2020年2月2日日曜日

レンゲツツジ (2)  羊躑躅,躑躅花,本草集注,新修本草,新撰字鏡,本草和名,延喜式,和名類聚抄,医心方,下学集,壒囊鈔.イワツツジ,モチツツジ,シロツツジ

Rhododendron molle subsp. japonicum

 ツツジ科としては,大型の花を着ける日本の固有種で.レンゲツツジの漢名を中国本草書にある「羊躑躅」とするのは誤りだが,その毒性や薬効には共通点が多い.「羊躑躅」は奈良時代に日本に渡来した中国本草書に既に記載されていて,その後の考定で和名はモチツツジ・イワツツジ・シロツツジであるとされている.これ等の名称が現在のそれらと同一であるか否かは不明.レンゲツツジが羊躑躅と考定されるのは,江戸時代.
 一方『延喜式』では「躑躅花」が薬草として諸国から典藥寮に貢進され,行事や役所に配布されている.この「躑躅花」はレンゲツツジの乾燥した花冠と思われる.
  
 以下文献の画像は,NDLの公開デジタル画像よりの部分引用.

日本に最初に入ってきた中国本草書は『本草集注』とされているが,その内容は後漢(25-220)から三国(220-263)の頃に成立し『神農本草経』(700年頃成立)とほぼ同一とされている.復元した『神農本草経攷異』(森立之編,嘉永7 [1854])の「草部下品」には,
羊躑躅 味辛溫。生川谷。治賊風在皮膚中淫淫痛。溫瘧。惡毒。諸痹。
とある(左図).

『続日本紀』の延暦6 (787) 515日条には典薬寮の上奏文として,『新修本草』は『本草集注』を包含したうえ100余条を増加しているので,今後は『本草集注』を用いないと記されている.これ以降,平安時代にかけて『新修本草』が本草書の第一テキストの地位を占めた.その「卷第十」には,
羊躑躅 羊躑躅 味辛、温、有大毒。主賊風在皮膚中淫痛、
温虐、悪毒、諸痺、耶氣。鬼注蟲毒。一名玉
支、生太行山谷及准南山、三月採華、陰乾。
今道近諸山皆有、華黄似鹿葱、羊誤食其葉、躑躅
而死、故以為名、亦不可近眼。謹案、玉支、躑躅一名、陶
○(於の方を扌に)支子注中云、是躑躅、子名玉支、非也。
花亦不似鹿葱、正似旋花黄色也。」
とあり,花はヒルガオに似て色が黄色とある.

★僧昌住編『新撰字鏡』(892)昌泰年間(898- 901)は,現存する最古の漢和辞典とされるが,それには,
羊躑躅
毛知豆豆自
とあり(右図),和名は「もちつつじ」であるとされている.このもちつつじが現在云うモチツツジ(Rhododendron macrosepalum)と同じかは不明.『大辞林 第三版』,『日本国語大辞典』では下の『本草和名』を出典として「モチツツジはレンゲツツジの古名」としている.

★深根輔仁撰『本草和名2(918頃成)編纂は,現存する日本最古の本草薬名辞典であり,『新修本草』の薬物名とその配順に従い,70余の中国書から薬物の別名を網羅.各々には和名を同定して万葉仮名で記し,国産のあるものは産地まで記してある.この書には
羊躑躅 陶景注云羊誤食躑躅而死故以名之 一名王支一名史光 出釈藥性 和名以波都ゝ之 又之呂都ゝ之 一名毛知都ゝ之
とあり(左図),和名として『新撰字鏡』のモチツツジ以外に,イワツツジとシロツツジを挙げている.現在云うモチツツジとイワツツジには毒性が認められていない.シロツツジは不明.ここに云う岩ツツジは,ミツバツツジ(三葉躑躅 Rhododendron dilatatum)か.
また,「山榴 兼名苑云山榴 和名阿伊豆ゝ之 即山石榴也花與羊躑躅相似矣」ともあり,山榴-ヤマツツジ(アイツツジ)の花は,羊躑躅のそれと似ていると『兼名苑』にあると記す.『兼名苑』は唐の釋遠年撰とされる字書体の語彙集.亡失して伝わらない.本草和名,和名抄,類聚名義抄に多く引用される.

★『延喜式』は,「養老律令」の施行細則を集大成した古代法典.延喜5年(905),藤原時平ほか11名の委員によって編纂を開始し,延長5年(927),藤原忠平ほか4名が奏進した.その後も修訂が加えられ,40年後の康保4年(967)に施行された.全50巻.条数は約3300条で,神祇官関係の式(巻1~10),太政官八省関係の式(1140),その他の官司関係の式(4149),雑式(50) と,律令官制に従って配列されている.その典藥寮の項には諸国から毎年進上すべき薬物の種類と量が記されている.その中には躑躅花が記録されている.
「延喜式 卷第卅七 典藥寮 諸國進年料雜藥」には,
「伊勢国五十種 躑躅花十斤,近江国七十三種 躑躅花一斤十両,出雲国五十三種 躑躅花二両,播磨国五十三種 躑躅花六斤,紀伊国卅五種 躑躅花二斤,阿波国卅三種 躑躅花四斤」
と,六ヶ国から計二十三斤十二両が納められることとなっている.(一斤=十六両 約223グラム,一両=四分 約14グラム).
躑躅花」は当然乾燥させて運ばれたであろうから,相当多量の生花が採取されたと考えられる.
一方,配布先としては,
「延喜式 卷第卅七 典藥寮
右掃部司所請,所須薬種 躑躅花九両一分,中宮臘月御薬 躑躅花三両,諸司年料雑薬 斎宮寮五十三種 躑躅花九両一分」
とあり,計二十一両二分が三カ所に配られることとされている.
この,「躑躅花」は,『本草綱目』の羊躑躅の項に「花」として記載され(後記事),薬効が記載されている.この「躑躅花」がレンゲツツジの花であるという証拠はないが,花が薬用として有用なツツジの類は他にないので,レンゲツツジの可能性が高い.

★源順『和名類聚抄』(931 - 938 は,平安時代中期の承平年間(931 - 938年)に,勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂した辞書で,中国の分類辞典『爾雅』の影響を受けている.名詞をまず漢語で類聚し,意味により分類して項目立て,万葉仮名で日本語に対応する名詞の読み(和名・倭名)をつけた上で,漢籍(字書・韻書・博物書)を出典として多数引用しながら説明を加える体裁を取る.今日の国語辞典の他,漢和辞典や百科事典の要素を多分に含んでいるのが特徴.那波道円 []1617)には,
羊躑躅 陶隠居本草注云羊躑躅擲直二音 和名以波豆ゝ之一云毛知豆ゝ之 羊誤食之躑躅而死以名之」
とあり(右図),和名として『新撰字鏡』のモチツツジ以外に,『本草和名』のイワツツジを挙げている.

★丹波康頼(912 – 995)撰『医心方』(平安前期永観2984年朝廷に献上)
『医心方』全30巻は巻1がおよそ本草の総論,巻30が食物本草部分で,両巻とも『新修本草』からおもに引用している.しかし,巻1の諸薬和名篇は『新修本草』の全品を記すため,約5分の1には和名が同定されていない.他方,巻30所載の162品は,音読で当時よばれた酪と酥を除くすべてに和名が記されている.さらに『新修本草』収載品でも,日本に生息しない虎などは,巻30に採らない.逆に『新修本草』にない鯛や鮭などの魚類などを,『崔禹食経』(724-891)ほかの中国本草約10書を駆使し,収載している.これらの点に,中国書からの引用ではあるが,国産で和名もすでにある常用品に焦点を定め,編纂した日本化の特徴を見ることができよう.この第一巻には
羊躑躅 和名以波都ゝ之 又毛知都ゝ之 一名之呂都ゝ之
とあり(左図),『本草和名』と同じくイワツツシ,モチツツジ,シロツツジを挙げている.
★東麓破衲編『下学集』は日本の古辞書の一つ.室町時代1444 (文安1) 成立.著者は,序末に〈東麓破衲〉とあるのみで不明.京都東山建仁寺の住僧かといわれる.内容は〈天地〉〈時節〉以下18の門目を立てて,中世に行われた通俗の漢語の類を標出し,多くの場合それに注を加えてある.その「草木門」に
羊躑躅イハツヽジ モチツヽジ)羊誤食之躑躅而死以名之」(ヒツシ アヤマツテコレヲクラハハ テキチョクトシテシス ユエニモッテ コレニナヅク)
とあり,和名は『和名類聚抄』と同じくイワツツジ,モチツツジとしている.


★『壒囊鈔』(1446年(文安3)脱稿)は仏教および世俗に関する故事500余項について学僧行誉の答問したものを集めた考証的随筆書.7巻.古刊本15冊.よく内典外典を博覧引用してあるが,中世的な付会説が多い.当時の式例,風俗,日用言辞などのいわれや出自を集めたもので,中世知識人の一般的興味のあった題目が豊富に選ばれている.のち『塵袋(ちりぶくろ)』から選択して本書を増益することにより,『塵添(じんてん)壒囊抄』ができた.
塵添壒嚢鈔』(1532年(天文元年)成立)は,室町時代末期に編纂された辞典である.全20巻.流布している版本の刊行は16501660年頃と見られている.先行する『壒嚢鈔』に『塵袋』所収の諸説(201箇条)を増補して編纂された.言葉の起源・故事,神仏寺社についての縁起などを主におさめている.『塵袋』は,鎌倉時代中期,1274-1281年(文永末年から弘安4年)のころ成立といわれる問答体で書かれた片仮名書きの類書(百科事典形式のこと)である.
この『壒囊鈔』の「巻之第六 素問下末」には,
  【十一】 躑躅(テキチョク)ヲツヽジトヨム、字体草木ニ縁无ハ如何 
此問實ニ然リ、本名ハ山榴(リウ)也、其花赤シテ柘榴(セキリウ)ニ似タル也、
是ヲ躑躅(ツヽジ)ト云事ハ、古事ニ依テ也、申サバ異名ナルヘシ、
千金翼方ト云本草ニ云、羊食此花、躑躅(テキチヨウ)シテ而斃(タヲレヌ)、故ニ云
ト、文選ニハ躑躅(テキチヨク)ト、タヽズムトヨメリ、注ニハ不安ノ㒵
ト云、立煩(タチワツラヒ)悩姿(ナヤムスガタ)ナルベシ、或ハフシマロブトヨム、同心也、
羊此ノ山榴(リウ)ノ花ヲ食テ、立煩ヒテ斃(タヲレ)死(シヽ)ケルヨリ、ツヽジ
ノ名トハスル也、或説云、羊ノ性ハ至孝ナレバ、見此花
莟(ツホミヲ)、母ノ乳ト思テ、躑躅シテ折膝(ヒサ)ヲ飮之、故ニ云爾共、此義難
信用、又本草文ニ違ヘリ、但事廣ケレハ何ナル文ノ説ニ
カ、陁羅尼集經ニ云、迦羅毘羅樹(キヤラヒラジユ)、唐ニハ云躑躅(テキチヨク)ト云云、花赤キ
故ニ映(エイス)山徑共云也、但シ順カ和名ニハ、山榴ヲハ,アイツヽジト
点セリ、和名ニ云,羊躑躅、〈イワツヽシ、一云、モチツヽシ〉茵芊(インセン)〈マツヽシ、一云ヲカツヽジ、〉
山榴(アイツヽシ)〈予以山石榴也、花羊躑躅相似云々〉」とある.
躑躅の字に草木に関連のないのはなぜかとの信徒の問いに,名の由来として「羊がこれを食するとふらふらして進めなくなるからだ」という説と,「羊の性は考であるので,躑躅の赤い蕾を見ると母の乳房を思い出し,立ち止まり膝を折って吸うからだ」との説を答えている.最後に羊躑躅の和名としてイワツヽシとモチツヽシを挙げている.
また,『塵添壒嚢鈔』の「巻之九」の

「十一 躑躅(ツヽジノ)事 付本草説事 山榴事 和名記」の項には「壒囊鈔」と全く同じ文が記載されている.

レンゲツツジの初出は,故磯野慶大名誉教授によれば,室町後期の『蔭涼軒日録』の長享二年 (1488) 三月の記事である.(次記事)

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