シロバナカラスノエンドウ Vicia
angustifolia. var. segetalis f. albiflora
中国の詩歌の歴史は『詩経』に始まる.『詩経』は後に儒家の経典『四書五経』の一つとなった.孔子は『論語』の中で,「詩三百,一言にしてこれを蔽(おお)えば,曰く,思い邪(よこしま)なし.」と言って,これを学ぶ重要性を説いた.『詩経』は西周時代,当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集した(孔子刪詩説)とされ,その成立からして「礼」と通ずるところがあり,孔子自身も子弟にその修養を求めているように,左伝などを見ると,当時の卿・大夫・士の必修の教養とされた.
現在まで伝わっている『詩経』のテキストは,毛亨・毛萇が伝えた毛詩(もうし)である.そのため現行本に言及する場合,『毛詩』と呼ぶことも多い.
詩経には編纂者である聖人孔子の思想がそこに隠されているという考え方が強く,特に漢代には,すべての詩編には必ずその発祥のもととなった史実があり,歌詞にはそれらに対する毀誉褒貶がこめられている(美刺説),という考え方が主流となった.この思想は唐代の『五経正義』(古注)において決定的となり,徐整『毛詩譜注』,孫毓『毛詩異同評』,周續之『毛詩序義』,韋昭『毛詩答雜問』,劉芳『毛詩箋音義證』,沈重『毛詩義疏』など多くの注釈書が作られた.
これに対して宋代の朱熹
(1130 – 1200) は,各篇の成立事情に関する説とそれに伴う教訓をしりぞけ,詩そのものの内容に即して理解・鑑賞しようという『詩經集傳』を著し,詩経研究を一新した(新注).
これらの『詩経』の注釈本や参考書のいくつから,『国風,召南《草蟲》』の「喓喓草蟲,趯趯阜螽」の詩の「薇」の記述を取り上げて見る.
中国後漢末期の学者,鄭玄 (127 – 200) 『毛伝鄭箋』「艸蟲三章章七句」の項には「薇 薇菜也」と,至極あっさりとしている(右図,NDL).
△言采其薇 薇亦山菜也,莖葉皆似小豆,蔓生.其味亦如小豆,藿可作羹,亦可生食.今官園種之,以供宗廟祭祀.』(藿とは,豆の若葉)と,より詳しく,小豆に似た蔓生の山菜で,(若い葉は)生でも羹でも食べられ,官園に植えられ,祭祀に使われているとある.(左図,中国哲学書計画)
中国・唐の太宗の勅を奉じて,孔穎達等が太宗の貞観年間640年(貞観14)より高宗の永徽年間にかけて撰し,永徽4 (653) 年に公布した「周易」「尚書」「毛詩」「礼記」「春秋左氏伝」の五経の疏(五経正義)の一つ,孔穎達疏『毛詩正義』には,「陟彼南山.言采其薇.【傳】薇采也.未見君子.我心傷悲【傳】嫁女之家不息火三日.思相離也【箋】云維父母思已.故已亦傷悲.亦既觀見止.亦既觀止.我心則夷【傳】夷.平也.【音】【義】薇.音微.草也.亦可食.離.力智反【疏】【傳】正義曰.陸機云.薇.山菜也.莖葉皆似小豆.蔓生.其味亦如小豆.藿可作羹.亦可生食.今官園種之.以供宗廟祭祀.定本云.薇,草也.」と先行する毛亨傳(漢),陸機(三国時代-西晋),鄭玄箋(唐)を引用して,陸機の記述に賛成しているように見える.(右図,中国哲学書計画)
宋代の朱子(姓は朱,諱は熹,1130 - 1200)は,その『詩経』解釈の新時代を開いた『詩経集註』で,「喓喓草蟲,趯趯阜螽」の詩の「薇」に関して,「薇,似蕨而差大.有芒而味苦.山閒人食之.謂之迷蕨.胡氏曰,疑卽莊子所謂,迷陽者.(薇は,蕨に似て差(ヤヤ)大なり.芒有りて味苦し.山間の人之を食ひ,之を迷蕨と謂ふ.胡氏日はく,疑ふらくは即ち『荘子』に謂ふ所の迷陽なる者ならん,と.)」と記した.(左図,松永昌易(1619-1680)編『新刻頭書詩経集注』 WUL)
「カラスノエンドウ-2」に述べたように,日本においては,この記述を元に多くの学者が「薇」をゼンマイと考定した.
『詩経』の詩を理解する爲には,詠われている動植物が何であるかを知る必要があり,中国でも時代が下るにつれ『毛詩』中の動植物の『名』と『物』とを対応させる『毛詩名物學』とも云うべき研究が盛んになった.清の乾隆三十六年(1771)には,徐鼎(字は雪樵)が『詩経』の詩篇に詠われた鳥獣虫魚草木を選び,その考定と図
255 幅を付した『毛詩名物図説』を刊行した.この書は日本に渡り,小野蘭山によって和名が付されて復刻・刊行された.一方,日本においても,『詩経』の詩篇にある鳥獣虫魚草木が,和産の何にあたるのか,漢学者・儒家・本草家が研究考定し,多くの著作が出版された.その中には,中国で訓点などを除いて再出版された著作もあった.
これらの「詩経名物」の著作の中の「薇」については,次記事に.