2011年10月6日木曜日

ヒガンバナとシロバナマンジュシャゲ

いつもは赤が先に咲くが今年はほぼ同時に咲いて見事.

10月2日(日)付の朝日新聞の『天声人語』にヒガンバナについて,「またの名を「ハミズハナミズ(葉見ず花見ず)」と言うそうだ。彼岸花のことである。葉が出る前にするすると茎が伸びて花が咲き、葉は花が終わってから出る。葉と花をいちどきに見られないゆえの異名だと、ものの本にある。〈前略でいきなり咲きし彼岸花〉神田衿子▼それ以外にも彼岸花は土地土地で様々に呼ばれ、異名は50を超えるそうだ。「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」はよく知られる。「死人花(しびとばな)」は墓地に咲くことが多いためらしい。わが郷里では、花の形からか「舌曲がり」と呼んだ。この名もどこか禁忌のニュアンスがある」とあった.

ヒガンバナに異名(里名という人も多い)が多いのは良く知られており,それだけ異様な花として目立ち,また生活と密着していたことが伺える.元千葉大学名誉教授栗田子郎理学博士によれば「越谷吾山が安永4年(1775)に著した『物類称呼』に18種、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』(弘化元年、1844)にはすでに47種類」の里呼び名が」ありまた,「その後の山口隆俊をはじめとする多くに人々の精力的な収集により、現在では1000余の呼称が記録されている。例えば、松江幸雄著『日本のひがんばな』の巻末には1090の呼び名が地域別にまとめられている。」「これほど多くの名で呼ばれる植物は他にない。」との事である(http://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/folklore-ethnobotany.htm).博士のホームページには興味深いヒガンバナ属の民俗・文化誌がまとめられている.

小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806)  巻之九 草之二 山草類 下 (東洋文庫)では数えたところ各地方での48の呼称が紹介されている.

石蒜 マンジユシャケ(京) シビトバナ テンガヒバナ(共ニ同上) キツネノイモ(同上下久世 )ヂゴクバナ カラスノマクラ ケナシイモ キツネバナ(備前) サンマイバナ(勢州) へソビ(同上粥見 凶年ニハ団子トナシテ食用トス ヘソビダンゴトイフ) ホソビ(同上) シタカリバナ(同上松坂) キツネノタイマツ(越前) キツネノシリヌグヒ(同上) ステゴノハナ(筑前) ステゴグサ(同上) シタマガリ(江州) ウシノニンニク(同上) シタコジ(同上和州) ヒガングサ(仙台) セウゼウバナ クハヱソサウ ワスレグサ(共ニ同上) ノダイマツ(能州) テクサリバナ(同上) テクサリグサ(播州) フヂバカマ(同上三ヶ月) シビレバナ(同上赤穂) ヒガンバナ(肥前) ドクスミラ キツネノヨメゴ(共ニ同上) オホスガナ(熊野) オホヰヽ マンジユサケ(共ニ同上) ユウレイバナ(上総) カハカンジ(駿州) スヾカケ(土州) ウシモメラ(石州) ハヌケグサ(豊後) ジユズバナ(予州) イチヤニヨロリ(同上今治) ホドゾラ(同上松山) テアキバナ(丹州笹山) キツネノアフギ(濃州) ウシオビ(同上) イツトキバナ(防州) ヤクべウバナ(越後) ハミズハナミズ(加州) 〔一名〕石垂(三才図会) 天蒜 重陽花詣 酸頭草 兎耳草 脱紅換錦 脱緑換錦 脱衣換錦
翻訳名義集ニ曼珠砂此ニ朱華ト云。俗ニマンジユシャケト云ハ此ニ拠ナルべシ。又小児コレヲ玩べバ言語詘シ。故ニ、シタコヂケト名ヅク。原野甚ダ多ク、阡陌道旁皆アリ。一根数葉、葉ハ水仙ヨリ狭ク、長サ一尺許、線色ニシテ黒ヲ帯、厚ク固クシテ光アリ。夏中即枯、七八月忽円茎ヲ出ス。高サ一尺余、其端ニ数花聚(あつま)リ開ク。深紅色六弁ニシテ細ク反巻ス。内二長鬚アリ、花後円実ヲ結ブ。実熟シテ茎腐リ、新葉ヲ生ズ。冬ヲ経テ枯ズ。根ノ形水仙ノ如ク、大サ一寸許、外ハ薄キ茶色ノ皮ニテ包ム。内ハ白色、コレヲ破バ重重皆薄皮ナリ。一種白花ノモノアリ。此ヲ銀燈花ト云。秘伝花鏡二見エタリ。(以下略)

『天声人語』の筆者の故郷では「シタマガリ」と呼んでいたそうだが,これは江州,すなわち近江国での呼称で,筆者はこの名は花の形状に由来すると考えているようだが,他にも「シタカリバナ」「シタコジ」「シタコヂケ」など名があり,「子供がもてあそぶと言葉が明瞭に話せなくなる」とあるので,むしろなめたりかじったりした時の球根の毒性に由来すると考えたほうがいい.植松黎『毒草を食べてみた』文春新書(2000) には,「万一、口にすると、最初は口のなかがヒリヒリ熱くなって生唾がこみあげ、おう吐がはじまる。吐いても吐いてもむかつきはおさまらず、胃のなかがかきまわされるように痛んでくる。頭がくらくらとし、上体をおこしていられず、何かにしがみついていても、自分がどうなっているのかさえわからなくなる。」と食したときの状況が記されている.

一方,ヒガンバナの球根は救荒植物としても使われていて,『本草綱目啓蒙』にも,「へソビ(同上 粥見 凶年ニハ団子トナシテ食用トス ヘソビダンゴトイフ)」(同上=勢州,伊勢国)との記述がある.『毒草を食べてみた』には,実際にそのヘソビ餅を作ってくれた能登のおばあさん(出身地は『本草綱目啓蒙』にある伊勢)の事が記載されている.
「毒性は、煮たり妙めたりして熱を加えても変わらない。それなのに、昔の人は飢饉とはいえ何だってこんな毒草を食べたのだろう。
その答えを出してくれたのは、球根を粉にして蒸したものをヘソビ餅だと教えてくれた能登のおばあさんだった。明治三二年生まれの彼女は、十六歳で伊勢から嫁ぎ、かつては旧家だったであろう、海にのぞむ大きながらんとした家にひとりで住んでいた。この家が建てられたのは百年以上も前だという。そのまま陋屋と化し、崩れ落ちたままになっている壁からは無数の小さな土の塊がごろごろとこぼれ、畳はカビで薄汚れ、何もかもが荒れ果てていた。そして、とほうもない静けさを破るものといえば、すさまじい勢いで岩場にうちあたる波の音だけだった。日本海の荒涼たる風景をひとりぼっちで眺めながら、彼女はときおり故郷を思い出してヘソビ餅をつくるのだという。」

なお,このブログのヒガンバナシロバナマンジュシャゲの昨年の記事はこちらから.

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