Hypericum monogynum
前々記事に記した如く,ビヨウヤナギ-金絲桃の花材-特に茶花としての価値は高く,江戸後期から明治時代の多くの活け花技法の書に花材として取上げられている.一方『諸流図式生花秘伝独稽古』では,「未央柳」の別名は「聖柳-ギョリュウ」であるとし,ビヨウヤナギは金絲桃と区別している.また,ビヨウヤナギの「切り花鮮度保持剤」として,「土殷孽の粉」を水に混ぜると良いと記載されている書がある.
ビヨウヤナギが,日本の文献に現われた最初は「ビヨウ」と呼ばれ,「美陽」で表わされていたが,これに「美容」が充てられ,葉が柳に似ている事から「美容柳」とされ,後に唐の詩人白居易(772 - 846)作『長恨歌』から,「未央柳」と記されるようになったと思われる.中国では「金絲桃」が一般的で,「未央柳」とは呼ばれていないようである.
『長恨歌』には「帰来池苑皆依旧/太液芙蓉未央柳/芙蓉如面柳如眉」(帰り来たれば池苑(ちゑん)皆(みな)旧に依(よ)る/太液の芙蓉 未央(びあう)の柳/芙蓉は面の如く 柳は眉の如し)(帰って来ると、池も庭も皆もとのまま/太液池の芙蓉、未央宮の柳/芙蓉は(彼女の)顔のよう、柳は眉のよう)とあり,楊貴妃の容貌を「太液池の芙蓉(蓮の花)」に,眉を「未央宮の柳」に例えたのであって,未央柳という植物があり,その花や葉に楊貴妃を重ねたわけではない.
★柿園(佳気園)著 芳停野人編 岩崎常正(灌園)画『茶席挿花集』 (1824) は月別の花材のリストと主な花の多色刷図譜である.この書の几例には
一,四季の花を十二の月に分けしといへども年の寒暖地の陰陽にて一棟ならずまづ其時の花を尋ね給はば其月と前の月後の月とを一讀あるべし 此の三月のうちよりいけてよき花を得る也 これ時候によりて花に遅速あれば当月ばかりにてはつくさざるゆえ也 (中略)
一,此書佳気園(柿園)翁の集められしを予又岩崎灌園先生に請て漢名を正し 剛定補入す然れども翁の開所をも残せるもの多し 且つ草木異名あまた也 ここには只つねにいわ所の名を記す.
などと,花期は年や所によって差のあることや,本書の成立並に編集の意とするところを書き加えている.
その「三月」の部に「金絲桃(きんしたう) 未央柳 びよふやなぎ 花黄 葉柳ノごとし」とある.残念ながら灌園による図の部にビヨウヤナギの絵はない.
★鶏鳴舎暁鐘成(暁 鐘成(あかつき かねなり,1793~1861)江戸時代の大坂の浮世絵師,戯作者)著『生花早満奈飛(いけばなはやまなび)』(1848)は天保六年(1835)から嘉永四年(1851)に刊行され10編からなる生花一般の初心者向きの入門手引書で「生花早学」とも書く.いけばなにかぎらず、多くの入門書が、「早学」と題して流派にこだわらず手軽に刊行され、世にむかえられた時代をあらわす著作とされる.
この書に,織田有楽齊が考案した「子持筒」に生けた「金絲桃(きんしたう)」と「長春(てうしゆん)」(コウシンバラ)の図が掲げられている.が,モモと金絲と柳を満足させるような微妙な花木が描かれている.
★春陽軒義鳳・琴松国文雅「花道池坊指南」(明治四四(1911))の「水揚げ法」の章には,「山吹と金雀枝と未央柳
一.山吹,金雀枝(えにしだ),未央柳(びようやなぎ)には,土殷孽(どゐんけつ)の粉(こ)を少(すこ)しく其花器中へ入れ
れ置けば,能く勢(いきおひ)を助けます.」とあり,土殷孽の粉を水揚げ補助剤として使う事を推奨している.
★月養斎小花信「改訂増補 諸流図式生花秘伝独稽古」(明治四四(1911))の「草木水上げ法并に養ひ法秘傳の部」には
「〇未央柳の養(やしなひ)と水上秘傳
〇未央柳 一に聖柳(ぎよりよ)と云ひ枝葉ともに細なる物にて木の性もろく折やすし挿法(いけかた)は垂枝柳(しだれやなぎ)と大体同様の物にて他の花をあしらいひに用ゆべし
〇未央柳水上法秘傳
○未央(びほう)やなぎ(ぎよりよ共云)は朝疾(はや)く露ある内に切り取り,湯にさし入れて養ひ,後水へうつして挿すべし.
〇金絲桃〇金莖花水上法秘傳
○金絲桃〇金莖花は,莖の元を鐵槌(いかづち)に打ひしぎ,土殷孽の粉を少し瓶水に和(ませ)して生(いけ)べし」とあり,未央柳と金絲桃は別物としており,前者はギョリュウ科の落葉小高木,ギョリュウ(御柳,聖柳)としている.また,「生花秘傳草木性質と花体の部」には,
「〇金絲桃の花体」として,生け花としてのビヨウヤナギの図があるが,これは前に述べた『生花早満奈飛)』(1848)の「金絲桃」と「長春」の図の剽窃である.
木村陽二郎監修『図説草木名彙辞典』柏書房 (1991) によれば,その他下記の華道書にビヨウヤナギが花材として記載されているそうだが,未確認.
〇:佐藤友之助「松月堂古流諸国集会花譜」(明治二七(1894)〜明治三六(1904))
〇:小倉照月「池の坊流 生花の手びき」(明治四三(1910))
鮮度保持剤とされた「土殷孽」については次記事.