2018年8月12日日曜日

ムシャリンドウ(1) 花壇綱目,花壇地錦抄,画本野山草,武江産物誌,梅園草木花譜,百花培養考

Dracocephalum argunense
2018年5月筑波実験植物園
この植物は「セイラン」の名も持っているが,ラン科ではなく,シソ科.この科の花としては珍しく大きく,ラショウモンカズラ,ミソガワソウと並んで観賞価値も高く,江戸時代には庭園で育てられていた.「ラン」は「ウンラン」や「ヤナギラン」のように,目立つ美しい花に付けられていた.
ムシャの名の由来は,田中芳男は江州武佐(むさ)の地に生ずる故と云ったそうだが,江戸時代の書では「武者」が使われている.
     以下の文献図はNDLの公開デジタル画像より部分引用

故磯野慶大教授の初見では,狩野探幽『草木花写生』(1661-74)に「ムシャリンドウ」の名が出ているそうだが,未確認.

★水野勝元『花壇綱目(1681) は日本最古の園芸書とされているが,これは中国やイギリスに並び,世界的に見ても早期のものである.この書の「上 夏草之部」に
せいらん ●花るり色咲比まへに同 ●養土は右同前 ●肥分植も右に同」とある.「咲比」は夏四月,「養土」は赤・砂・砂壌土,「肥」は茶殻・不用,「分植」は春・秋.

江戸染井(現在の豊島区駒込付近)の種樹家伊藤伊兵衛親子(三代,四代)によって書かれた園芸書.園芸植物の種類や栽培方法を記述する.総合園芸書として以降の園芸界に影響を与えた.伊藤家は代々伊兵衛を名乗り,江戸一番の植木屋と言われた.
その三代目★伊藤伊兵衛の『花壇地錦抄』(1695)の「草花夏之部」には,
むしやりんだう初中 花るり色葉もよし」とある.
なお,名前の脇の「初・中・末」については, 「△草花夏之部 從レ是下の初中末の三字は夏三月の斷(コトハリ)なり」とあり,初は旧暦四月,中は旧暦五月,末は旧暦六月となる.
 
大坂の絵師橘保国(号、後素軒:171592)の描いた草木画集の『画本野山草』は画業志望者用の絵手本である。図の脇に「花朱 生エンシ クマ」などとあるのが、絵具の使用法である。もっとも、指示の無い品も多い。掲載品は全163品(品種を含めず)で、外来品も少なくない。その花期・花色・形状などは図とは別の頁に詳しく記されている.
★橘保国『画本野山草』(1755)の 「巻之三」には,「清蘭草 せいらんさう」の題で,花や葉の特徴をよく示した図があり,記事には,
せいらん草
はなのかたち、らしやう門のごとく、いろ、うすきるりなり。葉は、みそはぎのはに、よく似たり。葉に班入あり。五月、はなあり。」とある.

★岩崎灌園『武江産物誌』(1824序)
江戸とその周辺の動植物誌.野菜并果・蕈(キノコ)・薬草・遊観(花の名所)・名木・虫・海魚・河魚・介・水鳥・山鳥・獣の各類に分け,それぞれの品に漢名を記し,和名を振仮名で付け,多くは主要産地を挙げる.合計で植物約 520品,動物約 230品.薬草類は採集地別で,道灌山(上野駅の北)の119品が群を抜いて多く,ついで堀之内・大箕谷(おおみや,現杉並区)と尾久(JR山手線田端駅の北)が各29品.
その「藥草類」の章には
[志村*邉ノ産]                           白花地楡(志ろのわれもかう)             旋覆(をぐるま)
鶏項草(さわあざミ)           武者(むしや)リンダウ                  亞麻一種(まつばなでしこ)徳丸原,池袋ニモ
地瓜児(しろね)尾久ニモ                    (以下略)」との記載がある.この書では「武者」が使われていて,「武佐」ではない.

*志村:現東京都板橋区の町名,旧武蔵国豊島郡志村.「志」(し)が村名である.近世においては,堀内村,掘之内村とも称された.

毛利梅園は江戸後期の博物家.名は元寿,梅園は号.江戸築地に旗本の子として生まれ,長じて鶏声ケ窪(文京区白山)に住み,御書院番を勤めた.20歳代から博物学に関心を抱き,『梅園草木花譜』『梅園禽譜』『梅園魚譜』『梅園介譜』『梅園虫譜』などに正確で美麗なスケッチを数多く残した.他人の絵の模写が多い江戸時代博物図譜のなかで,大半が実写であるのが特色.江戸の動植物相を知る好資料でもある.当時の博物家との交流が少なかったのか,名が知られたのは明治以降.

いずれも『梅園草木花譜』より,左図は夏之部三,中図は夏之部八の武者龍膽,右図は夏之部二 ウツボサウ (NDL)

★毛利梅園(1798 1851)『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 1849)の 夏部 巻之三 には
「○地錦抄
 曰
○産物志 
武州徳丸原*の産
武者龍膽(ムシヤリンドウ)
                             丙戌仲呂***〓〓一日 寫」とあり,

また夏部 巻之八には,
武者龍膽 武者リンドウ
                リンドウノ類ニ非ス 夏枯草(ウツホサウ)ノ一種ナリ
                紫花ノ者武州徳丸ノ原*及ヒ小金原**
                ニアリ白花ハ野ニ希也
                           己酉****皐月十〓二日自園生草移鉢眞寫」
と,珍しいアルビノの正確で美しい画が描かれている.
一見大きく異なるウツボグサの一種との看破は,梅園の観察の鋭さと知識の広範さが窺える.産地の武州徳丸ノ原は,岩崎灌園『武江産物誌』にも挙げられている.

*徳丸ノ原:現在の東京都板橋区高島平及び三園,新河岸の大半の地域に相当する江戸幕府の天領,及び地域の総称である.江戸時代は志村ヶ原(志村の原,下の原)に続く広大な平原として幕府の鷹狩場に指定されていた.
**小金原:現在の千葉県北西部松戸近くにあった幕府の放牧所と思われる.
***丙戌仲呂:1826(文政9)年,陰暦四月
****己酉:1849(嘉永2)年

★松平定朝 (菖翁,1773-1856)『百花培養考』(弘化4(1847)年序本) [写]には,
「  武者龍膽
瑠璃雪白二品アリ葉ハ小サク這フテ生ス羅生門ノ
花形ハ小輪ナリ夏時ニ花開ケリ捨措キ繁生ス」とあり,ムシャには武者の字を用いている.もう一種の写本でも同様である.
白花の存在と,這性で葉が小さく,放置してもよく茂ると堅牢性を備えていたとある.

松平定朝は幕府の旗本(2000石)で,御書院番・禁裏付を経て,京都町奉行を長く勤めた.花菖蒲で名高いが,園芸全般に詳しかった.本書は草花100種の解説で,図はないが,来歴や品種の解説に筆を費やす.本資料では,巻頭部にある「桜草」や「天竺牡丹」(ダリア)は来歴に,「福寿草」や「百合」は品種に詳しい.ダリアは,これが園芸書での初出らしい.(故磯野直秀教授による)



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