2013年8月29日木曜日

ラショウモンカズラ 羅生門,瑠璃蝶草(「瑠璃鳥草」は誤り),和漢三才図会,地錦抄附録,草木弄葩抄,画本野山草,物品識名,日光山草木圖,梅園草木花譜,学名 ミクェル,牧野富太郎

Meehania urticifolia (Miq.) Makino
2004年5月 仙台野草園
牧野富太郎博士はこの植物の名前について,「和名羅生門蔓 (らしょうもんかずら) は花冠を渡辺綱 (わたなべのつな) が羅生門で切り落とした鬼の腕に見立てた。(CD-ROM 原色牧野植物大図鑑 北隆館)」と,和名の由来を言ったが,江戸の文献には見つけられなかった.

江戸時代の名称の一つの「ルリテフ(ウ)サウ=ルリチョウソウ」が「瑠璃鳥草」ではなく,「瑠璃蝶草」であることは,『地錦抄附録』で明らかである.また,現在では「蝶」も「鳥」も「チョウ」と振り仮名をするが,江戸時代は,「蝶」は「テフ,テウ」であり「鳥」は「チャウ」であった.従って「ラショウモンカズラ」の古名・江戸の方言「るりちょーそー」を「瑠璃鳥草」とするのは誤りで,「瑠璃蝶草」とすべきである.

★寺島良安『和漢三才図会 巻第九十六 蔓草類』(1713頃)(左図),現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫,には
羅生門 俗称〔本名は未詳〕
△思うに、羅生門(シソ科ラショウモンカズラ)とは蔓草である。葉は胡麻の葉に似ていて短い。三月に葉の間に小花を開く。深青色〔俗に紺色という〕である。」とあるが,茎は直立していて「つるくさ」ではなく,花後出す地上を這う走出枝を「かずら」と見た.

★四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録 巻之一 草花の部』(1733)には,
瑠璃蝶草(るりてふさう) 
花形蝶(てふ)の飛形(とぶかたち)なり花濃紫(こむらさき)るり色よく蝶の羽ごとくに紋のあやあり草はほそくのびたちて葉両対(たい)に付(つき)葉の間々に段々花三月上旬頃さく花に香気(こうき)あり梅花のごとくに薫(くん)ず」と庭園での栽培・観賞が行われていたことを覗わせる.(右図,NDL)

なお,『日本国語大辞典.』で「るりちょうそう[ルリテフサウ]【瑠璃蝶草】- 〔名〕植物「るりみぞかくし(瑠璃溝隠)*の異名」として,この地錦抄附録の記述文を引用しているが,原資料に添付の図(右図)からして,引用は誤りである.*いわゆる「ロベリア」

★菊池成胤?『草木弄葩抄* 上巻』(1735)には
羅生門
はな、るり色。とりかぶとのはなのごとし。葉、おどり草のはにしてすこしながくうすし。茎、蔓生ず。くきをふせ、ふしより根ををろし、はびこる。」(下図左端,NDL)
*草木弄葩抄(ソウモク ロウハショウ). 上巻,享保20 [1735] 序
知名度は低いが、先行する『花壇綱目』や『花壇地錦抄』より記載がはるかに詳しい園芸書で、草類だけを載せる。著者名は明記されていないが、序文の筆者菊池成胤(浪華の人)と思われる。
現存本は上巻であり、これには図が一つも無い。凡例によれば図集を下巻として出版するとあるが、刊行された形跡は認められない。上巻もこの国立国会図書館本以外に知られていないようである。見出し数は209だが、同一項に類品を挙げる場合が少なくないので、総品数はこれよりかなり多い。 (中略)
新出品はあけぼの草・いわかがみ草・うらしま草・君かげ草(現スズラン)・なるこゆり・水芭蕉(すべて原記載名)など、15品ほど。(中略)
『絵本野山草』(宝暦5年=1755刊)は全163項目だが、うち半数の82項が本書の記文の全部あるいは一部の転写である。(磯野直秀)

★橘保国『画本野山草』(1755)には
羅生門 はな、三月
はな、るり色。とりかぶとのはなのごとし。葉、おどり草のはにして、すこしながく,うすし。茎、蔓生ず。くきをふせ、ふしより根ををろし、はびこる。」とある.(記事は『草木弄葩抄』の剽窃)(左図,中央,NDL)

★岡林清達・水谷豊文『物品識名』(1809 跋)
ラシヨウモンカヅラ ルリテウサウ 江戸」(左図,右端,NDL)

★夏井操『牧野植物園便り Makino Botanical Garden News,No.33 ラショウモンカズラ,大きな花を重そうに連ねる小さな草,愛媛県の赤星山で出会う』には
「・・・牧野博士と同世代で東京帝国大学の植物病理学教授であった白井光太郎博士は、水谷豊文の『木曾採薬記』*1(1810年)のなかでルリチョウソウという名前を見つけており、昭和2年植物研究雑誌*2で「ラショウモンカズラの一名」と記しています。岩崎灌園の『綱救外編』*3(1825年)に出ていたとあったので、牧野文庫で調べてみると、「ラセウモン ルリ蝶サウ」との記述がありました。
日光山草木圖 五 NDL
  また、『備中植物誌』を著した吉野善介は、昭和7年の同誌で、鬼の腕の説を牧野博士の説と断ったうえで、「(ラショウモンカズラは)ルリチョウソウという一名もあるらしい。
  岩崎灌園(江戸後期の本草学者)の描いた『日光山草木圖』*4に出ているが、あるいは日光地方の方言かもしれない。その花の色や形から瑠璃鳥に見立てたものであろうが、この名の方がはるかに雅馴でラショウモンカズラのような怪奇的な名はこの優麗な草花を現すにふさわしくないようである」と遠慮しながら述べています。」とある.

残念ながらここに引用されている文献1*水谷豊文の『木曾採薬記』(NDL)には「ラシヤウモンカヅラ」はあったが,「ルリチョウソウ」という名前は見つけ出せず,また *2,*3 は NET では該当する部分は見つけられなかった.
一方 *4 岩崎灌園『日光山草木圖 五』(1824,文政7年)には,「るりてうさう」として,ラショウモンカズラが描かれている(右図, NDL).「る里てうさう」なので,これは「瑠璃草」と解すべきである.
増補花壇大全 NDL

★松本新助ら『増補花壇大全』(1813) の第四巻には「瑠璃艸 るりてふさう」の名で,良く特徴を捉えたラショウモンカズラが描かれている.残念ながら記述文は見いだせなかったが,ルリチョウソウのチョウは鳥ではなく蝶であることが分かる.
この図は四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録』(1733)とほぼ同じで,剽窃であろう.

梅園草木花譜 NDL
★毛利梅園(1798–1851)『梅園草木花譜 春三』(1825 序,描図 1820 - 1849)には、
「続断* ハミ
或人曰 紫雲菜(ルリテウサウ,又曰ヒキヲコシ)ト云 可考 ラショウモントモ
救荒本草ニ出 青考紫雲菜ハ立浪艸ニ云ル続断ニ非ラス
続断数種アリ此者宿根苗ヲ生シ地ニ搨テ莭々ヨリ根ヲ生ス
葉ハ沙参又杏葉沙参葉ニ彷彿リ少シ皺文アリ
其地ニ搨莭ニハ花ヲ生セス一茎又宿根ヨリ生シテ花ヲ著ハス
躍子草ニ似(イ+巨)テ其花横ニ連ル
躍子草一名編笠艸ヲモ続断ニ充者アリ
続断藤ハ地ニ摺ク茎ノ名也続断本草蔓草ニ非ラス」とあり,写生に基づく美しい絵がある(左図).
* マツムシソウ科のナベナやトウナベナ


ラショウモンカズラに最初に学名をつけたのは,ミクェル(F. A. W. Miquel, 1811-1871)で,伊藤圭介が採取し,シーボルトへ在日中に提供した標本に基き,ムシャリンドウ属に属するとして Dracocephalum urticaefolium とした(Prolusio Florae Japonicae 『日本植物誌試論』, 2: 109 (1865). Type: Japonia, s.l.s. (Keiske, L) in Annales Musei Botanici Lugduno-Batavi (王立植物標本館紀要)右下図).

Dracocephalum : ギリシャ語の dracon(龍)+cephale(頭), urticifolia : イラクサ属(Urtica)の ような葉の

しかし,1899年に牧野富太郎がラショウモンカズラ属に属すると発表し,現行の学名 Meehania urticifolia となった (Botanical Magazine Tokyo 13: (159) (1899)).
「日本植物調査報知第十五回 牧野富太郎
○六十六 らしゃうもんかづら ノ學名私考…
らしゃうんかづらハ唇形科ノ一草ナリ予ハ今其學名ヲ新訂スルコト左ノ如シ
Meehania urticifolia (Miq.) Makino nom. nov. = Dracocephalum urticaefolium Miq. (以下略)」

Meehania は,19世紀のアメリカで活躍した英国人の植物学者 Thomas Meehan  (1826-1901) の名にちなむ.

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