レンゲツツジは,ツツジ科としては大型の花をつける日本の固有種で,その漢名を中国本草書にある「羊躑躅(トウレンゲツツジ)」とするのは誤りだが,その毒性や薬効には共通点が多く長く同種とされていた.
江戸時代までは羊躑躅の和名としては,「イ(ハ)ワツヽシ」や「モチツヽシ」が採用されていたが,江戸時代のつつじ・さつきに特化したモノグラフ,伊藤伊兵衛
『長生花林抄』(1692)(『錦繍枕』)において,れんげつつじ≒「くちば」つつじ(カバレンゲ)=羊躑躅とされるようになった(前記事).レンゲツツジは花色によって品種を分けられていた.
しかし,それ以前の★中村惕斎『訓蒙圖彙(キンモウズイ)』初版 (1666) においては,羊躑躅の和名はレンゲツツジとされていて,1712年ごろ成立の★寺嶋良安『倭漢三才圖會』においてもこの考定が採用された.
★岡本一抱撰『広益本草大成』 (1689) は,通称和語本草綱目とよばれ明・李時珍の「本草綱目」所載の1788種に46種の新種を追加,その和名と別名及び要点を平易な日本語で解説している.この書では和名は「モチツヽジ」とされている..
★岡本一抱撰『広益本草大成』 (1689) は,通称和語本草綱目とよばれ明・李時珍の「本草綱目」所載の1788種に46種の新種を追加,その和名と別名及び要点を平易な日本語で解説している.この書では和名は「モチツヽジ」とされている..
1717年成立の★新井白石『東雅』では,旧態依然のイワツツジ或はモチツツジとされている.
一方,1719年の★伊藤伊兵衛著『廣益地錦抄』では,「冬咲つヽじ」の別名として「れんげつヽじ」が挙げられているが,この冬咲つヽじは戻り咲きの性が強いレンゲツツジであろうか.以下文献の画像は,NDLの公開デジタル画像よりの部分引用.
庭樹としてもその美しさが愛でられていて,★近衞家熈が描いた『花木真寫』(1736)には,美しいカバレンゲの花が描かれている.
★中村惕斎『訓蒙圖彙(キンモウズイ)』は,江戸時代前期に作られた「絵入り百科事典」であり,初版は寛文6年(1666)に刊行された.以後,元禄8年(1695)には『頭書増補訓蒙圖彙』,寛政元年(1789)には『頭書増補訓蒙圖彙大成』が,それぞれ大幅な増補改訂を経て刊行されている.
著者の中村惕斎(なかむらてきさい)(1629~1702)は京都の呉服商の家に生まれ,幼い頃から頭脳明晰,朱子学を独修して一家をなし,同時代の伊藤仁斎(1627~1705)に比肩する学者とも評された.儒学のほか,天文・地理・度量衡や音律にも通じた,幅広い知識を有した人物であった.
視覚教材としては,チェコのコメニウス(1592~1670)による『世界図絵』(1658年)が教育史上著名であるが,近い時期に日本でも本書のような書物が出版されていたのである.
初版の『訓蒙圖彙』は序目2巻,本文20巻全14冊であり,1頁に上下2図を載せている.和名と漢名,短い注記を付す.画者は不明(一説蒔絵師源三郎).以後「・・訓蒙」という書名が流行となった.
寛文8年(1668)に刊行された第2版『増補 訓蒙圖彙』には,1頁に4図が載り,序目・20巻全7冊に改められた.この版がもっとも多く流布した.ケンペル『日本誌』(1727)もこの版から模刻した図を多く載せている.
『頭書増補訓蒙圖彙』(1695)は1頁に4図が載り,序目・21巻よりなる.
『頭書増補訓蒙圖彙大成』(1789)1頁に複数の物品の図が混在し,序目・21巻よりなる.
左より『初版』,『頭書増補訓蒙圖彙』,『頭書増補訓蒙圖彙大成』 |
この内 NET で見ることができた,『初版』,『頭書増補訓蒙圖彙』,『頭書増補訓蒙圖彙大成』の「樹竹」門の「躑躅
てきちょく」の項には,「羊躑躅=レンゲツツジ」が図入りで収載されている.
初版の『訓蒙圖彙』(1666) には,本文に
「躑躅(てきちよく)つつじ 今按 羊躑躅(ようてきちょく)俗云れんげつつじ 黄(おう)躑躅 同,山(さん)躑躅 いはつつじ(いわつつじ) もちつつじ 稲繭花(たうけんくわ)
同,山石榴(さんせきりう)
あいつつじ 映山紅(えいざんこう)
同,杜鵑花(とけんくわ)
さつき」とある.図には,三種のツゝジが描かれ,羊躑躅,映山紅,杜鵑花とあるが,いずれもよく似ている.
『頭書増補訓蒙圖彙』(1695)には,「頭書」に
「〇躑躅(つつじ)ハ夏花(なつはな)???羊(ひつじ)これをくらへハ躑躅して死(し)すよりて?? れんげつつじ」とある.
図には,「躑躅(てきちょく)つつじ,杜鵑(とけんくわ)さつき」とあるが,レンゲツツジとされるつつじの図はない.
『頭書増補訓蒙圖彙大成』(1789)には,「頭書」に
「躑躅(つつじ)の類(たぐい)多し 紫花は二月に花さく 赤つつじは三月花さく れんげつつじはやや遅く花大にして見事 霧島(きりしま)ハ花濃紅にして美なり もちつつじハ薄紫(うすむらさき)四月花さく」とある.
図には三種のつつじが描かれ,右端の大型の躑躅の絵に「羊躑躅(やうてきちょく) れんげつつじ」とある.その図は前の二つの本の図に比べれば美しいが,雄蕊が多すぎ,花弁の縁が波を打つ特徴も描かれていない.
★岡本一抱(1654 - 1716)撰『広益本草大成』『和語本草綱目』(1698刊)廣益本草大成は,通称和語本草綱目とよばれ,23巻10冊本で,収録の薬物は1834種で,明・李時珍の「本草綱目」所載の1788種に46種の新種を追加している.各個の薬物には,一抱が自ら描いた図があり,古今の説を自己の見識によって取捨して引用するとともに,自らの経験を参酌したその解説は詳細で平易である.この書には
★岡本一抱(1654 - 1716)撰『広益本草大成』『和語本草綱目』(1698刊)廣益本草大成は,通称和語本草綱目とよばれ,23巻10冊本で,収録の薬物は1834種で,明・李時珍の「本草綱目」所載の1788種に46種の新種を追加している.各個の薬物には,一抱が自ら描いた図があり,古今の説を自己の見識によって取捨して引用するとともに,自らの経験を参酌したその解説は詳細で平易である.この書には
「廣益草大成□(糸+忽)目」
凡ソ一-藥ノ異-名.數-品アリト雖トモ.今-其最モ-要ナル
者五六-名ヲ採テ.本-名ノ下ニ附録ス.」とあり,
「羊躑躅 ヨウテキチョク.モチツヽジ
十五丁.黄躑躅.黄杜鵑キトケン
羊不食草.驚キヤウ羊花」と,和名はモチツヽジ,漢名には,黄躑躅.黄杜鵑があるとしている.
「廣益本艸大成 巻之十 附録」には
「【羊躑躅】 ヨウテキチョク.モチツヽジ
花辛温〇治ス皮膚ノ賊(ゾク)皮膚風痛,溫(ウン).瘧惡毒,諸痹。此ノ-者有リレ毒不レ二妄ニレ用ヒ一」と,本草綱目から要点を抜粋して記している.
★寺嶋良安『倭漢三才圖會』(1712年成立)
寺島良安は大坂の医師で,師の和気仲安から「医者たる者は宇宙百般の事を明らむ必要あり」と諭されたことが,この書の編集の動機であったという.生没年未詳.
『倭漢三才圖會』は明の王圻による類書『三才圖會』を範とした絵入りの百科事典で,約30年余りかけて編纂された. 全体は105巻81冊に及ぶ膨大なもので,各項目には和漢の事象を天(1-6巻),人(7-54巻),地(55-105巻)の部に分けて並べて考証し,図(挿絵)を添えた.各項目は漢名と和名で表記され,本文は漢文で解説されている.木版による印刷で版元は大坂杏林堂.
『三才圖會』をそのまま写した項目には,空想上のものや,荒唐無稽なものもあるが,博物学などにとり貴重な文化遺産といえる.博物学者南方熊楠は,全巻を筆写したという.また著者が医師(もちろん漢方医)であるだけに,東洋医学に関する記事は非常に正確で,鍼灸師の中には,これをもっとも信頼できる古典と見る人もいる.
その,「第九十五巻 毒草類」 に,
「れんげつつじ
羊躑躅
ヤ チツ チョ
黄躑躅(こうてきちょく) 老虎花(ろうこうか) 黄杜鵑(きとうけん) 驚羊花
玉枝 羊不食(ようふしょく)草 鬧羊花(どうようか)【鬧の字は悩につくるべき】
俗に蓮華豆々之(れんげつつじ)という
本綱、近道諸山皆之れ有り。小樹、集さ二尺、葉は桃の葉に似て三四月に花を開く。黄色、凌霄花(のうせんかつらのはな)に似て、五出蕊弁皆黄にて気味皆悪し。
花(辛く温、大毒有り) 羊が其の葉を食ひて躑躅にして死す。
△按ずるに、羊躑躅は(和名以波豆豆之。一に云ふ毛知豆豆之)本草の諸説に拠るときは則ち今云ふ蓮華躑躅なり。丹波及び和州吉野山に多く之れ有り。共の木二三尺、高き者五六尺、葉は楊梅の葉に似て薄く、微かに白き毛有り。三月に花を開く。五つ出で凌霄の花に似て一茎八九蕚、遠く之れを望(み)れば蓮華の如し。故に之れを名づく。又、赤蓮華と云ふ者有り。(蘓頌云ふ、嶺南に深紅色の羊躑躅有りとは是れか) 凡そ躑躅の品類多しと雖へども、黄花の者は惟だ蓮華躑躅、豆萁(まめから)躑躅の二種のみなり。黐(もち)躑躅・岩躑躅等も一類にして花の色黄ならず。
豆萁躑躅(まめからつつじ)俗に末女加良豆豆之という】
△按ずるに、豆萁躑躅は深山巌石の間に之れ有り。三四月に花を開く。
美容柳の花に似て黄色、其の葉四時凋まず。(端は巻(め)反(く)りて豆空莢(まめからさや)に似たる故に之れを名づく。丹波氷上郡の山中に之れ有り)
黐(もち)躑躅
△按ずるに、黐躑躅は、葉浅緑色、細かなる毛有り。枝少なく花繁し。
三四月に花を開く。浅紅、桃の花の色に似て一枝数蕚。其の花及び蕚は、手に触るれば即ち黏りて黐の如くなる故、之れを名づく。花の形色美ならず。今の人四月八日濯仏に之れを用ゐて、或は竹竿に捕へて之れを供す。未だ其の拠を知らず。但だ此の時に当りて甚だ多き故、其の簡易を取るのみ。
一種に躑躅有り。江戸万葉と名づく。黐躑躅に似て其の花千葉にして色濃く、黏らざるを異と為す。
夫木 くれなゐのわしほの岡のいはつつじ山姫のまくりての袖 長方
一種に岩躑躅(伊波豆豆之)有り。葉花共に小さく、花の色深赤なり。」
とある.和産で黄色い花を着けるツツジとして,「豆萁躑躅(まめからつつじ)」も挙げているが,花色と葉の端が内側にめくれる特徴から,ヒカゲツツジ(Rhododendron keiskei)であろう.一方,羊躑躅として考定されていた,モチツツジ,イワツツジに対しては,羊躑躅との関連は言及していない.
★新井白石(1657 - 1725)『東雅』(1717年成立) は中国の《爾雅(じが)》にならったもので,《和名類聚抄》にみえる物名について語義の解釈をしたものである.〈天文〉〈地輿〉〈神祇〉〈人倫〉などと分類され,天地よりはじめて虫魚の類に及んでいる.《古事記》《日本書紀》《万葉集》などの古書を参照するとともに,百済語や琉球語なども参照して,古語の意味だけでなく,語源についても考察が試みられている.その「樹竹」の章には,
「羊躑躅 イハツゝジ 倭名鈔に陶隠居の本草註の羊躑躅はイハツゝシ一にモチツゝ
ジといふ.本草の茵芋はニツゝジ一にヲカツゝジといふ.兼名苑*の山榴,即山石榴也.花
與二羊躑躅一相似矣といふはアイツゝジといふと註せり.並に義不詳.
藻鹽草に,古歌に躑躅をば浦濱また河によめりと見えたり.さればイハツゝジ・ヲカ
ツゝジなどの名ありと見えたり.モチツゝジといふは,これもその花葉の茂きをいふ
なるべし.其葉の上に餅子の如くなる者を生ずる故也などといふ事あれど,此説は如
何にやあるべき.ニツゝジとは其似たるを云ひ,アイツゝジといふも,亦これに同じ
かるべし.今俗に山榴をばヤマツゝジといふなり.東璧本草**に羊躑躅は草部に見え
たり.其故を知らず.」とある.園芸家や本草家と違い,文献からの考察のみに根拠を置く爲か,レンゲツツジへの言及はない.
*『兼名苑』:唐の釋遠年撰とされる字書体の語彙集.亡失して伝わらない.本草和名,和名抄,類聚名義抄に多く引用される.
**東璧は李時珍の字,東璧本草は『本草綱目』
★伊藤伊兵衛『廣益地錦抄』 (1719) の「巻之八 花木類」には,
「冬咲(ふゆさき)つヽじ
はなの色くれ
ない大りん一所に十
余りんもあつまりさ
きて柘南花(シャクナンゲ)の花に
似たりまたハれんげの
はなに似たるゆへれん
げつヽじといふ葉も大
きく細ながくくちなし
の葉ににて春三月
ころはなおほくさき
ながめとなれりまた
秋のすへ九十月比より
冬のうち花さく寒牡丹
(カンボタン)と同時にはな咲く
めづらしくながめたへ
ずうへて愛すべし」
とある.挿画は「寒咲(かんさき)つヽじ」となっているが,雄蕊が五本で,蕾がレンゲ(ゲンゲ)の花に似ていて,葉の先端も丸みを帯びているので,戻り咲きが見られたレンゲツツジ(コウレンゲ)の可能性もあると思われる.
★近衞家熈(このえ いえひろ,1667 - 1736)筆『花木真寫』(全三巻)には,123種の花木の美しい写生図(125図)が納められているが,その中にカバレンゲが「黄蓮華躑躅」の名で描かれている.北村四郎氏はこの図について,「絵は,若葉が外まきで裏面が蒼白色であることを写生し,雄ずいが5本ある特徴をとらえ,誤りがない.」と評価している.(左図)
後陽成天皇の男系四世子孫である家熈は,江戸時代前期から中期にかけての公家で,右大臣,関白,摂政,太政大臣などを歴任した後,1725年に落飾し,予楽院と号した.書道,絵画,有職故実に優れ,茶人としても著名であった.その言行は,侍医で,茶人であった山科道安が日録風に記した『槐記』11巻に記録されているが,『槐記』によれば,家熈は自然科学にも精通し,享保16年(1731年),雷鳴と稲妻とは同時に発生するものとし,距離に比例して雷鳴が後れることを書き記している.
彼の科学的なセンスに立脚して『花木真寫』に描かれた花木は科学的にも正確・精密で,日本のボタニカルアートとして屈指の図譜と言えよう.