2017年8月2日水曜日

カタクリ(7)江戸晩期-1 本草綱目紀聞,本草綱目啓蒙図譜

Erythronium japonicum
いわき市在住TSさん提供 「残り少ない仏具山のカタクリ」
江戸晩期には,カタクリの和製漢名として「車前葉山慈姑」が定着した.
圖はいずれも NDL のデジタル公開資料より部分引用.

本草綱目紀聞』は,小野蘭山門下の水谷豊文(通称は助六,17791833)が,蘭山著『本草綱目啓蒙』植物部の大増補を企てた著作で,項目ごとに『本草綱目啓蒙』の主要な文を転写し,豊文の得た知見・方言を追加,『本草綱目啓蒙』に無い写生図や印葉図も付した.
本記事では,文章は杏雨書屋所蔵の自筆本『本草綱目記聞』全60冊を翻刻した書より引用した.圖はNDLで公開されている『本草綱目紀聞』の部分写本から引用した.
このNDLの写本はその朱筆文に「昌章‥‥」と記す個所があるので,写筆したのは豊文門下の大窪昌章 (1802 – 1841) らしい.ただし,原本は大東急記念文庫にあり,NDL本はその転写本である.

ハツユリ(カタクリ)の項の記述は,殆ど『本草綱目啓蒙』と同一ではあるが,方言や蘭名が追記され,文末には豊文による新たな知見が加えられている.蘭名はホード・タントであるとし,ホードの意味を「頭」,タントは「舌」としているが,これはそれぞれ「犬」,「歯」と思われる.(Google 翻訳の日本語⇒オランダ語では,犬=hond,歯=tand

★水谷豊文(17791833)本草綱目紀聞』(1833)には,
「ハツユリ                         カタコユリ           カタコ
カタカコ 萬葉集        カタクリ 南部 東濃カシモ           カタグリ
カタユリ                      カタバナ 佐州                                 猪(イ)ノシタ(舌)萬葉集
香子(カゴ) 同上    カガユリ 江戸    ブンダイユリ
コンベイル 日光        コンベイロウ 同上           子ズミユリ 伊勢
イヌノシリダシ 木曽  イヌノマラ 木曽岩ノ郷  カタハ 同
ハマタラクサ 三村    イヌノシタグサ 同           カタカレ
ホード(頭)タント(舌) 【カッコ内は杏雨書屋藏本,NDL 写本にはない】

車前葉山慈姑 山慈姑ノ條 藏器ノ説ニ 葉似車前ト云
深山ニ多ク生ス 葉ノ形萎蕤(アマドコロ)葉二似テ、厚ク白緑色 面ニ紫斑アリ 嫩根ノモノハ只一葉ナリ 年久モノハ二葉トナル 二葉ノモノハ両葉ノ中間二一茎ヲ抽テ 清明前後ニ高サ四五寸ニシテ頂ニ一花ヲ倒垂ス 大サ一寸半許 六出淡紫色 蕾ハ紫色深シ
形山丹花ニ類シテ 弁狭細 ソノ末皆反巻ス 又稀二白花ナルモノアリ 花謝シテ実ヲ結ブ 大サ三分許 形円ニシテ三稜アリ ソノ色亦白緑ナリ 根ノ形葱本(ネギノネ)二似テ 白色ナリ 性寒ヲ喜 故ニ東北ノ地方二産スルトコロノ者 苗根最肥大ナリ 土人其根葉ヲ採リ 烹熟シテ食フ 又根ヲ用テ葛粉ヲ造ル 法ノ如ク製シテ粉ヲ取ル 甚潔白ニシテ葛粉ノ如シ 餅トナシテ食フ カタコモチト呼ブ 
奥州南部及和州宇陀ヨリ 此粉ヲ貢献ス カタクリト云

欄外
野州日光産亦コレト同シ方言カタクリ土人コレヲ採アツモノトス
尾州犬山辺ニテモ同シ*

古説ニ此草ヲ旱藕トスルハ穏ナラズ

○イノシタハ葉ノ形ヲ以テ名ク 片葉アルモ多シ故ニ カタハユリト云
○南部ニテ モチトス 多食ヘバ筋骨ユルミテ クタフレヲ体ス 亦瘧疾ヲ治ス
○貝母ノ条ニ雷斅曰 貝母中有独頼団 不両片 無皺者号シテ丹竜精 不薬用- 誤スレバ令ニレ筋脉永ク不-レ収 惟以黄精小藍汁之 立処ニ 精 逢原作晴
力タコユリ 貝母ノ如ク根ニ皺ナク 不両片 是カタコユリナリト 三村-弁箋
〇春嫩葉ヲ食用トス」とある.
【下線部は蘭山著『本草綱目啓蒙』に無い記事.本文には適宜句読点や空白を入れた.】

★井口望之編,服部雪斎・阪本純沢画『本草綱目啓蒙図譜 巻之九 草之二 (1849)
車前葉山慈姑 カタクリ
葉萎蕤ニ似テ厚ク紫斑アリ年久キハ二葉トナリ
莖ヲ抽テ花倒垂ス六出淡紫色又白花モアリ」
【圖は岸和田藩の藩絵師 阪本純沢が描いた.】


井口望之編『本草綱目啓蒙図譜』は小野蘭山『本草綱目啓蒙』巻八・九に記載された植物の図譜.1冊目は巻之八草之一山草類上,2冊目:同附録,3冊目:巻之九草之二山草類下,4冊目:同附録である.各附録は中国本草書『紹興備急本草』(序によれば幕府医官曲直瀬正貞が提供したもの)及び『本草原始』により新たに補った,類品の参考図.編者は岸和田藩侍医で,『本草綱目啓蒙』を弘化4年に重訂した井口楽山(望之)(嘉永3年版,安政5年版あり).
小野蘭山『本草綱目啓蒙』の板木が火災で焼失したために,南山侯(岸和田藩第九代藩主 岡部美濃守長慎,1787-1859)が資金を提供して『重訂本草綱目啓蒙』として復刊させ,併せて『図譜』を制作させたもの.山草部上を藩絵師 服部雪斎が,山草部下を同 阪本純沢が描いた.

服部雪斎(1807 - 没年不詳)は幕末から明治中期にかけて関根雲停等とともに活躍した博物画家.雪斎の生い立ちはよく分かっていないが,谷文晁門下で田安家の家臣遠坂文雍の弟子であることから,雪斎も田安家と関係の深い武家出身である可能性が高い.没年は不明であるが,作品に記された年代から明治20年(1887年)までは生存が確認されている.

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