2016年4月14日木曜日

款冬・フキタンポポ-2/3 奈良時代-江戸中期.新撰字鏡,本草和名,延喜式,医心方,和名類聚抄,色葉字類抄,本草色葉抄,下學集,多識編,菜譜,大和本草,和漢三才図会,本草正譌

Tussilago farfara
1978年3月 英国ケンブリッジ
中国で重要な薬草とされていた欵冬の情報は,本草書の記事として飛鳥時代には渡来していた.即ち飛鳥時代(592-710)初期までに陶弘景の『本草経集注』(500頃成) が伝来し,さらに,奈良時代天平年間(723 年~731 年頃)には,第9次遣唐使(717-718)がもたらしたらしい『新修本草』(659)も渡来.『続日本紀』の延暦6(787) 515日条には典薬寮の上奏文として,『新修本草』は『本草集注』を包含したうえ100余条を増加しているので,今後は『本草集注』を用いないと記されている.これ以降,平安時代にかけて『新修本草』が本草書の第一テキストの地位を占めた.

これら本草書に記載されていた植物・動物・鉱物は,その記述から日本産の自然物に当てはめられたが,この考定には誤りが散見された.特に日本には産しなかった欵冬は,フキ,フキノトウと誤って考定された.しかし冬にキクに似た黄色い花が開くとの記述が本草家を悩ませた.

現存する最古の漢和辞典,892年(寛平4年)に3巻本が完成したとされる★僧昌住編『新撰字鏡』(昌泰年間,898- 901)羣書類従. 巻第497(下)には,「欵冬」の記載は見出せなかったが,「蕗」には,「不々攴(フフキ),●(蕗の下に木)同」とある(左図,NDL).これが磯野によるフキの初見とされる.
長く忘れ去られた書物であったが,18世紀後半に再発見され,1803年に刊行された(享和本).しかしこれは抄録本であり,後により原本に近い天治元年(1124年)の写本が発見された.古い和語を多く記しており,日本語の歴史の研究上できわめて重要である.また,平安時代になると失われた上代仮名遣いのうちコの甲乙を区別していることでも知られる.

日本最古の本草薬名辞典である★深根輔仁撰『本草和名』延喜年間(901 - 923年)は,『新修本草』の薬物名とその配順に従い,70余の中国書から薬物の別名を網羅.各々には和名を同定して万葉仮名で記し,国産のあるものは産地まで記してある.中国本草学の本格的受容は,まさしく同書によって口火が切られたといえよう.その書の「第九巻 草中卅九種」には「款冬 楊玄操音義作東字 一名 橐吾 一名 顆東 一名 虎鬚 一名 菟奚 一名 氐冬 楊玄操音丁礼反 一名 於屈 出釈藥性
一名 耐冬 出兼名苑 一名 苦莖 一名 款凍 已上出廣雅 和名 也末布々岐 一名於保波」とあり,和名は「ヤマフフキ,一名オホバ」であるとした.この書により,「款冬」の和名が「ヤマフフキ」とされた.

一方★『延喜式』(927編纂開始,967に施行)の「卷第卅七 典藥寮,諸國進年料雜藥」には,東海道の二国から,薬用として,「欸冬花が納められたとある.相摸國,卅二種。(中略)瓜蔕二兩,欸冬花九斤,白頭公一斤(後略)。武藏國,廿八種。(中略)甘遂一斤,欸冬花十兩,瓜蔕五兩(後略)」しかし,欸冬は日本には自生していないので,これはフキノトウと考えられ,宮中にて薬用として用いられていたことが伺われる.
一方,フキは,宮中で食用とされていて,同じく『延喜式』の「卷第卅九 正親司、膳司」の「供奉雜菜」には,「二把,【准二升,五、六、七、八月。】,漬年料雜菜。二石五斗,【料鹽一斗,米六升。】」の記事があり,また,「耕種園圃」には,「營一段,種子二石,惣單功卅四人。耕地二遍,把犁一人,馭牛一人,牛一頭,料理平和二人,糞百廿擔,運功廿人,殖功二人,【九月。】芸二遍,第一遍二人,【三月】第二遍二人。【六月。】刈功四人。三年一殖。」とあり,蔬菜として育てられ,調理保存され,漬物として供されていた.

『新修本草』を基本に,国産で和名もすでにある常用品に焦点を定め、編纂した日本化した本草書★丹波康頼(912 – 995)撰『医心方』(984年(永観2年)朝廷に献上)の「第九巻 草ノ中ノ下 三十九種」には,「12 和名也末布々岐 又於保波 (和名ヤマフフキ。又、オホハ),1款に通ず。 2傍注に「或作東」」とあり,『本草和名』を踏襲している(右図,NDL).

平安時代中期の辞書,★源順『和名類聚抄』(931 - 938),那波道円[]1617)の「巻第二十 草木部」には,「款冬 ヤマフヽキ ヤマブキ
本草云款冬 一-虎鬚,一-(レ) 和-名 夜末不々木,一云夜末不木,萬--云 山--花」とあり,この書を元に,「款冬=ヤマブキ=山吹」との誤考定が一般化したようだ.

平安時代後期の古辞書である三巻本★橘忠兼編『色葉字類抄』(文政10 (1827) 光棣(), 享保8年日野資時書写本の写本)の「中巻,也」の章「○殖物」の項に「款冬(クハントウ) ヤマフキ 或作東也 万本●伎? 虎鬚 山吹花(万葉集用●)金銭(已上)橐吾 顆東 菟奚 五冬(楊玄操音丁礼反)於屈(出擇(●●)藥性)耐寒(出藥名苑)已上ヤマフキ 名オヽハ」とある(WUL).また同書の「黒本本・也部殖物門中卷」には,「欵冬(クハントウ) ヤマフキ/黄花八重 乕鬢同山吹花同」とあるとの事(確認できず).

鎌倉時代中期の本草薬名辞典★惟宗具俊『本草色葉抄8(1284) 内閣文庫本 第四冊 具部第廿八.には,「款冬花 證九味辛甘温元
一名橐吾 顆東(又凍)虎鬚 菟奚
氐冬 蜂斗葉(葉如荷而斗直大者容一升小者數合俗呼為-蜂斗葉-又名水斗葉) 水斗葉(見上葉之?)
於屈(釈藥性) 鑚凍(衍義云雖在氷雪中主時亦生)」とあり,漢本草書ほぼそのままの記述が残り,和名は特にない.

室町時代の古辞書,東麓破衲編『下學集』(1444成立)には,「○欵冬(クワンドウ)フキ枳莖(キキヤウ)フキ菜(サイ)ナリ也。本草ニ云ク欵冬十二月有リレ花。其ノ色黄()或ハ紫(ムラサキ)。其ノ味イ苦(ニカシ)也。三躰詩(―テイシ)ニ云ク僧房(―バウ)ニ逢著(ブチヤク)欵冬花(クワ)。出テテレ寺ヲ吟行スレハ日已(ステ)ニ斜(ナヽメ)ナリ。十二街中(カイ―)春雪遍(アマネシ)。馬蹄(―テイ)(―)去テ入ラン(タレ)カ家ニカ。按(アン)スルニ此ノ詩ヲ十二月ノ之花至ル暮春雪ノ時分ニ也。然ルニ我カ朝ノ朗詠集ニ清愼公ノ詩ニ云ク欵冬誤(アヤマツ)テ綻(ホコロフ)暮春ノ風ニ。何ンソヤ哉。所詮(―セン)日本ノ之俗皆以テ山吹(―フキ)謂フ欵冬ト。山吹ハ即チ酴釄(ドビ)ナリ也。其ノ色黄()ニシテ而如シ緑酒(リヨク―)也。清愼公ノ之作モ亦タ誤テ欤()。酴釄(ドビ)ヲ謂フ欵冬ト也。其ノ詩ノ意ニ云ク此レ花ノ名也。若(モシ)是レ欵冬ナラハ何(ナン)ソ綻(ホコロビン)暮春ノ風ニ()。咎(トカメ)欵冬ノ字ヲ而云フレ尓(シカ)耳(ノミ)。詩ノ意雖トモ二工(タクミ)ニ用ユト一上ノ故事(コジ)ノ誤リ矣。可シ(ベン)之ヲ。」と,三躰詩を引いて,山吹とは黄色い花との記述は合うが,咲く季節が全く異なるので,山吹ではないとした.

★林羅山『多識編』羅浮子道春諺解『新刊多識編巻之二 古今和名本草並異名 湿草部第二』 (1649)には,「款冬 夜末布岐 叉称於保波 今案布岐 又案黄有美豆布岐之名 故以款冬在陸地曰也末布岐 叉一種花似酴醿者亦曰也末布岐是同和名而異物也古人於万葉中多詠其花因假其字而書之耳非以似酴醿者為款冬也 万葉多借用字不少後人不辧之 公任朗詠載款冬是已誤矣况其餘哥乎〔異名〕氐冬(シドウ)別録 菟奚(トケイ)尓-雅」とあり,「款冬」=フキであるが,黄色い花をつけるツハフキでもある.一方万葉集のヤマブキを款冬としている事,朗詠集に載っている公任の歌も誤りでるとしている.
酴醿(ドビ):トキンイバラ

★貝原益軒『菜譜 中巻』(1704)には,「款冬(ふき)旱(ひでり)をおそる.(略)本草綱目に,款冬の説詳ならざる故,ふきを款冬(くわんとう)にらずといふ人あり.李時珍が食物本草註を見るに,款冬なる事,うたがひなし.ふき初て生じ,葉小なるを銭ふきとて,葉ともに食す.二月より,四月まで,莖を食す.(以下略)」とあり,款冬=フキを力説し,その根拠として李時珍の『食物本草註』を挙げているが,確認できなかった.

稲生若水(1714) 新校正本+本草圖巻
★貝原益軒『大和本草 巻之九 草之五 雑草類』(1709) には,「橐吾(ツハ) 莖葉款冬ニ似タリ一名山フキト云 (略)コレヲ款冬ト云人アリ誤也 稲生若水曰急就章所云橐吾是ツハナラン.今按急就章ニ橐吾似款冬ニ而腹有絲生ス陵地ニ華黄色トイヘリ是ツハナルヘシ莖ニ絲有コトモ款冬ノ如シ本草款冬花ノ異名ヲモ橐吾ト稱ス急就章ニ似ル款冬ニトイヘリ然レハ款冬與橐吾不同.」とあり,款冬は橐吾ツワブキではないとして,急就章の文を根拠としている.
なお,「急就章」は漢代に学童が文字を覚えるために作られた古字書で,日用語を姓名・衣服・飲食などに分類して,暗誦しやすいように三言または七言の句の韻文で綴ってある.卷第四に以下のような文がある.「半夏皁莢艾橐吾。芎藭厚朴桂栝樓。款東貝母薑狼牙。」(明毛晉輯『急就篇(津逮祕書)崇禎中刊)

当時もっとも著名だった本草家★稲生若水校『本草綱目41冊』(1714) 新校正本 には,「款冬花 フキ」とあり,更にその附録である『本草圖卷 巻之二』には,「欵冬花本經中品 黄花ノ者 紫花ノ者 花-腹ノ中ニ絲有テ欠ス 正月旦花(ヲ)采(ル)」と三種の款冬花の図が納められている(右上図,NDL).図の出典は探しきれなかった.

★寺島良安『和漢三才図会 巻第九十四の末 湿草類』(1713頃)には,
款冬花(フキノシウトメ)
本草、百草ノ中惟ダ氷雪ヲ顧ミズ、最モ春ニ先ンズ。葉ハ萆薢(トコロ)ニ似テ十二月ニ黄ナル花ヲ開ク。青紫萼ノ土ヲ去ルコト一二寸,初出ハ菊ノ花ノ萼ノ如ク直ニ通ジテ肥実シテ子無シ。根ハ紫色、花ヲ見ル者ヲ順(モ)ッテ微シ薬ト為ス。或ハ云フ、葵ニ似テ大キク叢生スト。又,紅花ナル者有リ。葉ハ荷(ハスノハ)ノ如クニシテ斗直、大ナル者一升ヲ容レ、小ナル者数合ヲ容ル。俗ニ呼ビテ蜂斗葉ト為ス。(又ハ水斗葉ト名ヅク) 共ニ春時人採リテ以ッテ蔬ニ代フ。其ノ腹ノ裏ニ糸有リ。
気味(辛ク温) 純陽、手ノ大陰経ニ入リ欬逆ヲ治ス。古方ニ用ヰテ肺ヲ温メ、嗽ヲ治スノ最ト為ス。(杏仁ハ之レガ使ト為ル。紫苑ヲ得テ良シ。皀莢、玄参ヲ悪ミ、麻黄、黄芪、黄芩、連翹、育箱子ヲ畏ル).
△按ズルニ、崔馬錫ガ食経ニ云フ、蕗(和名布布木)ハ葉ハ葵ニ似テ円ク広シ。其ノ茎煮テ之レヲ噉(クラ)フベシ。款冬(和名、也末布岐)ハ此レニ拠レバ、則チ款冬ハ即チ山蕗(今云フ豆和)、冬ニ至ルモ亦タ葉凋ミ落チズ。本草ニ二物分別セズ。然レドモ図スル所ハ蕗ナリ。(薬ニ入ルル款冬ニハ蕗ノ姑ヲ用ウベシ)
蕗ノ初生ノ菜ハ萆薢ニ似テ叉尖リ無ク、大カザルノミ。
根(苦ク平) 倭方ニ海人(マクリ)草、款冬(フキノ)草根、甘草(以上三味)ヲ水ニ浸シ、湯煎ニシテ初生ノ児ニ用ヰテ云フ、能ク胎毒ヲ去ルト。(本草ニハ根ノ気味ノ功ヲ載セズ)」とあり,「款冬花=フキノトウ」と考定する一方,
「豆和(ツワ)
△按ズルニ、豆和ハ即チ欺冬ニシテ蕗ノ一種ナリ。茎葉ノ形状相似テ花大ニ異ナル。
ハ、茎、青白ク溝有リテ、靭(シナ)ヒ、葉、薄ク軟カニ浅青ク潤ハズ秋冬ニ枯死ス。
款冬ハ、茎灰紫、溝無クシテ脆、葉厚ク硬ク深青ク光沢アリ・冬モ亦タ凋マズ。
ハ、花冬根ノ下ヲ出ヅルコト一二寸、蘘荷笋ノ如ク,開キテ舒(ノベ)レバ淡白、蘂無シ。
歓冬ハ、花秋茎ヲ抽キテ朶ヲ作スコト二三寸、菊花ノ萼ノ如ク・開ケバ単ニシテ正黄、蘂有リ。
茎葉ヲトリテ煠(ユ)デ淘(アラ)ヒ苦汁ヲ去疏ト作ス。其ノ葉魚毒ヲ解ス。河豚(フクトウ)魚ノ毒ニ中ル者、生ニテ之レヲ噉(ク)ヘバ屡々(シバシバ)効有リ。又、馬ニ飼ヒテ良シ。薊、葛ノ葉ニ劣ラズ、九州ノ人、今モ亦タ毎(ツネ)ニ疏菜ト為シテ之レヲ食フ。
太加良古(タカラコ) 山中ニ在リ。葉ハ蕗ニ似テ花ハ豆和ニ似タリ。三月ニ花ヲ開キ、根、葉、茎ヲ連ネテ洗薬ノ中ニ入レ,折傷(ウチミ)及ビ麻痺ヲ洗フ。但シ葉ノ本ト茎ニ○(衣篇に金,読みエリ)有リ。」とあり,フキとツワブキを比較して,漢文献の款冬の記述との整合性を両方で合わせようとの苦心が伺える.

★松平秀雲著『本草正譌』風月荘左衞門 (1776) には,「欵冬花 ヤマフキ 芡*ヲミツフキト云ニ對ス 古人欵冬ヲ棣棠トスルハ誤ナリ 綱目釋名橐吾誤ナリ 橐吾ハ急就章ニ出ツ 俗名ツハ是ナリ 又有紅花者 近來蝦夷フキト稱スル者莖赤花亦紅色ヲ帯フ 是ナリ」とあり,また「棣棠花 和名ヤマブキ畫譜ニ出ツ古人欵冬ヤマブキト訓ス非ナリ」とあり,「欵冬=ヤマフキ≠ヤマブキ(山吹,棣棠)」とし,またツワブキとするのも誤りとしている.*芡:ケン,オニバス

このように,江戸時代までは欵冬をヤマブキとする事には否定的であったが,一方フキと考定するのが一般的であった.現在の薬用植物図鑑等を見ると,フキ及びフキノトウにも欵冬同様の薬効,特に鎮咳作用があるとされているものもある.

款冬,フキタンポポ-1 中国本草書,神農本草經,金匱要略,神農本草經,本草經集注,新修本草,本草圖經,周憲王救荒本草,本草綱目,三才圖會,植物名實圖考

次の江戸後期-大正の記事に,牧野富太郎の「款冬=Tussilago farfaraと同定し「フキタンポポ」と和名をつけた文献も登場する.

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