Accipiter gularis
木々や草の「落葉帰根」を文字通りに行っているためか,狭い庭でも多くの野鳥が訪れる.キジバト,スズメ,シジュウカラ,オナガは常連だが,他にもジョウビタキ,ゴジュウカラ,コゲラなどが愛らしい姿を見せてくれる.先日は猛禽類のツミを初めて見た.
ヤエベニシダレの枝に止まり,辺りを睥睨している鳥を発見したのは,家内で,初めはハトの仲間かと思ったらしいが,首が短く尾が長く,何より目とくちばしが怖いと報告に来た.二階の窓を開けても気にする様子もなく,鋭い爪で枝をがっしりと掴み,首をほゞ180度廻して辺りを窺っていた.
初めて見た鳥だが,形状からワシ・タカの仲間と見当をつけ図鑑に当たったところ,小型の猛禽類ツミで,腹に薄く赤味があり,目が赤いことからその雄である事が分かった.なお,雌は雄より一回り大きく,目は黄色く,腹には暗褐色の横縞が入るそうだ.
タカの仲間は雌の方が大きいのが一般的だが,小型のツミでは,その差が顕著に感じられるためか,古くは雌雄を別種と考えていたようで,雌をツミと,雄はエッサイと呼んでいた.(文献画像は NDL の公開デジタル画像よりの部分引用)
平安中期の『和名類聚抄』では,雀鷂(ツミの雌)と雀𪀚(ツミの雄)がそれぞれ一項目として記載されて,前者の和名は,ツミ,またスズメを良く取るから「スズミタカ」と,また後者の和名はエツサイとされている.
平安末期成立の古辞書『色葉字類抄』にも雀鷂-ツミと雀𪀚-エツサイが別に記載され後者には能く雀を捕えるとある.
平安末期に起源をもつ漢和辞書『類聚名義抄』の「僧中 鳥」にも,「雀鷂〈スヾミダカ、或云ツミ〉」「雀𪀚〈和名エチサイ、小鷹〉」と雌雄が別に記されている.
日本の古辞書の一つ『下学集』(1444)には,ツミ,エツサイそれぞれ二つの漢字表記がおこわれている.
室町中期に成立した国語辞書『節用集』には,ツミに三種,エツサイには二種の漢字表記がおこわれているが,漢字表記が雌雄逆.江戸時代の『増補大節用集』(1665) では,ツミに二種,エツサイには七種の漢字表記が記されていて,雌雄逆の漢字表記は正されている.またエツサイが雄のツミである事を認識していたことを伺わせる.
室町中期の往来物(傳)一条兼良『尺素往来(せきそおうらい)』は年中行事や各種事物の話題を集めて、往復書簡の形式にまとめたものであるが,三月の行事の一つとして鷹狩の為の準備の儀式が記されていて,そこにはエツサイがツミの雄(弟雀鷂)とされている.
貝原好古の『和爾雅』(1694)でも,雌雄別に名が挙げられている.
一方,歌の題材としても,古くから取り上げられており,平安末期,顕昭が著した歌学書『袖中抄』には,「小たかには雀鷂をはづみと云、すゞみたかとも云」と,また「𪀚。えっさいと読、悦哉ともかけり」とあるそうだ.(人見必大著・島田勇雄訳注
『本朝食鑑 3』東洋文庫 340 (1978))未確認.
藤原定家の歌集と伝えられている『小鷹部』には,「かた胸を猶かひ残すゑつさい乃いかにしてかは鶉とるらむ」とウズラを獲ったツミの雄の歌が残る.(左図)
南北朝-室町時代の武将,今川了俊の歌学書『言塵集』には,「雲雀鷹とは五六七月間につかふ。ひばりの夏毛替時、尾羽の落比、つかふ也。尾羽の落たるをねりひばりと云。雲雀鷹とはつみ小鷹の名なり」,ツミの種類については、「黒つみと云も有なり。若狭山の巣といへり」とあるそうだ.(人見必大著・島田勇雄訳注
『本朝食鑑 3』東洋文庫 340 (1978))未確認.
江戸前期の俳諧手引書,松江重頼『毛吹草』(1645)の巻之二「誹詣四季之詞」と巻之四「名物」(諸国名産品)に動植物を数多く載せる.その「巻第二」には「秋鷹(あきたか)さしは つみ このり」とある.
何れの書でも,ツミを雌雄で別種としているのは,体の大きさと,胸の羽の色や目の色など,目につく形状に違いがあるためと思われる.エッサイを雄のツミと記録する文献は,江戸初中期より現れる(後述)
『和名類聚抄』(931 – 938)は,平安時代中期の承平年間(931 - 938)に,勤子内親王の求めに応じて源順が編纂した辞書で,中国の分類辞典『爾雅』の影響を受けている.名詞をまず漢語で類聚し,意味により分類して項目立て,万葉仮名で日本語に対応する名詞の読み(和名・倭名)をつけた上で,漢籍(字書・韻書・博物書)を出典として多数引用しながら説明を加える体裁を取る.今日の国語辞典の他,漢和辞典や百科事典の要素を多分に含んでいるのが特徴.
那波道円 [校](1617)の版の「巻之十八」には
「雀鷂 兼名苑云雀鷂 漢語抄云須々美多加或云豆美 善提雀者也」
雀𪀚 唐韻云雀𪀚 音戎 漢語抄云和名悦〓(哉の口を方) 小鷹也」とある.引用されている「兼名苑」は,中国のおよそ南北朝の時期に成立したと考えられる,事物の別名や別称を集め、考証と解釈を加えた類書で,原本は早くに失われて今に伝えられていない.また,『唐韻』は倭名類聚抄に多く引用される。唐の孫愐(ソンメン)撰の字書で,韻書と呼ばれる韻で引く字書。『漢語抄』(楊氏漢語抄)は,源順序によれば「古語多く載れども和名希に存れり。弁色立成十有八章は、楊家説と名異実同にして、編し録するの間頗る長短あり。其余の漢語抄は、何人の撰なるかを知らず。」とあり,佚書としていまに伝わらず、漢語を和訳し、和名を付した国書であることがわかっているだけで不詳.なお,「鷂 よう」の和語は「はいたか,はしたか」とされている.
★橘忠兼編『色葉字類抄』は,平安時代末期に成立した古辞書.橘忠兼編.三巻本のほか二巻本の系統もあり,また十巻本『伊呂波字類抄』もある.和語・漢語を第一音節によってイロハ47部に分け,更に天象・地儀など21門の意義分類を施した発音引き辞書である.イロハ引きの日本語辞書として最古.
当時の日常語が多く収録され,特に漢語が豊富に収録される.また社寺・姓名など固有名詞も収録される.それらの漢字表記の後に片仮名で訓みが注され,時に簡単な漢文で意味・用法が記されるものもある.
この書の「津」の章の「動物」の部に,「雀鷂(エウ) ツミ 又スヽミタカ 云小鷹也」とあり,更に「江」の章の「動物」の部に「雀𪀚(シウ) エツサイ 息弓反 似鷹而小能捕雀也 云小鷹」とある.
平安末期の漢和辞典★『類聚名義抄』は『名義抄』ともいう.標出漢字にその字形 (異体字 ) ,字音,意味,和訓などを付す.法相宗 (ほっそうしゅう) の僧侶の撰とみられるが未詳.仏・法・僧の3部からなり,120の部首によって漢字を分類し,字音・字義・和訓などを注記し,和訓には声点によってアクセントが示される.『名義抄』は種々の国語資料となるが,特に,それが典拠のあるものであることを示すために和訓につけられた声点は,日本語アクセント史構築の資料として重要である.
この書の「僧中」に「鳥」の項があり,そこに「雀鷂 スヾミタカ、或云ツミ」とあり,また「雀𪀚 和名 エチサイ 小鷹」とある.
★東麓破衲編『下学集』(1444)は,日本の古辞書の一つ.1444年(文安1)成立.著者は,序末に〈東麓破衲〉とあるのみで不明.京都東山建仁寺の住僧かといわれる.内容は〈天地〉〈時節〉以下18の門目を立てて,中世に行われた通俗の漢語の類を標出し,多くの場合それに注を加えてある.配列が《節用集》のようにいろは順でないから,語の検索には不便である.大まかにいえば,《節用集》のほうは《下学集》をいろは引きに改修したものである.
「上 氣形」に「〓(常+鳥)ツミ 雀鷄 ツミ 雀𪀚 エツサイ 零鳥 エツサイ」とあり,他書にはない漢字表記が当てられている.
★編者未詳『節用集』は室町中期に成立した国語辞書で,『下学集』をいろは引きに改修したものともいえて,語をいろは順に分け,さらに天地・時節・草木などの門を立て,意義によって分類・配列した書である.また,江戸時代にはこれを改編・増補した多種多様の節用集が刊行され,やがてはいろは引き国語辞書の代名詞のようにもなった.近世初期までに書写・刊行された諸本を特に『古本節用集』という.
この古本節用集の「津」の部の「畜類」に「〓(靣+鳥)ツミ 或云 雀𪀚 又云 〓(常+鳥)」とあり,また「江」のぶの「畜」に「雀鷂 エツサイ 鷹名」「〓(零+鳥)エツサイ」とある.「雀𪀚」をツミ,「雀鷂」をエツサイと訓じるのは,先行の書とは逆である.他の版の『古本節用集』でも同様であった.
その年中行事の一つとして三月に鷹狩の準備として鷹を鳥屋から出して,野や山で訓練する事が記されている.この中に
「日来繋(ツナギ)置ク所ノ鷹(ソウタカ,オホタカ)・兄(ショウ,セウ)鷹・鷂(ハイタカ)・兄鷂(コノリ)・𪀚(ツミ)・兄𪀚(エツサイ)・隼(ハヤブサ),大小雀鸇(サシバ)等.巣子下(オロシ),鳥屋(トヤ)出シ,野曝山廻,倶ニ解條,於架(ホコ)上,同収メテ二旋於韝(タカタスキノ)頭(ホトリ)一,一族十餘騎.各着シ二狩装束ヲ一.」とあり,注目すべきはエッサイを「兄𪀚」,つまり「𪀚(ツミ)」の「兄(ショウ)」と記している事で,鷹類の雄は「兄」で「せう,しょう」,雌は「弟」で「だい」と区別していたので,エッサイをツミの雄と認識していた事となる.
なお「韝(読み):タカタスキ」は,鷹狩りで,鷹を腕にとまらせるときに用いた革製の手袋.
図は 国文学研究資料館 新日本古典籍総合データベース,京都石田治兵衛 1668年(寛文8)刊本より(この項 2002-12-11 追記)
一方,江戸時代の 1665 年刊行の『増補大節用集』では「津 気形」の章に「雀鷂 つみ」「〓(靣+鳥)つみ」.「え 気形」の章に「雀𪀚 えつさい 小鷹,零鳥 同,菩提鷹 同,〓(零+鳥)𪀚 同,兄𪀚 同,悦哉 同,〓(「戎+鳥)同」とあり,『古本節用集』を訂正して「雀鷂」をツミ,「雀𪀚」をエツサイと訓じている. なお,「兄𪀚」の兄は「しょう」と読み,鷹類の雄は「兄」で「せう,しょう」,雌は「弟」で「だい」と区別したらしい.
貝原益軒の甥で養子になった★貝原好古(よしふる,1664-1700)の『和爾雅』(1694)は,中国の「爾雅」に倣って日本で用いられる漢語を意義によって24門に分類し,音訓を示し,漢文で注解を施したものだが,その書の「鷹(タカ)」の項には「兄(セウ)鷹 雄也,弟(ダイ)鷹 雌也」とあり,また「小隼(サシバ)自二朝鮮一來 日本ニ無レ之,雀鷂(ススミタカ)(ツミ)雀鷹 同,雀𪀚(エツサイ)」とある.一般的には「鷹の雄=兄=小,鷹の雌=弟=大」と認識していたが,ツミに関しては雌雄別種と考えていたのであろう.