2024年12月21日土曜日

Christmas Scene in 1977 – 78, Cambridge & Barcelona

 Christmas Scene in 1977 – 78, Cambridge & Barcelona





2024年12月6日金曜日

ムギセンノウ-13-2-8. シェイクスピア『リア王』-9,雑草の王冠-8 Fumiter, カラクサケマン-7. ドドネウス『本草書』(Crŭÿde boeck)Grysecom

カラクサケマン-7 ドドネウス本草書』(Crŭÿde boeckGrysecom
 16世紀には,欧州北部低地地方でも本草研究が盛んになり,レムベルト・ドドネウス(Rembert Dodoens, 1517 - 1585),カルロス・クルシウス(Carolus Clusius, A.K.N. Charles de l'Écluse, 1526 - 1609)),マティアス・デ・ロベル(Mathias de l’Obel, 1538 - 1616)の三名の学者が良く知られている.この三人は,アントワープのプランタン社から多くの著作を出版した.これら三人の植物学者は,張り合いや,ささいな嫉妬も起こさず,互いに肩を並べて仕事をし,そしてそれぞれの本草書に添える図版の版木は,事実上,プランタン社の責任において一括して保管されているものから充てられたので,同一の図版が彼らの著作に用いられている.


 レムベルト・ドドネウス
Rembert Dodoens, 1517 - 1585)はベルギー北部のマリーンに生まれた.ルーヴァンで医学を学んだのち,フランス,イタリア,ドイツで学業を続けた.マッティオリやド・レクリユーズと同じように,一時期,皇帝マクシミリアン二世に,のちにはルドルフ二世に仕えた.それからケルンとアントワープで働いた.1582年,没する三年前であったが,ライデンで医学の教授になった.
 最初の著書『本草書』(Crŭÿde boeck)はファン・デル・ルー(Jan vander Loe)社によって1554年に出版され.1563年には同社から再版された.挿入された715の図は大部分,レーオンハルト・フックス(Leonhard Fuchs, 1501 - 1566)の著書 ”De historia stirpium Commentarii insignes”『植物誌』(前記事参照)の図を剽窃した木版画であった.冒頭のカラクサケマンの図(左端:フックス,中央:本書図の鏡像,右端:本書)のように,比較すると左右逆になっているので分かる.プランタン社から刊行されるようになった著書からはプランタン社保有の図版が使われるようになった.
 この書は薬草を多く扱ったので薬学の書物として評価され1557年にCharles de L'Ecluseによりフランス語に翻訳され,1578年にHenry Lyteによって"A new herbal, or historie of plants"として英訳された.ラテン語にも翻訳され,当時としては聖書についで多く翻訳された書物となった.二世紀に渡って,参考文献として利用された.
 また,彼の死後には,後の本草学者の知見も付け加えられ,改訂版が何種か出版された.日本にも何度か渡来し,日本の本草家に大きな影響を与えた.特にプランタン社から1618年に出版された蘭語版は松平定信の提唱により『遠西独度涅烏斯草木譜』として和訳された(後述).残念ながらこの叢書は火災で版木が焼失したなどの影響で出版されなかったが,初稿及び浄書・版下稿が早稲田大学に所蔵されていて,ネットで閲覧できる.その翻訳の精度及び付された知見の広さ,見識の高さには驚かされる.

 ★『本草書』(Crŭÿde boeck1554年版の第一巻の14章には Grysecomとしてカラクサケマンが記載されている.この章には “Grysecom” (1) と類縁植物として cleyn Eerdtroock” (2) とが,図示され,それぞれの Naem(名称), Tfatsoen(記述), Plaetse(生育地), Tijt(性), Cracht en werckinghe(薬効) などが項目ごとに記載されている. 

以下に原文(フランドル語)と私邦訳(重訳のため自信なし)とを示す.薬効はディオスコリデスやプリニウスの記述が主であるように思われる(前記事参照).


Van Grysecom.   Cap. xiiij.

Tgheslacht.
Grysecom es twederlye van gheslachte (als Plinius in zijn historie int xxv.
boeck, xiii. cap. beschrijft) waer af dit ierste es die ghemeyne Grysecom die
van Galenus, Paulus, ende andere Griecxse meesters alleene bekent en-
de in der medecijn ghebruyckt gheweest es. Dat tweede es een ander cruyt
alleen van Plinius beschreven/ ende beyde dese cruyden worden hier te lan-
de ghevonden.

プリニウスが『博物誌』の第三十巻八章に述べた如くグリセコムには二種あり,一つ目は一般的なグリセコムでガレノス,パウルスと他のギリシャの医師にも知られている薬草である.二つ目の薬草はプリニウスにのみ記されている.どちらもこの国で見られる.

Tfatsoen
Capuos fumaia                                Capuos Plinij
 Grysecom                                       Cleyn Eerdtroock


1  
Die ghemeyne Grysecom heeft viercantighe steelkens/ met cleyne/ teere/ weecke/
seer ghesneden aschvervwighe bladerkens becleet/ den bladeren van Coriander
ghelijckende, maer veel mindere. Sijn bloemen zijn cleyn/ en staen veel by een ghedron-
ghen/ van coluere purperbruyn/ die welcke vergaende/ in cleyn knoppekens veranderen/ daer
in leyt dat saet dat seer cleyn es. Die wortel es slecht/ met luttel ende cleyn veeselinghen.
1.
一般的なグリセコムは,四角い茎をしていて,小さく柔らかい弱弱しい灰色がかったコリアンダーに似ているがより小さい葉を持つ.花は小さく紫色で房状をなして直立し,微細な種を内包する小さな莢を結ぶ.根は数少なく短く貧弱である.

2   Dat cleyn Eerdtroock heeft oock veele teere steelkens/ daer aen wassen cleyne ghe-
sneden bladerkens/ van coluere/ smaecke/ ende oock wat van fatsoene den voorgheschre-
ven Grysecom ghelijckende/ ende oock somnmighe cleyne teere draykens oft clauwier-
kens/ daer mede dattet hem al omme aen haghen ende andere cruyden vast maeckt. Sijn
bloemkens zijn cleyn/ en staen veel by een/ wit en luttel persch van coluere/ naer die welcken
voortcomen cleyn hauwkens/ daer dat saet in leyt. Die wortel es slecht en vinghers lanck.
2.
二つ目の種(cleyn Eerdtroock,矮性グリセコム)も,多くの柔らかい枝を拡げ,それには小さなまあるい葉をつける.色合いや味,形狀は前者に良く似ている.ある種の小さな糸や巻き鬚であらゆる場所で垣根や他の草に絡まって立っている.花は小さく,房状をなし,白や微かに青みを帯びる.花後種を内包する小さな莢が現れる.根は貧弱で指の長さほどしかない.

Plaetse

1   Grysecom wast gheerne in coren velden onder die gherste/ ende in die moes hoven/
in wijngaerden/ ende dijerghelijcken gheoeffende plaetsen.
1.
グリセコムは小麦や大麦の間で能くそだつ.また野菜畑やブドウ畑などの耕地に繁茂する.

2   Dat cleyn Eerdtroock wast onder die haghen aen die canten van den velden/ ende by
oude mueren.
2.
二つ目の種(cleyn Eerdtroock,矮性グリセコム)は耕地の境界の垣根の根元や古い壁の周りに生育する.

Tijt

Beyde dese cruyden bloeyen in Meye ende in Braeckmaent.
二種ともに五月から六月?に開花する.

Naem

1   Dat ierste van desen cruyden wordt in Griecx gheheeten Capnos Capnion en Ca-
pnitis/ In Latijn Fumaria en Capnium, In die Apoteke Fumus terre/ In Hoochduytsch
Erdtrauch/ Taubencropff/ Katzenkorvel/ In Neerduytsch Gysecom/ Duyvekervel
en Eerdtroock/ In Franchois Fumeterre.
最初の種は,ギリシャ語では Capnos, Capnion, Capnitis と呼び,ラテン語では Fumaria, Capnium.藥材店では Fumus terrae と云う.高地ドイツでは Erdtrauch, Taubencropff, Katzenkorvel と,オランダでは Gysecom, Duyvekervel, Eerdtroock と,フランスでは Fumeterre と云う.

2   Dat tweede wordt van Plinio Capnos en Pes gallinaceus ghenaempt/ ende mits
dijen zoo worddet van ons Capnos Plinij geheeten/ inder Apoteken eest onbekent. In duyt-
sche hebben wy tselve tot ondersceet van den anderen/ Cleyn Eerdtroock ghenaempt/
In Franchois mochtet wel naer den Latijnschen naem Pes gallinaceus/ Pied de geli-
ne gheheeten worden.
二つ目の種は,藥材店ではすでに知られているように(プリニウスに由来して)Plinio Capnos, Pes gallinaceus と呼ぶ.ドイツでは Cleyn Eerdtroock と呼び,フランスではラテン語にちなんで Pes gallinaceus, Pied de geline と呼ぶ.

Natuere

Grysecom es werm ende drooch tot volnaer in den tweden graet/ ende van ghelijcker
natueren es oock dat Cleyn Eerdtroock/ als uut zijnen scerpachtighen bitteren smaeck
kenlijck es.
グリセコムは「溫」で第二度の完全な「乾」であり,二つ目の種(Cleyn Eerdtroock もその刺激的な苦みで分かるように.同じ性を持つ.

Cracht en werckinghe

1 A   Tsap van Grysecom in die ooghen ghedaen/ scerpt dat ghesichte ende maeckt claer
ooghen/ ende met Gumme ghemenghelt ende op die wijnbrauwen ghestreken/ maeckt
dat het dobbel hayr niet meer en wasse.
カラクサケマンの搾り汁を点眼すると,刺激性で,視力を回復させる.樹脂と混ぜて瞼に塗れば,抜いた眉毛の再生を妨げる.

B   Grysecom in water ghesoden ende dat ghedroncken/ iaeht af met der urine ende met
den camerganck alderhande heete cholerijcke/ verbrande/ ende verergherde humoren en
de vochticheyt/ ende mits dijen es seer goet den ghenen die scorft zijn/ die quade seeric-
heyt en sweringhen hebben ende die ghebrekelijck vanden pocken zijn.
カラクサケマン水劑を服用すると,胆汁など体内の悪液を尿に排泄するので,これらによる疾病に悩む人にはよい療法である.foule scurffe, and rebellious olde sores, great Pockes(病名訳不明)にも大変薬効がある.

C   Dijsghlijck werck doet oock het sap van Grysecom ghedroncken/ ende es daer toe
stercker dan dat water daer die Grysecom inne ghesoden es.
カラクサケマンのジュースを服用しても,水劑と類似もしくはより大きい効果が得られる.

2 D   Dat cleyn Eerdtroock (als Plinius schrijft) es van den selven cracht ende werckin-
ghe ghelijck dat andere/ ende es een sonderlinghe medecijne seer goet wesende teghen
die scemeringhe der ooghen dat sap daer inne ghedaen.
二つ目の種も(プリニウスが記した如く)他の種と同様の性と薬効を示す.特有の薬効としては,ジュースを点眼すると,目がちかちかするような症状(白内障?飛蚊症?)に効果がある.

2024年11月24日日曜日

ムギセンノウ-13-2-7. シェイクスピア『リア王』-8,雑草の王冠-7 Fumiter, カラクサケマン-6.イタリア・マッティオリ

  英国の大文豪,W. シェイクスピアW. Shakespeare, 1564 - 1616)の三大悲劇の一つ.古代ブリテン王国を舞台にした『リア王』で,王位を娘たちの甘言に乗って失い,狂気の内に彷徨う王は失った冠の代りとして小麦畑に生育する雑草を頭にかぶっている.この雑草の王冠を構成する草のひとつが,Fumiter である.

The Tragedy of King Lear
Act IV Scene IV

CORDELIA       Alack, 'tis he: why, he was met even now
   As mad as the vex'd sea; singing aloud;
   Crown'd with rank fumiter and furrow-weeds,
   With hardocks, hemlock, nettles, cuckoo-flowers,
   Darnel, and all the idle weeds that grow
   In our sustaining corn. A century send forth;
 この Fumiter が,和名カラクサケマン Fumaria officinalis L.(英俗名 Fumitory, 希臘語名 Capno, καπνός 等,羅甸名 Fumus terraæ 等)で,欧州ではギリシャ・ローマ時代には既に薬草として知られ,15世紀の揺籃期本草書にも収載されている.16世紀には欧州での本草学の隆盛と共に,ドイツ・オランダを中心とした刊行された多くの絵入り本草書にも収載されていた.これらの本草書の挿絵は,揺籃期本草書の形式的で画一的なそれとは異なり,実物を写生した繪を,印刷術の発達に伴い,より正確・精密に印刷するようになってきた.しかし薬効等の記述はまだディオスコリデスやプリニウスに典拠していた.

しかし,ルネッサンス発祥の地,イタリアの文芸復興の潮流は,芸術だけではなく,学術の世界にも新風を吹き込んだ.写実の重要性の認知とともに重要であったことは多くのギリシャ・イタリアの手稿本が印刷されたこと,ならびにギリシャ語文献のラテン語訳がイタリアでつくられたことである.ディオスコリデスの『薬物誌』のピエトロ・ダバノ (Pietro d'Abano) による初のラテン語訳が1478年,テオフラストスの著作のテオドル・ガザ (Teodor Gaza,1398-1478) によるラテン語訳が14501451年に刊行されている.

 イタリアの医師で,後年皇帝マクシミリアン
2世(Emperor Maximilian II)の侍医も努めた,ピエトロ・マッティオリPietro Mattioli, 15011577)は,植物学の分野での先駆者であった.地中海気候のイタリアは,ギリシャと同じ植生圏にあり,ディオスコリデスの記述した薬用生物(植物・動物)が生育していて,北ヨーロッパのようにディオスコリデスの記述から似ている薬物を探し出して当てはめる苦労は少なかった.

 マッティオリのもっとも有名な著書は,『ディオスコリデス注釈』(
Commentarii in sex libros Pedacii Dioscoridis Anazarbei De medica materia)で,1544年ヴェネチアで初版が出た①.本書は,名称からは単なる解説書のように思われるが,実際は,薬用性に頓着せず多数の植物を記載図解することで,本草学を植物学へと転換させた重要性をもつ.とくに注目されるのは『薬物誌』にはない新植物や,チロルやトルコの植物の記述であった.薬用性を超えての植物研究は,まさに植物学の確立といってもよい.
 このイタリア語版の十年後にラテン語版②が出たが,そこには同じ大きさの 562 の小さな木版の挿図があり,そのうち 500 以上が植物図であった.植物を観察する技術の向上に加え,全体を描くことに執着せず,その植物の特徴をよく示す部分のみを描く試みの意義は大きい.枝ぶりの不自然さもだいぶ消えている上手とはいえないが,細い平行線を用いて陰影をつける試みも見逃せない斬新な手法である点で,フックスやブルンフェルスの本草書の木版画とは非常に異なった特徴をもっている.マッティオリの木版画は全体としていくらか平凡であるといえる.だが早期の諸版が三万部以上も売られたといわれていることから,思い切った企画で大成功したと判断してよかろう.全部で四十刷以上も版を重ねたのである.
 のちの四つの版-チェック,ドイツ,イタリア③,ラテン④の各語でプラハ(1562年)とヴェネチア(1565年,1585年)で出版されたもの-には,かなり興味深い大きなサイズの図が入っている.その序文に記されているように,この図版はイタリア北東部のヤーディネのジォルジオ・リペラーレ(Gorgio Liberale, 1527-1579)と,ウォルフガンク・マイアーペック(Wolfgang Meyerpeck, 1505 - 1578)というドイツ人との共同作品である.これらの木版画はそれ以前に刷られたものに似てはいるが,はるかに完成度が高く印象的である.描影法が広範囲に用いられ,細部は優れた技法で処理されている.
 この植物図の大きな特徴の一つは,多くの図が腊葉標本から描かれた事である.マッティオリの最大の支援者は腊葉標本の創始者といわれるルカ・ギーニ(M. Luca Ghini da Imola, Lucam Ghinum Forocomelienfem, 1490-1556)である.ボローニャとパドヴァの両大学で教えていた彼は,300 ほどの腊葉標本をマッティオリの研究に提供したという.ギーニは冬季など花がない季節にも学生に薬草の形態を教えるために腊葉標本を考案したとされている.当時は,標本を本のように綴じてめくって閲覧していたが.これは "Hortus Siccus(乾いた庭園)""Hortus Hiemalis(冬の庭園)" と呼ばれていた.現存する最古の標本は,彼の弟子が作製した1530年代初めのもので,490年以上の歴史がある.生きた植物はもちろんだが,標本を利用することで離れた地域の植物を季節に関係なく比較することができるようになり,形態観察の精度が一段と高まった.
 この書の植物図の多くは乾燥標本を温水に浸して戻したのを描いており,そうしたがための影響が図に残っている.マッティオリがある手紙の中で書いていることだが,雇われた画工の中には与えられた標本をなくしてしまい,処罰を恐れて記憶に頼って描いたものもいるという.おそらくその種の出来事がまだほかにも起こったことだろうが,発覚せずにすんだ.とにかく,不正確な図が大判と縮小判のどちらの版種にも描かれており,マッティオリがそれを見逃していたことはありうることである.マッティオリは絵が正確かどうかを調べるために標本を保存していなかったのである.
 『ディオスコリデス注釈』の①1544年ヴェネチア初版イタリア語,②1554年ラテン語版,③1562年イタリア語版,④1562年ラテン語版のカラクサケマンの記述の冒頭及び図部分(①1544年ヴェネチア初版に図は無い)を示す.図は,②から③④へと大きな個体を精緻に描くようになってきているが,冒頭の記述文はディオスコリデスの性状や薬効の記述を受け継ぎ,1544年ヴェネチア初版から変化していないように思われる.二段目以降のイタリック体で記された注釈が,マッティオリの独自の記述と思われ,プリニウスやガレンの名が読み取れるが,読み切る事は出来なかった.

参考文献
Arber, A., “Herbals: their origin and evolution”, Cambridge University Press (1938)
ウィルフリッド・ブラント著森村謙一訳『植物図譜の歴史-芸術と科学の出会い』八坂書房(1986
大場秀章『おし葉標本と新聞紙』(2004 The University Museum, The University of Tokyo
大場秀章『描かれた植物学史― ボタニカル・アートから探る植物学史』
国立科学博物館『ハーバリウムと植物標本』(利用案内・情報≫ホットニュース≫2024-03-14

2024年11月7日木曜日

ムギセンノウ-13-2-6. シェイクスピア『リア王』-7,雑草の王冠-6 Fumiter, カラクサケマン-5.ドイツ16世紀本草書.ブルンフェルス・フックス・ボック


 英国の大文豪,W. シェイクスピアW. Shakespeare, 1564 - 1616)の三大悲劇の一つ.古代ブリテン王国を舞台にした『リア王』で,王位を娘たちの甘言に乗って失い,狂気の内に彷徨う王は失った冠の代りとして小麦畑に生育する雑草を頭にかぶっている.この雑草の王冠を構成する草のひとつが,Fumiter である.

The Tragedy of King Lear
Act IV Scene IV

CORDELIA       Alack, 'tis he: why, he was met even now
   As mad as the vex'd sea; singing aloud;
   Crown'd with rank fumiter and furrow-weeds,
   With hardocks, hemlock, nettles, cuckoo-flowers,
   Darnel, and all the idle weeds that grow
   In our sustaining corn. A century send forth;
 この Fumiter は,和名カラクサケマン Fumaria officinalis L.(英俗名 Fumitory, 希臘語名 Capno, καπνός 等,羅甸名 Fumus terraæ 等)で,欧州ではギリシャ・ローマ時代には既に薬草として知られ,15世紀の揺籃期本草書にも収載されている.16世紀には欧州での本草学の隆盛と共に,ドイツ・イタリア・オランダを中心として刊行された多くの絵入り本草書にも収載されている.
 これらの本草書の挿絵は,揺籃期本草書の形式的で硬直した図とは異なり,印刷術の発達に伴い,実物を写生した絵をより正確・精密に表現できるようになってきた.しかし薬効等の記述はまだディオスコリデスやプリニウスに典拠していたが,独自の知見を付け加えた書も刊行されるようになった.以下にドイツ植物学の父と称される三人の植物学者の著作の概要とカラクサケマンを描いた図(冒頭図)を示す.


★ドイツの医師・神学者・植物学者,オットー・ブルンフェルスBrunfells Otto, ?~1534)の “Herbarum Vivae Eicones” 本草写生図譜(1530) は,植物のありのままを描写した本草書の嚆矢.画はハンス・ヴァイディッツ(Weiditz, Hans, ca. 1495ca. 1536)による.この時期から植物の忠実な写生が行われ,魔術的要素の排除がはじまる.この書の木版画がすべて優れているわけではないが,そこには一貫して正直であろうとする意志がある.ヴァイディッツは,自然をありのままにとらえたのである.葉はちぎれていたか,それともしおれていたか,花はしぼんでいたか - ヴァイディッツは事実を自然主義に立つ画家の冷徹な眼で観察し,真の職人の正確さで記録した.が,しかし,科学的正確さを追求するあまり美がおろそかにされるということはなかった.ヴァイディッツの作品はつねに詩的であり,つねに芸術的であった.それは,植物を描写した木版画では最高水準のものとして永久に残るにちがいない.


★ドイツの医師,貴族,レーオンハルト・フックスLeonhard Fuchs15011566A. のフォリオ判 De historia stirpium Commentarii insignes植物誌(1542) は,ブルンフェルスの書と同様に,図の価値が本文より優れていた.本文の方は,学問的ではあったが主としてディオスコリデスやプリニウスの記述に依っていた.且つ,記載はアルファベット順であり,分類学的な考慮はなされていなかった.しかし,本文には「各国語の名前」「生育場所」「開花時期」「薬効」などの項目を立てて読みやすくし,この形式は後のフランドルのドドエンス(Dodoens Rembert, “Cruydeboeck” 1554)や英国のジェラルド(Gerard John, “The Herball” 1597)の本草書の記述文に踏襲された.
 Fucks (Latin)                 Dodoes (Dutch)                  Gerald (English)
 NOMINA                        Naem                                 Name
 FORMA.                         Tfatsoen                           Description
 LOCVS                           Plaetse                              Place
 TEMPVS                        Tijt                                     Time
 TEMPERAMENTVM     Temperature                      Natuere
 VIRES                            Cracht en werckinghe       Vertues 
 この書籍には 500 枚以上の実物に忠実な美しい図版が付された.これらの内 400 種はドイツに自生し,100 種は国外の生育種であり,Indian Corn (Zea mats L.) Great Pumpkin (Cucurbita maxima Duch.) など 5 種がアメリカ大陸からの移入種であった.この絵の卓越さは広く認識され,その後約200年もの間,これらの図版の版木や複製が他の書物に用いられた.
 フックス A. はまた,この書の成功に大いに貢献した画家たちの功績をたたえ,全ページ大の図版には,アルブレヒト・マイアー(Albrecht Meyer, Albrertus Meyer, ??B.  が自然の植物を写し取り,ハインリッヒ・フユルマウラー(Heinrich Füllmaurer, Heinricus Füllmaurer, 1497?1547/1548C.  が版木に描き移し,ヴァイト・ルドルフ・シュペックル(Veit Rudolph Specklin, Vitto Rodolph Speckle, ? 1550/1560D.  が彫版している様子が示されている.なお,マイアーとフユルマウラーが観察している花はムギセンノウ
 『植物誌』の木版画は,カラクサケマンの図もそうだが,全ページ大に描かれていて,一見したところ,それほどにも大きい図にしては描線がやや細いように見える.それはこれらの図版が本来,色付けされることになっていたからである.さらにそのうえ,フックスは,序文で説明しているように,図の明瞭性を損なうような陰影をつけないようにことのほか注意していた.


★ドイツの植物学者,医師,ルター派の牧師であるヒエロニムス・ボックHieronymus Bock14981554)は上に述べたブルンフェルス,フックスと共に「ドイツ植物学の父」と称されている.ラインラント地方などを広く旅し,1539年に主著 “Das New Kreüterbuch”『新本草』を発表した.これには挿図がなかったが,第二版の Kreuterbuch本草書(1546) にはこれに477の木版画図版を付け加えた.図版の多くはブルンフェルスとフックスの著作から借用したが,約100ほどはシュトラスブルクの画家ダヴィット・カンデル(David Kandel, 15201592)が本書のために製作したものである.カラクサケマンの図は,ブルンフェルスとフックスの著作の図とは異なっているので,カンデルが新たに書き起こしたものと思われる.カンデルはまた,ボックの肖像画(左図)も作成した.
 本書は,全3部の構成で,最初の2部では草木,第3部では低木と高木を扱っている.約700の植物が,400以上の章の下,名前,効能,使用法などについて述べられている.ボックは,熱心な収集家だったようで,自分自身の観察に基づいて生育地や生育環境を記述した.そのため本書の本文は,近代植物記述法の原型として高く評価されている.
 また,先行本草書の呪術的・迷信・民間神話的な記述を検証し,例えば「シダには増殖のための組織はなく,聖ヨハネ祭りの前夜にのみ青い小さな花が現れ,たちまち種を結び,呪文を唱えなければその種は入手できない」というそれまでの説を,実際に森に籠って観察し.「ヒナゲシのに似た黒い種子を呪文やお守りや魔術的な操作なしに採取した」と記した.また, Verbena(クマツヅラ)や,Artemisia(ニガヨモギ)は,それらの薬効より,魔術的な目的で集められているとして,"monkey tricks and ceremonies” と,軽蔑を露わにした.彼は植物の関連性や相似性の研究を基に、中世植物学が現代科学的世界観へ移行するきっかけを作った.

参考文献:ウィルフリッド・ブラント『植物図譜の歴史 芸術と科学の出会い』森村健一訳,八坂書房 (1986)
Agnes Arber (Mrs E. A. Newell Arber) “Herbals. Their Origin and Evolution, A Chapter in the History of Botany 1470—1670”, Cambridge University Press (1912)

2024年10月30日水曜日

ムギセンノウ-13-2-5. シェイクスピア『リア王』-6,雑草の王冠-5 Fumiter-4, カラクサケマン-4.16世紀英国本草書-2. The vertuose boke of distyllacyon, Storage pots for Water of Fumitory, Five Hundred Pointes Of Good Husbandrie

 英国の大文豪,W. シェイクスピアW. Shakespeare, 1564 - 1616)の三大悲劇の一つ.古代ブリテン王国を舞台にした『リア王』で,王位を娘たちの甘言に乗って失い,狂気の内に彷徨う王は失った冠の代りとして小麦畑に生育する雑草を頭にかぶっている.この雑草の王冠を構成する草のひとつが,Fumiter である.

The Tragedy of King Lear
      Act IV Scene IV

CORDELIA       Alack, 'tis he: why, he was met even now
   As mad as the vex'd sea; singing aloud;
   Crown'd with rank fumiter and furrow-weeds,
   With hardocks, hemlock, nettles, cuckoo-flowers,
   Darnel, and all the idle weeds that grow
   In our sustaining corn. A century send forth;

 この Fumiter が,和名カラクサケマンと言われる Fumaria officinalis L.(英俗名 Fumitory, 希臘語名 Capno, καπνός 等,羅甸名 Fumus terraæ 等)で,欧州ではギリシャ・ローマ時代には既に薬草として知られ,15世紀の揺籃期本草書にも収載されている.16世紀,英国では,この15世紀の欧州本土の本草書を英訳した書が刊行された.(前記事参照)

 その一つが,現在のドイツで 1500 年に刊行された Hieronymus Brunshwig (approximately 1450 - approximately 1512) “Kleines Distillierbuch”1500)をLaurence Andrew (active 1510–1537) が英訳した The vertuose boke of distyllacyon1527)であり,この書は原典には無い場合,植物の画を追加しているが,その画はそれ以前の本草書『ドイツ本草Herbarius zu Teutsch』からのコピーが主であり,著者自らそれらの図が不充分なことを認識していた.というのは,前文で記述文の重要性を強調する一方,添付の図が「目を楽しませるだけのものであり,また,読み書きできない人たちのために参考になるだけにすぎない」ことを認めていた.

 この書の第65 章に “Water of Fumitory(カラクサケマン水劑)が記述されている.図は『ドイツ本草Herbarius zu Teutsch』に由来する(前々記事参照)が,より簡略化されている.本文には製造法,最適な採取時期,服用法,薬効が記載されている.なお,本文は読みやすいように,本文中の改行を / で,また薬効項目 B, C, --- P は項目ごとに独立して書き下した.


Water of fumitory    Ca .lxv.

FVmus tetre in latyn.
  The best parte and tyme of his dystyllacyon is / the herbe the stalke with all his substaunce chopped to gyder / and dystylled in the ende of may & Dronke of the same wa-ter in the mornynge & at nyght at eche tyme an ounce & a halfe / or two ouces / is good agaynst perbrakyn-ge
B Drōke of the same in the mor
-nynge & at nyght at eche tyme two oūce / four or fyue wekes cōtynuyn-ge / is good for all yll fauoured faces & maketh it fayre & pale of colour.

C The same vsed in the maner a-forsayde is / good for them that be fea-rig the lepce for his vertue is clēsyn-ge
D The same dryeth & easethall scabbes / pryncypally whan there is taken a lytell tryacle in a good drawght of the same water thā shal be swete oute all euyll & venomous moystnes in a bath / but a body shal not be wasshed / not be made wette tyll the tyme that he hath well sweted / for it withdryueth all skalde & scabbes of the body whan therwith a body is wasshed and rubbed
E Of the same water in the morning & at night drōke / at eche tune an ouce and a halfe / or two oūces is good against outward & inward impostu mynge of the body
F Of the sa
-me water dronke in the mornynge fastynge / is very good agaynste the pestylence / specyally whan it is dy-stilled per Alemvicum
G Foure oūces dronke of the same about. Viii of the clocke cawseth laske
H The same water is good agaynst eating of the mouth / whan it is often was
-sed therwith
I It is also good agaynste the droppe and flode of the face twyse wasshed in a daye
K The same water is good against swellynge / whan it is rubbed ther with in the mornyng and at nyght
L Dronke twyse in a daye at eue-ry tyme two ounces / is good agaynste olde congeled blode / & agaynste hurtynge / castynge or fallynge
M Of the same water dronke twyse in a day / at eche tyme two ounces clen-seth the floure in women / whan it is vsed in tyme of theyr floures
N It causeth a body to be fayre whiches drynketh oftē of the same water & often therwith wasshed / and let drye by hym selfe agayne
O It conforteth the stomake whan it is dronke twyse in a day / at eche ty-me an ounce / or an ounce and a hal
-fe
P The same dronke in the for
-sayde maner is good against all ma-ner of scabbes / for it resoluith colerā and sanguinem / and clenseth them from the brennynge mater.

数多くの薬効のあるカラクサケマン水劑は,欧州で広く使われ,その保存のための陶磁器製のポットが製造・販売された.イタリアで17世紀初頭に製造されたポット(A)については,以下の様な説明が記されている.


  The inscription painted on the side of this earthenware jar translates from Latin as “Smoke Water”. In this preparation, the dried herb, fumitory, is infused with water and drunk to cleanse the humours, which were thought to cause blockages in the body if unbalanced. Such blockages were believed to trigger a range of health problems, including leprosy, fevers, itches and skin conditions. When taken with the expensive and elaborate preparation theriac, the water was considered to be useful against plague. The handle of the jar is a snake entwined around a rod, a symbol traditionally associated with Asklepios, the Greek and Roman god of healing and medicine.


また,このような薬草水劑の自家製造は農家の主婦の必須技術であって,
Thomas Tusser 1524 頃~80)著  Five Hundred Pointes Of Good Husbandrie.『農業で成功する500 の要点』(1573 年)の The good huswifelie. Physicke「良き主婦にとっての薬」の項には,以下の様な韻律詩が載っていて,カラクサケマン水劑は肝臓の薬として載っている.

Good aqua composita, vinegar tart                         良い薬用水、酸っぱいヴィネガー
Rose water and treacle to comfort the hart.             
ローズウォーターと糖蜜は心を慰める
Cold herbs in hir garden for agues that burne         
庭の冷たいハーブは激しい悪寒の時に
that ouer strong heat to good temper may turne.     
強い火にかければちょうど良い温度になろう
Get water of Fumentorie, Liuer to coole                     
肝臓を静めるカラクサケマン水劑を用意し、
and others the like, or else lie like a foole                  
ほかも同じように、でなければ道化師のような嘘に
Conserue of the Barberie, Quinces and such            
バーベリー、マルメロなどのジャム
with sirops that easeth the sickley so much.
         病人をとても楽にするシロップを入れて