2017年8月10日木曜日

カタクリ(8)江戸晩期-2 屋代弘賢『古今要覧稿』第5巻 草木部 下 かたかこ

Erythronium japonicum

古今要覧稿 内閣文庫 128 カタカコ
『古今要覧稿』は屋代弘賢(やしろひろかた,1758 - 1841)がまとめた類書(諸事項を部門別にし,解説・考証を加えた書).
文政4年(1821),幕府の命により弘賢が中心となり,巻数およそ1000巻の予定で編集を進めたが,その死により未完成に終わる.事項は神祇・姓氏・時令・地理など20部門別に意義分類して、その起源や沿革などに関してまず総説を述べ、古文献の記述や本題にちなむ詩歌を引用し、別名などを示す.引用が豊富でしかも詳しい.その内容の真偽に関しての弘賢の見解も示され,日本初の本格的な類書といえよう.

この書の第四百四巻の草木部の「かたかこ」の章に,カタクリが詳しく記されている.内閣文庫から公開されている『古今要覧稿』ではそのページ数は十を超える.流麗な文字で記されているので,以下のテキストは,NDLからデジタル公開されている国書刊行会刊(明38-40)の活字本による.また個人的な判断で,適宜,句読点や空白,改行を加えている.

特に興味深いのは,「釋名」の項で,数多くの地方名が収載され,その語源が説かれている.なかには,「カタカゴ」の名の由来になりそうな「片葉鹿の子」(葉が一枚しかない時期が長い+カタクリの葉の斑点)がある.
引用されている文献で特に阿部将翁著の『上言堅香子辧』は参考になりそうなので Net で探してみたが,今のところ残念ながら見いだせなかった.

『古今要覧稿』 「第四百四
●草木部
 かたかこ ゐのしり かたくり 山慈姑
堅香子は萬葉集にみえて今の世にかたくりといふ物なり.漢名を山慈姑といふ.凡仙覺抄よりこのかた歌,よむ人々はこの草をしるものまれなるに,みちのくの南部より此根を粉となして奉りしは寛文の頃を始とし 上言堅香子辧,阿部將翁*が下野ふたら山におのれとおひ出しを採りて物に植え奉りしは,享保の頃を始とす 同上.叉大和國八智よりもおなじく粉に作りしを奉つるといへり 千金方藥註.これはその始たしかならずといへ共にいづれにも寛文よりこのかたの事なるべし. 扨かたくりはふたら山のみならず,いづくの深山にもいとようおひづる物にして,葉の狀は大葉子(オオバコノ)葉の如くまどかにて稍長く,また甜野老(アマトコロノ)葉に似て色青くして,すべてしろみをおびおもてに紫黒色の斑あり.其根の嫩(ワカ)き時はたヾ片葉にて年ふるものは二葉になる.花は片葉のうちには咲ず,二葉ならびいづるものはかならず二月の頃,其葉のなかより四五寸ばかりの莖をぬき出て花をつく.狀つヽじあるひはゆりなどのはなに似て,さかしまに垂れ,はなびらはかみにそりかへりて,色は薄紫なり.叉こむらさきも有しろきもあり,近きあたりにては鼠山大宮八幡の境内にいと多し.

萬葉集巻第十九云
「攀二折堅香子草花一歌一首 
物部能八(もののふのや)十乃●嬬等之挹亂寺井之於乃堅香子之花 ( ●=女+感)(そのをとめらが くみまがふ てらゐのうへの かたかごのはな)」
〇仙覺抄にこの歌落句古點にかたかしの花と點ぜり.是をかたかこの花とよむべし.かたかこ叉はゐのしりといふは,花咲草なり.其花の色は紫也云々.按に攀は山にのぼるをいひ,折は花に莖をそへて採をいふ.此攀折の二字によりて或はかたかこをかたかしとはおもい誤れるものなるべし.

上言堅香子辧云 私儀*此堅香子堅くりと申もの,享保年中下野國日光産より始て取出し獻上仕候.此草は本朝固有の物にて,奥州南部より根を製し獻上に相成候.其譯は能存候.南部より獻侯は寛文年中よりの事に御座候.

採藥使記云 奥州南部ニカタクリト云草アリ.其形百合ニ似タリ.花モユリニ似テ紫色.正二月ニ此花サク.其根ヲトリ葛ノ如ク水飛シテ,水ニテ子リ,餅トシテ食フ.葛ヨリハ色白ク,甚ミゴトナル物ナリ.土人専ラ久痢ニ用ヒテ益アリト云ナリ.

千金方藥註云 山慈姑ニ車前葉韭葉ノ二種アリ.車前葉ノ者ハ和名カタコ一名カタクリ.山城叡山四明洞下八瀬,陸奥ノ南部,大和ノ八智河上ノ山ヨリ出ヅ.南部八智ノ者ハ粉ニ造リ毎年宮ヘ獻ズ.二月ノ初ニ生ズ.葉ハホトヽギス草ニ似タリ.又萎蕤ノ初生ニ似タリ.淡青色光アリ.根淡黄色.蒜ニ似テ小ナリ.根地ニ入ルコト深シ斷ヤスシ.生ニテ食フベシ.三月紅白暈單辧ノ花ヲ開ク.一莖一花,形ユリニ似テ辧長シ.花謝シテ實ヲ結ブ.四月苗枯ル.翌年宿根ヨリ生ズ.韭葉ノ者ハ和名アマナ,一名ムギグハイ.上加茂社前芝原妙心寺邉其外處々ニ生ズ.

本草綱目啓蒙云 蔵器ノ説ニ葉似二車前一トハ車前葉山慈姑ナリ 深山ニ多ク生ズ 葉ノ形萎蕤葉二似テ、厚ク白緑色 面ニ紫斑アリ 嫩根ノモノハ只一葉ナリ 年久キモノハ二葉トナル 二葉ノモノハ二三月兩葉ノ中間ニ一茎ヲ抽ヅ 高サ五六寸 頂ニ一花ヲ倒垂ス 大サ一寸半許 六出淡紫色 蕾ハ紫色深シ 形山丹花ニ類シテ弁狭細クシテソノ末皆反巻ス 叉稀ニ白花ナル者アリ 花謝シテ實ヲ 結ブ大サ三分許形 圓ニシテ三稜アリソノ色亦白緑ナリ 根ノ形葱本ニ似テ白色性寒ヲ喜 故ニ東北ノ地方二産スルトコロノ者苗根最肥大ナリ 土人其根葉ヲトリ烹熟シテ食フ 叉根ヲ用テ葛粉ヲ造ル法ノ如ク製シテ粉ヲ取ル 甚潔白ニシテ葛粉ノ如シ 餅トナシテ食フ カタコモチトヨブ 奥州南部及和州宇陀ヨリ此粉ヲ貢献ス カタクリト云

本草綱目引二藏器一云山慈姑生二山中濕地一葉似二車前根一如二慈姑一又引二大明一云零陵間有二一種團慈姑一,根如二小蒜一

〇釋名
堅香子 萬葉集
〇名義詳ならず.強ていはヾ.堅は片字の意にて片葉の略.香子は鹿子にして斑文あるをいふ.此草はじめ生出て,一とせニとせのうちはすべて片葉にて,狀おほはこの葉に似てしろみを帯,なかにわきて白き筋及び紫のまだらある.故に片葉鹿の子といひしなり.凡鹿の子は伊勢物語の歌にも鹿,の子まだらに雪の降らんなどみえて,白斑の物をいふは常なれども.それより轉じて花の色白くして赤斑點あるゆりを鹿の子百合といへるたぐいひもあれば,かならず白斑のみかぎりていひしにはあらざるべし.既に鹿は黄質白斑と本草にみえたれば,まことの鹿の子まだらはさなくばいひがたかるべきにても其儀はをしはかるべし.
ゐのしり 萬葉集抄
〇按に大和本草にゐのしりを猪舌に作るによれば篤信のみなり.仙覺抄の利字は全く多字なる事しるし,これは之多字を片假名にてシタとかきしタ字のなかの一點の落しよりあやまれるものなるべし.志かれば猪舌は眞葉の狀を以て名付けしものなれば,なほ大葉子を牛舌草といひ小車を狗舌草と云へる類なり
かたこゆり 常毛採藥録
〇かたしはかたかこの略.ゆりはこの花百合に似たるによりて也
かたつは 同上木曽方言
〇つは音便にて卽片葉の義なり
かたくり 堅香子辧採藥使記千金方藥註南部方言
〇これはかたこゆりといふ名のつヾまりたるなり.こゆの反くなるにて其義はあきらけし
はつゆり 採藥使記千金方藥註江戸方言
〇採藥使記註に此草正月の頃花さく故に初ゆりと名づく
ぶんだいゆり 同上
〇此草は少さき草いで其花のうつくしさ,文机の上などに置てめづべきものなるによりて,かくは名付しなるべし
かぜふきぐさ 千金方藥註越前湯屋峠方言
〇論語に草加二之風一必偃といへるが如く,此草一葉のものもニ葉のものもすべて直立せず,其狀全く風をうけてふしたるが如くなるによりて名づく
むかごからむし 同上若狭木芽峠方言
〇名義詳ならず
ねずみゆり 同上西國方言
〇名義上におなじ
くわい 同上攝津方言
〇慈姑をくわいといへばこれもしかいへるものなるべし.井を伊と書るは原より俗語なればなり
くわ 同上北國方言
〇卽くわいのいを省きしなり
かたはな 同上北國方言
〇片葉菜の儀と.叉はかたかごばなのつヾまりたるなるべし
だいぼせ 同上伊豫大洲方言
〇卽ぶんだいゆりの儀にて,だいのぼせの略なるべし
かヾゆり 本草啓蒙江戸方言
〇かヾは國名にや,またはかたかごゆりの略にや
かたゆり 同上
〇かたこゆりの略なり
こむへいる 同上下野日光方言
〇名義詳ならず
こむへいろう 同上
〇按に日光の方言こむへいろといへる名堅香子辧に見えたり
山慈姑 本草拾遺 嘉祐本草
〇此草,山中に生じて,根の狀水慈姑の如し.故に名づく.されど此根は細長きかたにて,全く水慈姑の如く正圓ならずといへども,そのおほよそを以てしか命ぜしなり.これは千金方藥註に,かたごは根蒜に似て小なりといひ,佐渡國上にかたはなの根は水仙に似たりといへるも,またそのおほよそを以ていひしにても,其義はをしはかるべし

 〇正誤
古今六帖               大伴宿禰家持
 武士の八十をとめらかふみとよむ
              寺井の上の堅かしの花
〇按に「くみまがふ」を「ふみとよむ」と改作りしは,攀折の攀を誤りて木にのぼる事とせしによりての事なるべし

新撰六帖
妹かくむ寺井の上の堅かしの                      衣笠内大臣家良公
              花咲ほとに春そなりぬる
 誰か見む身をおく山に年ふとも                   前藤大納言爲家
              世に逢ことの堅かしの花
小車のもろ輪にかヽかる堅かしの                九条三位入道知家
              いつれも強き人こヽろかな
かつはまた岩にたとふる堅かしも                   左京太夫行家
              つれなき人の心にそしる
人こヽろなへておもへは堅かしの                   右大辧入道光俊
              花はひらくる時もありけり

按に以上六首は萬葉集の舊き點により木なりとおもひしなり.古より甜檮白檮葉廣熊檮などいへる事あれども,かたかしといふ名はみえず.かしは諸木にすぐれて堅強なるものなれば,かたかしともいふべけれど,既にかしといへるは,卽かたかしといふ意にておふせし名なるべければ,それを重てこの木の名とせんはいかヾあるべき.されば仙覺抄の説のごとく,かたかごとよめるにしたがふべし.堅香子辧また右の歌を載せて,古今六帖新撰六帖共に堅香子の子を字音にて,橿と申木のことヽ心得しは誤にて御座候.萬葉集等の目安にも,堅香子の花はつヽじに似たる草なりと御座候へば,別に心得違も有間敷様に奉存候.なるほど堅香子の花はつヽじによく似申候草に御座候.先年鉢植に仕獻上仕入二上覽一候事御座候云々

大和本草云ウ カタコ 高二尺許莖紫色葉面ニ有二黒點一花.カザグルマノ如シ紫色ナリ.比叡山ニアリ.正月ノ末開レ花尤美シ.根ノ形芋ノ如ク又蓮根ノ如シ.若水云 本草紫參下ニ出タル旱藕ナルヘシ

按に凡かたしは其莖高きものといへ,共僅に六七寸に過ざるものなるに,今二尺許といへるはおそらくは傳聞の誤りなるべし.陸奥南部のものといへ共さはおい出ざるよしなれば,いかで比叡山あたりのものヽしか生出る事やはある.また其花風車の如く,根蓮根の如しといふもかなはず.按に本草啓蒙に,古説に此草を旱藕とするは穏ならずといへり.これはいとよき考なれども,大和本草かたこの上に和品としるせしによれば,其實は篤信も若水の説をよろしとせしにはあらざるべし.

叉云萬葉集十九攀二折堅香子草花一歌アリ古抄ニ云香子ハ猪舌トモ云春紫色ノ花ノサク今按ニ是カタコナルカ

新撰六帖ニモカタカコノ歌アリ
按に新撰六帖にはかたかしと有.こヽにカタカコと書しは誤なるさるは,古今六帖に萬葉の歌を古點のまヽにかたかしとのせたるゆへに,新撰には木なりと思ひて橿の字を用ひたるなり.

採藥使記注云 カタクリハ花萎ミテ後ニ葉ヲ生ズ花ノ時葉ナキ故ニ姥ユリトモ云
按に此説あやまりなり.かたくりは先葉を生じて,後に莖をぬき出て花さくものなるに,今花萎みて後に葉を生ずるといふはうたがわし.且姥ゆりは舊説に,象山其母に擬せしものにて,かたくりの名にはあらざるべし.

本草啓蒙云 山慈姑和名アマナ,車前葉山慈姑和名カタクリ,叉云團慈姑ハ常ノ山慈姑ナリ
岡村尚謙**云.かたくりは卽山慈姑にしてあまなは一種の團慈姑なり.凡山慈姑のはじめてものにみえしは臓器本草なり.其葉似二車前一といへはかたくりは卽山慈姑にして,正に本條たる事明けし.また其根如二慈姑一といへど,其實は根の狀細長くして,葱本に似たるもの故に,日華本草に有二一種團慈姑一根如二小蒜一とみえたり.これはかたくりの根の細長きにむかへて,團といひ,且それを以て一種とはいひしなり.然るを皇國諸家の説ふるくより,團慈姑を本條とし,本條の山慈姑を以て車前葉の三字を冠して一種とせしは,全く時珍の説の誤りをうけて,臓器の説をよそにせしものなれば,謬誤殊に甚しされど,松岡子敕ひとりは其父恕菴の説を敷衍して,嘗て千金方藥註を作りて,山慈姑に車前葉韭葉の二種あり.車前葉のものはかたくりにして,韭葉のものはあまななりといへり.其車前葉のものを以て韭葉のさきに舉しは其説啓蒙よりまされり.

叉云 猪舌 萬葉抄

香子 同上
〇按に萬葉集抄にかたかこ叉はゐのしりとありて香子の名なし.これは大和本草にその抄を引て香子は猪舌ともいふといへる文によりて,遂に抄にも香子は名有とおもひしなり.いはゆる大和本草に香子といひしは,其文の上に萬葉集の歌を引て堅香子とある.そのくだり故に堅字を省きて,ただ香子と書しなり.然るを抄にも其名有とおもへるはひが事なり.」

*阿部将翁:?-1753 江戸時代前期-中期の本草家.延宝のころ大坂への途中台風にあい清に漂着,その地で医術,本草学をまなんだという.帰国後幕府の採薬使として全国を踏査した.宝暦3年1月26日死去.没年齢には88歳,104歳などの説がある.陸奥盛岡出身.名は照任(輝任).字は伯重.通称は友之進.著作に「採薬使記」「御薬草御用勤書覚」など.弟子に田村藍水がいる.平賀源内は孫弟子.

**岡村尚謙:?- 1837 江戸後期の医者,本草家.名は遜,号は桂園.下総高岡藩(千葉県)藩主井上正滝に医家として仕える.江戸下谷に住み,文化14(1817)年岩崎灌園に入門して本草学を学ぶ.屋代弘賢の『古今要覧稿』の物産説の編集に灌園と共に協力.旧聞にとらわれず新見を求める姿勢を保ち,李時珍の『本草綱目』(1607年渡来)を批判し,古本草を研究して『本草古義』を著した.これは未完のまま病没したが,同書全3冊は子の元喬らの手で完成した.著作に『秋七草考』『桂園橘譜』『竹譜総論』など.

2017年8月2日水曜日

カタクリ(7)江戸晩期-1 本草綱目紀聞,本草綱目啓蒙図譜

Erythronium japonicum
画像提供:トミーさん 「残り少ない仏具山のカタクリ」
江戸晩期には,カタクリの和製漢名として「車前葉山慈姑」が定着した.
圖はいずれも NDL のデジタル公開資料より部分引用.

『本草綱目紀聞』は,小野蘭山門下の水谷豊文(通称は助六,1779-1833)が,蘭山著『本草綱目啓蒙』植物部の大増補を企てた著作で,項目ごとに『本草綱目啓蒙』の主要な文を転写し,豊文の得た知見・方言を追加,『本草綱目啓蒙』に無い写生図や印葉図も付した.
本記事では,文章は杏雨書屋所蔵の自筆本『本草綱目記聞』全60冊を翻刻した書より引用した.圖はNDLで公開されている『本草綱目紀聞』の部分写本から引用した.
このNDLの写本はその朱筆文に「昌章‥‥」と記す個所があるので,写筆したのは豊文門下の大窪昌章 (1802 – 1841) らしい.ただし,原本は大東急記念文庫にあり,NDL本はその転写本である.

ハツユリ(カタクリ)の項の記述は,殆ど『本草綱目啓蒙』と同一ではあるが,方言や蘭名が追記され,文末には豊文による新たな知見が加えられている.蘭名はホード・タントであるとし,ホードの意味を「頭」,タントは「舌」としているが,これはそれぞれ「犬」,「歯」と思われる.(Google 翻訳の日本語⇒オランダ語では,犬=hond,歯=tand)

★水谷豊文(1779-1833)『本草綱目紀聞』(1833)には,
「ハツユリ                         カタコユリ           カタコ
カタカコ 萬葉集        カタクリ 南部 東濃カシモ           カタグリ
カタユリ                      カタバナ 佐州                                 猪(イ)ノシタ(舌)萬葉集
香子(カゴ) 同上    カガユリ 江戸    ブンダイユリ
コンベイル 日光        コンベイロウ 同上           子ズミユリ 伊勢
イヌノシリダシ 木曽  イヌノマラ 木曽岩ノ郷  カタハ 同
ハマタラクサ 三村    イヌノシタグサ 同           カタカレ
ホード(頭)タント(舌) 【カッコ内は杏雨書屋藏本,NDL 写本にはない】

車前葉山慈姑 山慈姑ノ條 藏器ノ説ニ 葉似二車前一ト云
深山ニ多ク生ス 葉ノ形萎蕤(アマドコロ)葉二似テ、厚ク白緑色 面ニ紫斑アリ 嫩根ノモノハ只一葉ナリ 年久モノハ二葉トナル 二葉ノモノハ両葉ノ中間二一茎ヲ抽テ 清明前後ニ高サ四五寸ニシテ頂ニ一花ヲ倒垂ス 大サ一寸半許 六出淡紫色 蕾ハ紫色深シ
形山丹花ニ類シテ 弁狭細 ソノ末皆反巻ス 又稀二白花ナルモノアリ 花謝シテ実ヲ結ブ 大サ三分許 形円ニシテ三稜アリ ソノ色亦白緑ナリ 根ノ形葱本(ネギノネ)二似テ 白色ナリ 性寒ヲ喜 故ニ東北ノ地方二産スルトコロノ者 苗根最肥大ナリ 土人其根葉ヲ採リ 烹熟シテ食フ 又根ヲ用テ葛粉ヲ造ル 法ノ如ク製シテ粉ヲ取ル 甚潔白ニシテ葛粉ノ如シ 餅トナシテ食フ カタコモチト呼ブ 
奥州南部及和州宇陀ヨリ 此粉ヲ貢献ス カタクリト云

欄外
[野州日光産亦コレト同シ方言カタクリ土人コレヲ採アツモノトス
尾州犬山辺ニテモ同シ]*

古説ニ此草ヲ旱藕トスルハ穏ナラズ

○イノシタハ葉ノ形ヲ以テ名ク 片葉アルモ多シ故ニ カタハユリト云
○南部ニテ モチトス 多食ヘバ筋骨ユルミテ クタフレヲ体ス 亦瘧疾ヲ治ス
○貝母ノ条ニ雷斅曰 貝母中有二独頼団一 不レ作サ二両片一 無レ皺者号シテ曰二丹竜精一 不レ入二薬用ニ- 誤テ服スレバ令ムニレ人ヲ筋脉永ク不ラ-レ収 惟以二黄精小藍汁一服レ之 立処ニ解ス 精 逢原作晴
力タコユリ 貝母ノ如ク根ニ皺ナク 不レ作二両片一 是カタコユリナリト 三村-弁箋
〇春嫩葉ヲ食用トス」とある.
【下線部は蘭山著『本草綱目啓蒙』に無い記事.本文には適宜句読点や空白を入れた.】

★井口望之編,服部雪斎・阪本純沢画『本草綱目啓蒙図譜』 巻之九 草之二 (1849)
「車前葉山慈姑 カタクリ
葉萎蕤ニ似テ厚ク紫斑アリ年久キハ二葉トナリ
莖ヲ抽テ花倒垂ス六出淡紫色又白花モアリ」
【圖は岸和田藩の藩絵師 阪本純沢が描いた.】


井口望之編『本草綱目啓蒙図譜』は小野蘭山『本草綱目啓蒙』巻八・九に記載された植物の図譜.1冊目は巻之八草之一山草類上,2冊目:同附録,3冊目:巻之九草之二山草類下,4冊目:同附録である.各附録は中国本草書『紹興備急本草』(序によれば幕府医官曲直瀬正貞が提供したもの)及び『本草原始』により新たに補った,類品の参考図.編者は岸和田藩侍医で,『本草綱目啓蒙』を弘化4年に重訂した井口楽山(望之)(嘉永3年版,安政5年版あり).
小野蘭山『本草綱目啓蒙』の板木が火災で焼失したために,南山侯(岸和田藩第九代藩主 岡部美濃守長慎,1787-1859)が資金を提供して『重訂本草綱目啓蒙』として復刊させ,併せて『図譜』を制作させたもの.山草部上を藩絵師 服部雪斎が,山草部下を同 阪本純沢が描いた.

服部雪斎(1807 - 没年不詳)は幕末から明治中期にかけて関根雲停等とともに活躍した博物画家.雪斎の生い立ちはよく分かっていないが,谷文晁門下で田安家の家臣遠坂文雍の弟子であることから,雪斎も田安家と関係の深い武家出身である可能性が高い.没年は不明であるが,作品に記された年代から明治20年(1887年)までは生存が確認されている.

2017年7月23日日曜日

カタクリ(6)江戸後期 日光山草木之図,武江産物志,本草圖譜,梅園草木花譜,茅窗漫録

Erythronium japonicum

江戸後期になると,盛岡南部の方言「カタクリ」が一般的に使われるようになり,また,その有用性からか,本草家や随筆家に注目されるようになり,広い範囲の地方でその存在が認められ,多くの方言も記録された.一方,漢名としては,いずれも誤用の「車前葉山慈姑」及び「旱藕」が本草家の間では頻用された.
花の美しさにも目が止められたと見え,実写と思われる精緻な画像が残されている.特に葉の斑点は,これまでの図とは異なり,自然である.
挿入資料画像は NDL 公開デジタル画像よりの部分引用.

岩崎灌園 (1786-1842) は,江戸時代後期の本草家.江戸出身の幕臣.晩年の小野蘭山に師事.多くの地方を旅して,薬草に限らず,植物全般の記録を残した.文政11年,約2000種の植物を収録した本格的彩色植物図鑑「本草図譜」96巻を完成.著作は他に「武江産物志」「草木育種」など多数.

★岩崎灌園『日光山草木之図 第二巻』(1824)  上図左端
「かたく里」

★岩崎灌園『武江産物志』(1824) 上図中央
「藥草 
堀ノ内大箕谷*邉ノ産
フクワウサウ ヤハヅアキアサミ 石龍膽(つるりんどう) サジクサ
車前葉山慈姑(かたくり) 八幡山中 ナガサキ村ニモ 叡山ハグマ 赤山ニモ」
*堀ノ内大箕谷:多摩郡堀ノ内村,現 東京都杉並区堀ノ内か

★岩崎灌園『本草圖譜 第七巻』(1828 自序) 上図右端
「山慈姑

一種 かたく里 南部
武州大箕谷野州日光山にあり 南部尤(もつとも)名産也正月一葉を生す その二葉出るものは花あり 六辧淡紫色百合花に似て細し 日光産は花深紫色 根白色指頭(ゆびのさき)の如く煮て菜となし乾て粉となす 藏器の説に葉似二車前一といふこれなり」
描かれた開花時のカタクリの左の株は『日光山草木之図巻』とほぼ同じ.

毛利梅園 『梅園草木花譜』 春乃部 第三巻 
度々本ブログで引用している,江戸後期の博物家で,画が巧みで,大半が実写である図を多く描いている★毛利梅園(1798 – 1851)の『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 – 1849)『春乃部 第三巻』には,西暦1826年4月7日に武州大箕の八幡宮を望む山林で採取した5莖のカタクリの花を翌日写生した美しくも正確な図とともに
「地錦抄ニハ
カタコ 初百合草
              フンダイ百合

多識編 山草類ニ曰
王孫 和土知恵名波利 異名 牡蒙(ボウモウ)弘景 黄孫 別録
黄昬(コン)同 旱藕(カンクウ) 長孫 海孫 白功(コウ)草
蔓延 王孫
予曰 牡蒙ハ与二紫參一同名也
黄昬ハ与二合歡木一同名

一莖一花二葉也
丙戌年*姑洗**初一日***
大箕八幡宮****望山林
折留四莖翌二日眞
寫
*丙戌:文政9年,1826年.**姑洗:陰暦3月の異称.***初一日:西暦1826年4月7日
****灌園『武江産物志』にある「堀ノ内大箕谷,八幡山中」か.

大和本草ニハ 雑艸 類ニ載

寿*考
本草綱目ニ曰ルハ王孫其葉生二ス
顛項一ニ似二リ紫河車一ニ又似二リト及已一ニ
云ル者ハ別物和漢三才圖會ノ
王孫ノ形又異リ以二王孫一爲二ス王(クチ)
孫(アサイ)一 一名两種王孫一種別種
本綱ニ所レ載ト同シ
*寿:毛利梅園の名,元寿,つまり本人と思われる.」

武江産物志に曰
車前葉山慈姑(かたくり)

異名分類聚に曰
王孫 かたかこの花
              和名つちはり又云すはり草
本草の王孫 釋名 旱藕也云々

予考 つちはりは四月に有れ花者香子とは別物也王孫は俗に立葵と云者也ヱレン草とも云
和俗には かたくり かたこ 初百合 ぶんだいゆり ごんべいろう
                              此は土地に依て謂る歟〇旭山子文會禄に旱藕かたこ〇かたくり〇鼡百合
                              此者一花二葉花は山丹に●(イ+巨)て鼡の毛色と一般故に鼡百合と云其余名義
未詳根は藕に●(イ+巨)て細小く五六歳の小兒の指の如し長さ寸余り云々

大和本草に曰
カタクリ 本草紫參の條に曰旱藕なるよし謂り
萬葉集第十九 攀二-折堅香子(かたかこ)草の花一を哥云々古抄には猪舌とも言

春紫色の花さく今按に香多加子なる歟新撰にも堅香子の哥あり

予曰 萬葉集古今抄新撰六帖和歌六帖●も
              武士乃八十妹乃加汲萬香無(もののぶのやそのいもじがくみまごふ)
               寺井乃上乃堅香子乃波奈(てらいのうえのかたかこのはな)

又萬葉集の堅香子の花は似二る躑躅一に草也とは心得ぬ説なり〇小車乃師輪仁掛
堅香々乃何強人心哉(をぐるまのもろわにかくるかたかかのいつれもつよきひとこころかな) 堅子(かたこ)を堅香(かたか)と讀たる歟」とある.

茅原定『茅窗漫録上巻』 挿図は左下
★茅原定(茅窓,1774-1840))『茅窗漫録(ぼうそうまんろく)上巻』(1833)
「○カタクリ
旱藕
病人飲食進みがたく、至て危篤(キトク)の症になると、カタクリといふ葛粉(クヅ)のごとくなる物を、湯にたてゝ飲(ノマ)志む。近歳一統の風俗となれり。最初何者のいひ出せし事にや。是は本草綱目山草類王孫の釈名に出たる旱藕(カムグウ)といふ草の根(ネ)を製したるものにて、東國、北國より多く出し、奥州南部、加州山中及ヒ越前より出す物、最モ上品なり。
唐書方技傳に、開元ノ末、姜撫言フ、終南山ニ有リ二旱藕(カムグウ)一.餌バレ之ヲ延スレ年ヲ。状チ類ス二葛粉ニ一。帝作シテ二湯餅ト一賜フ二大臣ニ一。右驍衛将軍甘守誠能ク詺ス二薬石ヲ一。曰ク、旱藕(カムグウ)ハ牡蒙也(ナリ)。方家久シク不レ用。撫易テレ名ヲ以テ神ニスルレ之ヲ爾(ノミ)とあり。餌バレ之ヲ延スレ年ヲといひ、陳蔵器の説に、長生不レ飢エ黒ス二毛髪ヲ一といふにより、かゝる風俗となりしと見ゆ。
此草昔は堅香子(カタカゴ)といふ。一名猪(ヰ)の舌(シタ)ともいふ。萬葉集第十九天平感宝元年五月十二日*於テ二
越中国主館一大伴宿禰家持(トモノスク子ヤカモチ)作ルレ之ヲ。攀二折ル堅香子(カタカゴ)艸(クサノ)花ヲ一一首
(モノヽフノヤソノイモラガクミマガフテラヰノウへノカタカゴノハナ)
物部能八十乃●嬬等之挹亂寺井之於乃堅香子之花 ( ●=女ヘンに感)
萬葉目安*に、堅香子花(カタカゴハナ)は、つゝじに似たる草なりとて、
小車の諸輪(モロワ)にかくるかたかゞのいづれもつよき人心
かな コガ通音

(*天平感宝元年五月十二日:萬葉集原文では「天平勝寶二年三月二日」)

新撰六帖にハ堅香子(カタカゴ)を讀ミ誤りて、樫(カシ)とこゝろへ、木ノ部に入れて、萬葉下句を寺井のうへの堅(カタ)かしの花と出せり。此草の形チ、葉ハ和大黄の初生、またハ車前葉(オホバコ)のごとく、一根にたゞ二葉生じて相對す。其葉に淡紫色の斑点(ハムテム)あり。山生は四月頃(コロ)葉間に莖立て、莖頭に六辧の紫花を開く。長サ五寸許リ、径リ一寸五分許リ、唯一莖一花のみ俯(フ)してひらく。百合花のごとし。辧の末ハ上に翻(ヒルガヘ)る。希にハ白花もあり。根ハ葱白又ハ水仙のごとし。
北國能登邉にてハ、此根を採リ煮熟して食に供す。所在は寒國に多く生ずる物なれど、今ハ諸國往々にあり。京都近邉は、叡山、雲母坂(キラヽザカ)、篠原(サヽハラ)の中に多く生ず。嫩(ワカ)葉を摘(ツミ)て漬物となし、菜に充(アツ)。又播州神出山(カムデヤマ)、雄子尾(ヲコ)、雌子尾(メコヲ)の山中に多くある事、播州名所図會に載セたり。
此の根を採(トリ)て葛(クヅ)を製するごとくにし、餅(モチ)とするを堅子餅(カタコモチ)といふ。越前にて多く製す。南都にての製、東府へ献上せらる。又大和ノ宇陀(ウダ)葛屋藤助よりも、おなじく献上す。此ノ草、諸國方言多し。京師にてカタユリとも、初(ハツ)ユリともいふ。東府にてカゞユリとも、フムタイユリともいふ。佐渡にてカタハナといふ。
延年長生の語より事起りて、危篤の病人、一統に服餌(フクジ)する風俗となり、遂には進献供用の物となるも奇ならずや。

茅窗漫録上巻終」