2025年10月18日土曜日

モミジアオイ(10)和文學-6 明治-昭和初期の散文-1.徳冨蘆花,与謝野鉄幹,泉鏡花,北原白秋

Hibiscus coccineus


明治-昭和初期の散文に紅蜀葵を記した例は多いが,殆どが点景としてで,季節や庭園の情景であるが,一部,真紅の花が登場人物の心情を表す.

徳冨蘆花1868 – 1927)ベストセラーとなった小説『不如帰』や,キリスト教の影響を受けた自然描写作品『自然と人生』などで知られる.

与謝野鉄幹1873 – 1935)慶應義塾大学教授.文化学院学監.妻は同じく歌人の与謝野晶子.

泉鏡花1873 – 1939)明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家.小説のほか,戯曲や俳句も手がけた.帝国芸術院会員.尾崎紅葉に師事した.『夜行巡査』『外科室』で評価を得,幻想的な『高野聖』などで人気作家になる.

北原白秋1885 – 1942)詩人,童謡作家,歌人.帝国芸術院会員.生涯に数多くの詩歌を残し,今なお歌い継がれる童謡を数多く発表した.活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ,三木露風と並び評された近代日本を代表する詩人.一つだけと云われれば『邪宗門』を挙げたい.

★徳富蘆花みゝずのたはこと』新橋堂書店等(大正2
落穂の掻き寄せ
(六)
 紅蜀葵(こうしよくき)の花(はな)が咲(さ)いた。
 甲州玉蜀黍(かふしうたうもろこし)をもぎ、煮(に)たり焼(や)いたりして食(く)ふ。世(よ)の中(なか)に斯様(こん)なうまいも
のがあるかと思(おも)ふ。田園生活(でんゑんせいくわつ)も此(これ)では中々(なか/\)やめられぬ。
 今日(けふ)は土用中(どようちう)ながら薄寒(うすさむ)い日(ひ)であつた。朝(あさ)は六十二三度(ど)しかなかつた。
盡日(じんじつ)(きた)の風(かぜ)が吹(ふ)いて、時々(ときどき)冷(つめ)たい繊(ほそ)い雨(あめ)がほと/\落(お)ちて、見(み)ゆる限(かぎ)りの
青葉(あおば)が白(しろ)い裏(うら)をかへして南(みなみ)に靡(なび)き、寂(さび)しいうら哀(かな)しい日であつた。
 今日(けふ)は鶏小屋(とりごや)にほゞ鼬(いたち)と見(み)まがうばかりの大鼠(おほねずみ)が居(ゐ)た。
(八月(ぐわつ)二日(ふつか)

★与謝野鉄幹『新派和歌大要』大学館(明35.9
澁谷日記 (三十四年作)
(一)
 武蔵野に沿へる澁谷の里すまい,ここも秋に候.
日ぐらしの聲稀になりて,蟋蟀,くつわ虫,まつ虫など啼き初め候.
わが庭のさま少し書かばやと思い候.
垣の朝顔,おそく植ゑたれば今盛りに候.紅き紫,水色,ゑんじ,ましろ,何れも人
の百二十里西より,いまだ苗のほどに,小包郵便にて送りこしに候.送りこしぬし,
いまここにその花ながめて,朝髪とく人思ひ給へ.垣一面にひろがりたれば,青地の
錦に,様々彩ある繍ひ花,露ひと朝毎の光おかしく候.
歌筆,繪筆もちて寄る數多の子等の,土産にと呉し白百合,紅百合,葉鶏頭,女郎
花,桔梗,櫻草,床夏,秋海棠、向日葵(ひぐるま)、芙蓉、紅蜀葵(からくれなゐ)など、二つの椽をめぐりて芳
を競い候.宛らその子等の秀才のにほいとも推計り給へ.
(後略)
(二)
 知りおはすや紅蜀葵、のみを挿簪(かざし)の昨日けふ一昨日に候。白きがおはす芙蓉,この子
にふさひ知らずと許し給はぬなさけ,憎しやと側目(そばめ)する子に,さらば一つに,大人ら
しくなるやとの一人の君,無理に候かな.
(後略)
(九月七日)
(四)
 小ながの夜,秋なるを,鮎賣の若婆が聲に,萌黄蚊帳くぐりて,芙蓉見し人のまなざ
し,一人の人,猶夢にておはせばこその羞しの朝,君よやがて夜網の漁不漁,人もど
かれまじの睡氣の聲に,問ひし人のありしを知り給え.
(中略)
 知りおはすや,こヽの花園,君よ,新誌社のにてはおはさず,澁谷橋の下のなのに候
そこに紅蜀葵折りて、別れし三人と二人と知り給へ。君よ、夕なり(以上晶子)
(後略)
(九月八日)

★泉鏡花『鏡花全集 巻の二十六』岩波書店(1942
湯島詣(ゆしままうで)」

大詰 (二)入谷松源の池のほとり

蝶 (幕あくとともに夢の遊ぶ如く池の汀をさまよひつゝ)まあ、嬰(あか)ちやん、(紅蜀葵を折つて抱
く)寒いでせう/\(ひとへ長編絆の袖を引切つてかい包み胸に押しあて)おなかが空いたわ
ね。お、よしよし、さあ、お乳(つぱ)い。(やゝ襟をはだける)あれ擽い――ほんたうは、お乳な
んか出ないんだもの、堪忍よ。お小遣が少しあるから、お前のおとうちやん、(泣く)おとうち
んの、氣が利かないわね、お酒でなくつて、でも大すきな甘いもの、桃山をね、嚙んでね、
嚙んでくゝめてあげようね。
 源二 (出でうかゞひ/\すれ絡ふ)さあ、それ、足を、足を。な,へ、へ、へ、蝶(てふ)ちやん、お前、
すはだしで、眞綿に白魚といふ鹽梅ぢやあ、枯草だつて針の山だぜ。打たれた駒下駄でおとも
をする、此の心中だてを見てくれよ。池を前にしていふんぢやあねえが、溺れたもんだぜ、我
ながら、かうまで惚れたも因果なら、惚れられたも因果ぢやねえか。滿更にくくもあるめえが、
えへへへへ、どうだい、まあ此の手觸りは······(駒下駄をはかせた手にて、裾,膝、腰、胸
帶、やがて、懷に手の觸れんとする時、その時まで、氣づかれの果、たゞふら/\としてする
がまゝなりたるが、屹となり、忽ち簪にて矢庭に源二の鼻を刺す。

(以下略)

泉鏡花『鏡花全集 6巻』春陽堂(1926
雌蝶
 
否、最(も)う式は濟んだであらう。餘處から歸つて裏木戸へかゝつた時は、彼是一時近であつたから、其は近所の此の寂然
となつたのでも分る。・・・・式も早や、床杯も納つたらう。
 勿論、一人娘であるから、絲卷へ婿、養子であることは斷るまでもない。――――さて其の養子と云ふのは、色の白い,上方
ものゝ醫學生である。
 性を篠田と云ふのだが、緣は不思議なものであつた。
 去年の秋、從妹が誘はれ、二人づれで、向島の秋草見物。午飯を濟ましてから出掛けたが、途中で綾子の方は兎も角,
從妹なぞは止せば可いに、女同士、白木屋の二階を覗いて、其れから淺草へ行くと、綾子が観音様を附(つき)あつたかはりに
從妹は水族館に引張られる事になつた。あの薄暗い隧道(とんねる)の中を見て歩行く、と入り口邊から、一人後になり前(さき)になり,二
人の目にちら/\して、海を通りものゝするやうに、硝子(びいどろ)に映る、色の白い、鼠の洋服を着た年少な男があつたが,出口
近くで、ひらりと白いものを落して、其のまゝ見えなくなつた。 
 「何か落してよ、」
 と綾子が拾ふと、其は名札で。
 「一寸、醫學生――篠田·····」
 「そんなものはお打棄(うつちや)り、」
 と●(むしり)取る勢で從妹の云ふ時は、もう其を忘れたやうに摘(つま)んで提げて、綾子は硝子越に透通る水の上から、鯛の大きな目
を指の尖で突いて居た。「大きな針刺だわね。」
 行路(ゆき)は東橋を。百花園(ひやくくわゑん)へ入つた。が從妹は花の映る、綾子の顔に見惚れたと言つて話す―― 白芙蓉の面に清(すずし)い瞳がく
るくると動いたり、嫁菜に睫毛が濃くなつたり、紅蓼に眉が伸びたり、紅蜀葵が簪に擦れたり――
 「おゝ、可愛い、」
 と桔梗に口紅。其の間に萩が袂に搦む。葛がはら/\と背に翻る······又少し風があった――見た目に殘つたか,大川べ
りを歸り路には、隅田の水がもみぢに早い、花の錦を紅の夕日に宿した。
 途中トある土堤の下の、濕々(じめじめ)した藪の蔭に、ぱつと咲いて火花を散らしたやうな、曼珠沙華を見付けて、
 「姉さん、あれは·····」
 「彼岸ぢやないか。」
 「綺麗だね、」
 「あゝ、だけれどもね·····」
 「百花園にはなかつたわよ。」
 「あゝ、庭なんかへは植ゑないものなの。何故つて?花が咲く時は一枚も葉がないし、葉のある時は花がないの.だか
ら緣起でないでせう。綾ちやん、お前さんは、花よ、お前さんの母さんは、まあ、葉だわ、どつちが缼(かけ)ても大變ぢやな
いか。」
 「まあ可哀相ねえ、葉がないからつて、こんな處に此の花ばかり、一人ほつちで寂(さびし)いわ。」
 で、わざ/\舞踏沓を汚して、折つて、一束胸へ抱いたのを見ると、被布にかゞつた總(ふさ)のやう。
(以下略)

★北原白秋きよろろ鶯』書物展望社(1935
綠ヶ丘の秋
10. 9. 1927
「いヽ朝だな.」
と,私は家を出る時,うちのものを見返つた.開け放つた入り口のドアの前には,細かな砂
利の舗石に,細かなはのひまらや杉の參差たる影が動いてゐる.その土用芽は,まだ新芽の
やうに柔らかな白と緑である.空は洗われたやうに水いろですがすがしい.輕い白い雲も浮
かんでゐる.この二三日來の濛濛たる雨氣がやつと霽れたのである.
(中略)
 
このあたりからとてもかしましい蟬の時雨になる.ぢんぢん蟬である.椎,樫の喬木に沿
ひ,何かの紅い木の果のかげを右に盆地へ降りる小さなだらだら坂がある.落ち葉の一つがこ
ろげてゆく.風があるのだ.唐黍,錆いろの板塀の朝顔の花,それに對つた竹垣,孟宗,ま
た門さきの紅蜀葵
りんりんりんりん.
「號外屋さあん.」
内親王殿下の御誕生の號外だ.
(後略)
「週刊朝日」昭和二年九月