2011年10月21日金曜日

ヒマワリ (1/4) ペルーからスペイン,欧州へ Hearbe of the Sunne, Flower of Sunne, Marigolde of Peru, ロシアでの栽培が盛んな理由

Helianthus annuus
原産地は北西アメリカ.中央アメリカで栽培品種化され広がったと考えられ,紀元前からアメリカ大陸では食用作物として重要な位置を占めていた.ペルーでは黄色い花と形から太陽神の象徴として大事にされ,古いインカの神殿には彫刻がよく見られ,司祭や太陽神につかえる尼僧が金細工のヒマワリを身につけていた.この花を初めて見た西欧人は1532年にペルーへ進攻したFrancisco Pizarroで,スペインの進駐兵はインカの尼僧が胸につけていた黄金製の大きなブローチを貴重な戦利品とした.ペルーに多いので marigold of Peru とも呼ばれたこの花は,16世紀はじめに種が持ち帰られ,ダリアやコスモスなど,新世界の植物が最初にそだてられたことで知られるマドリード植物園で栽培が始まった.


1569年にスペインのニコラス・モナルデス(Nicolas Monardes, 1493 - 1588)がアメリカ大陸の植物に関する最初の本 “Historia medicinal de las cosas que se traen de nuestras Indias Occidentales” を出版したが,その中にヒマワリが出てくる.その後,これをジョン・フランプトン(John Frampton, 16世紀後半に活躍した翻訳家)が英語に翻訳して『新発見の世界からきた楽しい知らせ “Ioyfull newes out of the New-found Worlde”, 1577』という題で出版した(左図は1596年版の表紙,
全文は http://www.botanicus.org/title/b12075176 で閲覧できる).
フランプトンは「この太陽の植物 "Hearbe of the Sunne”」について”This is a notable hearbe, and although that nowe they sent mee the seede of it, yet a few yeeres paste we had the hearbe here. It is a strange flower, for it casteth out the greatest Blossomes and the moste particulars that ever have been seene, for it is greater then a greate Platter or Dishe, and hath divers coloures. It is needefull that it leane to some thing, where it growth, or els it will bee alwaies falling. The seede of it is like to the seedes of a Mellon, somewhat greater, the flower dooth turne it selfe continually towardes the Sunne, and for this cause they call it by that name, as many other flowers and Hearbes doo the like: it sheweth marvelleus faire in Gardens.." 変わった花である.というのは,とても大きな花をつけるからである.しかもこれまでに見たこともないほど変わっているのは,様々な色の大皿よりも大きい花をつけるからで,庭の中で見るとすばらしい」と書いている.



その後,欧州各地に広がり,英国の初期の本草家・園芸家のジェラード(John Gerard aka John Gerarde, 1545 – 1611 or 1612)はヒマワリについて,彼の“The Herball (1597)”に「この大きな花はカミツレのような形で,きれいな黄色の花弁を持っており,その中央部は手入れのされていないベルベットのようであり,針仕事で作られた奇妙な服のようでもある.じっくり見るとこの大胆な作品は,小さなたくさんの花のようで,根元で壊れたロウソク立ての先の部分に似ている.この植物が大きく育つと,花は枯れ,その部分に種子が現われる.種子は腕のよい職人が整頓して置いたかのようにきれいに並んでいる.それはまるでハチの巣のようである.」と記し,その大きさについては「私の庭では十四フィートにもなっている.ある花などは重さが三ポンド二オンスもある.直径が十六インチになるものもある」と自慢をしている(右図,左側).

30年後の英国では,ヒマワリはもうよく知られるようになっていて,パーキンソン(John Parkinson, 1567-1650)は “Paradisi in Sole (1629)” に,「このすばらしい堂々とした植物は,今日では誰でもよく知っている」と書いている(上図,右側).

やがて,庭園での観賞用花卉としての価値は落ちたものの,ヒマワリの種子の重要性が認められたのは 17 世紀に到達したロシアにおいてであった.ロシア正教会は大斎の40日間は食物品目の制限による斎(ものいみ)を行う.オリーブ油を含むほとんど全ての油脂食品が禁止食品のリストに載っていた.しかしヒマワリについては聖書に言及がなかったので,そのリストにはなく,ロシア人たちは教会法と矛盾なくヒマワリの油を食することができた. 19世紀半ばには広く民衆に普及し,ロシアが食用ヒマワリ生産の世界の先進国となったのであった.

ソフィア・ローレンの主演した映画『ひまわり』(“I Girasoli”, Vittorio De Sica. 1970) の舞台になったウクライナの広いヒマワリ畑には,このような宗教的な背景があった(図をクリックすると YouTube のイタリア版『ひまわり』のタイトル場面へリンクし,あのテーマ曲を聞くことができる.と記したが,著作権違反が摘発され,現時点では聞くことは出来なくなった).
(続く).

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