2012年11月4日日曜日

ツルボ (3/3),日葡辞典,ケンペル,ツンベルク,シーボルト,牧野


Scilla scilloides
ツルボにはスミラやスミレ,スミナなどの地方名もあり,江戸時代初期の「日葡辞典」(日本イエズス会,1603)のスミレの項に、「スミレ(菫)この名で呼ばれる,ある草.その根はニンニクに似ていて,食用にされる.」とある.また,別項として,「スミレ(菫)ある花の名」とあり,前のスミレはツルボ,後のスミレは現在のスミレと思われる.

日本の植物を西欧に紹介した江戸時代の出島蘭館の医師たち,ケンペルの『廻国奇観』(1712)には,”Kui Symira, id est, Symira edulis”,クイシミラ即ち食用にされるシミラが記載され,,その前の項の “石蒜, Seki san, vulgo Sibito banna, aliis Doku Symira, i. e. venenosa Symira” という,ヒガンバナがドクシミラ即ち有毒なシミラと呼ばれているとされていることと合わせると,このクイシミラがツルボと考えられる.(左図,上)
さらに,カール・ツンベルク『日本植物誌』(Flora Japonica)(1784)には,Ornithogalum japonicum の学名で,”Mensoni, it. Kui Simira, i. e. Simira edulis.” と呼ばれ,彼が長崎,江戸で観察し,9月に花が咲く植物が記載されていて,これは明らかにツルボである(左図,下).

ツルボがスミレという名で呼ばれていた事は,前に述べた貝原益軒の『大和本草』(1709) のツルボの項に「是ヲスミレと云ハ誤レリ」と書いてある事からも分かり,江戸時代まではこの系統の地方名が多く存在したことは語源ともに興味深い.
詳しくは栗田子郎先生のHP (ヒガンバナ民俗・文化誌~5:渡来説再考ー3) のツルボの項に東アジアの名称からも考察された記事がある.

また,シーボルトは,出島の植物園で多くの植物を育て,1830 年に帰国する時には 500 種 800 株の植物を積み込んだ.長い航海の末にオランダに届いたときには大半が枯れていて,ヨーロッパに移植が成功したもので 1844 年に生き残っていたのは 204 品種であった.シーボルト自身が導入したものはその内 129 種とされていて,彼が販売のために出版した名称一覧表に「フォン・シーボルト輸入、ヘント植物園、一八三〇年」と付記している植物群の中に,イカリソウ,シキミ,サネカズラ,サルトリイバラなどと共に,ツルボが見られる(石川禎一『シーボルト 日本の植物に賭けた生涯』2000).食用としてか,薬用としてか,あるいは観賞用としてか,シーボルトは欧州への導入する価値があると評価したのであろう.

牧野富太郎は『続牧野植物随筆』(1948) の「明きめくら菫をスミレと勘違い」の項で,「(前略)スミレの語に類似した名にスミラと謂ふものがある,其れは九州の肥前,肥後,筑後などで土地の人に由てさう呼ばれてゐるのだが,其實物はユリ科のスルボ即ちツルボである,そして其スルボの語は或はスミラの転訛ではなからう乎とも想像せられまいものでもない,」と述べている.また,「叉更にスルボの一名をサンダイガサと謂はれるが,是れは参内傘の意で其花穂の姿から来た呼称である,此参内傘は能く昔の公卿の行列に見るもので宮中即ち内裏へ参内する時用ゆる傘であるから其れで参内傘と謂はれる,そして其傘を畳んでつぼめた状を,抽きたってゐるスルボの花穂に擬したものである.是は土地の方言ではなく多分昔の物識り人が考案して負せた名であろらう.」とサンダイガサの語源も推察している(右図).

一方,『万葉集』巻8の山部赤人の歌「春の野にすみれ採るみにと来しわれぞ野をなつかしみ一夜寝にける」の“須美礼”は,このツルボだったのではないかと考える方もいるが,ツルボ(1)(2)に述べたように,ツルボの球根は手間をかけて毒成分を抜かなければ食用とならない上,決して旨いものではない.この須美礼はスミレ科のスミレとしたほうが,合理的でなおかつ絵になる.

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