2013年6月30日日曜日

ノウゴウイチゴ(ノウゴイチゴ) 花弁が七枚,飯沼慾斎『草木図説』,牧野富太郎『植物学雑誌』

Fragaria iinumae
2007年6月 尾瀬ヶ原
珍しく,殆んどが七弁の花(花被)をつける*バラ科の植物.

江戸時代末期の本草家・飯沼慾斎(1782 - 1865)が岐阜県と福井県境の能郷(のうごう)で弘化二年(1844)に発見し,その著書『草木図説』185662刊)に発見地の名をとって「ノヲゴイチゴ」として紹介した.現在,根尾能郷谷の入り口の神社にそれを記念して「ノウゴイチゴ発見の地」の石碑が建てられている.

『草木図説』巻之九 NDL
飯沼慾斎『草木図説』巻之九
ノヲゴイチゴ 蛇苺一種
我州能郷山嶺ニ生ス.長柄上一帯三葉.形普常ノ蛇苺(ヘビイチゴ)ノ葉ノ如クシテ小.質差厚ク面緑白背淡白ニシテ粗鋸歯アルコト.頗ルオランダイチゴノ如ク又トウウチサウノ葉態アリ.柄葉腋○ニ紅色ヲ帯テ頗ル美ナリ.根際寸許ノ幹様ニ立チ十数葉ヲ双簇生シ冬ヲ凌テ不枯.春夏ノ際葉間寸許ノ細梗二三ヲ出シ,毎頭一花ヲツク.楕円七弁-六間或ハ八弁ヲ交ユ-白色ニシテ大サ五六分.萼十庁.両蕊ノ形似類一般.實熟シテ深紅色.形オランダイチゴノ如クシテ小ニシテ微長.紅肉陥凹ノ心ニ一子ヲ填シ味厚カラザレトモ酸甘オランダイチゴニ勝ル.根際長ク紅糸ヲ延キ苗ヲ分ツ.ソノ糸亦紅フシテ可看.
亦前条ノ一種ニシテ西書中未見載此種

一方,現在も有効な学名をつけたのは牧野富太郎(1862 - 1957)で,1907年『植物学雑誌』に種小名は慾斎を記念して iinumae 新種として発表した.和名は『草木図説』にしたがい,「Nōgo-ichigo」であると記した.

2007年6月 尾瀬ヶ原
THE BOTANICAL M AGAZINE  [Vol XXI. No 250 Nov 1907] pp 156 
Makino - "Observations on the Flora of Japan."

Fragaria Iinumae Makino, sp. nov.
- - - 
Petals 7, patent, slightly remote each other, obovato-oblong, rounded at the apex, obtuse or cuneate below, 7-9 mm. long.
Nom. Jap. Nōgo-ichigo (Y. Iinuma).
Icon. Iinuma's Sōmoku-Dzusetsu, IX. n. 28 .
- - -
Hab. Japan, central and northern, alpine mountains. This species approaches to F. vesca Linn . as regard to the leaves, but differs from the latter by not having the scape exceeding the leaves, 5- petaled flower, and the achene superficial on the receptacle. The Japanese name is derived from Mt. Nogo in the province of Mino, where this species was first found.

いずれも萼片は5としているが,実際は花弁と同じ7-8枚らしい.イチゴに似た真っ赤な実はおいしいとのことだが未賞味.

*サクラソウ科のツマトリソウは,七深裂の花被をつけるため,花は一見7枚の花辧からなるように見える.

2013年6月13日木曜日

サギゴケ,ムラサキサギゴケ(2/3) 古名ハゼ菜の語源,葩煎(はぜ),三才図会・守貞謾稿・東京風俗志

Mazus Miquelii & M. Miquelii f. albiflora
2005年5月 塩釜神社参道
前記事のように,サギゴケ,ムラサキサギゴケには,多くの地方名が存在した.大きくははぜ・米系・鳥系・その他と分けられよう.

出典
はぜ,米
鳥 
その他
貝原益軒『大和本草』
1709
 ハゼ菜


四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録』
1733
 
鷺苔(さぎこけ)

小野蘭山『本草綱目啓蒙』
1803
ハゼナ(泉州),タハゼ(防州),ムギメシバナ(江州),モチハゼ(越前)
サギゴケ(京),サギサウ(同上),  チドリサウ(筑前),ミヽヅク(勢州), サギシバ(白花)
カマツカナ,ホカケサウ,ジロタラウバナ,カハラケナ,アゼナ, カミツカウ,トノヽウマ,コジタ 
岩崎灌園『本草図譜』
1830
はぜな(泉州),むぎめしばな(江州)
さきごけ(京) さきそう(江戸) 
かまづかな かまつかな, あぜな
京都府『救荒並有毒植物集説』
1885
はぜばな,はぜな(泉州),たはぜ(防州),むぎめしはな(江州),もちはぜ(越前)
さきごけ(京都),さきそう(東京),さぎな(同) 
かまつかな
牧野富太郎『植物学雑誌 』Vol. 16No. 186
1902
ハゼナ
サギゴケ,サギシバ
 
『内外植物原色大図鑑』
1933
はぜな・はぜばな
さぎごけ,しろばなさぎごけ,(異名)さぎすげ・さぎしば
 

鳥系では鷺のほかにチドリとミミズク,中でもミミズクは秀逸な見立てと言うべきで,正面からあの小さな花を見ると,上弁が二つに割れているのがいわゆる耳,下弁が広げた両翼と,ふっくらとして斑点のある腹部に見える(左図,ナンでも図鑑(無料)より).

一方,食物系は一面に広がった小さな花 -特に白色種の花― に,細かな黄色い斑点があるところを,麦飯や爆ぜ(はぜ)を拡げたところと見立てたのであろう.現在では「はぜ」はなじみが薄いが,古くはひろく親しまれていた食品であった.
和漢三才図会

寺島良安『和漢三才図会‐造醸類』(
1713頃)には,「●「米偏+彔の下に灬」〔音は(ロク)〕/粶〔同じ〕/俗に波世(はぜ)という/爆の字を書く〔波世留(はぜる)と訓む〕
△思うに、『字彙』に、火で米を爆(はぜ)させたものを●という、爆とは火で裂けることである、とある。摂州天王寺の民家では、河州の上糯米の穀(もみ)をほぼ湿らせて熬(い)る。爆脹(はぜふく)らせると稃(すりかす)は自然に脱け去って、雪の花のように潔白になる。大きさは三、四分で、軽虚で味も甘美である。小児が食べてもよく、またこれを魚の餌にしたりもする。」(右図)(現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫)とあり,よく知られた糯米(もちごめ)の加工品であることが伺える.
守貞謾稿 NDL

また,江戸時代の衣食住や行事・遊びごとなどを図入りで詳しく記した喜田川守貞『守貞謾稿』(
1837 – 1853以降)の「巻之二十六(春時),元日、二日、三日」の項には「元日、昔は毎戸必ず粳(うるち)を買ひ、これを爆して、字婁(はぜ)とし、当年の吉凶を占へり。その後、はぜを売り巡るを買ひて、宅裡にこれを蒔く。近年は武家のみこれを行ひて、坊間廃(すた)る。(昔はぜを売り巡りしも、江戸のみか。京坂いまだこれを聞かず。)」とあり,同じ項に,「蓬莱(ほうらい) 『嘉多比佐志』に日く、喰積、初春の祝物のくひつみと云ふは、春の始めに食して、菜となるべき物のみ取り集めて、客も主も物語しながら、つまみとりて、くひしゆへに、食ひつみとは云へるなり。今は食はぬこととして、生米を積むれど、昔は葩煎(はぜ)と云ひて、糯(もちごめ)をいりて、孛婁(はぜ)させたるなり。天明中比(ごろ)までは、元日早朝より、江戸中、はぜうり、あまた歩行(ある)きしを、つきづきに絶へて、御丸の内のみ、あまたありきしが、それも寛政比より、やうやうすくなくなりて、今は稀にうり歩行くのみ。これ食積台に置くべき料なり。その食積台に小土器(こかわらけ)を添へおくは、食ふ人自から、いりやきて食ふためなり、云々。」(喜田川守貞著,宇佐美英機校訂『近世風俗志(守貞謾稿)4』岩波文庫 2001)とあり,年頭に,「はぜ」のはぜかたで一年の吉凶を占い,また,縁起のよい食品を飾っておく「食積台」に置く風習があったが,その時点では廃れてきたとある.
東京風俗志 中 (NDL)

しかし,この風習はひな祭りには継承されたようで,平出鏗二郎『東京風俗志 中』富山房
(1899-1902) には,「雛祭 三月三日の雛祭は,女児の為にするものにして,維新の後頓に衰へたりしも,近年歳を追うて漸く盛りとなり,(中略).供物は菱餅,葩煎(はぜ)熬豆(いりまめ)などを始め,榮螺(さざえ),文蛤(はまぐり)をも供える.親々しき人々を招きて,赤飯を炊(かし)ぎ,白酒を進めなとして振舞ふもあり.(後略)」とある.現在のひなあられの元であろうか.

この様に親しまれていた食品の「はぜ」がサギソウの古い名前「ハゼ菜」の語源であろう.
また,類縁の「トキワハゼ」の名は,花の時期がサギソウ-「ハゼ菜」より長いことに由来する 「トキワハゼ菜」→「トキワハゼ」と考えれば納得できる.
トキワハゼの語源として実が爆ぜて種が散布されるからだとの説もあるが,実の構造からしてそのような現象は起きにくいし,少なくとも私は見たことがない.

なお,お米由来の植物名として「ママコナ」があるが,花被の内側に盛り上がった明色の斑点があるのがハゼ菜と共通で,これが見立てに意味があるのかもしれない.


*『字彙』 十二集。明の梅膺祚(ばいようそ)選。初めて二一四部首を立て、各部ごとに筆画数順に配列した全三万一三七九字について、音切・訓詁を施した字書。
**「葩」音読み:ハ,訓読み:はな,対応する英語:flower, petal

サギゴケ,ムラサキサギゴケ (3/3) 『梅園画譜』,『本草図譜』,『草木図説』,牧野 Mazus japonicus

ムラサキサギゴケ・サギゴケ・ハゼナ (1/3) 大和本草・地錦抄附録・本草綱目啓蒙・本草図譜・救荒並有毒植物集説・牧野富太郎

2013年6月9日日曜日

ムラサキサギゴケ・サギゴケ・ハゼナ (1/3) 大和本草・地錦抄附録・本草綱目啓蒙・本草図譜・救荒並有毒植物集説・牧野富太郎

Mazus miquelii & M. miquelii f. albiflorus
ムラサキサギゴケ 2005年5月 宮城県 塩釜神社 参道
サギゴケと言う名は紫の花をつける種に対する名前としては,ふさわしくない.またその白花種をシロバナサギゴケというのは,「帽子を脱帽」と同じではないだろうか.なぜ,率直に白花種をサギゴケ,紫花種をムラサキサギゴケといわないのだろうか.そこで,江戸時代の本草・園芸書から近代・現代の図鑑までの名称の変遷を辿ってみた.

出典
紫花種
白花種 
備考
貝原益軒『大和本草』
1709
 
ハゼ菜
花白シ 葉似()芹 茎紫ナリ
根白シ 味甘 可()
四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録』
1733
 
鷺苔(さぎこけ)
花形鳥の飛ぶ形にて色雪白花は地に敷て青くこけのごとく
小野蘭山『本草綱目啓蒙』
1803
通泉草*,カマツカナ ハゼナ(泉州) ホカケサウ ジロタラウバナ カハラケナ(倶ニ同上) サギゴケ(京) サギサウ(同上) アゼナ タハゼ(防州) チドリサウ(筑前) ムギメシバナ(江州) カミツカウ(同上) モチハゼ(越前) トノヽウマ(肥前) ミヽヅク(勢州) コジタ 
白花ノ者ハ大サ五六分。勢州ニテ、サギシバト呼。
*誤比定
岩崎灌園『本草図譜』
1830
通泉草* かまづかな はぜな(泉州) かまつかな(同上) むぎめしばな(江州) あぜな さきごけ(京) さきそう(江戸) 禿瘡(とくさう)花(物理小識) 長生(同上)
又紅花のもの白花黄点ある物あり
*誤比定
京都府『救荒並有毒植物集説』
1885
さきごけ さきそう(東京) さぎな(同) はぜばな かまつかな はぜな(泉州) たはぜ(防州) むぎめしはな(江州) もちはぜ(越前) 通泉草*(漢名) マーサス ルゴウスヽ(洋名)
花色は紫の濃淡或は紅白等の数品あり
*誤比定
牧野富太郎『植物学雑誌 』Vol. 16(1902) No. 186
1902
 Mazus miquelii Makino
 Sagi-goke, hazena(サギゴケ,ハゼナ)
M. miquelii f. albiflorus Makino
 Sagi-shiba(サギシバ)
 現在でも有効な学名
『内外植物原色大図鑑』
1933
さぎごけ,(異名)はぜな・はぜばな
しろばなさぎごけ,(異名)さぎすげ・さぎしば
 
村越三千男原著・牧野富太郎補筆改定『原色植物大図鑑』
1955
さぎごけ,(異名)むらさきさぎごけ
しろばなさぎごけ,(異名)さぎすげ・さぎしば
 
山渓『日本の野草』
1999
ムラサキサギゴケ
サギゴケ,別名:サギシバ
両者を区別しない考え方もある.
保育社『野草図鑑』⑤
1999
ムラサキサギゴケ
 
まれに白花のものがあって,サギゴケの名はそれから生まれた.
平凡社『日本の野生植物(草本)』
2000
サギゴケ
 
 
保育社『原色日本植物図鑑』
2002
ムラサキサギゴケ
花の白いものをサギシバと呼ぶ
 
アボック社『植物分類表』
2009
サギゴケ(ムラサキサギゴケ)
シロバナサギゴケ[「サギゴケ」]
ハエドクソウ科(←ゴマノハグサ科)サギゴケ属
BG Plants 和名−学名インデックス」(YList
2013
サギゴケ,別名:ムラサキサギゴケ
シロバナサギゴケ,別名:サギシバ、サギゴケ
 

江戸時代中期には,白花種を「ハゼ菜」もしくは「鷺苔(さぎこけ)」と呼んでいた.

大和本草より (NDL)
★貝原益軒『大和本草 巻十九 諸品図上 草類』(1709) には,「ハゼ菜,花白シ 葉似(レ)芹 茎紫ナリ 根白シ 味甘 可(レ)食」と食用とされているとの説明と図が記載されている(左図).

地錦抄附録より (NDL)
牧野博士の言に従えば「ハゼナ」は紫花種だが,「花白シ」とあるので,この場合は白花種のサギゴケと考えられる.ハゼとは,糯米を炒ってはじけさせたもので,きれいな白色のあられの様な粒で,名前からしても白い花をつけているはずである.

★四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録 第一巻』(1733)には,「鷺苔(さぎこけ) 花形鳥の飛ぶ形にて色雪白花は地に敷て青くこけのごとく一面に形儀(ぎやうぎ)よくのびしげり花数多く段々つぼみ出て三月初めごろより咲だしさかり久しくながめよし秋の頃も花咲なり」との文と図(右図)が載っていて,明らかに白花種が鷺苔であるといっている.一方,「秋の頃も花咲なり」といわれているのはトキワハゼ(の白花種?)の可能性もある.

物品識名
より, NDL
19世紀になると,中国の『本草綱目』に記載されている「通泉草」に比定された.

★岡林清達・水谷豊文『物品識名 坤』(1809 跋) には,「サギゴケ カマツカナ 通泉草 石長生附録」とあり(左図),『本草綱目』の草之九,石草類の「石長生」の附録にある,「時珍曰︰案《庚辛玉冊》云︰通泉草一名長生草,多生古道丘壟荒蕪之地。葉似地丁,中心抽一莖,開黃白花如雪,又似麥飯,摘下經年不槁。根入地至泉,故名通泉。俗呼禿瘡花。此草有長生之名,不知與石長生及紅茂草亦一類否○故並附之。」とある,通泉草にあたるとしている.

『本草綱目』には,通泉草は雪のように白い花をつけるとされているので,この場合は白花種と考えられる.なお,この比定は誤りとされていて,現代中国では「通泉草」はトキワハゼ(白花種?)とされている.

紫花種をサギゴケとしたのは,江戸後期の本草学者,小野蘭山で,京都でサギゴケと呼ばれている通泉草の花の色は「淡紫色、或ハ淡紫碧色」であり,「白花ノ者」が伊勢で「サギシバ」と呼ばれているとしている.つまり,紫型が「サギゴケ」で白型が「サギシバ」であるとした.

★小野蘭山『本草綱目啓蒙 巻之十六 草之九 石草類』(1803-1806)
「石長生 ハコネグサ (中略)
〔附録〕紅茂草 詳ナラズ。通泉草ハ、カマツカナ ハゼナ(泉州) ホカケサウ ジロタラウバナ カハラケナ(倶ニ同上) サギゴケ(京) サギサウ(同上) アゼナ タハゼ(防州) チドリサウ(筑前) ムギメシバナ(江州) カミツカウ(同上) モチハゼ(越前) トノヽウマ(肥前) ミヽヅク(勢州) コジタ 
随地皆アリ。葉ハ薺葉二似テ、短小春ニ至リ、茎ノ高サ一二寸ニシテ花ヲ開ク。大サ三四分、淡紫色、或ハ淡紫碧色、内ニ黄蘂アリ。外二青萼アリテ、コレヲウク。日ヲ逐テ花ヲ開キ漸ク穂長クナル。白花ノ者ハ大サ五六分。勢州ニテ、サギシバト呼。供ニ夏月、根ヨリ蔓ヲ延、葉対生シ節ゴトニ根ヲ生ジ、窠ヲナシ甚繁茂ス。一種夏月花ヲ開ク者ヲ夏ノサギサウト*呼。一名ナツハゼ。花葉共二小ナリ。其秋ニ至テ花ヲ開ク者ヲ秋ハゼ*ト云。更ニ小ナリ。一種黄花ノサギサウハ深山渓二●(氵+閒)ニ生ズ。花下ニ長実アリ。一名ミヅホウヅキ** 形状少異ナレドモ通泉草ノ一種。」(*トキワハゼ, Mazus pumilus であろう. **ミゾホオズキ, Mimulas inflatus であろうと思われる.)

蘭山の,紫花種を「サギゴケ」として,白花種をその「一種」とする考え方は,岩崎灌園『本草図譜』(1830),京都府『救荒並有毒植物集説』(1885)にも受け継がれ,これを,牧野富太郎が踏襲したのであろう.

牧野富太郎が,1902年に『植物学雑誌』に現在でも有効な学名を発表したとき,紫花種を基本種とし,Mazus Miquelii の学名をつけ,その和名は「Sagi-goke, hazena(サギゴケ,ハゼナ)」であるとし,白花種は基本種の品種 forma としてM. Miquelii f. albifloraの学名をつけ,その和名は「Sagi-shiba(サギシバ)」であると記した.

それ以降現在まで,紫花種を「サギゴケ」とする図鑑は多数あり,Yリスト*でもこの名を紫花種の「標準」として,また白花種の標準は「シロバナサギゴケ」であるとしている.

*米倉浩司・梶田忠 (2003-) 「BG Plants 和名−学名インデックス」(YList