2012年11月19日月曜日

キジバト(2/3) ドバトとの違い,古事記,日本書紀,延喜式,和名類聚抄,本朝食鑑,壌鳩,家鳩

Streptopelia orientalis
庭のサクラの木に,キジバトのご夫婦が巣を作って,こもり始めた.それまでは頻繁に鳴き交わしていたが,巣篭もりし始めてからは,朝の交代時に短く鳴く声を聞くだけになった.かわるがわる卵を温めているのだろう,二階から双眼鏡で見ていると,時々姿勢や向く方向を変えるだけで,じっとしている.雨の日には羽を広げ気味にして,卵に雨が直接当たらないようにしているようだ.交代のときに2個の卵が巣の中にあるのが見て取れた.

キジバトは日本に原生のハトで,今大きな顔をして都会の広場を占拠しているドバトは,奈良時代に大陸から入って帰化したカワラバト(Columba livia).長い間キジバトは食用とされていたため,人家の近くには現れず林間を住家にしていたが,近年,狩猟の対象にされなくなり,人家の近くでも営巣するようになった.カワラバトは川原の崖の穴を巣としていたので,鳩小屋でも飼育でき,野生化すると,マンションのベランダやお寺や神社の塔などの建造物に巣を作り,迷惑がられている.一方,キジバトは木の枝に巣を作るし,またあまり群れを作らないので,迷惑者とはなっていない.

★太朝臣安萬侶『古事記(下)』(712),「允恭天皇」の章で,同母妹の軽大娘皇女(かるの おおいらつめ)と情を通じ、それが原因となって允恭天皇の崩御後に廃太子され伊予国へ流される木梨軽皇子が,捕らえられたときに軽大娘皇女に与えた歌「阿麻陀牟 加流乃袁登賣 伊多那加婆 比登斯理奴倍志 波佐能夜麻能 波斗能 斯多那岐爾那久」「天飛(あまだ)む 軽(かる)の嬢子(おとめ) いた泣かば 人知りぬべし 波佐(はさ)の山の 鳩の 下泣(したな)きに泣く 」(天飛(あまだ)む軽(かる)の乙女(おとめ)よ。ひどく泣いたら、人が知ってしまう。波佐(はさ)の山の鳩のように、忍(しの)んで泣くがよい。)と歌われた悲しげに忍びなく声でなく波斗(ハト)は,キジバトであろうと考えられている.この歌は,舎人親王ら撰『日本書紀』(720)第十三「雄朝津間稚子宿禰天皇 允恭天皇」にも,「阿摩儾霧、箇留惋等賣、異哆儺介縻、臂等資利奴陪瀰、幡舍能夜摩能、波刀能、資哆儺企邇奈勾」と記載されている.なお,「したなき」とは下泣で、心のうちで泣くこと、ひそかに泣くこと、しのびなき」と『デジタル大辞泉』にはなっている.キジバトのくぐもった感じの声を現しているのであろう。

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今はハトの漢字は「鳩」が一般的だが,古語では「鳩」はキジバトなどの野生のハトで,「鴿」がイエバト(飼育されているカワラバト)を表した.★源順『和名類聚抄』(931 - 938),那波道円 [校](1617)『和名類聚抄』(羽族之名第二百三十一)(左図).

「鳩」つまりキジバトは古くから食用とされており,『延喜式』 (927)によれば、宮中食を掌る内膳司に直属の御厨から鳩を献じている。御厨から献じたものは、「生物(なまもの)」として生肉等を使用したものと思われ,『延書式』の「内膳司」の巻の「諸国貢進御贄」の項に「旬料」として「大和国書野御厨所進鳩。従九月至明年四月」の記事を載せる。王朝時代の行事食にキジバトの肉が供されたのであろう。

江戸時代の食物本草として名高い★ 人見必大『本朝食鑑』(1697)の「禽部之三 林禽類」には(右下図),
「鳩 波止(はと)と訓(よ)む。
〔釈名〕 壌鳩(つちくればと)。古俗。雉鳩(きじばと)。今俗。○以上はいずれも俗称である。壌の字をあてるのは何故かわからない。雉鳩というのは、毛羽が雉に似た斑をしているので、こう名づけるのである。
〔集解〕 鳩とは、この類の総称である。先ず壌鳩をもって第一とする。その形状は、蒼灰色と紫赤色とが相交わって錦のようであり、啄(くちばし)・脚は淡い赤色で、鳩類のうちでは最も大きい。常に山林に棲んでいて、人家には近づかず、声は短い。味は美(よ)く、大抵(ふつう)、海西(さいごく)の産が勝れており、九州の産は、味も鳬鴈(がん)に劣らぬものが多い。(中略)

〔気味〕 甘平。無毒。
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〔主治〕気を益(ま)し、腎を補い、のどにつかえさせない。また能く目を明らかにする。
〔発明〕今俗、鳩酒・鳩の羹(あつもの)に製して、冬月飲食したり、あるいは寝るまえに毎(つね)に食べたりしている。そして次のようにも謂う。能く腹中を温め気を杜にする。久病・虚羸(キョルイ)の者は大変肥健になるし、老人が常に食べると長生きできる。これは鳩の性が温だからである、と。
必大(わたくし)の考えでは、鳩の性は温ではない。温ならどうして腎水補うことができようか。ただ、既に酒気を帯びている場合にはそういえる。鳩の性は平であって、陰陽を助けるものである。それで、久病・虚損に用いる場合は、気を益し、血を養う。老人に用いる場合は、気を助け、血を滋し、噎(むせ)ばない。鳩の性は噎ばないからである。『周礼』にある、「仲春に国老を養い、仲秋に鳩の杖を授ける」とは、このように鳩が老人によいことをいうのである。」と,キジバトの肉は雁と同じくらいおいしくて,よく食べられていること,薬用・補用として,特に老人に効果があるとしている.
更に,同書の「穀部之二,酒」には,「鳩酒」という項もあり「鳩酒。腰痛および老人の下冷えを治す。その法は、肥えた鳩の腸(はら)毛および頭尾・翅脚を取り去って、肉を割き骨を砕いて研爛(すりつぶ)し、酒で煮る。やり方は(生)姜酒と同じである。」とハトの挽肉を酒で煮たものが健康酒として効果があるとしている.

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一方,イエバトに関して同書には「鴿 以倍八止(いへばと)と訓む。
(集解〕 鴿は家鳩(いへばと)である。今、各家でこれを畜(か)っている。能く馴れて人を恐れず、鶏や犬といっしょに餌を覓(もと)める。唯、猫・鼬・鳶・烏だけが害をなす。屋上に棲(すみか)を構え、局所に窓を開けて出入する。匹偶(ひとつがい)は常に一局を守って、他の匹偶を拒んで入れない。性質は淫で、交合しやすく、よく卵を生むが、やはり荐(しきり)に卵を抱伏(だ)いて能く育てている。それで、種類も蕃(はなはだ)多(おびただ)しい。もし近隣の養鴿を招集したいと思えば、新しい棲を営造し、香を焼き、米・菽(まめ)をまけばたちまち来居すると伝えられているが、予(わたし)はまだこれを試していない。(中略)また野鴿もおり、俗に堂鳩という。これは、源順(『和名抄(和名類聚抄,左上図)』)が、「頸が短く、灰色をしている」といっているものであろうか。
我が国では、鴿を食べることは少ないので、まだその気味はわからない。ある人の話によれば、山人に儘、鴿を食う者がいて、その気味は甚だ臊気(なまぐさみ)があるというが、これも未詳である。」(読み下し,現代語訳,島田勇雄訳注 『本朝食鑑』平凡社-東洋文庫)とあり,イエバトは食用としては旨くはなく,人気がないとしている.(続く)

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