたかしの花」」とある.
カタクリは南部および江戸での呼び名であるとして,他に江戸・京都・日光の方言を収載している.
*松井氏:確定できず
**水飛:『民間備荒録』 参照

★松典子勅(松岡恕庵)『千金方薬註. 巻之三 草部下』(1787)
「山慈姑 車前葉韭葉ノ二種アリ車前葉山慈姑ハ[和名]カタコ越前
大和陸奥 一名カタカゴノハナ萬葉集 一名カタクリ同上 一名カゼク
サ越前福井 一名文臺ユリ江戸 一名ハツユリ 一名ムカゴカラム
シ若狭木ノ芽峠 一名子ズミユリ西国 一名カタバナ北国 一名カゼフキ
グサ越前湯ノ尾峠 一名グハ安藝 一名野グハイ摂津 一名ダイボセ伊豫大洲
山城叡山四明洞下八瀬陸奥ノ南部大和ノ八智(ヤチ)河-上ノ山ヨリ出
南部八智ノモノハ粉(フン)ニ造リ毎年 官ヘ獻ズ二月ノ初ニ生ス
葉ハホトヽギス草ニ似タリ又萎蕤ノ初生ニ似タリ淡青色
光アリ根淡黄色蒜ニ似テ小ナリ根地ニ入ルコト深シ斷(キレ)ヤ
スシ生ニタ食フベシ三月紅白暈(ウスアカ)單辧ノ花ヲ開ク一莖一花
形ユリニ似テ辧長シ花謝シテ角ヲ結ブ四月苗枯ル翌年宿根
ヨリ生ズ貝母亦ハツ百合ト名ク 韭葉ノ者ハ[和名]アマナ山城 (以下略)」と,奥州南部からは毎年献上される特産物となっていたとあり,その形状も記されている.「山慈姑」を葉がオオバコに似て広いのをカタクリ,ニラに似て細長いのをアマナとして区別している.

★笠間藩主牧野貞幹(17871828)による草花の彩色図集『草花写生』には,実写に基づくと思われる精緻な図が納められている.この書の書名は書題箋による.筆致は繊細で,図の肩に名称を記した小紙片が貼付されている.版心に「喬木園」と刷り込んだ料紙を使用.明治41871)年付の後人の手になる序によれば,巻2の全て及び巻4の半分までは笠間藩士吉田良林写という.各冊に「笠間文庫」の朱印が,また,特に貞幹自筆の部分には,最後に「笠間城/主牧野/貞幹写」の朱印が押捺されている.旧笠間藩所蔵本

江戸時代中期の旅行家・随筆家の★百井塘雨(生年不明 - 1794)の紀行『笈埃随筆 巻之十二 雑説八十ケ条』には,
「〔四十八〕奥州南部のカタクリは公儀へ献上なり。津軽の中別して寒国に生ず。故に熱暑を避る。其功能
人知りて、今は賣物に有り。是万葉集に堅香子花と読るもの也。カタコユリの略をカタクリといふ。」
とある(日本随筆大成編輯部編『日本随筆大成』第二期 第12巻(1974, 吉川弘文館))

★小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803)の「巻之九 草之二 山草類下」には
「山慈姑 アマナ(中略)
蔵器ノ説ニ、
葉似車前トハ、車前葉山慈姑ナリ。和名、ハツユリ カタカコ万葉集 猪舌(ヰノシタ)万葉抄 香子(カゴ)同上
カヾユリ江戸 ブンダイユリ カタバナ佐州 カタクリ南部 ゴンベイル日光 ゴンベイロウ
同上 カタダリ カタコ カタユリ 深山ニ多ク生ズ。葉ノ形萎蕤(アマドコロ)葉ニ似テ、厚ク、白緑色
面ニ紫斑アリ。嫩根ノモノハ只一葉ナリ。年久シキ老ハ二葉トナル。二葉ノ者ハ、二三月、
両葉ノ中間ニ一茎ヲ抽ヅ。高サ五六寸、頂ニ一花ヲ倒垂ス。大サ一寸半許、六出淡紫色。
蕾ハ紫色深シ。形山丹(ヒメユリ)花ニ類シテ弁狭細。ソノ末皆反巻ス。又稀ニ白花*ナル者アリ。花謝
画像提供:筑波山花畑氏 2017年5月
シテ実ヲ結ブ。大サ三分許、形円ニシテ三稜アリ。其色亦白緑ナリ。根ノ形葱本(ネギノネ)ニ似テ白
色、性寒ヲ喜。故ニ東北ノ地方ニ産スル処ノ者、苗根最肥大ナリ。土人其根葉ヲトリ烹熟
シテ食フ。又根ヲ用テ、葛粉ヲ造ル法ノ如ク製シテ粉ヲ取。甚潔白ニシテ葛粉ノ如シ。餅
トナシテ食フ。カタコモチト呼。奥州南部及和州宇陀ヨリ此粉ヲ貢献ス。カタクリト云。
古説ニ此草ヲ草藕トスルハ穏ナラズ。〔釈名〕無義草ヲ山慈姑ノ一名トスルハ誤ナリ。無
義草ハ石蒜ナリ。〔集解〕団慈姑ハ常ノ山慈姑ナリ。」と,白花カタクリの存在を記録している.
*白花:シロバナカタクリ(E. japonicum f. leucanthum)

平戸藩を経済的困窮から救った名君であり,また趣味人として知られる★松浦静山(1760-1841)の『甲子夜話』(1821-41)の「巻二十二」には,
「〔一〕 寛政元年*『東行筆記』云。秋田侯の領国出羽なり。予が縁家なれば折々贈物などす。其中にかたぐりと云ふ物あり。葛の如き白き粉なり。予始(はじめ)何物なるを知らず。今年津軽侯の邸へ訪(おとなひ)しとき此ものを食味に出さる。葛ねりの如く味も亦類せり。因で其状いかなると問(とひ)たれは則(すなわち)画きて示す。
  嘉多久利 漢字不詳
万葉 かたこゆり 源氏 かたこ花 挿花者旱藕**と書(かく)といへども,これは別種なる歟.二葉一花にして,四月紫花を開(ひらく).大さ如図[『東行筆記』も亦予が著す所也〕。(原図天地一九〇ミリ-校注)」
とあり,図も添えられている.カタクリ粉は高級な贈り物として珍重されていたらしい.
*寛政元年:1789年,**挿花者旱藕と書:上記 入江玉蟾撰『千家新流挿花直枝芳』記事参照
(東洋文庫 314 平凡社,甲子夜話2 松浦静山 中村幸彦・中野三敏校定)

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