2025年8月24日日曜日

モミジアオイ(5)和文學-1-2 谷崎潤一郎『病蓐の幻想』,ランボー『母音』(2)

Hibiscus coccineus


  種から育てたモミジアオイが二年越しに花をつけた.江戸時代末期に渡来した
*1モミジアオイは,「紅蜀葵」の名前で明治以降広く栽培された.日本の植物には見られない,派手で大きな紅色の花は目立ち,俳句・短歌(次以降記事)を始め,多くの文学作品の題材になった.*1:磯野直秀『新渡花葉図譜』:幕末渡来植物の一資料:参考書誌研究・第67 号(2007 10)によれば文久3(1863)年渡来
 谷崎潤一郎病蓐の幻想』(初出『中央公論』1917)には,齒齦膜炎から寝付いた神経衰弱気味な男が、庭に咲くモミジアオイの真紅の花(「烈日の中にくるくると燃える,眞赤な,心臓のやうな大輪の紅蜀葵」)が,咲き終わったのち落ちる様は,「盛んに血を吸つて膨れて居る自分の心臓が,若しかするとあんな風に,いきなりほたりと崩壊する前兆ではあるまいか」と怯える.更に,「齒の痛みは音響に近いばかりでなく,それぞれ雑多な色彩を持つて居る」と感じ,ボードレール Baudel.,Charles-Pierre Baudelaire, 1821 - 1867)の散文詩『人工楽園』"Les Paradis artificiels" の「音響は色彩を發し,色彩は音樂となる」から,彼の齒痛は「眞赤な痛さだ.何か非常に赤い者が焰々と燃えて渦巻いて居る」で,紅蜀葵を連想する.また,齒の痛みを「呪わしい地獄、美しい花壇」と連想し,ランボーRimbaud.Arthur Rimbaud, 1854 - 1891)の母音(文字)を色彩で表現したソネット『母音』“Voyell” を想起するが,その中の「I:赤」は,庭園に咲くモミジアオイの花の真紅であろう(冒頭図左右).
 以下文献画像は NDL の公開デジタル画像よりの部分引用

 『母音 “Voyell”』はアルチュール・ランボー(Arthur Rimbaud)が1871年に執筆したソネットで、自筆原稿に執筆時期は記されていないが,パリ上京後まもなくの時期(1871年秋から冬)に書かれたランボー最後のソネと推測され,1883105日号の『リュテス “Lutèce”』に掲載された.
 1884
年に,ヴェルレーヌPaul-Marie Verlaine, 1844 - 1896)の『呪われた詩人たち Les Poètes maudits』第1版が出版された.「隠れた名」トリスタン・コルビエールTristan Corbière, 本名:Édouard-Joachim Corbière, 1845 - 1875),「ほとんど未知の名」アルチュール・ランボーArthur Rimbaud),そして「無視された名」ステファヌ・マラルメStéphane Mallarmé, 本名:Étienne Mallarmé, 1842 - 1898)を世に知らしめることになった書物である.他に取上げられたのは,コメディエンヌで詩人のマルスリーヌ・デポルド・ヴァルモールMarceline Desbordes-Valmore, 1785 - 1859),貴族詩人のオーギュスト・ヴィリユ・ド・リラダンAuguste Villiers de l’Isle-Adan, 1838 - 1889),ポオヴォル・レリアンPauvre Lellian – 「哀れなレリアン」とはヴェルレーヌの変名.アナグラム)の計6人.
 ヴェルレーヌはこの書の「II.アルチュール・ランボー」の章に「母音Voyelles)」「夕べの辞(Oraison Du Soir)」「坐った奴等(Les Assis)」「びっくりした奴等(Les Effarés)」「虱捜す女(Les Chercheuses De Poux)」「酔ひどれ船(Bateau Ivre)」の全文とその他数編の抜粋を掲載した.とりわけ「Aは黒,Eは白,Iは赤,Oは青,Uは緑」と母音(文字)を色彩で表現した「母音」は若い象徴派詩人の関心を呼び,大論争となった.
 1888年には風刺文芸誌『レ・ゾム・ドージュルデュイ “Les Hommes d'aujourd'hui”』にランボーに関するヴェルレーヌの記事が掲載された号には,マニュエル・リュック(Manuel Antonin Ildefonse Cypriano Luque de Soria, 1853/54, - 1924)作の表紙画に,文字に色を塗るランボーの戯画が描かれている.(冒頭図,中央)
 ランボー作品の最初の本格的読者かつ紹介者となったヴェルレーヌは,1895年刊の初の『ランボー全詩集』への序文で,「母音」について,「この少々ふざけた,しかし細部はかくも見事なできばえの「母音」のソネ」と記している.

ランボー母音 Voyelles

A noir, E blanc, I rouge, U vert, O bleu : voyelles,
  Je dirai quelque jour vos naissances latentes :
  A, noir corset velu des mouches éclatantes
  Qui bombinent autour des puanteurs cruelles,
 
  Golfes d’ombre ; E, candeurs des vapeurs et des tentes,
  Lances des glaciers fiers, rois blancs, frissons d’ombelles ;
  I, pourpres, sang craché, rire des lèvres belles
  Dans la colère ou les ivresses pénitentes ;
 
  U, cycles, vibrements divins des mers virides,
  Paix des pâtis semés d’animaux, paix des rides
  Que l’alchimie imprime aux grands fronts studieux ;
 
  O, suprême Clairon plein des strideurs étranges,
  Silences traversés des Mondes et des Anges :
 
O l’Oméga, rayon violet de Ses Yeux !

この詩は明治以降多くの日本の詩人や仏文学者たちに愛されて,種々の翻訳が著わされている.


蒲原有明
1875- 1952)が訳したランボー「母音」
出典:「有明詩集」アルス(1922

 母音
アルチユウル·ランボオ

母音(ぼゐん),A は黒,E は白,I は赤,U は緑、O は靑ぞ
 
我はその事の起りの秘密をばここに明さむ。
  A
ア、烈しき臭氣の中に飛び廻り、黑毛の胸當(むねあた)
 
装ひて羽ぶき光れる大蜻蛉(おほゑむば),陰の入海.
 
  E
エ,天幕はた雲霧の色,威(ゐ)も猛き氷河の投槍,
 
素絹纏ふ眩(まばゆ)き羅?(ラアジャ)揺らめきて立てる撤形花(さんけいくわ),
  I
イは示す紫の斑點,手弱女の瞋恚(しんに)に燃ゆる
 
微笑(ほゝゑま)ひ,喀血の痛み,悲しみに淫(たは)くる泥酔(でいすゐ)
 
  U
ウ、綠の海のこよなき息づかい、「天の命數」
 
家畜等の群れて遊べる牧(まき)の野の平和と,あはれ
 
錬金の博士が額(ぬか)を刻みたる年波のすぢ。
 
  O
オ,峻巖の音にあやしく高響く至上の喇叭
 
諸(もろもろ)の世と天使等を聯(つら)ね和(やは)す静寂界(しゃうじゃくかい)や、
 
これぞ「オメガ」統(すべ)らぐ神が菫靑(きんせい)の眼(まなこ)の光。

注:ルビは一部省略


中原中也
1907 - 1937)が訳したランボー「母音」
 初出:『ランボオ詩抄』昭和111936)山本書店
 再録:『ランボオ詩集』昭和121937)・9 野田書房
 現代仮名遣い:講談社文芸文庫『中原中也全訳詩集』(1990
「 母音

Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは赤*、母音たち、
 
おまへたちの穏密*な誕生をいつの日か私は語らう。
 
、眩ゆいやうな蠅たちの毛むくぢやらの黒い胸衣(むなぎ)は
 
むごたらしい惡臭の周圍を飛びまはる、暗い入江。
 
 
、蒸氣や天幕(テント)のはたゝめき、誇りかに
 
槍の形をした氷塊、真白の諸王、繖形花**顫動、
 
 
、緋色の布、飛散(とばち)*つた血、怒りやまた
 
熱烈な悔悛に於けるみごとな笑ひ。
 
  U
、循環期、鮮緑の海の聖なる身慄ひ、
 
動物散在する牧養地の静けさ、錬金術が
 
學者の額に刻み付けた皺の静けさ。
 
  O
、至上な喇叭の異様にも突裂(つんざ)く叫び、
 
人の世と天使の世界を貫く沈黙。
 
――その目紫の光を放つ、物の終末!」

*Oは赤」:原文(“O bleu”)からすると「Oは青」.誤訳 or 誤植と思われるが,『ランボオ詩抄』(1936),『ランボオ詩集』(1937),『中原中也全訳詩集』(1990)で訂正はなし.一方,『新編中原中也全集・第三巻』角川書店(2006),これを底本とする『ランボオ詩集』岩波文庫(2013)では「Oは青」に訂正.また,同時に「穏密」を「隠密」に,「飛散(とばち)つた」を「飛散(とびち)つた」に訂正.

**繖形:セリ科の旧名,繖形科,散形科または傘形科,白い小形の花が傘状に多数つく.
(上図:ハナウド
Heracleum sphondylium var. nipponicum

西條八十1892 - 1970)が訳したランボー「母音」
   出典:『西條八十全集 第十五巻,アルチュール・ランボオ研究』(2004
   初出:『アルチュール・ランボオ研究』中央公論社(1967
 
A(ア―)は黒、E(ウ―)は白、I(イ―)は赤、U(ユ―)は緑、O(オ―)は青。母音たちよ、
 
わたしはいつかお前たちの隠れた起原(みなもと)を語ろう。
  A
はすさまじい悪臭のほとりに唸る
 
光った蝿たちの毛むくじゃらな黒の胸当(むなあて)。
 
 
小暗(おぐら)い入江。Eは靄(もや)と天幕(テント)の純白、
 
傲(おご)れる氷河の槍、白衣の王侯たち、繖形花(さんけいか)のそよぎ。
  I
は緋色、吐かれた血、憤怒の中
 
または悔恨の陶酔の中の美しき唇の笑い。
 
  U
は周期、緑の海の堅さ顕動、
 
家畜が点在する牧野の平和、錬金術が
 
黽勉(びんべん)な広き額(ひたい)に刻む小皺の平和。
 
  O
は怪しき絶叫にみちた至上の喇叭、
 
諸世界と天使らを貫く沈黙。
 
―― おお、オメガ、「かの眼」の紫の光よ!》

注:ルビは一部省略

中地義和1952 - )が訳したランボー「母音」
出典『対訳ランボー詩集-フランス詩人選(1)』岩波書店(2020

14] 母音
 
黒いA、白いE、赤いI、緑のU、青いO、母音たちよ、
 
ぼくは、いつの日か、お前たちの秘められた誕生を語ろう。
  A
、耐えがたい悪臭のまわりでぶんぶんと羽音を立て、
 
きらきら光るハエの、綿毛に覆われた黒いコルセット、
 
 
影の入り江。E、湯気とテントの純白、
 
高慢な氷河の槍、白装束の王たち、傘形花のおののき。
  I
、緋の衣、吐かれた血、怒りにかられた、
 
または悔俊に酔いしれた、美しい唇に浮かぶ笑い。
 
  U
、もろもろの周期、緑の海の神々しい震動、
 
動物たちが放たれた放牧地の平和、錬金術が
 
学究の偉大な額に刻印する皺の平和。
 
  O
、かん高い奇妙な音を響かせる(至高のラッパ)、
 
いくつもの世界と天使たちがよぎる静寂、
 
-オメガよ、〈かの方〉の〈眼〉の紫の光よ!

2025年8月21日木曜日

モミジアオイ(4)和文學-1-1 谷崎潤一郎『病蓐の幻想』,ボードレール,ランボー(1)

Hibiscus coccineus

  種から育てたモミジアオイが二年越しに花をつけた.江戸時代末期に渡来した*1モミジアオイは,「紅蜀葵」の名前で明治以降広く栽培された.日本の植物には見られない,派手で大きな紅色の花は目立ち,俳句・短歌(次以降記事)を始め,多くの文学作品の題材になった. 
  谷崎潤一郎病蓐の幻想』(初出『中央公論』
1917)には,齒齦膜炎から寝付いた神経衰弱気味な男が、庭に咲くモミジアオイの真紅の花(「烈日の中にくるくると燃える,眞赤な,心臓のやうな大輪の紅蜀葵」)が,咲き終わったのち落ちる様は,「盛んに血を吸つて膨れて居る自分の心臓が,若しかするとあんな風に,いきなりほたりと崩壊する前兆ではあるまいか」と怯える.更に,「齒の痛みは音響に近いばかりでなく,それぞれ雑多な色彩を持つて居る」と感じ,ボードレール Baudel.,Charles-Pierre Baudelaire, 1821 - 1867)の散文詩『人工楽園』"Les Paradis artificiels" の「音響は色彩を發し,色彩は音樂となる」から,彼の齒痛は「眞赤な痛さだ.何か非常に赤い者が焰々と燃えて渦巻いて居る」で,紅蜀葵を連想する.また,齒の痛みを「呪わしい地獄、美しい花壇」と連想し,ランボーRimbaud.,Arthur Rimbaud, 1854 - 1891)の母音(文字)を色彩で表現したソネット『母音』“Voyell” を想起するが,その中の「」は,庭園に咲くモミジアオイの花の真紅であろう. 



病蓐の幻想

彼は病気で、床に就いて呻つて寝て居た。――― たゞさへ彼は意気地なしの、堪へ性のない涙
脆い人間なのだ。十年前に取り憑かれた神經衰弱が、未だに少しも治癒しないで、年が年中、蜘
蛛の巣のやうな些細な事に怯へ憂へ顫へて居る人間なのだ。それが運惡く此の四日ばかり、齒
を煩つてすつかり元気を銷亡(せうぼう)させて、事に依つたら死ぬかも知れない病人のやうに,呻つて寝て居た
直接齒の爲めに死なない迄も、齒齦(はぐき)の炎症から来る残虐な,悪辣な抉られるやうな苦痛の爲
めに、精神と云う物が滅茶滅茶に掻き壊されて、気が狂つて死にはしないかと案ぜられた。彼
は自分の肉體が人並外れて肥満して居て、心臓の力の弱つて居る事を、不断から非常に気に懸
けて居た。それで僅かな熱でも出ると、神經を病み始めて、先づ自分から大病人になってしま
つた。
(中略)
 彼の横臥して居る病室の外には、割合に廣い庭園があつて、九月の上旬の、初秋とは云ひな
がら眞夏と少しも變りのない、赫灼とした日光が毎日毎日蒸し蒸しといきれて居た。南に面し
た花壇には紫苑や芙蓉や、紅白の萩がそろそろ花を持ちかけて、繁茂した枝葉を蓬々(ぼうぼう)と蔓らせ
穂の出かゝつた糸すゝきや萎みかゝつた桔梗や女郎花が、おどろに亂れた髪の毛のやうに打ち
煙つて居た。百日草、おいらん草、カンナ蝦夷菊などの燦然と咲き誇つて居る今一つの花壇の
縁には、小さい愛らしい松葉牡丹の花びらが、びろうど色の千日坊主と頭を揃えへて、千代紙を
刻んだやうに綺麗に居並び、二三尺の高さに伸びた葉鶏頭とダリヤとの間から、眞赤な、心臓
のやうな紅蜀葵(こうしよくき)の大輪が、烈日の中にくるくると燃えて居た。
「あなた、・・・・叉紅蜀葵が一つ散つたわ。あの花はほんとに壽命が短いのね。一日咲くと、色
もなんにも褪ないのに、ほたりと地面へ落ちてしまふのね。」
 彼の妻が、氷嚢の氷を取り換へてやりながら、彼に云つた。
「うん、・・・・・」
 と、さも大儀らしく答へたきり、彼は庭の方を見向きもしないで、相變らず齒を押さへたまゝ
静かに悲しげに横臥して居た。けれども彼の生々しい眞赤な花が、綺麗に咲き綻びたまま、風
もないのに突然地面へ轉げ落ちる様子を想ふと、何だか其れが忌まはしい事の知らせのやうに
感ぜられた。今の今まで、盛んに血を吸つて膨れて居る自分の心臓が、若しかするとあんな風
に、いきなりほたりと崩壊する前兆ではあるまいか。・・・・・
「でもまあ向日葵(ひまはり)がよく咲いたこと。ちよいとあなた、ちよいと此方を向いて庭を御覧なさい
よ。」
 妻は再びかう云つて慰めようとしたけれど、今度も彼は見向きもしないで、たゞ苦しさうな
溜息を吐いた。自分がこんなに坤つて居るのに、呑気な事をしやべって居る妻の態度が甚しく
癪に触ったが、わざわざ其れを叱り付けるだけの元氣も出なかった。
 痛くない方の片側を枕につけて、唇を半分ばかりあーんと開いて、床の間の掛軸を視詰めた
儘倒れて居る彼は、比の時舌の先を徐ろに詔陽魚(あかゑ)のやうに動かしながら、例の一番奥の齲齒を
極めておづおづと撫で擦つて見た。気のせゐか知らぬが、うろが平生よりも素敵に大きく深く
なつて、噴火山の火口の如く傲然と蟠踞(ばんきよ)して居る。その洞穴の底津磐根(そこついわね)から不斷の悪気が漠々
と舞ひ上つて、口腔の天地を焦熱地獄と化して居るのである。…… 彼には其の齲齒の、暴君的
な堂々たる痛み工合が、恰も毒々しい向日葵の花のやうに想像された。周囲に橙色の絢爛な花辧
を付けて、まん中に眞黒な、蜻蛉の複眼の如き芯を持つて居る向日葵(ひまわり)の、嵬麗(くわいれい)な姿は、どうも比
の驕慢な齲齒の痛みに酷似して居た。

「さうだ。齒の痛みは音響に近いばかりでなく、それぞれ雜多な色彩を持つて居る。・・・・彼は
 そんなことを思つた。ふと、いつぞや讀んだ事のあるボオドレエルの “Les Paradis Artificiels”
の一節*2が彼の念頭に浮かんだ。…… ”Les équiouques les plus singuliéres transpositions d’idée les
plus inexplicables onto lieu
Les sons onto une couleur les couleurs ont une musique”(音響は色彩
を發し、色彩は音樂となる。)・・・・此れは此の詩人がハシイシュを飲んだ時の、ハリュシネエシ
ョンの描寫であるが、しかし阿片やハシイシュ*3の力を借りずとも、彼は幾分かさう云う風な
ハリユシネエションを感ずる事が出來た。少なくとも一々の齒が、痛み方に相當する音階をもつ
て居るとしたなら、其の音階が一變して、千紫萬紅、大小さまざまな花の形に見える事はたし
かである。一番根強く執念深く、まるで熟した腫物のやうに疼いて居る奥齒が、向日葵の花で
あるとしたなら、それと反對に狭く鋭く、ぴくりぴくりと軋んで居る上顎の犬齒は、ちやうど
血の塊か火の塊が、眼の暈むやうな速力で虚空に旋輾と舞ひ狂めいて居るやうな、眞赤な辛
辣な痛さである。「成る程此れは眞赤な痛さだ。何か非常に赤い者が焰々と燃えて渦巻いて居る
痛さだ。」――彼は直に紅蜀葵を連想せずには居られなかつた。さうして考へれば考へる程、
ますます其の齒と、紅蜀葵との關係が密接になつて、遂には全く口の中に、あの鮮明な赤い花
が、くつきりと咲き誇つて居るやうな気持がした。それから叉、顎の隅の方で微かに痛んで居

る一團の臼齒は、一本の莖の先に澤山の花を持つたおいらん草のクリムソンに似通つて居た。

チクチクと蟲の蟄やうな愛らしい、いぢらしい痛み方をする前齒の群は、恰も壇花の縁を彩る
松葉牡丹に適合して居た。不思議な事に其れ等の齒が各自固有の特色に依つて、激しく痛め
ば痛む程、彼の妄想は一層明瞭な形を取つて眼前に髣髴した。斯くして彼は忽ちのうちに、口
の中を庭の花壇と同じやうな美しい光景に化してしまつた。其處には初秋の午後の光がかんか

と照つて、蜂や蝶々が花から花へひらひらと飛び戯れて居る。
 氣が付いて見ると、熱は前よりも更に一段と高まつて居た。眼の先の物が何だか頻りにちらち
らと動いて、カレイドスコオプを覗いて居るやうだ。床の間に懸つて居る浮世繪の美人畫がぐ
らぐらと揺めいて、立体派の繪の如き bizarre*4 な線を現わして居る。座敷の天井が、いつの問に
やら馬鹿に低くなつて、立てば頭がつかへる程下つて來たらしく、嫌に室内が狭苦しく、蒸し
暑く、窮屈である。こんな牢獄のやうな處に、いつ迄自分は鬱々として、熱に浮かされて居る
事だらう。どうせ十日も半月も寝て居るのなら、いつそひろびろとした野原のまん中で、青空を
仰ぎながら、涼しい木蔭の草の上にでも倒れて居たい。
 「あゝ切ない、・・・・息苦しい、・・・・嫌になつちまうなあ。」
彼は夢中で、こんな譫語を云いさうになつた。さうして、名狀し難い遣る瀬なさとあぢきな
さとに襲われて、頬つぺたの垢に汚れた涙を、紙屑のやうにほろほろとこぼした。
 よんどころなく片手でそつと捷毛を拭いて、叉齒の事を考へる。口の中の呪わしい地獄、美
しい花壇の事を考へる。――
  “A noir
E blanc I rouge U vert O bleu voyelles、………………。
 どう云ふ譯か、Rimbaudのソンネットの一句*5 が、天際に漂ふ虹の如く彼の心に浮かんだ。恐
らく其れは、繚亂たる花園の光景から連想されて、記憶の世界に蘇生つて來たのであろう。若
し、あの佛蘭西のシンボリストが想像するやうに、AEIUO、の母音に、黒だの白だの
ゝ色があるとすれば、口の中で刻一刻に、づきん、づきん、と合奏して居る齒列の音楽、――
色彩の音楽は、悉くアルファベツトに變じ得るかも知れない。……… A B C D E F G、……。
 體の工合も心の調子も、もう本式の病人と違ひはなかつた。ちよいと枕から頭を擡げると、
忽ち眩暈を覺えて、うすら寒い戦慄が止めどもなくぶるぶると手足を走る。飯を食うにも、小用
を足すにも、凡て蓐中(ぢょくちう)に横はつた儘である」
(後略)
谷崎潤一郎『病蓐の幻想』初出誌「中央公論」大正61月号(大正512月作),
底本:谷崎潤一郎『潤一郎傑作全集
4巻』春陽堂(大正10-11

 *1:磯野直秀『新渡花葉図譜』:幕末渡来植物の一資料:参考書誌研究・第67 号(200710)によれば文久3(1863)年渡来
*2:
ハリュシネエション:ハルシネーション(hallucination. 存在しないものを知覚する。幻覚を見る。幻聴を聴く。The experience of seeing, hearing, feeling, or smelling something that does not exist,
*3:  bizarre
:奇怪な. conspicuously or grossly unconventional or unusual. 目立って、著しく型破りまたは普通でない.奇怪な,異様な; 信じられない.
*4:
ボードレール『人工楽園』"Les Paradis artificiels":アヘンやハシッシュの接種体験を記した散文作品.「ハシッシュの詩」"Le Poème du haschisch"1858年),「阿片吸引者」"Un Mangeur d'opium"1860年),「酒とハシッシュの比較」"Du vin et du haschisch"1851年):単行本は上記2編を収録したものだが、決定版全集において追加された.
*5
:ランボウ『母音』Voyelles” ;母音(文字)を色彩で表現したソネット.詳しくは次記事.当時若い象徴派詩人の関心を呼び、大論争となった.

ボードレール"Les Paradis artificiels"『人工楽園』の De vin et du Haschisch’ 「酒とハシッシュの比較」の章に次のような文がある.
 “Les hallucinations commencent. Les objets extérieurs prennent des apparences monstrueuses. Ils se révèlent à vous sous des formes inconnues jusque-là. Puis ils se déforment, se transforment, et enfin ils entrent dans votre être, ou bien vous entrez en eux. Les équivoques les plus singulières, les transpositions d'idées les plus inexplicables ont lieu. Les sons ont une couleur, les couleurs ont une musique. ... Vous êtes assis et vous fumez ; vous croyez être assis dans votre pipe, et c'est vous que votre pipe fume ; c'est vous qui vous exhalez sous la forme de nuages bleuâtres.Baudel., Paradis artif., 1860, p. 338.

ボードレール渡邊一夫譯『人工楽園』(角川文庫 リバイバル・コレクション,初版1955)

「個性を倍化する手段たる 酒とアシーシュとの比較 一八五一年
    四 アシーシュ」
「幻覺が起り始める。周圍の物體が物恐ろしい姿となつて來る。そのときまで知られなかつたやうな形體となつて現はれてくる。それから、それらのものが歪んだり變形したりし,最後に諸君の存在のなかへはいりこむのである。あるひはまた、諸君がそれらの物のなかへはいると言つてもよい。もつとも微妙な意義の混淆や、もつとも解き難い觀念の置換が行はれる。もろもろの音は色彩を帶び、さまざまな色彩は音を持つてくる。音曲は數となり、諸君は、耳元で音楽が展開

するにつれて、恐ろしい速度で、驚くべき數學計算を解いてしまふ。諸君は坐つたまま、煙草を喫つてゐると、パイプのなかに坐つてゐるやうな氣持になるし、諸君のパイプが煙草を喫つてゐて、諸君が青みがかつた煙の形となり、ふはふは立ち昇るやうな氣持になつてしまふのである。」

阿部良雄訳『ボードレール全集Ⅴ 人工天国 小説 演劇 ジャーナリズム』筑摩書房(1989

「人工天国」「葡萄酒とハシッシュについて 個性を増加させる手段としての比較,四 ハシッシュ」
「幻覚が始まる。外界の物象(オブジェ)が、怪物じみた外観を帯びる。それまでは未知のものであった形態(フォルム)をとって、あなたに啓示されるのだ。次にはその形が歪み、形が変ってくるのであり,ついには物象(オブジェ)たちがあなたの身の中に入ってくる、というか、あなたが彼らの中に入りこむ。この上もなく奇妙な両義的表現や、この上もなく説明困難な観念の置き換えが、行われる。音は色彩をもち、色彩は音楽をもつようになる。楽音は数であり、あなたは、音楽があなたの耳の中で展開してゆくにつれて、怖ろしいほどの速さをもって、驚異的な算術の計算を解いてしまうのだ。
 あなたは坐って、煙草を吸っている。あなたは自分がパイプの中に坐っているのだと思うし、あなたのパイプがふかしているのはあなたなのだ。青みがかった雲の形をとって立ちのぼるのはあなたなのだ。」

 なお,阿部良雄によれば,ボードレールは「幻覚 hallucinations」に興味を持ち,手元にフランス人医師および精神科医のブリエール・ド・ボワモン(Alexandre Jacques François Brière de Boismont, 1797 1881)の『幻覚論幽霊,幻視,夢,法悦,動物磁気,夢遊病の論証的記述”Des hallucinations : ou Histoire raisonnée des apparitions, des visions, des songes, de l’extase, du magnétisme et du somnambulisme,” を持っていたとの事.

モミジアオイ (3) 欧米-2
モミジアオイ(2)欧米-1 学名,原記載文献,“Flora Caroliniana”,"Flora of the southern United States"
モミジアオイ(1)和  新渡花葉図譜,舶上花譜,倭種洋名鑑,栽培書,非水百花譜,最近和洋園芸十二ケ月,花鳥写真図鑑,牧野日本植物図鑑