2016年4月14日木曜日

款冬・フキタンポポ-2/3 奈良時代-江戸中期.新撰字鏡,本草和名,延喜式,医心方,和名類聚抄,色葉字類抄,本草色葉抄,下學集,多識編,菜譜,大和本草,和漢三才図会,本草正譌

Tussilago farfara
1978年3月 英国ケンブリッジ
中国で重要な薬草とされていた欵冬の情報は,本草書の記事として飛鳥時代には渡来していた.即ち飛鳥時代(592-710)初期までに陶弘景の『本草経集注』(500頃成) が伝来し,さらに,奈良時代天平年間(723 年~731 年頃)には,第9次遣唐使(717-718)がもたらしたらしい『新修本草』(659成)も渡来.『続日本紀』の延暦6年(787) 5月15日条には典薬寮の上奏文として,『新修本草』は『本草集注』を包含したうえ100余条を増加しているので,今後は『本草集注』を用いないと記されている.これ以降,平安時代にかけて『新修本草』が本草書の第一テキストの地位を占めた.

これら本草書に記載されていた植物・動物・鉱物は,その記述から日本産の自然物に当てはめられたが,この考定には誤りが散見された.特に日本には産しなかった欵冬は,フキ,フキノトウと誤って考定された.しかし冬にキクに似た黄色い花が開くとの記述が本草家を悩ませた.

現存する最古の漢和辞典,892年(寛平4年)に3巻本が完成したとされる★僧昌住編『新撰字鏡』(昌泰年間,898- 901)羣書類従. 巻第497(下)には,「欵冬」の記載は見出せなかったが,「蕗」には,「不々攴(フフキ),●(蕗の下に木)同」とある(左図,NDL).これが磯野によるフキの初見とされる.
長く忘れ去られた書物であったが,18世紀後半に再発見され,1803年に刊行された(享和本).しかしこれは抄録本であり,後により原本に近い天治元年(1124年)の写本が発見された.古い和語を多く記しており,日本語の歴史の研究上できわめて重要である.また,平安時代になると失われた上代仮名遣いのうちコの甲乙を区別していることでも知られる.

日本最古の本草薬名辞典である★深根輔仁撰『本草和名』延喜年間(901年 - 923年)は,『新修本草』の薬物名とその配順に従い,70余の中国書から薬物の別名を網羅.各々には和名を同定して万葉仮名で記し,国産のあるものは産地まで記してある.中国本草学の本格的受容は,まさしく同書によって口火が切られたといえよう.その書の「第九巻 草中卅九種」には「款冬 楊玄操音義作東字 一名 橐吾 一名 顆東 一名 虎鬚 一名 菟奚 一名 氐冬 楊玄操音丁礼反 一名 於屈 出釈藥性
一名 耐冬 出兼名苑 一名 苦莖 一名 款凍 已上出廣雅 和名 也末布々岐 一名於保波」とあり,和名は「ヤマフフキ,一名オホバ」であるとした.この書により,「款冬」の和名が「ヤマフフキ」とされた.

一方★『延喜式』(927編纂開始,967に施行)の「卷第卅七 典藥寮,諸國進年料雜藥」には,東海道の二国から,薬用として,「欸冬花」が納められたとある.「相摸國,卅二種。(中略)瓜蔕二兩,欸冬花九斤,白頭公一斤(後略)。武藏國,廿八種。(中略)甘遂一斤,欸冬花十兩,瓜蔕五兩(後略)」しかし,欸冬は日本には自生していないので,これはフキノトウと考えられ,宮中にて薬用として用いられていたことが伺われる.
一方,フキは,宮中で食用とされていて,同じく『延喜式』の「卷第卅九 正親司、內膳司」の「供奉雜菜」には,「蕗二把,【准二升,五、六、七、八月。】,漬年料雜菜。蕗二石五斗,【料鹽一斗,米六升。】」の記事があり,また,「耕種園圃」には,「營蕗一段,種子二石,惣單功卅四人。耕地二遍,把犁一人,馭牛一人,牛一頭,料理平和二人,糞百廿擔,運功廿人,殖功二人,【九月。】芸二遍,第一遍二人,【三月】第二遍二人。【六月。】刈功四人。三年一殖。」とあり,蔬菜として育てられ,調理保存され,漬物として供されていた.

『新修本草』を基本に,国産で和名もすでにある常用品に焦点を定め、編纂した日本化した本草書★丹波康頼(912 – 995)撰『医心方』(984年(永観2年)朝廷に献上)の「第九巻 草ノ中ノ下 三十九種」には,「欵1冬2 和名也末布々岐 又於保波 (和名ヤマフフキ。又、オホハ),1款に通ず。 2傍注に「或作東」」とあり,『本草和名』を踏襲している(右図,NDL).

平安時代中期の辞書,★源順『和名類聚抄』(931 - 938),那波道円[校](1617)の「巻第二十 草木部」には,「款冬 ヤマフヽキ ヤマブキ
本草云款冬 一-名ハ虎鬚,一-本ニ冬ヲ作ル(レ)東二 和-名 夜末不々木,一ニ云夜末不木,萬-葉-集ニ云 山-吹-花」とあり,この書を元に,「款冬=ヤマブキ=山吹」との誤考定が一般化したようだ.

平安時代後期の古辞書である三巻本★橘忠兼編『色葉字類抄』(文政10 (1827) 光棣(写), 享保8年日野資時書写本の写本)の「中巻,也」の章「○殖物」の項に「款冬(クハントウ) ヤマフキ 或作東也 万本●伎? 虎鬚 山吹花(万葉集用●)金銭(已上)橐吾 顆東 菟奚 五冬(楊玄操音丁礼反)於屈(出擇(●●)藥性)耐寒(出藥名苑)已上ヤマフキ 名オヽハ」とある(WUL).また同書の「黒本本・也部殖物門中卷」には,「欵冬(クハントウ) ヤマフキ/黄花八重 乕鬢同山吹花同」とあるとの事(確認できず).

鎌倉時代中期の本草薬名辞典★惟宗具俊『本草色葉抄』8巻(1284) 内閣文庫本 第四冊 具部第廿八.には,「款冬花 證九味辛甘温元
一名橐吾 ●顆東(又凍)●虎鬚 ●菟奚
●氐冬 ●蜂斗葉(葉如荷而斗直大者容一升小者數合俗呼為-蜂斗葉-又名水斗葉) ●水斗葉(見上葉之?)
●於屈(釈藥性) ●鑚凍(衍義云雖在氷雪中主時亦生)」とあり,漢本草書ほぼそのままの記述が残り,和名は特にない.

室町時代の古辞書,東麓破衲編『下學集』(1444成立)には,「○欵冬(クワンドウ)フキ枳莖(キキヤウ)フキ菜(サイ)ナリ也。本草ニ云ク欵冬十二月有リレ花。其ノ色黄(キ)或ハ紫(ムラサキ)。其ノ味イ苦(ニカシ)也。三躰詩(―テイシ)ニ云ク僧房(―バウ)ニ逢著(ブチヤク)ス二欵冬花(クワ)一。出テテレ寺ヲ吟行スレハ日已(ステ)ニ斜(ナヽメ)ナリ。十二街中(カイ―)春雪遍(アマネシ)。馬蹄(―テイ)今(―マ)去テ入ラン二誰(タレ)カ家ニカ一。按(アン)スルニ此ノ詩ヲ十二月ノ之花至ル二暮春雪ノ時分ニ一也。然ルニ我カ朝ノ朗詠集ニ清愼公ノ詩ニ云ク欵冬誤(アヤマツ)テ綻(ホコロフ)二暮春ノ風ニ一。何ンソヤ哉。所詮(―セン)日本ノ之俗皆以テ二山吹(―フキ)ヲ一謂フ二欵冬ト一。山吹ハ即チ酴釄(ドビ)ナリ也。其ノ色黄(キ)ニシテ而如シ二緑酒(リヨク―)ノ一也。清愼公ノ之作モ亦タ誤テ欤(カ)。酴釄(ドビ)ヲ謂フ二欵冬ト一也。其ノ詩ノ意ニ云ク此レ花ノ名也。若(モシ)是レ欵冬ナラハ何(ナン)ソ綻(ホコロビン)二暮春ノ風ニ一乎(ヤ)。咎(トカメ)テ二欵冬ノ字ヲ一而云フレ尓(シカ)耳(ノミ)。詩ノ意雖トモ二工(タクミ)ニ用ユト一上ノ故事(コジ)ノ誤リ矣。可シレ辨(ベン)スレ之ヲ。」と,三躰詩を引いて,山吹とは黄色い花との記述は合うが,咲く季節が全く異なるので,山吹ではないとした.

★林羅山『多識編』羅浮子道春諺解『新刊多識編巻之二 古今和名本草並異名 湿草部第二』 (1649)には,「款冬 夜末布岐 叉称於保波 今案布岐 又案黄有美豆布岐之名 故以款冬在陸地曰也末布岐 叉一種花似酴醿者亦曰也末布岐是同和名而異物也古人於万葉中多詠其花因假其字而書之耳非以似酴醿者為款冬也 万葉多借用字不少後人不辧之 公任朗詠載款冬是已誤矣况其餘哥乎〔異名〕氐冬(シドウ)別録 菟奚(トケイ)尓-雅」とあり,「款冬」=フキであるが,黄色い花をつけるツハフキでもある.一方万葉集のヤマブキを款冬としている事,朗詠集に載っている公任の歌も誤りでるとしている.
酴醿(ドビ):トキンイバラ

★貝原益軒『菜譜 中巻』(1704)には,「款冬(ふき)旱(ひでり)をおそる.(略)本草綱目に,款冬の説詳ならざる故,ふきを款冬(くわんとう)にらずといふ人あり.李時珍が食物本草註を見るに,款冬なる事,うたがひなし.ふき初て生じ,葉小なるを銭ふきとて,葉ともに食す.二月より,四月まで,莖を食す.(以下略)」とあり,款冬=フキを力説し,その根拠として李時珍の『食物本草註』を挙げているが,確認できなかった.

稲生若水(1714) 新校正本+本草圖巻
★貝原益軒『大和本草 巻之九 草之五 雑草類』(1709) には,「橐吾(ツハ) 莖葉款冬ニ似タリ一名山フキト云 (略)コレヲ款冬ト云人アリ誤也 稲生若水曰急就章所レ云橐吾是ツハナラン.今按急就章ニ橐吾似二款冬ニ一而腹有レ絲生ス二陵地ニ一華黄色トイヘリ是ツハナルヘシ莖ニ絲有コトモ款冬ノ如シ本草款冬花ノ異名ヲモ橐吾ト稱ス急就章ニ似ル二款冬ニ一トイヘリ然レハ款冬與橐吾不レ同.」とあり,款冬は橐吾ツワブキではないとして,急就章の文を根拠としている.
なお,「急就章」は漢代に学童が文字を覚えるために作られた古字書で,日用語を姓名・衣服・飲食などに分類して,暗誦しやすいように三言または七言の句の韻文で綴ってある.卷第四に以下のような文がある.「半夏皁莢艾橐吾。芎藭厚朴桂栝樓。款東貝母薑狼牙。」(明毛晉輯『急就篇(津逮祕書)崇禎中刊)

当時もっとも著名だった本草家★稲生若水校『本草綱目41冊』(1714) 新校正本 には,「款冬花 フキ」とあり,更にその附録である『本草圖卷 巻之二』には,「欵冬花本經中品 黄花ノ者 紫花ノ者 花-腹ノ中ニ絲有テ欠ス 正月旦花(ヲ)采(ル)」と三種の款冬花の図が納められている(右上図,NDL).図の出典は探しきれなかった.

★寺島良安『和漢三才図会 巻第九十四の末 湿草類』(1713頃)には,
「款冬花(フキノシウトメ)
本草、百草ノ中惟ダ氷雪ヲ顧ミズ、最モ春ニ先ンズ。葉ハ萆薢(トコロ)ニ似テ十二月ニ黄ナル花ヲ開ク。青紫萼ノ土ヲ去ルコト一二寸,初出ハ菊ノ花ノ萼ノ如ク直ニ通ジテ肥実シテ子無シ。根ハ紫色、花ヲ見ル者ヲ順(モ)ッテ微シ薬ト為ス。或ハ云フ、葵ニ似テ大キク叢生スト。又,紅花ナル者有リ。葉ハ荷(ハスノハ)ノ如クニシテ斗直、大ナル者一升ヲ容レ、小ナル者数合ヲ容ル。俗ニ呼ビテ蜂斗葉ト為ス。(又ハ水斗葉ト名ヅク) 共ニ春時人採リテ以ッテ蔬ニ代フ。其ノ腹ノ裏ニ糸有リ。
気味(辛ク温) 純陽、手ノ大陰経ニ入リ欬逆ヲ治ス。古方ニ用ヰテ肺ヲ温メ、嗽ヲ治スノ最ト為ス。(杏仁ハ之レガ使ト為ル。紫苑ヲ得テ良シ。皀莢、玄参ヲ悪ミ、麻黄、黄芪、黄芩、連翹、育箱子ヲ畏ル).
△按ズルニ、崔馬錫ガ食経ニ云フ、蕗(和名布布木)ハ葉ハ葵ニ似テ円ク広シ。其ノ茎煮テ之レヲ噉(クラ)フベシ。款冬(和名、也末布岐)ハ此レニ拠レバ、則チ款冬ハ即チ山蕗(今云フ豆和)、冬ニ至ルモ亦タ葉凋ミ落チズ。本草ニ二物分別セズ。然レドモ図スル所ハ蕗ナリ。(薬ニ入ルル款冬ニハ蕗ノ姑ヲ用ウベシ)
蕗ノ初生ノ菜ハ萆薢ニ似テ叉尖リ無ク、大カザルノミ。
根(苦ク平) 倭方ニ海人(マクリ)草、款冬(フキノ)草根、甘草(以上三味)ヲ水ニ浸シ、湯煎ニシテ初生ノ児ニ用ヰテ云フ、能ク胎毒ヲ去ルト。(本草ニハ根ノ気味ノ功ヲ載セズ)」とあり,「款冬花=フキノトウ」と考定する一方,
「豆和(ツワ)
△按ズルニ、豆和ハ即チ欺冬ニシテ蕗ノ一種ナリ。茎葉ノ形状相似テ花大ニ異ナル。
蕗ハ、茎、青白ク溝有リテ、靭(シナ)ヒ、葉、薄ク軟カニ浅青ク潤ハズ秋冬ニ枯死ス。
款冬ハ、茎灰紫、溝無クシテ脆、葉厚ク硬ク深青ク光沢アリ・冬モ亦タ凋マズ。
蕗ハ、花冬根ノ下ヲ出ヅルコト一二寸、蘘荷笋ノ如ク,開キテ舒(ノベ)レバ淡白、蘂無シ。
歓冬ハ、花秋茎ヲ抽キテ朶ヲ作スコト二三寸、菊花ノ萼ノ如ク・開ケバ単ニシテ正黄、蘂有リ。
茎葉ヲトリテ煠(ユ)デ淘(アラ)ヒ苦汁ヲ去疏ト作ス。其ノ葉魚毒ヲ解ス。河豚(フクトウ)魚ノ毒ニ中ル者、生ニテ之レヲ噉(ク)ヘバ屡々(シバシバ)効有リ。又、馬ニ飼ヒテ良シ。薊、葛ノ葉ニ劣ラズ、九州ノ人、今モ亦タ毎(ツネ)ニ疏菜ト為シテ之レヲ食フ。
太加良古(タカラコ) 山中ニ在リ。葉ハ蕗ニ似テ花ハ豆和ニ似タリ。三月ニ花ヲ開キ、根、葉、茎ヲ連ネテ洗薬ノ中ニ入レ,折傷(ウチミ)及ビ麻痺ヲ洗フ。但シ葉ノ本ト茎ニ○(衣篇に金,読みエリ)有リ。」とあり,フキとツワブキを比較して,漢文献の款冬の記述との整合性を両方で合わせようとの苦心が伺える.

★松平秀雲著『本草正譌』風月荘左衞門 (1776) には,「欵冬花 ヤマフキ 芡*ヲミツフキト云ニ對ス 古人欵冬ヲ棣棠トスルハ誤ナリ 綱目釋名橐吾誤ナリ 橐吾ハ急就章ニ出ツ 俗名ツハ是ナリ 又有二紅花者一 近來蝦夷フキト稱スル者莖赤花亦紅色ヲ帯フ 是ナリ」とあり,また「棣棠花 和名ヤマブキ畫譜ニ出ツ古人欵冬ヤマブキト訓ス非ナリ」とあり,「欵冬=ヤマフキ≠ヤマブキ(山吹,棣棠)」とし,またツワブキとするのも誤りとしている.*芡:ケン,オニバス

このように,江戸時代までは欵冬をヤマブキとする事には否定的であったが,一方フキと考定するのが一般的であった.現在の薬用植物図鑑等を見ると,フキ及びフキノトウにも欵冬同様の薬効,特に鎮咳作用があるとされているものもある.

款冬,フキタンポポ-1 中国本草書,神農本草經,金匱要略,神農本草經,本草經集注,新修本草,本草圖經,周憲王救荒本草,本草綱目,三才圖會,植物名實圖考

次の江戸後期-大正の記事に,牧野富太郎の「款冬=Tussilago farfara」と同定し「フキタンポポ」と和名をつけた文献も登場する.

2016年4月2日土曜日

サクラソウ (23) 錦鶏鳥,江戸後期のサクラソウ文献.儒学者 藤森弘庵『如不及斎文鈔』,青い花,八重の花

Primula sieboldie cv. “Kinkei-chou”

江戸時代後期には,関東の地方でもサクラソウは愛玩され,種々の品種が見出された.その中には青い色のものや,八重のものもあったとの記録が残る.

品種名:錦鶏鳥,認定番号:56,品種名仮名:きんけいちょう,表の花色:白,裏の花色:紅,花弁の形:記載なし,花弁先端の形:深かがり,花容:抱え咲き,花柱形:僅長柱花,花の大きさ:大,作出時期:江戸後期,類似品種:錦葉集,その他:花弁の表に紅がにじむ
昨年の春に近くのホーム・センターで購入.良く増えて,今春に二鉢に分け植え.それぞれが早くも咲きだした.大ぶりの花と,表裏のはっきりとした配色でよく目立つ.香りもよい.

右図:花の大きいものより,錦鶏鳥,駒止,小桜源氏,松の雪,異端紅,南京小桜 いずれも2016年3月開花


江戸時代,利根川の河畔に群生地が見出されたサクラソウは,その流域に生育していて,好事家によって愛玩された.現在の埼玉県行田市にあった忍藩城下を訪れた,江戸後期の儒者,藤森弘庵(1799-1862)は,著作『如不及斎文鈔』に,城下の医師,三浦泊翁を訪問して彼が培養している種々の「草櫻」数百種を見せてもらった記事を残している.変わった花としては,青いもの,ぼかしの入っているものなどがあり,粗密の八重のものの記述がある.以下にフル原文(適宜句読点を入れた.返り点は省略)と現代語訳の一部を載せる.最後に文明批評の一文を記しているのが,安政の大獄に連座した彼らしい.

★藤森天山 (大雅)『如不及斎文鈔』(明治三年,和泉屋金右衛門刊)NDL 
・記三浦氏草櫻
路歴忍城.訪芳川襄齋.聞市醫有三浦泊翁者.善培
養草櫻多珎異.拉襄齋往觀焉.草櫻俗間所稱余未
詳漢名爲何.而其状肖我邦櫻花.而色紅者其常也.
今三浦氏之草櫻.其爲辧.有單有重有大有小有疎
有密.其爲状.有如海棠者.有如金沙羅者.如酴釄者.
如茉莉者.如麗春者.或棣棠者.或如梔子.其他殊類
詭形不可縷状.其爲色.有紅有白有紫有碧而紅有
肉紅有嬌紅.有淡紅有鮮紅.有殷紅有粉紅.深紫浅
紫不同其色.雪白月白各従其類.水碧石青或暈或
纈.或倒暈.或間雑.或色同而状異.或形肖而彩殊.其
爲品幾三百.栽以磁盆.盆各挿一小牌.以標其名.架
閣三面.擺列於其上.前低而後昂.花彩爛斑.如張錦
繍.奇異珎詭.過於所聞.余因問其術.翁曰.是無他術
也.能蓈其乾濕.時其寒温.擇其肥土之物.勿過勿不
及.如愛子如育嬰.而見其有稍異者.輙別而栽培之.
使以成其異.見其有小珎者.則分而植養之.使以成
其珎.如斯而已矣.大凡者之有珎異.不止草櫻也.唯
其珎異者.尤難於栽培.而養之者不知其珎異分別
而培養之.之以雖有珎異不能自成其珎異.與凡卉
同歸於腐朽.豈不悲哉.余聞而歎曰.翁蓋以諷世也.
乃記之.

金沙羅:ナニワイバラ(右図,2006年4月)
酴釄(とび,どび):トキンイバラ
麗春:ヒナゲシ
棣棠:ヤマブキ
倒暈:(花弁の)先端を濃くする花の暈描法
擺列:順に従って陳列する


梅園図譜 夏 四 NDL
忍城城下の芳川襄齋を訪れたところ,町には三浦泊翁という医師がいて,「草桜」を栽培していて,珍しいものが多いと聞いた.そこで,襄齋とともに見に行った.
「草桜」は俗にいう名で,漢名で何というのかはまだ分からない.その花の形は我が国の桜の花に似ていて,色は紅色が普通だ.しかし,三浦氏の「草桜」は,花弁は一重も八重も,大きいのも小さいのも,疎らのも密生しているのもある.形もカイドウのようなもの,ナニワイバラのようなもの,トキンバラのようなもの,マツリカのようなもの,ヒナゲシのようなもの,ヤマブキのようなもの,クチナシのようなものなど,言葉にはつくせない.
また,その色は,紅・白・紫・碧色があり,紅にも肉紅・嬌紅・淡紅・鮮紅・殷紅・粉紅がある.深紫・浅紫はおなじ色ではなく.雪白・月白もその類に従う.水碧・石青もあり,ぼかし・絞り・逆ぼかし(花弁周辺の色が薄い).或はそれらの間の雑種.或は色は同じだが形状が異なり,或は形は肖而が彩が特殊である.
浜千景 加茂花鳥園作出
その品種は300を超える.磁器の植木鉢に植え,夫々に小さな札を立てその名前を記している.陳列棚は三面でその上に前には背の低いものを,後ろには背の高いものを,列をなして置いてある.花の彩は色とりどりで,錦繍を張ったようである.非常に珍しい異形のものもある.?.
その方法の因を尋ねたところ,三浦泊翁が言うには,これと云って特殊な方法はない.湿めりけを制御し,温度に合わせて肥料や土を選び,多すぎも少なすぎもよくない.子供を愛するように,嬰児を育てるように,よく見て少しの変わり者を見つける.それを選び取って栽培する.その中で少し珍しいものがあるのを見つけたら,直ぐに分けて培養する.そうして珍しい株とする.このようにしてやるだけだ.普通のものの中にも,変わった珍しいものもある.(私訳:以下略)

サクラソウ (22) 小桜源氏,江戸中期のサクラソウ文献.六義園々主 柳沢信鴻 『宴遊日記』

2016年3月22日火曜日

款冬,フキタンポポ-1/3 中国本草書,神農本草經,金匱要略,神農本草經,本草經集注,新修本草,本草圖經,周憲王救荒本草,本草綱目,三才圖會,植物名實圖考

Tussilago farfara
1978 June Berner Oberland
款冬(カントウ,クワンタウ)は,古代から中国・欧州では薬草,特に鎮咳剤として用いられていたが,日本には原産していなかった.そのため,中国の本草書に準拠した日本の本草では,これを「フキ(蕗)」と誤比定し,さらには,和名を「山に生える蕗-やまぶき」としたことから,ヤマブキ(山吹,Kerria japonica)=款冬が一般化し,特に歌人たちがこの字を用いた.また,冬に耐えて黄色い頭状花をつけるという記述から,ツワブキとされ,款冬の一名,橐吾が当てられたこともあった.

「款冬=蕗」は,江戸時代から本草学者の間では疑問とされていたが,牧野富太郎博士が,白井光太郎監修『頭註国訳本草綱目』(1929)の「款冬」の項で,この植物は “Tussilago farfara” であると喝破し,和名を「フキタンポポ」とすることを提案した.博士はまた,黄色いこの花が極早春に葉を出さずに咲くことから,フクジュソウの代りに春を告げる鉢植えとして有用であると予言した(後続記事参照).1970年代にフランスから航空便で種が輸入されて,現在では年末からフキタンポポの鉢植えが新年を寿ぐ花として売られている.

中国の伝統医学は漢時代(206 B.C. – 23 A. D.)になり体系化され,基盤が確立され,三大古典とされているのが,『黄帝内経』『傷寒雑病論』『神農本草経』の医学書である.このような古典にも「款冬」は収載されているので,紀元前の相当古代から,呼吸器系の疾病・症状,特に咳に對する有効な薬草としての価値が認められていたと思われる.

神農本草經3卷 魏呉晉等撰[
(江戸寫) NDL
『神農本草經』は,後漢から三国の頃に成立した中国の本草書であり,神農氏の後人の作とされるが,実際の撰者は不詳である.一年の日数に合わせた365種の薬物を上品・中品・下品の三品に分類して記述している.上品は無毒で長期服用が可能な養命薬,中品は毒にもなり得る養性薬,下品は毒が強く長期服用が不可能な治病薬としている.中国正統の本草書の位置を占めるようになったが,現在みることができるのは敦煌写本の残巻や『太平御覧』への引用などにすぎない.それらを元に復元を図ったものとしては,明代の盧復,清朝の孫星衍,日本の森立之によるものなどがある.
★魏呉晉等撰,清孫星衍孫馮翼輯『神農本草經』 卷二 中經 草 中品 には,「款冬花
味辛,溫。主咳逆上氣,善喘、喉痺,諸驚癇,寒熱邪氣。一名橐吾(《御覽》作石),一名顆東(《御覽》作顆冬),一名虎須,一名免奚。生山谷。
《吳普》曰︰款冬,十二月花黃白(《藝文類聚》)。
《名醫》曰︰一名氏冬,生常山及目常水傍。十一月採花,陰乾。
案︰《廣雅》云:苦萃,款 也。《爾雅》云:菟奚,顆 。郭璞云:款冬也。紫赤,生水中。《西京雜記》云:款冬,花于嚴冬。傳咸《款冬賦》序曰︰仲冬之月,冰凌積雪,款冬獨敷花艷。」とあり,花が氷雪に耐えて咲き麗しい事を記している.

★張仲景『傷寒雑病論』一部と考えられている『金匱要略』(東漢,170-219)にも「肺痿肺癰咳嗽上気病脈証并治第七
咳而上気,喉中水鶏声,射干麻黄湯主之。
射干麻黄湯方: 射干十三枚(一法三両) 麻黄四両 生姜四両 細辛 紫苑 款冬花各三両 五味子半升 大棗七枚 半夏(大者洗)八枚(一法半升)
 上九味,以水一斗二升,先煮麻黄両沸,去上沫,内諸薬,煮取三升,分温三服。」と款冬の花の処方が収められている.

『神農本草經』に改定・注釈を加えて成立した,★南朝・梁 陶弘景(456-536)『神農本草經』 卷二 中經 草 中品 には「款冬花
味辛,溫。主咳逆上氣,善喘、喉痺,諸驚癇,寒熱邪氣。一名橐吾(《御覽》作石),一名顆東(《御覽》作顆冬),一名虎須,一名免奚。生山谷。
《吳普》曰︰款冬,十二月花黃白(《藝文類聚》)。
《名醫》曰︰一名氏冬,生常山及目常水傍。十一月採花,陰乾。
案︰《廣雅》云:苦萃,款 也。《爾雅》云:菟奚,顆 。郭璞云:款冬也。紫赤,生水中。《西京雜記》云:款冬,花于嚴冬。傳咸《款冬賦》序曰︰仲冬之月,冰凌積雪,款冬獨敷花艷。」

★南朝・梁 陶弘景『本草經集注』 - 草木下品 にも,「款冬
味辛、甘,溫,無毒。主治咳逆上氣善喘,喉痺,諸驚癇,寒熱,邪氣。消渴,喘息呼吸。一名橐吾,一名顆東,一名虎須,一名菟奚,一名氐冬。生常山山谷及上黨水傍。十一月採花,陰乾。(杏仁為之使,得紫菀良,惡皂莢、硝石、玄參,畏貝母、辛夷、麻黃、黃、黃芩、黃連、青葙。)
第一出河北,其形如宿 未舒者佳,其腹裡有絲。次出高麗、百濟,其花乃似大菊花」とあり,花はキクに似ているとある.

奈良時代に日本に渡来して,宮廷で基本となる本草書として認められた★唐蘇敬等『新修本草』 卷第九(659)には,「款冬
味辛、甘,溫,無毒。主咳逆上氣善喘,喉痺,諸驚癇,寒熱,邪氣。消渴,喘息呼吸。一名橐吾,一名顆東,一名虎須,一名菟奚,一名氐冬。生常山山谷及上黨水旁。
十一月採花,陰乾。
杏仁為之使,得紫菀良,惡皂莢、硝石、玄參,畏貝母、辛荑、麻黃、黃耆、黃芩、黃連、青葙。 第一出河北,其形如宿 未舒者佳,其腹裡有絲。次出高麗百濟,其花乃似大菊花。次亦出蜀北部宕昌,而並不如。其冬月在冰下生,十二月、正月旦取之。
〔謹案〕今出雍州南山溪水及華州山谷澗間。葉似葵而大,叢生,花出根下。」とある.

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★宋蘇頌『本草圖經』草部中品之下卷第七(1061)には,「款冬花
出常山山谷及上黨水旁,今關中亦有之。根紫色,莖青紫,葉似萆薢;十二月開黃花,青紫萼,去土一、二寸,初出如菊花萼,通直而肥;實無子。則陶隱居所謂出高麗百濟者,近此類也。又有紅花者,葉如荷而斗直,大者容一升,小者容數合,俗呼為蜂斗葉,又名水斗葉。則唐注所謂大如葵而叢生者是也。十一月採花陰乾,或云花生於冰下,正月旦採之。郭璞注《爾雅》顆凍云︰紫赤花,生水中。冰,水字近,疑一有誤。而傅咸《款冬賦序》曰︰余曾逐禽,登于北山,于時仲冬之月也,冰凌盈谷,積雪被崖,顧見款冬煒然,始敷華艷,當是生於冰下為正焉。
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《本經》主咳逆,古今方用之,為治嗽之最。崔知悌療久嗽熏法︰每旦取款冬花如雞子許,少蜜拌花使潤,內一升鐵鐺中。又用一瓦碗鑽一孔,孔內安一小竹筒筆管,亦得其筒稍長,作碗鐺相合及插筒處,皆面泥之,勿令漏氣。鐺下著炭火,少時款冬煙自從筒出,則口含筒,吸取煙咽之,如胸中少悶,須舉頭,即將指頭捻筒頭,勿使漏煙氣,吸煙使盡止。凡如是五日一為之。待至六日,則飽食羊肉一頓,永瘥。」とあり,数種の「款冬」の図が添えられているが,一つを除いては,カントウ(フキタンポポ)とは,認めがたい.一方,燻蒸してその煙を細管で吸引して咳を鎮めるという,新たな投与法が記載されている.

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この植物は薬用としてだけではなく,飢饉時の救荒植物ともされていて,★徐光啓輯『周憲王救荒本草』巻一(1406)図は和刻,茨城多左衞門等(1716)刊 には,「款冬花
一名橐吾,一名顆凍,一名虎須,一名菟奚,一名氐冬。生常山山穀及上黨水傍,關中蜀北宕昌秦州雄州皆有,今鈞州密縣山穀間亦有之。莖青,微帶紫色。葉似葵葉,甚大而叢生;又似石葫蘆葉頗團。開黃花。根紫色。《圖經》雲:葉如荷而鬥直。大者,容一升
小者,容數合。俗呼為蜂鬥葉,又名水鬥葉。此物不避冰雪,最先春前生,雪中出花,世謂之鑽凍。又雲:有葉似萆薢。開黃花,青紫萼,去土一二寸;初出如菊花,萼通直而肥實無子。陶隱居所謂“出高麗百濟”者,近此類也。其葉味苦,花味辛甘。性溫無毒。杏仁為之使,得紫菀良,惡皂莢、硝石、玄參;畏貝母、辛夷、麻黃、黃芩、黃連、青葙。
救饑:嫩葉煠熟,水浸淘去苦味,油鹽調食。」とある.若葉を熱して水に浸して苦味を取り,塩・油で調理すると食べられるとある.
注:鬥=鬭,鬪,闘,たたかうこと・あらそうこと

日本の本草学に大きな影響を及ぼし,本草書の金字塔とも称される★李時珍『本草綱目』草之五 隰草類下(1596)には,「款冬花 (《本經》中品)
釋名 款凍(郭璞)、顆凍(《爾 雅》)、氐冬(《別錄》)、鑽凍(《衍義》)、菟奚(《爾雅》)、橐吾(《本經》)、虎須(《本經》)。
時珍曰︰按《述征記》云︰洛水至歲末凝厲時,款冬生於草冰之中,則顆凍之,名以此而得。後人訛為款冬,乃款凍爾。款者至也,至冬而花也。
宗奭曰︰百草中,惟此罔顧冰雪,最先春也,故世謂之鑽凍。雖在冰雪之下,至時亦生芽,春時人采以代蔬。入藥須微見花者良。如已芬芳,則都無氣力。今人多使如箸頭者,恐未有花也。
集解 《別錄》曰︰款冬生常山山谷及上黨水旁,十一月採花,陰乾。
弘景曰︰第一出河北,其形如宿 未舒者佳,其腹裡有絲。次出高麗百濟,其花乃似大菊花。次亦出蜀北部宕昌,而並不如。其冬月在冰下生,十二月、正月旦取之。
恭曰︰今出雍州南山溪水,及華州山谷澗間。葉似葵而大,叢生,花出根下。
頌曰︰今關中亦有之。根紫色,葉似萆 ,十二月開黃花,青紫萼,去土一二寸,初出如菊花萼,通直而肥實無子。則陶氏所謂出高麗百濟者,近此類也。又有紅花者,葉如荷而斗直,大者容一升,小者容數合,俗呼為蜂斗葉,又名水斗葉。則蘇氏所謂大如葵而叢生者,是也。敷咸《款冬賦》序云︰予曾逐禽,登於北山,於時仲冬之月,冰凌盈谷,積雪被崖,顧見款冬煒然,始敷華艷,是也。
修治 斅曰︰凡采得,須去向裡裹花蕊殼,並向裡實如栗零殼者。並枝葉,以甘草水浸一宿,卻取款冬葉相拌 一夜,晒乾去葉用。
氣味 辛,溫,無毒。《別錄》曰︰甘。
好古曰︰純陽,入手太陰經。
之才曰︰杏仁為之使,得紫菀良,惡皂莢、硝石、玄參,畏貝母、辛夷、麻黃、黃 、黃芩、黃連、青葙。
主治 咳逆上氣善喘,喉痺,諸驚癇寒熱邪氣。(《本經》)
消渴,喘息呼吸(《別錄》)。療肺氣心促急,熱乏勞咳,連連不絕,涕唾稠粘,肺痿肺癰,吐膿血(甄權)。潤心肺,益五臟,除煩消痰,洗肝明目,及中風等疾(大明)。
發明 頌曰︰《本經》主咳逆,古今方用為溫肺治嗽之最。崔知悌療久咳熏法︰每旦取款冬花如雞子許,少蜜拌花使潤,納一升鐵鐺中。又用一瓦碗鑽一孔,孔內安一小筆管,以面泥縫,勿令漏氣。鐺下著炭火,少時煙從筒出,以口含吸,咽之。如胸中少悶,須舉頭,即將指頭按住筒口,勿使漏。至煙盡乃止。如是五日一為之。待至六日,飽食羊肉 一頓,永瘥。
宗奭曰︰有人病嗽多日,或教然款冬花三兩,於無風處以筆管吸其煙,滿口則咽之,數日果效。
附方 新二。
痰嗽帶血︰款冬花、百合(蒸焙)等分為末,蜜丸龍眼大。每臥時嚼一丸,薑湯下。(《濟生方》)
口中疳瘡︰款冬花、黃連等分,為細末,用唾津調成餅子。先以蛇牀子煎湯漱口,乃以餅子敷之,少頃確住,其瘡立消也。(楊誠《經驗方》)

以下和訳は★『頭註国訳本草綱目』白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳),牧野富太郎(考定)(1929),春陽堂 による.
釋名 款凍(郭璞)、顆凍(爾雅)、氐冬(別錄)、鑽凍(衍義)、菟奚(爾雅)、橐吾(本經)、虎須(本經)。
時珍曰く、按ずるに、述征記に『洛水が歳末の甚しい寒氣で氷り詰めた時、款冬が凍つた草原の中に生えた』とある。そこで顆凍なる名称は此から来たのだが、後世になって款冬と訛ったのだ。すなわち款凍だ。款の意味は至であつて、冬の至れる時期に花がさくといふ意味である。
宗奭曰く、あらゆる草のうちで、この草だけは氷雪を顧みずして、最も春に先んずる。故に世にこれ鑽凍(さんとう)といふ。たとひ氷雪の下にあっても、時が来れば芽が生えるものだ。春季になると世人は採つて蔬菜に代へて食ふ。藥に入れるには、微し花が現れたばかりのものを用ゐるが良い。已に咲き切つては全く氣力がなくなる。今は一般に、多くは箸の先ほどのものを用ゐているが、果してまだ花が咲かなかつたものか否かが氣遣われる。
集解 別錄に曰く、款冬は生常山の山谷、及べ上黨の川の邉りに生ずる。十二月花を採つて、陰乾する。
弘景曰く第一位のものは河北に産する。その形が舊い蓴(じゅん)のまだ舒(の)びないもののやうなものが佳い。その内部には絲があるものだ。次位のものは高麗、百濟に産する、その花は大菊花に似たものだ。それに次くものは、蜀の北部、宕昌(たうしやう)にも産する、いづれも冬季氷の下に在るものの如くはないので、十二月、正月の早朝に取る。
恭曰く、今は雍州南山の溪水、及び華州山谷の谷間に出る。葉は葵に似て大きく、叢生するもので、花は根の下に出る。
頌曰く、今は關中にもある。根は紫色、葉は萆薢*(ひかい)に似てゐる。十二月黃花を開き、萼は青紫色で、土から一二寸出たばかりには、菊花の萼のやうだ。通直で肥え實する。子は無い。陶氏の所謂『高麗・百濟に産する』といふものは、この類に近い。又、紅花のものもあって、葉は荷(か)のやうで、斗直の大なるは一升を容れ、小なるも數合を容れ得るものだ。俗に蜂斗葉(ほうとえふ)、又は水斗葉と呼ぶ。蘇氏の所謂る『大なるは葵のようで叢生する』者といふはこの物だ。傳咸(ふかん)の款冬賦の序に『予曾て禽を逐ふて、北山に登る。時に仲冬の月、冰凌谷に盈ち、積雪崖を被ふ。顧見すれば款冬煒然(ゐぜん)として始めて華艷敷く』とあるはこの物だ。  *萆薢:オニドコロ
修治 斅曰く、凡そこれを採取したならば、裏に向かつて花蘂を裹む殻、并に裏にある栗零殼(りつれいこく)のやうなもの、并に枝、葉を棄去らねばなるぬ。かくて甘草水に一夜浸してから、また款冬の葉を取つて裹み纒ひ、一夜置いて晒し乾かし、葉を去つて用いる。
氣味 【辛し、溫にして毒なし】別錄に曰く甘し。好古曰く、純陽である。手の太陰の經に入る。之才曰く、杏仁が使となる。紫菀と配合するが良し。皂莢(さうけふ)、硝石、玄參を悪み、貝母、辛夷、麻黃、黃茋(わうぎ)、黃芩、黃連、青葙を畏る。
主治 【咳逆上氣で善く喘するもの、喉痺、諸驚癇、寒熱邪氣】(本經)。【消渴で呼吸に喘息するもの】(別錄)。【療肺氣心促の急熱、勞欬の絕えず續けざまに出て、涕唾(ていだ)の粘るもの、肺痿、肺癰で膿血を吐くものを療ず】(甄權)。【心、肺を潤ほし、五臟を益し、煩を除き痰を消し、肝を洗ひ、目を明にする。また中風等の疾】(大明)。
發明 頌曰く本經には咳逆に主たるものとあり、古方には為肺を溫め嗽を治するに最要藥としてあつて、崔知悌の久咳を療する熏法では、『每朝雞子ほどの款冬花を取り、少量の蜜を拌ぜて花を潤し、一升入りの鐵鍋に入れ、又一個の瓦碗に孔を一箇鑽(き)り明けて一本の小筆管を挿し、それを鍋に蓋(かぶ)せて氣の漏れぬやうに麪泥を縫い堅め、鍋の下へ火を入れ、少時して筒から出る烟を口に含にで吸い嚥む。若し胸中が少し悶えるときは、頭を舉げ、筒口おば手にて押さへて烟を漏さぬやうにする。煙が盡れば止める。此の如く五日間一定してこれを試み、六日目に、羊肉の餺飥(はくたく)一頓を飽食すれば永く瘥える』とある。
宗奭曰く、長い間嗽を病んだある人が、ある者から、款冬花三兩を燃やし、風の無い處で筆管でその烟を滿口に吸つて嚥むがよいと教へられ、それを試みて、數日にして果して效果があつた。
附方 新二。
【血を帶ぶる痰嗽】款冬花、百合を蒸し焙じて等分を末にし、蜜で龍眼大の丸にし、就寝時に一丸づつを嚼んで薑湯で服す。(《濟生方》)
【口中疳瘡】款冬花、黃連等分を細末にし、唾で調へて餅にし、先づ蛇牀子*の煎湯で口を漱いでから、餅を傅けて少頃の間しかと押へ付けて置く。その瘡は立ろに消する。(楊誠《經驗方》)」とある. *蛇牀子:ハマゼリ


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百科事典として名高い★明王圻 (1592-1612) 纂集『三才圖會 全百六卷 巻之草木三』萬暦37(1609)序刊 には,「夏 款冬花
款冬花出常山山谷及上黨水傍今關中亦有之根紫色
莖青紫葉似萆薢十二月開黄花青紫萼去土一二寸初
出如菊花萼通直而肥實無子又有紅花者葉如荷而斗
直大右容一升小者容數合俗呼為蜂斗葉又名水斗葉
十一月採花陰乾或云花生於氷下正月旦採之一名橐
吾一名顆凍一名虎鬚一名菟奚一名氐冬味辛甘溫無
毒潤心肺益五藏除煩補勞消痰止嗽吐血心虚驚悸洗

肝明目及中風等疾」とある.


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清末★呉其濬(1789-1847)著の『植物名實圖考』三八巻(1848)と『同長編』二二巻(1880頃)は,薬草のみならず植物全般を対象とした中国初の本草書として名高い.『図考』には実物に接して描いた,かつて中国本草になかった写実的図もある.この書の隰草巻之十一には「款冬花」の記事があるが(右図),その図は★『頭註国訳本草綱目』(1929)第十六巻 草之五 隰草類 款冬花 に牧野富太郎が頭注に「植物名實図考巻ノ十一ニアル款冬ノ圖ハつわぶきヲ畫イタモノデ眞物デハナイ.」と指摘しているように,カントウではなく,ツワブキである.この頃は日本と中国の本草家・本草書の交流が盛んだったようなので,日本の「款冬=橐吾」の誤考定が影響を与えたのかもしれない.