2017年11月18日土曜日

タラヨウ(7) はしかの名の由来(1) 麻疹ウイルスの発生,中国での流行,肘後備急方(晋)虜瘡,古今医鑑(明)麻疹

Ilex latifolia

ハシカ除けの咒としてタラヨウの葉に書く「麥殿の哥」の,麥殿とは「麥殿大明神」とも言われる麻疹除けの民間信仰の神であるが,その由来は麻疹の和名「ハシカ」と関係がある.即ち「はしか」とは,麦や稲の穂の芒(のぎ)が肌をチクチクと刺戟する様を,西国では「はしか(い)」という事から,麻疹に罹患すると喉や肌が痒くなる様を例えて,鎌倉時代以降に麻疹を「はしか」ともいうになった.この疫病の発生から,中国及び日本における名称の変遷を辿ってみる.

麻疹ウイルスは,ヒトが昔,牛を家畜化する過程で,現在の牛疫ウイルスの祖先ウイルスの中にヒトのレセプター(受容体)を利用できるものが現れ,ヒト麻疹ウイルスへ進化したと考えられる.ウシの家畜化が始まったのは,1万年ぐらい前といわれている.しかし,麻疹のある程度の流行が起きるためには人口が25万人程度は必要とされるので,B. C. 3000年の中近東地域が流行の最初の地ではないかと考えられている.(加藤茂孝「麻疹(はしか)-天然痘と並ぶ2大感染症だった」モダンメディア第567号(2010))
一方,最近の東北大学大学院医学系研究科 微生物学分野 押谷仁教授らの遺伝子分岐の研究では,現在の麻疹ウイルスは,the 11th to 12th centuries” に牛疫ウイルスから分岐したとしている.
但し,その中で, Linguistic evidence suggests that the disease was recognized before the Germanic migrations but after the fragmentation of the Roman Empire, i.e. between 5th and 7th centuries. This age is still within 95% credible intervals of our results. Alternatively, a common ancestor of MeV and RPV may have caused zoonosis in the past; the archaeovirus can infect both humans and cattle. Even if the earliest urban civilizations in ancient Middle Eastern river valleys (around 3000 to 2500 BCE) were infected by an ancestor of the current MeV, the virus probably had different characteristics from the current MeV.” とも記し,紀元前3000年頃の中近東地域で,また5世紀ごろに欧州で,麻疹(或は現在とはタイプの違う麻疹)が流行していた可能性も否定していない.(Yuki Furuse, et. al., “Origin of measles virus: divergence from rinderpest virus between the 11th and 12th centuries” Virol J. 7, 52 (2010)

中東で発生したと考えられるこの疫病は,ペルシャの医学者アブー・バクル・ムハンマド・イブン・ザカリヤー・ラーズィー(ラーゼス,860–932)によって記録されているが,西方及び南方の交易ルートを通じて中国に伝播し,やがて日本にも伝わったと考えられる.

中国で現存最古の麻疹(と考えられる疫病)の流行に関する記述は,晋時代の葛洪281?-341)原著(340),南北朝時代の陶弘景456-536)改訂(~500)の『肘後備急方』にあり,その「卷二 治傷寒時氣溫病方第十三」には,
「比有病時行。仍發瘡頭面及身,須臾周匝,狀如火瘡,皆戴白漿,隨決隨生,不即治,劇者多死。治得瘥後,瘡瘢紫黑,彌方減,此惡毒之氣。世人云,永徽*四年,此瘡從西東流,遍於海中,煮葵菜,以蒜齏啖之,即止。
初患急食之,少飯下菜亦得,以建武**中於南陽擊虜所得,仍呼為虜瘡,諸醫參詳作治,用之有效方。
取好蜜通身上摩,亦可以蜜煎升麻,并數數食。
又方,以水濃煮升麻,綿沾洗之,苦酒漬彌好,但痛難忍。
其餘治猶根據傷寒法。但每多作毒意防之。用地黃黑膏亦好。
治時行病發黃方,茵陳六兩,大黃二兩,梔子十二枚,以水一斗,先洗茵陳,取五升,去滓,納二物。又煮取三升,分四服。亦可兼取黃膽中雜治法差。」とあり,赤い発疹が出て,その先端には膿がある事や,升麻を主たる治療薬としている.これが麻疹であるとすると,初め西方から,後に南方から来たという事になる.(画像:電子化計劃,http://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=267669
*永徽:唐の高宗李治の治世に行われた最初の元号:650 - 655年であるが,著作年と合わず.
**建武:齊明帝(南朝斉(南斉)の第5代皇帝明帝 蕭鸞,在位期間:494 - 498 )治世下の年号か

宋以来,中国でこの疾病は小さな赤い発疹が全身出でる事から,麻,麻子,赤瘡子,疹子,膚疹,膚瘡,麩瘡,疹,沙子,酷子,赤瘡,疹子,瘄,痧,蕁疹子,正疹子,瘄子,糠瘡,温疹,騒疹などと呼ばれていたが,麻疹と呼ばれるようになったのは,明の龔信『古今医鑑』(万暦4年(1576)成立)が始まりで,以降『済世全書』,『張氏医道』,『馮氏錦嚢秘録』などにその名で記載され,日本でも鎌倉時代には,使われるようになったとされる.(富士川『日本疾病史』東洋文庫133 (1969) 平凡社)

★『古今医鑑』は明朝の最高医療機関・太医院の医官龔廷賢が父の龔信より譲り受けた資料に自己の研究を加えて編集した医術書で,当時の医学13分科を網羅する.万暦4年(1576)成立.同5年に金陵(南京)で初版刊行後,冠称を換えながら清代まで幾度も刊行され,流布した.挿図の版は元和年間(1615-23)木活字印古活字版.明の初版本系テキストの翻印本.テキストには,適宜句読点やスペースを挿入した.(画像:NDLの公開デジタル画像より部分引用).
肘後備急方』より10世紀以上後のこの書には,その間何度もあっただろう麻疹の流行に医術が対応してきた軌跡が伺われる.即ち,病態の進展を細かく段階に分類し,その段階に適した養生法や方剤が記され,また,避けるべき食物や薬物が「忌」や「不可」として細かく指定されている.

《卷之十四 麻疹
麻疹證治例
按麻疹出自六腑,先動陽分,而後歸於陰經,故標屬陰,而本屬陽.其發熱必大,與血分煎熬,故血多虛耗,首尾當滋陰補血為主,不可一毫動氣,當從緩治,所以人參,白朮,半夏燥悍之劑,升陽升動,陽氣上衝,皆不可用也.又必多實熱,故四物湯加黃連,防風,連翹以涼其中,而退其陽也.

一,發熱憎寒壯熱,鼻流清涕,身體疼痛,嘔吐洩瀉,證候未明是否,便服蘇葛湯去砂仁,陳皮,腹痛亦用厚蓋表之汗,自頭至足,方散漸減,去衣被,則皮膚通暢,腠理開豁,而麻疹出矣 縱不出,亦不可再汗,恐致亡陽之變,只宜常以蔥白湯飲之,其麻自出,服此自無發搐之證.
一,發熱之時,既表之後,切戒風寒,冷水,瓜桃生果之類,如一犯之,則皮毛閉塞,毒氣難洩,遂變紫黑而死矣.如極渴飲水,只宜少許,蔥白湯以滋其渴耳.必須使毛竅中常微汗,潤澤可也,又忌梅,李,魚,酒,蜂蜜香鮮之類,恐惹疳蟲上行.
一,麻疹既出之時,如色紅紫,乾燥暗晦,乃火盛毒熾,急用六一散解之,或四物湯去地黃,加紅花,炒黃芩進之.
一,麻疹既出,已過三日,不能沒者,乃有實熱,宜用四物湯進之.如失血之證,加犀角汁解之.
一,麻疹前後,有燒熱不退等證,並屬血虛,血熱,只宜四物湯按證照常法加減,渴加麥門冬,犀角汁,嗽加栝蔞霜,有痰加貝母,去白陳皮.切忌人參,白朮,半夏之類,如倘誤用,為害不小,戒之戒之,蓋麻疹屬陽,血多虛耗,今滋陰補血,其熱自除,所謂養陰退陽之義.
一,麻疹退後,若牙齦腐爛,鼻血橫行,並為失血之證,急宜服四物湯加茵陳,木通,生犀角之類,以利小便,使熱下行.如疳瘡色白者,為胃爛,此不治之證也.
一,麻疹洩瀉,須分新久,寒熱.新瀉,熱瀉者,宜服四苓散加木通服 寒瀉者,十中無一,如有傷食寒冷不得已,以理中湯一服而止 久瀉者,只宜豆丸,或五倍子,粟殼燒灰調下澀之.
一,麻退之後,須避風寒,戒水濕,如或不謹,遂致終身咳嗽患瘡,無有愈日.
一,麻疹前後,大忌豬肉,魚,酒,雞子之類,恐惹終身之咳,只宜用老雞精,火肉煮食,少助滋味可也.
一,麻疹正出之時,雖不進飲食者,但得麻疹淡紅潤澤,真正不為害也,蓋熱毒未解,蘊實熱,自不必食也.退後若不食,當隨用四物湯加神曲,砂仁一二帖,決能食矣.如胃氣弱者,忌少下地黃.
一,麻疹既出一日,而有沒者,乃為風寒所衝,麻毒攻,若不治,胃爛而死,可用消毒飲一帖,熱服遂安 如麻見三日退,若有被風之證,亦用消毒飲,妙.
愚驗麻疹始出,類傷風寒頭痛,咳嗽熱盛,目赤頰紅,一二日,即出者輕,必須解表,忌見風寒,腥暈濃味,如犯之,恐生痰嗽,變成驚搐,不可治矣.初起吐瀉交作者,順 乾霍亂者,逆 欲出不出,危亡立待.

麻疹方藥例
方 蘇葛湯 初熱未見點,發表之藥,暫用分兩,量兒大小服之。紫蘇二錢 葛根二錢 甘草二錢 白芍藥一錢半 陳皮五分 砂仁五分 右銼,蔥白,生薑煎熱服.
加味升麻湯 治小兒麻疹表藥,或鄰家已有疹證,預服.升麻五錢 玄參五錢 柴胡五錢 黃芩五錢 乾葛四錢 赤芍四錢 獨活一錢 甘草二錢 每銼三四錢,水煎服.
一,小兒治疹後咳嗽喘急,煩躁腹脹,洩瀉聲啞,唇口青黑。黃連 黃芩 連翹 玄參 知母 桔梗 白芍 杏仁 麻黃 乾葛 陳皮 厚朴甘草 牛蒡子,水煎服.
一,小兒疹後赤白痢疾.黃連 杏仁 桔梗 厚朴 木通 澤瀉 甘草 右銼,燈草水煎服.如下墜,加枳殼.」


これ等の養生法や忌避食物は日本でも継承され,拡大されて,麻疹流行時,江戸市民の生活に大きな影響を与えた.

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