Accipiter gularis
ツミは鷹狩に使われ,『飼籠鳥』では,「鷹家是を飼て鳥雀を取らしむ」,とあり『水谷禽譜』には「公儀ヘ獻上アリ献上ハ ハイタカト ツミ許ナリ」と幕府の鷹匠がこれを用いて御鷹狩を行っているとある.
一方『蘭山禽譜』には「児童ノ翫迠ニテ常ニ不畜」とある.また,『錦窠禽譜』には,雌のツミは「雀鷂は勢ひ強きものなり」と気が荒いとある.オスの「悦哉」の名はメス「雀鷂」に比べると飼育・順化し易い事からつけられたという説もある.
「雄はエツサイという。漢字名は悦哉。悦のひとつの意は喜んで従う」であるから、鷹狩り用のタカとして「飼いやすく、仕込みやすい鷹」の意かもしれない。」安部直哉『野鳥の名前 名前の由来と語源』ヤマケイ文庫 (2019)
★佐藤成裕『飼籠鳥』(1821?)
江戸時代3大養禽書の一つで、筆者は水戸藩士佐藤成裕(号は中陵・温故斎、1762-1848)、会津の人厳恪の序は文政4年(1821)なので、その頃に完成か。巻1は序などと「異鳥部」(天狗など、想像上の鳥)、巻2・3は「飼法部」で、飼い方・治療法・21種の猟法を記す。巻4以下が各論で、416品(うち102品は外来種)を鶏部・雉部・鳩部・鸚鵡部‥‥鷹部・隼周鳥部と、形状に基いて17部に分けて叙述し、『本草綱目』の分類とは異なる。当時の野鳥の分布など、参考になる記載が少なくない。(磯野直秀)
その巻之二十「隼鵰部」に
「雀鷂 本草綱目 一名
和名 ツミ
西国の山林に見る事あり雀鷂より小にして腹の色
淡く杜鵑の斑點に似て濃し案るに鷹鶻方の小鵶*1鶻*2
の一種小なる者あり小鳥のミならず中鳥を取る鷹家是
を飼て鳥雀を取らしむ〓〓〓なり
本草綱目*3曰杜鵑條下杜鵑南方亦有之狀
如雀鷂而色慘黑赤口」比説より考るに形状毛色
頗る相似る事あり是の口中は鷹の如くして杜鵑ごとく赤ミなし」
とある.
*1:鵶:カラス
*2:鶻:ハヤブサ
朝鮮王朝実録,世祖実録17巻、世祖5年9月6日乙酉1459年,天順3年の記事に
「○ 乙酉/御後苑。 分左右鑿池, 賜酒肉于役夫。 觀放鵶鶻。」とある.
*3:本草綱目の「禽之三」の
『杜鵑』の項には
【集解】(中略)時珍曰杜鵑出蜀中今南方亦有之狀如雀鷂而色慘黑赤口有小冠春暮即鳴夜啼達旦鳴必向北至夏尤甚晝夜不止其聲哀切田家候之以興農事惟食蟲蠹不能為巢居他巢生子冬月則藏蟄」と,確かに「雀鷂」があるが,これは,「雀,鷂」と分けるべきで,『国訳本草綱目』には「時珍曰,杜鵑は蜀中に産し,現に南方にもゐる.形狀は雀、鷂のやうで慘黑色(さんこくしょく)だ.口が赤く,小さい冠がある.」と,分けて和訳されている.
★岡林清達・水谷豊文『物品識名』(1809 跋)
品名を和名のイロハ順とし,ついで水・火・金・土・石・草・木・虫・魚・介・禽・獣に分け,各項にその漢名・和の異名・形状などを記した辞典.序によれば,『物品識名』は,初め水谷豊文(1779-1833)の友人岡林清達が着手したが眼病で中絶し,豊文が継続,完成させた.後編『物品識名拾遺』(特1-2504)は豊文の単独執筆である.イロハ順といっても,江戸時代の場合は第2字目以下はイロハ順ではないが,本書は「キリシマ・キリ・キリンケツ」のように,第2字目も同じ名を連続する工夫をしているので,一般的なイロハ引より使いやすい.本書は和名中心の動植鉱物辞典の嚆矢だったので,大歓迎された.
★水谷豊文『物品識名拾遺』(1825 跋)
『物品識名』の後編.日本産の動物・植物・鉱物名をイロハ順にし,さらに「水」,「火」,「土」,「金」,「石」,「草」,「木」,「蟲」,「魚」,「介」,「禽」,「獣」に分類,カタカナで和名を,その下に漢名を記載し,出典なども付したもの.『物品識名』に掲載されなかったものを収載.また,『物品識名』の見出しになっていない別称についても記し,前編の記載部分も指示している.
①『物品識名』の津部には,「ツミ すヽめだか 雀鷹」とある.
②『物品識名拾遺. 乾』の多部のタカの項には,「ゑつさい 雄をゑつさいと云 雌をツミと云」とある.
➂『物品識名拾遺. 乾』の江部には,「ゑつさい タカの部に出」とある.
幕末最大の本草学者★小野蘭山の『蘭山禽譜』は蘭山(1729-1810) の自筆本天地二冊が明治42年(1909)の蘭山没後百年記念会までは存在していたが,現在は行方不明である.しかし,諸書の検討によって,天之巻(水鳥)と地之巻(水鳥以外の鳥類と獣類)の二冊から成り,鳥類計307品・獣9品と推定されている.その諸書のうち,東京大学総合図書館蔵『禽譜』(T86-177本,鳥305品・獣9品)がほぼ完全な転写本らしい.なぜ獣類が少数含まれるのかは不明である.本資料はその「地之巻」に当たり,鳥171品と獣7品を含み,各品とも雌雄を描く例が多い.記文では産地や渡来年,形状や色彩を簡潔に記す.
この書の「鷹」の項には「児隼,刺羽,雀鷂,雀𪀚等品類ハ児童ノ翫迠ニテ常ニ不畜飛鷹録弁畧等ノ説ヲ抄述ス」とあり「雀鷂 正写」と題された絵がある(冒頭図,左端)が,雄(雀𪀚)の図はない.
本草学者★水谷豊文『水谷禽譜』(1810 頃) には,上記『蘭山禽譜』から転写した図と記文が少なくない.この書の巻之三の
「鷹 タカ」の項には
「𪀚 和名ツミ 一名スヾメタカ 兄𪀚 和名ヱツサイ」とあり,また,
「ツミ 小ナリ ヒヨドリホドアリ
一種クマツミ クロツミ
ツミ 弟
ヱツサイ 兄」とあり,また,「右二種木曽ニ産ス年々
公儀ヘ獻上アリ献上ハ ハイタカト ツミ許ナリ」とある.また,エツサイの図も添えられている(冒頭図,中央).
伊藤圭介(1803-1901)『錦窠禽譜』 2編20巻の第13
分冊(続編7分冊目)「タカ」の章には,「○刺羽と云は小隼(はやぶさ)雀鷂(つみ)雀𪀚(えつさい)は形状大さ伯労(もず)
程あり雀𪀚は雀鷂の雄也また兄鷂鷂と云あり鷂は兄鷂
の雌なり
○或云雀鷂は勢ひ強きものなり先年畜養して●(萑+鳥)に
合せたるに只一たヽきに雀鷂ハ〓〓〓〓とそ
つみ
豆美 今同 出鈔叉曰須々美多加引漢語抄為
下條所記載者此鳥之雄也 (各物〓〓〓〓〓)
○鈔有悦哉 今同 假字也為雀𪀚」
とある.
畔田翠山 (1859 – 1792) は,江戸後期の本草学者.姓は源,名は伴存,通称は十兵衛(5代),号は翠山,翠岳,紫藤園,翠嶺軒.和歌山藩湊南仲間(和歌山市)生まれ.本草学を同藩の小原桃洞に,国学歌学を本居大平に学んだ.俸禄20石の小身だったが,藩主徳川治宝に認められて医員として西浜御殿の花卉薬草の管理に当たる.居室の円窓書斎は書物,標本に満ち,採集行は加賀白山,越中立山など高山にもおよんだ.日本で最初の総合水産動物誌『水族志』をはじめ多くの著書があるが,『古名録』85巻は大和ことばを大切にした本草関係の異色の大作である.
その★畔田翠山源伴存『古名録』禽部巻第六十四 には,
「紀藩 源伴存 撰
山禽類 駿河國風土記曰,伊勢原貢山禽」
「豆美 ツミ 倭名類聚鈔 [漢名]雀鷹 詩疏 [今名]スヾメタカ
[一名]須々美多加 倭名鈔曰,雀鷂.兼名苑云,雀鷂.善捉ルレ雀者也.漢語抄云,須々美多加.
或云豆美.袖中抄曰,こたかには雀鷂をばつみといふ.すゝみたかとも云 須
々美太加 天文写本和名鈔 都美 同上.鷹百首曰,つみといふ字は雀鷂と書なり.叉曰,つみといふ字,當流に雀鷂と書也.また雀𪀚ともかけり. 雲雀鷹 言塵集曰,雲雀鷹とは五六七月間につかうふひばりの夏毛替時,尾羽の落比つかふなり.尾羽
の落たるをねりひばりと云,雲雀鷹とは,つみ小鷹の名なり.尺素往來曰,〓兄〓 [形状] ○本朝食鑑曰,雀
鷂ハ能鷙二鳩已下小鳥一,叉鷙二鳧鷖一亦有.最モ爲レ希也.大和本草曰,雀鷂(ツミ)は小鳥をとる,叉だいさぎをもとる.鷂に似たり.雜記曰,雀鷂(つみ)はゑつさいの女なり.大さひゑとり程あり.○黑つみ
言塵集 [集註] 言塵集曰,黑つみと云も有なり,若狭山の巣といへり ○悦哉エツサイ 倭名類聚鈔 [今名] エツサイ 一名 菩提鷹 鷹百首曰,ゑつさいとは,菩提鷹と書なり ゑつさい 言塵集〇倭名鈔曰,雀𪀚.唐韻云,雀鷹小鷹也.漢語抄云,和名悦哉.字典曰,廣韻云,〓似,鷹小く,能く捕れ雀.尺素往來曰,兄鷂(ゑつさい),袖中抄曰,〓,ゑつさいとよむ.悦哉ともかけり.
[形状] ○本朝食鑑曰,今以テ雀-鷂(ツミ)ノ雄ヲ爲二雀-𪀚(エツサイ)ト一.雀-𪀚不レ及二雀鷂一、漸鷙二雀鷃之類一而已.大和本草曰,雀𪀚(エツサイ)ハ雀鷂(ツミ)ノ雄ナリ鳥ヲ不
レ取チカラヨハシツミヨ
リ猶小也形ハ似タリ」とある.
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